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あの夜に獣の咆哮を上げて以来、ドロテアの世界から
正確に言えば世界は変わらず音に満ちている。
鳥はさえずり、風は木々を揺らし、使用人たちの立てる生活音が屋敷の隅々まで響いている。
だが、彼女の意識はそれらの音を捉えきれなくなっていた。
彼女の聴覚は、ただ一つの音源──イサク・サザーランドが発するあらゆる物音を拾うためだけに、異常な進化を遂げてしまったのだ。
彼がページをめくる乾いた音。椅子を引くかすかな軋み。廊下を歩く、年に似合わぬ重々しい足音。それらの音が鼓膜に届くたび、ドロテアの背筋は見えない鞭で打たれたかのように強張り、体の芯が勝手に熱を持った。
屈辱的な記憶はもはや単なる記憶ではなかった。
それは毒のように全身を巡り、彼女の神経細胞の一つ一つにまで染み渡り、快感という名の呪いとなってこびりついている。
夜ごと一人寝室のベッドでその記憶を反芻しては、誰に強いられるでもなく自らの体を慰めるようになっていた。
その行為がもたらす自己嫌悪と背徳的な甘美さが、彼女の精神を少しずつ、しかし確実に蝕んでいく。
その一方で、サザーランド侯爵家の日常は皮肉なほど平穏に流れていた。
変化の中心にいるのは、やはりイサクとエリナだった。
図書室で行われる二人の授業はもはや日課として完全に定着していた。
「……つまり、この古代語における動詞の活用は、単なる時制の変化だけでなく、話者の身分や聞き手との力関係によって複雑に分岐するのです。例えば、王が臣下に命じる際の『与える』と、臣下が王に何かを献上する際の『与える』は、全く別の単語を用いる」
イサクの説明は常に論理的で、無駄がなかった。
イサクの声はドロテアに向ける時とは全く違う、理知的で穏やかな響きを帯びている。
エリナはその言葉の一言一句を聞き漏らすまいと真剣な眼差しで目の前の羊皮紙にペンを走らせていた。
澄んだ青い瞳は知的な探求心にきらめき、虐げられていた頃の陰鬱な光はどこにもない。
元々の地頭も良かったのだろう、エリナの吸収力は凄まじく、イサクが投げかける難解な問いにも的確な答えを返すようになっていた。
「素晴らしい。その理解力はもはや学院の上級生にも匹敵しますよ、エリナ」
「いえ……お義兄様の教え方がお上手だからです」
はにかむように微笑むエリナ。その光景を時折図書室を訪れるグレイルは満足げに目を細めて眺めていた。
「うむ、うむ。実に良い光景だ。イサク、お前は良い兄になったな。エリナも、お前が来てから本当に明るくなった」
父の屈託のない言葉に、イサクは完璧な「良き息子」の笑みで応じる。
「エリナが優秀なのです、父上。僕などその才能を引き出す手助けを僅かにしているに過ぎません」
これはお世辞ではない。本音だ。イサクは心からそう思っている。
エリナが想像以上に優秀であることを喜んでいたし、明るくなったというならそれも喜ばしい事だろう──そう思っていた。
◆
その夜、ドロテアは悪夢にうなされていた。
果てしなく続く暗い回廊を何かに追われるように走り続けている。背後から聞こえるのは、イサクの足音。逃げても逃げても、その音はすぐそこまで迫ってくる。
ふと気づくと、自分の体は何もまとっていなかった。
羞恥に身を縮めようとした瞬間、足がもつれて派手に転倒する。
冷たい床に打ち付けられた裸身に、ゆっくりと影が落ちてきた。
「義母上。どこへ行かれるのですか」
見下ろすイサクの顔には何の表情も浮かんでいない。
「さあ、今宵の『授業』を始めましょう」
「いや……やめて……!」
そう叫んだところでドロテアは目を覚ました。
心臓が激しく鼓動し、全身が冷たい汗でぐっしょりと濡れている。
