※この作品はR-18です。

侯爵家の影の支配者は熟女が大好き   作:埴輪庭

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東方動乱④終

 ◆◆◆

 

 春に狂い咲くのは何も花だけではない。

 

 花見の宴が催される裏で無数の密使が夜道を駆け、無数の謀略が胎動している。

 

 ヴァレンシュタイン公爵の策謀はその時点で既に一定の成果を上げつつあった。

 

 カルスタイン王国への密使は予想通りの反応を引き出していた。小国の王は帝国の提案に飛びつき、連合からの離脱を真剣に検討し始めている。そしてその情報はシュタイナーの手によって巧みにルオン帝国へと流され、李承乾の猜疑心を炎上させていた。

 

 連合は内部から瓦解しつつある。

 

 公爵の計算ではあと数週間もすればルオンがカルスタインを攻撃し、連合は内戦状態に陥る。そうなれば帝国は「秩序回復」の名目で介入し、両者を叩いて漁夫の利を得られる。

 

 悪くない策だ。

 

 いや、むしろ老練な軍人らしい、手堅い謀略と言えよう。

 

 だがその策が完璧かと問われれば、否と答えざるを得ない。

 

 皇城の私室において、シェラハザードはワイングラスを傾けながら、眼下に広がる帝都の夜景を眺めていた。春の月が雲間から顔を覗かせ、石畳の街路を青白く照らしている。

 

「──ベルンハルト」

 

「はい、陛下」

 

 影のように控えていた宰相が一歩前へ出る。

 

「公爵の動きは把握しておるな」

 

「はい。カルスタインへの密使、ルオンへの情報漏洩、第三師団の東部国境への移動。すべて監視しております」

 

「うむ」

 

 シェラハザードはグラスの中身を見つめた。深紅の液体が燭台の炎を反射し、血のように揺れている。

 

「妾がなぜ、公爵の策を黙認しておるか、分かるか」

 

 宰相は沈黙した。彼は答えを持っていない。いや、持っていたとしても、軽々しく口にすべきではないと判断したのだろう。

 

「公爵の策は悪くない」

 

 シェラハザードは静かに言った。

 

「連合の分断。内部対立の煽動。敵を自壊させて、帝国の消耗を最小限に抑える。軍人としては上出来の発想じゃ」

 

「ではなぜ」

 

「なぜ足りぬと言うか、か?」

 

 シェラハザードはグラスを置き、窓辺に歩み寄った。

 

「公爵は戦術を見ておる。だが戦略を見ておらぬ」

 

 その言葉に、ベルンハルトは眉を顰めた。

 

「連合を分断し、内戦を誘発する。それ自体は有効じゃ。だがな、ベルンハルト。それだけでは不十分なのじゃ」

 

 シェラハザードは振り返った。アメジストの瞳に冷酷な光が宿っている。

 

「カルスタインとルオンが争えば、確かに連合は弱体化する。だがそれは一時的な混乱に過ぎぬ。やがてどちらかが勝ち、残った方が連合を再編する。そうなれば、我々は再び強敵と対峙することになる」

 

「つまり、根本的な解決にはならぬと」

 

「その通りじゃ」

 

 シェラハザードは再びグラスを手に取った。

 

「公爵の策では敵を弱らせることはできても、滅ぼすことはできぬ。いや、滅ぼすつもりもないのかもしれぬな。あの男が欲しいのは勝利じゃ。完全なる勝利。敵を踏みにじり、百年の怨念を晴らすこと。それ以外は眼中にない」

 

 皇帝の声には微かな侮蔑が混じっていた。

 

「だが妾が欲しいのは勝利ではない。統一じゃ。大陸全土を帝国の版図とし、永遠の平和を築くこと。そのためには敵を滅ぼすだけでは足りぬ」

 

「敵を取り込む必要がある、と」

 

「賢いな、宰相」

 

 シェラハザードは薄く笑った。

 

「連合を分断し、内戦を誘発する。それ自体は良い。だが本当に重要なのはその後じゃ。勝った側と負けた側、両方を帝国の傘下に取り込む。そのためには戦争によって徹底的に疲弊させねばならぬ」

 

「徹底的に、でございますか」

 

「そうじゃ。カルスタインとルオンが互いを傷つけ合い、共倒れになるまで放置する。そして両者が這い上がる力も残っていない状態になってから、帝国が仲裁者として介入する。勝者を吸収し、敗者を属国化する。それが妾の描く絵図じゃ」

