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招待状は薔薇の香を焚き染めた羊皮紙で届いた。
クランベル伯爵家が帝都に構える滞在邸にて、ささやかな茶会を催したく候──文面は非の打ち所のない社交文であるがアルフォンス・ド・ロンドブルはハァと大きくため息をついた。
ロンドブル公爵家は代々帝国の軍事を支えてきた武門の名家である。
対するクランベル伯爵家は北部随一の穀倉地帯を治め、精霊契約の術に長けた家系として知られる。爵位の格だけを見れば釣り合わぬ縁組だが東方動乱によって間尺が合った。シグルド要塞の陥落で帝国が思い知ったのは敵の強さではない。兵站の細さである。剣がどれほど鋭かろうと、飢えた軍は三日で崩れる。武門が次の戦へ備えて真っ先に確保すべきもの──それは穀物と、それを腐らせず前線へ運ぶ手段だった。クランベルの精霊たちは冷害から麦を守り、荷駄を凍らせも蒸らせもせずに南へ届ける。つまりこの婚約は帝国の武と食を一本の血管で繋ぐ大事業なのである。
以上が父の説明だった。締め括りに父は付け加えた。
「粗相があれば廃嫡と思え」
実際、アルフォンスの有能さを鑑みれば廃嫡は無いにしても相応の罰が下されるであろう事はアルフォンス自身にも容易に想像がついた。
◆
クランベル家の滞在邸は帝都北区の一等地にあった。
通された南向きの応接室には焼き菓子と茶器が二人分。付き添いの侍女たちは形式通りの挨拶を済ませると、これも形式通りに隣室へ下がっていった。
約束の刻限を待つこと暫し、マルグリット・ド・クランベルは完璧な淑女として現れた。
結い上げた亜麻色の髪。北部の雪を思わせる白い肌。背筋は定規で引いたように伸びている。茶器を扱う指先は繊細で話題の選び方は模範的だった。帝都の気候から始まり、学院の課程、そして北部の冬の長さ。こういった世間話に付き合うのも貴族の役目なのだ。
とはいえ、アルフォンスは騙されなかった。この淑女ぶりが虚偽である事を彼はすでに身体で学習していた。マルグリットは色を好む女だという事をこれまでの付き合いからよくよく思い知らされている。
半刻のあいだ会話を上滑りせずに済ませたのはまさに紳士としての教育のたまものであろう。まあアルフォンスは学院で押しに弱い気弱な貴族子女をひっかける真似をしくさる男ではあるがそういった真似をしてよい相手としてはならない相手の区別はつくということだ。
つまらない会話が続く中、給仕の侍女が茶を注ぎ足し一礼して隣室へ消え──その足音が廊下の角を曲がり切ったまさにその瞬間である。
マルグリットが立ち上がった。テーブルを回り込み、アルフォンスの座る長椅子の隣に腰を下ろす。そして──
「堅苦しい席は肩が凝りますの」
「え、あの、マルグリット嬢」
「マルグリットで結構ですわ。婚約者ですもの」
彼女は右手の手袋の指先を一本ずつ摘まんで緩めると、最後に口元へ運び、歯で咥えて抜き取った。
素手の掌がアルフォンスの膝の上に置かれる。
ただ置くだけではない。
「ま、待ってくれ、これは一体」
「まあ。分かっているくせに」
マルグリットは指の腹で内腿の筋をなぞり、時折確かめるように軽く揉んだ。
「剣を強く、速く振るうには脚──下半身が大切だそうですわね」
指先が内腿の敏感な部分を掠め、段々と上へ上へと昇っていく。二人の体はもはや密着しているといってよい。アルフォンスは内心で絶叫した。
僕は地味な子が好きなんだ。目を伏せがちで声が小さくて、僕が守ってあげなくてはと思わせてくれる小柄で華奢な子が好きなんだ。君はまるっきり好みじゃないんだ、僕は責められるより、責めたいんだよ、分かってくれるね
そんな叫びをマルグリットが聞くことはない。声に出して言っていないのだから当然ではあるが。
「アルフォンス様の脚は素晴らしいですわ。しっかり鍛え上げられている。さすが武門の誉高いロンドブルのご嫡男ですこと。わたくし、軟弱な殿方は余り好きではないのです。わたくしたち、とてもとても気が合いそうですわね……?」
マルグリットの視線が落ちる。視線の向け先は言うまでもないだろう。
「まあ」