寝間着が肌に張り付く不快感に顔をしかめた、その時だった。
カチャリ、と静かな金属音が部屋に響いた。
「……!」
ドロテアは息を呑んだ。音のした方──自室の扉に視線を向けると、そこには鍵をかけ終えたばかりのイサクが、悪夢の中と全く同じ無表情で立っていた。
「良い夢は見られましたか、義母上」
現実と夢の境が曖昧になり、ドロテアの思考はパニックに陥る。震える唇が、かろうじて言葉を紡いだ。
「な、なぜ……ここに……」
「貴女が呼んだではありませんか。夢の中で、僕の名を」
嘘だ。そんなはずはない。だが、イサクの瞳は有無を言わせぬ力でドロテアを射抜き、その反論を喉の奥に押しとどめた。
イサクはゆっくりとベッドに近づくと、その脇に腰掛けた。
そして汗で湿ったドロテアの髪を、子供らしいぽっちゃりとした指で優しく梳く。
その触れ方はあまりに穏やかで、まるで慈しんでいるかのようだった。
「今宵は趣向を変えます。貴女に、言葉の本当の恐ろしさを教えて差し上げましょう」
イサクはそう囁くと、ドロテアの耳元に唇を寄せた。
「貴女は、サザーランド侯爵夫人などではない」
熱い吐息と共に毒が注ぎ込まれる。
「貴女は、ただの雌だ。僕に飼われる、淫らな雌豚に過ぎない」
「ちが……う……」
か細い否定は、しかし何の力も持たなかった。
「いいえ。そうですよ。貴女の体は正直だ。僕に辱められることを望んでいる。現に、もうこんなにも濡れている」
イサクの手がゆっくりと寝間着の上から下腹部を撫でる。その感触だけで、ドロテアの体の芯がずくりと疼き、熱い蜜がじわりと溢れ出した。
「さあ、復唱なさい。『私は、淫らな雌豚です』と」
「……いや……」
「復唱しなさい」
声の温度が数度下がる。逆らえばどうなるか、彼女の体は嫌というほど知っていた。
涙が頬を伝う。屈辱に奥歯を噛み締めながら、ドロテアは蚊の鳴くような声で囁いた。
「……わたしは……みだらな、めすぶた、です……」
その言葉を口にした瞬間、脳の奥で何かがぷつりと切れる音がした。
自分自身で、己の尊厳を否定してしまった。その事実が抗いがたい興奮となって全身を駆け巡る。
「よくできました。良い子だ」
イサクは褒めながら、ドロテアの寝間着をゆっくりと剥ぎ取っていく。
そして露わになった成熟した乳房の先端を指でつまみ、こねていった。
「あっ……んぅ……!」
声が漏れる。
乳首のクリップも鞭も、靴先もない。ただ言葉と指先だけの愛撫──それなのに、ドロテアの体はこれまでで最も激しく反応していた。
「この乳房は僕のためにある。この腹も、この尻も、全ては僕が弄ぶための玩具だ」
囁かれる言葉の一つ一つが、彼女の体に淫らな刻印を打ち込んでいく。
視覚は夜の闇に閉ざされ、聴覚と触覚だけが異常に研ぎ澄まされる。
イサクの声、イサクの指先の動き、肌が擦れる衣擦れの音、そして自分の口から漏れる卑猥な喘ぎ声。
それら全てが渾然一体となり、ドロテアの理性を溶かしていく。
「自分で自分を慰めなさい。僕が見ている前で」
それは悪魔の命令だった。
ドロテアは震える手で、自らの濡れた秘部へと指を伸ばした。
熱く、ぬめった感触が指先に伝わる。他ならぬ自分自身の指が最も恥ずべき場所を探り、蠢く。
その光景を、イサクが昏い瞳で見つめている。
「あ……あぁ……いや、だめ……っ」
羞恥と興奮の臨界点で、思考がぐちゃぐちゃになる。自分の指が、最も感じやすい硬い芯を見つけ出し、こすり上げた瞬間。
「アァッ! ンンンンッ!」
甲高い絶叫と共に、ドロテアの意識は純白の光に飲み込まれた。
いともあっさりと絶頂に達してしまった。
痙攣するドロテアの体を抱きしめながら、イサクはその耳元で囁いた。
「おやすみなさい、僕のかわいい雌豚」
その夜、ドロテアは初めて悪夢を見ずに眠った。