 

 その言葉を聞いて、ベルンハルトは背筋が寒くなるのを感じた。

 

 公爵の策略が凶悪に見えたのは彼がまだ甘かったからだ。皇帝の描く絵図はそれよりも遥かに冷酷で遥かに大規模だった。

 

「公爵は性急すぎる」

 

 シェラハザードは続けた。

 

「連合が少し弱ったところで介入すれば、確かに勝てるじゃろう。だがそれでは戦後の統治が困難になる。抵抗勢力が残り、いつまでも反乱の火種が燻り続ける。妾はそれを避けたい」

 

「では公爵の策を阻止なさいますか」

 

「いや」

 

 シェラハザードは首を振った。

 

「阻止はせぬ。利用する」

 

 その言葉に、ベルンハルトは目を見開いた。

 

「公爵は連合を分断しようとしておる。それ自体は悪くない発想じゃ。ただ、やり方がぬるいだけじゃ。妾はそのぬるさを補完してやる」

 

「具体的には」

 

「公爵はカルスタインを唆(そそのか)しておる。妾はルオンを唆す」

 

 シェラハザードの唇が残酷な笑みを刻んだ。

 

「公爵がカルスタインに単独講和を持ちかけた。妾はルオンにも同じことをする。両者に、互いが帝国と密通しておると思い込ませる」

 

「両方を唆す、と」

 

「そうじゃ。カルスタインもルオンも、自分だけが帝国と繋がっておると思っておる。だが実際には両方とも帝国の掌の上で踊らされておる。この構図が完成すれば、連合は確実に自壊する」

 

 ベルンハルトは息を呑んだ。

 

 公爵の策略は片方を味方につけて、もう片方を敵に回すものだった。だが皇帝の策略は両方を味方につけたふりをして、両方を敵同士にぶつけるものだ。

 

 規模が違う。

 

 冷酷さの次元が違う。

 

「しかし陛下、それでは公爵の計略と競合するのでは」

 

「競合などせぬ」

 

 シェラハザードは手を振った。

 

「公爵は妾の駒じゃ。妾が動かしておる駒なのだという自覚があの男には足りぬ。じゃから妾はあえて公爵に意図を伝えなかった」

 

「力関係を明確にするため、でございますか」

 

「その通りじゃ」

 

 シェラハザードの声が冷たくなった。

 

「公爵は優秀な軍人じゃ。その能力は認めておる。じゃが勘違いをしておるところがある。自分が主体的に動いておると思っておる。妾の命令に従わずとも、独自に動けると考えておる」

 

「謀反の芽、でございますか」

 

「芽というほどのものではない。まだ種じゃ。だがな、種も放置すれば芽吹く」

 

 シェラハザードはグラスを空にした。

 

「公爵には妾の掌の上で踊っておるのだということを思い知らせてやる必要がある。奴の策略が成功しても、それは妾の許可の範囲内であるということ。奴の行動は全て妾に把握されておるということ。それを理解させなければならぬ」

 

「では公爵を処罰なさいますか」

 

「処罰?」

 

 シェラハザードは鼻で笑った。

 

「そんな下策は取らぬ。公爵を処刑すれば、軍部が動揺する。あの男は軍人どもから信頼されておるからな。下手に手を出せば、公爵派の貴族どもが離反しかねぬ」

 

「では」

 

「奴の策略を成功させてやる。ただし、妾の手によって成功させてやるのじゃ」

 

 シェラハザードは窓辺から離れ、執務机に向かった。

 

「公爵がカルスタインを唆した。妾はその情報をルオンに流した。公爵がルオンに情報を漏らした。妾はその上にさらに油を注いだ。結果として連合は分裂する。じゃがその功績は誰のものになると思う?」

 

 ベルンハルトは答えを持っていた。だがあえて口にしなかった。

 

「公爵のものではない」

 

 シェラハザードが答えた。

 

「妾のものじゃ。公爵の策略は妾の策略の一部に組み込まれておる。奴が何をしようと、最終的な成果は妾が刈り取る。そして奴はそれを知ることになる」

 

 その言葉には絶対的な自信が込められていた。

 

「公爵は気づくじゃろう。自分が何をしようと、全ては妾の掌の上であったことを。自分の独断専行が実は妾に許可されておったことを。そして許可されておったということはいつでも取り消せるということを」

 

 シェラハザードは羊皮紙を広げ、羽ペンを手に取った。

 