隠す気のない嬉しそうな声をあげるマルグリット。アルフォンスのアルフォンスが男子として健全な反応を見せていたからだ。アルフォンスは「ぐっ」と呻きにも似た声をあげた。指先一つの児戯ごときで
「安心いたしましたわ。アルフォンス様はどうにもわたくしに対してつれない態度を見せる事が多かったですから。嫌われているのかと不安だったのですよ?」
言いながら、指先で
「見ないでくれ……!」
「隠すことはございませんでしょう。わたくしたち、婚約者ですのよ」
指の背が布越しの稜線を一度だけ、ゆっくりと撫で上げた。アルフォンスの喉から、彼自身が聞いたことのない音が漏れた。
「あら。お声も可愛らしいんですのね」
マルグリットが身を寄せる。亜麻色の髪が頬に触れ、囁きが耳朶をくすぐった。
「ご安心なさって。婚儀の夜まではこれ以上先には進みませんわ。そう、何もしません……」
吐息が熱い。
「──何もというのはさすがに嘘ですけれど」
首筋に唇が押し当てられた。柔らかい感触の直後、皮膚を強く吸われる鋭い疼きが走る。アルフォンスは声を殺すのに全ての気力を使い果たした。唇はゆっくりと離れ、満足げな吐息が一つ落ちた。
「襟で隠れる位置ですわ」
「き、君はその……淑女というものは」
「淑女ですわよ。人前では」
マルグリットは笑った。笑うと目尻がわずかに下がり、瞳の奥に年相応の稚気が覗く。アルフォンスは嗚呼、と内心で溜息をついた。ほんの一瞬、「悪くない」と思ってしまったからだ。
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「本日は良きお茶会でしたわ」
玄関先まで見送りに出たマルグリットは馬車に乗り込むアルフォンスへ完璧な礼をして、それから扇の陰で付け加えた。
「次は剣のお手合わせをお願いいたしますわね。──動きやすい薄手の稽古着でぜひ」
帰りの馬車の中でアルフォンスは襟の下の疼く一点にそっと触れた。
◆
三日後。帝国魔術学院。
イサク・サザーランドは放課後の中庭でアルフォンスにつかまっていた。
「聞いてくれよ、イサク」
「手短にお願いします」
珍しく、アルフォンスの顔から芝居気が抜け落ちていた。あの光り輝く貴公子の外面にうっすらと隈が浮いている。イサクは掴まれた袖を一瞥し、話くらいは聞いてやることにした。そして──
「要点を纏めます。婚約者殿に太腿を揉まれ、首筋に痕を残され、君は勃起した」
「言い方というものがあるだろう!?」
「事実確認です。違うのですか」
「……違わないけども」
アルフォンスは中庭の植え込みに視線を逃がした。認めた男の首筋には襟に半分隠れて薄赤い痕がまだ残っている。
「僕はね、イサク。両家の結び付きが大事なことくらい、わかっているんだ」
存外に静かな声だった。
「僕はこれでも軍用魔術の研究者だからね。戦は兵站を制した側が勝つという事をよくよく理解している。しかしね──」
「北の実りは戦のたびに徴発の的になりますからね」
「……そういうことだ。だから僕からは破談を言い出せない。言い出せないなら、あちらから願い下げてもらうしかないだろう」
「つまり、わざと嫌われたいと」
「そうだ。君は人の心の機微に聡いだろう。知恵を貸してくれ」
くだらない相談だ、とイサクは内心で吐き捨てる。嫌われるといっても多少嫌われたくらいで政略結婚が破談になるわけがない。それこそアルフォンスが貴族として許されない事でもして廃嫡にでもなれば話は別だろうが。普段ならこんな相談には一秒たりとも乗ったりしないイサクである。公爵家嫡男であるアルフォンスに貸しを作るのは良いとしてもその悩みを解決する事は至難なのだから関わらないほうが良い事は必定だ。そんな無駄な時間を使うくらいならお気に入りの(老)嬢と楽しむことに時間を使うべきである。ただ──。
イサクは恨めしそうな目つきで空を見上げた。
カンカンと照り付ける太陽の光が秒単位で自身の細胞を焼き尽くしている様に思えてしまう。
──暑い。
この世界の夏は端的に言って暑い。前世の記憶と比べても遜色のない立派な猛暑でありながら、暑さに対する文明の側の備えは前世に遠く及ばない。氷は冬のうちに切り出して氷室へ眠らせておく貴族の贅沢品であり、庶民は井戸水と日陰と忍耐で夏をやり過ごす。ならば魔術で涼を取ればよいではないかと思う者は魔術師の懐事情を知らない。冷気の魔術は難易度のわりに燃費が悪く、一部屋を半日冷やす魔力があれば下級の攻撃魔術が何十発も撃てる。魔術師とは存外、費用対効果に縛られた生き物なのである。
結果として帝国の夏は我慢の一択となる。
そして暑いとやる気が出ない。学業の話ではない。夜の話である。せっかくの逢瀬も汗みずくでは互いに興が乗らず、この数日は彼のほうから遠慮している始末だった。
──
前世の世界にはあった。壁に掛けた箱一つで夏を消し去る文明の利器が。原理ならおおまかに覚えている。気体は圧縮すれば熱を持ち、膨張すれば冷える。あの箱はその往復で部屋の熱を外へ汲み出す仕掛けだったはずだ。冷気そのものを詠唱で捻り出し続けるから燃費が破綻するのであって、熱を運ぶ仕組みを先に組み上げ、魔力は駆動にだけ回せばいい。理屈の上では再現できない道理がない。
問題は金である。
試作には触媒と職人と工房が要る。そしてイサクに自由になる金は余りない。サザーランド侯爵家ははっきり言って貧乏である。当主グレイルの魔術の
ゆえに父に無心するという選択肢は、考えるより先に除外されている。
イサクはグレイルを自身の親だと思ったことはない。前の世界の意識が色濃く残る事が原因だ。だが尊敬はしている。生前は親から親らしい何かをしてもらった記憶は乏しい。だからこそ問われもせぬまま学費を払い飯を食わせ、親の義務を淡々と果たし続けるグレイルにイサクは敬意を払っている。義務の上へさらに無心を積むのはその敬意に反する。
つまり資金は自前で引っ張ってくるしかない。
──であるならば。
イサクは視線を空から降ろした。降ろした先には帝国屈指の武門、ロンドブル公爵家の嫡男が悩ましげな顔で立っている。
「……ロンドブル殿」
「な、なんだい急に改まって」
「その悩み、詳しくお聞かせください。友人の窮地とあれば力を尽くすのが道理というものでしょう」
「イサク……! 君って奴は……!」
感激に打ち震える公爵家嫡男の目は存外に曇っていた。
「ただし、条件が一つあります」
「言ってくれ。何でもいい」
「この件が首尾よく運んでも運ばなくても、あなたに貸しを一つ作らせていただきます。返し方は追って指定します」
「金か?」
「その時が来たら申し上げます」
アルフォンスは一瞬訝しんだものの、すぐに頷いた。溺れる者は藁どころか水車にも掴まるものである。
「では本題です。まず大前提から──あなた自身が彼女の前で無作法を演じるのは論外です」
「どうしてだい。嫌われるには一番手っ取り早いだろう」
「婚約の席での無礼はあなた個人ではなく家の傷になるからです。先方が幻滅する先はあなたではなくロンドブル家になる。破談の責があなたの振る舞いに帰着すれば、それこそ例の廃嫡話が現実になりますよ」
「……確かに」
「幻滅は家ではなく、あなた個人だけに向けさせなければならない。そこで噂です」
「噂?」
「恋は個人に宿り、縁組は家に宿ります。家格・武名・領地といった縁組の柱には指一本触れず、あなたという男の中身だけを安く見せる。それも彼女の耳にだけ届く形でです」
「そんな都合のいい悪評があるのか」
「あります」
イサクは指を三本立てた。
「一つ、割り勘の勘定で銅貨一枚まで数える。二つ、賭けは銅貨より上を決して張らない。三つ、従者への駄賃を出し渋る。──要するに
「セコい……のか? それは」
「言っておきますが借金の踏み倒しや賭けの未払いの類は使えませんよ。学業の不正や武勇の悪評が家の醜聞になるのは当然として──他人に借りを作って返さないのは信用の話です。信用は個人ではなく家に付く。公爵家の嫡男が払わないとなれば、世間が疑うのはあなたの人格ではなく公爵家の台所ですからね。賭けの負けに至っては殿方の名誉の負債です。踏み倒せば笑い話どころか決闘沙汰になります」
「ま、待ってくれ。同じ金の話に聞こえるが」