「これで公爵は学ぶ。妾に逆らうことの愚かさを。そして妾に従うことの有益さを。奴は優秀じゃ。学習能力はある。一度理解すれば、二度と同じ過ちは犯さぬじゃろう」

 

「陛下は公爵を許されるのでございますか」

 

「許すも何もない」

 

 シェラハザードはペンを走らせながら答えた。

 

「奴は罪を犯してはおらぬ。独断専行はしたが結果として帝国の利益に資しておる。処罰する理由がない。じゃが同時に褒賞を与える理由もない。奴の功績は妾の功績の一部に組み込まれておるのじゃからな」

 

 それは完璧な支配の構図だった。

 

 公爵は動いた。だがその動きは全て皇帝に把握されていた。そして皇帝はその動きを利用して、より大きな成果を上げた。結果として公爵は自分が独立して動いたのではなく、皇帝に動かされていたのだと悟る。

 

 反抗の意志は無力感によって折られる。

 

 処罰よりも、遥かに効果的な屈服の手段だ。

 

「ベルンハルト。ルオン帝国の宰相、張維新に密書を送れ」

 

「内容は」

 

「カルスタインがアルバラと密通しておるという情報の確認と、ルオンとの単独講和の可能性についての打診じゃ。条件は寛大なものにしろ。ただし、カルスタインへの攻撃を黙認する、という一文を忘れるな」

 

「承知いたしました」

 

 ベルンハルトは深々と頭を下げた。

 

 彼は理解していた。この密書が送られれば、ルオンはカルスタインを攻撃する。そしてカルスタインは帝国に裏切られたと感じて激昂する。両者は互いを敵視し、泥沼の内戦に突入する。

 

 そして帝国はその混乱を見守りながら、両者が疲弊しきるのを待つ。

 

 完璧な策略だ。

 

 だが同時に、ベルンハルトは恐ろしくなった。

 

 この女帝は敵だけでなく味方すらも駒として扱っている。ヴァレンシュタイン公爵という帝国の柱石ですら、彼女の掌の上で踊る駒に過ぎない。

 

 ならば自分は?

 

 宰相という地位にあるとはいえ、自分もまた駒なのではないか?

 

「ベルンハルト」

 

 シェラハザードの声が思考を遮った。

 

「はい」

 

「お前は良い駒じゃ」

 

 その言葉に、ベルンハルトは背筋が凍るのを感じた。

 

「じゃが駒は駒じゃ。指し手にはなれぬ」

 

 シェラハザードは振り返らずに言った。

 

「それを忘れるな」

 

「……かしこまりました」

 

 宰相は深々と頭を下げ、退出した。

 

 一人残されたシェラハザードは窓の外を見つめた。

 

 春の月が冷ややかに輝いている。

 

「百年の戦争を終わらせる」

 

 彼女は呟いた。

 

「じゃが終わらせ方は妾が決める。公爵の望む形ではない。妾の望む形でな」

 

 ◆

 

 数日後。

 

 東方諸国連合の中心都市ルオンでは帝国からの密書が李承乾の元に届いていた。

 

 内容は衝撃的だった。

 

 カルスタインが帝国と密通しているという情報の確認。そしてルオンとの単独講和の可能性についての打診。

 

 李承乾は激昂した。

 

「カルスタインめ! やはり裏切っておったか!」

 

 彼は密書を握りつぶし、宰相の張維新に命じた。

 

「軍を動かせ。カルスタインを討つ」

 

「陛下、しかし帝国からの申し出については」

 

「帝国? 奴らの言うことなど信用できるものか。じゃがカルスタインの裏切りだけは事実じゃろう。証拠がありすぎる」

 

 李承乾の判断は半分正しく、半分間違っていた。

 

 カルスタインが帝国と接触していたのは事実だ。だがルオンもまた、帝国と接触している。両者とも、帝国に唆されている。その構図を李承乾は理解できなかった。

 

 彼の目に映っているのは裏切り者カルスタインだけだ。

 

 自分もまた、帝国の掌の上で踊っているという事実には気づいていない。

 

 一方、カルスタインでは。

 

 王都の王宮でカルスタイン王アルベルト三世は頭を抱えていた。

 

 ルオンが軍を動かしている。自国を攻撃しようとしている。

 

 原因は分かっている。帝国との密通が露見したのだ。だがなぜ露見したのか分からない。自分は細心の注意を払っていたはずだ。

 

「帝国め……」

 

 アルベルト三世は呻いた。

 

「我々を裏切ったのか」

 