「だからこそ、です。借りを一文も作らなければ債権者は現れず、抗議のしようもない。支払いは一文違わず果たす。ただし銅貨の一枚たりとも余分には出さない。信用は無傷のまま器だけが小さく見える──家名に指一本触れずに済む悪評はこれしかありません」
「な、なるほど」
「古今東西、みみっちい男は女性から嫌われるものです。腕っぷしは鍛えれば直りますがセコさは人格ですからね。強い殿方を好む娘が最も軽蔑するのは敵前逃亡ではなく、器の小ささですよ」
「な、なるほど……? しかしそんな噂、どうやって彼女の耳にだけ入れるんだ」
「確か、手合わせをするのでしたね? そこに僕も同行──いや、あとから合流ができるでしょうか?」
「合流? 構わないが──」
帝国は強者を礼賛する国である。淑女が剣を学ぶのも別段珍しい話ではない。
もっともここで言う「強さ」は剣の腕に限らない。魔術の冴えも力であり、領地の実りも力であり、宮廷を泳ぎ切る政治の腕もまた立派な力である。剣も魔術もからきしの文官の家が算盤と弁舌で武門と渡り合う事もあれば、夜会の夫人が人脈という見えない剣で殿方の首を飛ばす事もある。要するにこの国では何であれ
だからマルグリットが剣を振るのは淑女の嗜みの範疇であり、婚約者の鍛錬に付き合いたいという申し出はこの国の作法ではむしろ模範的な振る舞いですらある。
ただ、アルフォンスとしては鍛錬がただ鍛錬のままでおわらないであろうことを理解しており、それがため億劫なのだ。
だがそこにイサクが噛んでくるという。
──何をするかは分からないが彼がここまで言うんだ。頼りにしてよさそうだな。
アルフォンスは目の前のふくよかな友人の姿をじっと見た。最初こそこの肉を怠惰の証であると軽蔑していたものだがいまではそれがただの擬態であるとよくわかる。権利のみを貪る
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鍛錬の日は憎らしいほどの快晴だった。
マルグリットは約束の刻限きっかりに現れた。稽古着姿である。そして開口一番、注文通り薄手の稽古着を着たアルフォンスを爪先から順にゆっくりと検分し、大変満足げに頷いた。
アルフォンスは早くも帰りたくなったが、あいにくここは自邸である。
とはいえ、稽古そのものは意外にも真っ当に始まった。説明は的確で悪い癖の見抜き方も早く、対するマルグリットは正直に言って筋が良くなかったが教え自体は真面に受け止め、吸収していった。
ただ、所々色が滲むのだ。
「腰はこの位置でよろしいんですの?」
「そう、そこだ……って近い! 構えを直すのに体を密着させる必要は無いだろう!?」
「まあ。手取り足取りと申しますでしょう?」
型を一つ直すたびになぜか距離が詰まるのだ。手を取って剣筋を導けば、指を絡めて握り返される始末である。
マルグリットは本当に楽しそうだった。
そこへ、写本の束を小脇に抱えたイサクが現れる。名目は課題の写しの届け物である。あくまでもたまたま届け物に来ただけなのだ。
やがて休憩となり、侍女が果実水を運んでくる。マルグリットが汗を押さえに木陰へ下がった──その距離を目測して、イサクは口を開いた。
「──ところでロンドブル殿、昨日立て替えていただいた菓子代をお返しします。確か銅貨六枚でしたか」
「ろ、六枚じゃあない! 七枚だ! きっちり七枚返してもらうよ! いや! 利息を含めれば八枚だ!」
「……利息ですか」
「あ、当たり前だろう!? この僕がタダで金を貸すはずがないじゃないか!」
「やれやれ……従者のハンスも嘆いていましたよ。三年お仕えして駄賃の上がった例しが無いと」
「ハンス! お前まさかそんな事を──あっ」
木陰のマルグリットは杯を口元へ運んだ姿勢のまま動かない。しかし──
──うおっ。凄い目だな。
イサクは内心、視線というものも奥が深いと感心した。睨んでいる、とはまた違うのだ。
前世──虻川伊作であった頃に読んだ本の事をふと思い出す。
遠野晴彦の「今昔百鬼物語」。鈍器のように分厚いくせに妖怪の本と見せかけて延々と人の心の仕組みばかり語る本だった。あの中に目目連という妖怪が載っていた。古びた家の障子の桟の一枚一枚に目玉がびっしりと宿る妖怪である。