 彼の判断もまた、半分正しく、半分間違っていた。

 

 情報を漏らしたのは帝国だ。だがそれはヴァレンシュタイン公爵の独断であり、同時に皇帝の黙認でもあった。カルスタイン王は自分が二重に利用されていることに気づいていない。

 

 帝国はカルスタインとルオンの両方に手を出していた。

 

 そして今、両者は互いを敵視し、戦争を始めようとしている。

 

 連合は内部から崩壊しつつあった。

 

 ◆

 

 帝都アルバラ。

 

 ヴァレンシュタイン公爵邸の書斎で公爵は報告を聞いていた。

 

「ルオンがカルスタインに宣戦布告しました。連合は事実上、崩壊です」

 

 シュタイナーの報告に、公爵は満足げに頷いた。

 

「予想通りじゃな。これで帝国は漁夫の利を得られる」

 

 公爵は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

 

「百年の悲願がようやく果たされる。東方は自壊し、帝国は勝利を手にする」

 

 その瞬間、ドアが開いた。

 

 現れたのは皇城からの使者だった。

 

「ヴァレンシュタイン公爵閣下。皇帝陛下よりの勅命をお伝えいたします」

 

 公爵は眉を顰めた。

 

「何じゃ」

 

「東方諸国連合の内紛に対し、帝国は中立を保つ。介入を禁ずる、と」

 

 公爵の顔色が変わった。

 

「……何だと?」

 

「また、閣下の独断専行については陛下はすべてご存知であると。閣下の策略は陛下の策略の一部であったと。そしてその成果は陛下のものであると。以上、お伝えいたしました」

 

 使者は一礼し、去っていった。

 

 後に残された公爵は呆然と立ち尽くしていた。

 

「……知っておられた、だと?」

 

 彼は呟いた。

 

「妾の策略の一部、だと?」

 

 意味を理解するのに、数秒かかった。

 

 そして理解した瞬間、公爵の顔が蒼白になった。

 

 自分は踊らされていたのだ。

 

 皇帝に、踊らされていたのだ。

 

 自分が独断で行った策略は全て皇帝に把握されていた。そして皇帝はそれを黙認していた。いや、利用していた。自分の策略を皇帝の策略の一部として組み込んでいた。

 

 結果として、連合は崩壊した。

 

 だがその功績は自分のものではない。皇帝のものだ。

 

 公爵は自分が何者かを思い知らされた。

 

 駒だ。

 

 皇帝の駒に過ぎない。

 

「……くそっ」

 

 公爵は拳を机に叩きつけた。

 

 だがそれ以上のことはできなかった。

 

 皇帝に逆らえば、謀反だ。そして今の状況では軍部すら味方になるかどうか分からない。皇帝は「介入を禁ずる」と命じた。それに逆らえば、公爵は反逆者になる。

 

 詰んでいる。

 

 完璧に、詰んでいる。

 

 公爵は理解した。

 

 皇帝は自分を処罰するつもりはない。だが自分を屈服させるつもりだ。自分が皇帝の駒に過ぎないということを思い知らせるつもりだ。

 

 そしてそれは見事に成功した。

 

 ◆

 

 春が深まり、東方諸国連合の内戦は激化していた。

 

 ルオンとカルスタインは互いを攻撃し、連合は事実上崩壊した。他の小国群は日和見を決め込み、どちらにも味方しようとしない。

 

 帝国は中立を保っていた。

 

 介入しない。

 

 ただ、見守っている。

 

 両者が疲弊しきるのを待っている。

 

 皇城の私室でシェラハザードはワインを傾けながら、報告書に目を通していた。

 

 ルオン軍の損害。カルスタイン軍の損害。両者の国力の消耗。それらの数字が淡々と並んでいる。

 

「順調じゃな」

 

 彼女は呟いた。

 

「あと半年もすれば、両者とも立ち上がる力もなくなる。そうなれば、帝国が仲裁者として介入する。勝者を吸収し、敗者を属国化する。大陸統一への第一歩じゃ。そして──公爵も学んだじゃろう。妾に逆らうことの愚かさを。そして妾に従うことの有益さを」

 

 シェラハザードはグラスを傾けた。

 

「百年の戦争を終わらせる。じゃが終わらせ方は妾が決める。公爵の望む形ではない。妾の望む形でな」

 

 窓の外では春の月が冷ややかに輝いていた。

 

 大陸を覆う戦乱の影を静かに見下ろしながら。

 

 

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