著者は「視線というものは物理的にはこの世に存在しないと説いた。目は光を受け取るだけの器官であって、目から出て行くものは何一つ無いのだと。だがそれでも、人は背中の視線に気付く。説明の付かないその感覚を昔の人は名付けて障子に住まわせた。行き場を失って溜まった名無しの視線──それが目目連である。この世には不思議な事など何も無いのだと、著者は事あるごとに繰り返していた。
要するに視線とは量なのだ。溜まるのである。
木陰の婚約者殿の視線は溜まっていた。
睨みとは違う。侮蔑とも違うが、では何かと問われるとうまく答えられない。
イサク──いや、虻川伊作の語彙に
そしてその夜の事である。
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アルフォンスは久方ぶりに熟睡していた。悩みの種が片付いてぐっすりといった所であろうか。
不意に窓の錠が音もなく外れた。
夜気が流れ込みカーテンが膨らむ。眠りの底でアルフォンスは妙な浮遊感を覚えた。体がふわりと軽い。ああ、これは夢だなと寝惚けた頭で結論する。夢でなければ、自分の体が窓から夜空へ運び出されている道理がない。
薄目を開けた先に月を背負った亜麻色が見えた。
「──わたくしが、アルフォンス様……あなたを
そんな言葉と共にアルフォンスの意識は途切れ──。
再び目覚めた時、自身の男の証が深々と肉の穴に沈み込んでいるのを目撃する羽目となった。
要は犯されていたのだ。
男が、女に。
アルフォンスが、マルグリットに。
◆
北部には鷹匠がいる。
クランベルの領では冬の狩りに鷹を使う。鷹は飼うものではなく仕込むものだ。まず飢えさせる。次に腕へ据える。肉は必ず匠の腕の上でだけ与え、地面へ落ちたものは決して拾わせない。空はいくらでも開けてある。開けてあるのに鷹は戻る。戻る先がそこにしか無いからだ。
鷹が腕へ降りる時の重みを彼女は覚えている。爪が革を掴む音も覚えている。獰猛なものが自分の腕の上でだけ大人しくなる、その一点が好きだった。
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・
・
マルグリットが身を屈めた。亜麻色が腹の上へ散り、生温い粘膜が竿を根元まで呑む。
「あ゙……ッ」
帝都の令嬢が振り返る貴公子が、両手を括られて鼻にかかった声を漏らしている。その情けなさがマルグリットをより昂らせた。
「た、頼む……もう離してくれ、僕は」
許しを乞う声を聞いた瞬間、彼女の下腹が痙攣した。触れられてもいないのに、である。
「アルフォンス様、許しを乞うような事をしてもいないのになぜそのような事を?」
濡れた縁が先端に触れ、そのまま腰を落とす。
「ぐ、ぅ……あ゙……ッ」
ずちゅり、と粘る音がひとつ。
根元まで沈み切ったところで彼女の喉からも声が漏れた。
「……はぁ……よろしゅうございますわ。とても雄々しいですわよ」
「ぬ、抜いてくれ、頼むから、こんなの……ッ」
「さ、しっかりと腰をお使いなさいまし。アルフォンス様は腰が大事だと仰っていたではありませんか」
「む、無理だ、無理だってば……!」
「無理ではございませんわ。無理という言葉はないのです。どのような事であっても、やれば無理ではなくなるのですから」
締めつつ、緩めつつ。一定のリズムでもって咥え込む強さを変え、そして抽挿を繰り返すマルグリット。
ぐちゅ、ぐちゅ、と結合部が鳴る。垂れたものがアルフォンスの下生えを濡らし、陰嚢を伝って敷布へ落ちた。
「ひ、ぐッ……あ゙、っ、だめだ、それ以上は」
「あら。もう?」
「出る……ッ、出るから、離してくれ、抜いて、頼む……! こ、婚前交渉などッ……!」
「なりません」
その拒絶を彼女は微笑んで言った。
子宮の口へ亀頭が触れる位置まで腰を落とし、そこで止める。止めたまま、額に貼り付いた金髪を指で払ってやる。
「よくできましたわ、アルフォンス様」
「な、なにが……」
「確信があります。このまま果てれば、わたくしは必ずや孕むでしょう」
合格ですわ、とマルグリットは言った。
「──おいでなさい。全部、わたくしの中へ」
途端、根元から喉のような収縮が走り、アルフォンスは括られた手首を軋ませて背を反らせる。一度目が最も長い。二度目、三度目と間隔を詰めながら量だけは一向に衰えない。奥を叩かれるたびにマルグリットの背筋を白い痺れが駆け上がった。
「……たっぷり注いでくださったのですね。そんなにわたくしの中は気持ち良かったのですか?」
言いながら腰を上げると、遅れて白いものが糸を引いた。彼女は指でそれを掬い、迷いもせず元の場所へ押し戻す。
「ご心配なさらないで。婚儀は秋ですもの。多少前後したところで誰も困りませんわ」
困る人間はここに一人いる。括られたまま呆けている当人である。
◆
事後──アルフォンスは天井を見ながらぽつりと呟いた。
「……なぜだ」
「まあ。何がでございましょう」
「なぜ、こんな事をした」
マルグリットは指先でアルフォンスの鎖骨のあたりをなぞりながら、しばらく黙っていた。それからほんの少しだけ首を傾げる。頬に朱が差していた。どうやら照れているようだ。
「……お笑いにならないと約束してくださいまし」
「この状況で笑える男がいたら見てみたいね」
「わたくし、情けない殿方が好きなんですの」
アルフォンスは天井から視線を外した。
「幼い頃から不思議に思っておりましたのよ。物語に出てまいります騎士様は、いつも凛々しくていらして、姫君をお助けになって、それはもう立派でいらっしゃるでしょう。わたくし、ああいったお話を読むたびに、この御方が泣いたらどんなお顔をなさるのかしらと、そればかり考えておりましたの」
「……君は」
「ですからロンドブル家とのご縁が決まった折には、正直に申し上げて落胆いたしましたのよ。武門の誉れ高き御家でしょう。硬くて真面目で面白くもない殿方がいらっしゃるのだろうと諦めておりましたの。ところが蓋を開けてみれば、太腿を撫でただけであんなお声をお出しになるのですもの」
「言わないでくれよ……」
「昨日のお噂を伺った時など、わたくし、危うくその場で声を上げるところでしたわ。割り勘の勘定を銅貨一枚まで数えられるのですって? 従者への駄賃もお渋りになるのですって?」
「……あれには事情が」
「素晴らしいですわ」
アルフォンスは絶句した。
「あの瞬間に決めましたの。この御方はわたくしが
言い終わるより早く、亜麻色の頭が胸へ落ちてきた。
舌先が乳首を舐め上げ、そのまま唇に含んで軽く吸われる。ぬるりとしたものが皮膚の下を走り、アルフォンスの腰が跳ねた。
「ひ、あ……っ、そこは、違うだろう」
「殿方もここが気持ちよろしいのですって。北部の乳母が申しておりましたわ」
「君の乳母は一体何を教えているのか」
同時に彼女の右手が下へ滑った。一度果てたばかりのそれは掌の中で力を失っていたが、萎えたまま握り込まれ、指の腹で丁寧に扱き上げられる。
手首の帯は先ほど解かれていた。
解かれていたのにアルフォンスの腕は動かない。押しのけようと思えば押しのけられるはずである。腕力だけで言えば女ひとりに劣る道理が無い。それなのに指の一本すら敷布から持ち上がらなかった。
振り払えないのか、振り払わないのか。その区別をつけるだけの余裕も既に無い。
──認めたくはないが、気持ちがいい。
乳首を舐められながら扱かれるという男として断じて誇れない格好のまま、アルフォンスの下半身は正直に硬さを取り戻していった。
「まあ。もうこんなに」
「ち、違う、これは」
「何が違いますの?」
問い返す声には一切の悪意が無かった。悪意が無いぶん始末に負えない。
速度が上がる。掌の中の粘りが増した。ぐちゅ、ぐちゅ、と手淫の音が寝室に響く。舌は乳首を執拗に転がし続け、時折軽く歯が当たる。そのたびにアルフォンスの喉から、彼自身が二度と思い出したくない類の音が漏れた。
「あ゙、っ、だめだ、また、出る……ッ」
「ええ。どうぞ」
二度目とは思えない量だった。腹から胸元まで白く散り、彼女の手首にまで飛んでいる。
マルグリットは身を起こして手首を口元へ運び、目を合わせたまま舌先でそれをぺろりと掬い取った。
「……濃うございますこと」
笑っていた。昼間の茶会で見せた完璧な淑女の笑みとも、目尻の下がる年相応の笑みとも違う笑い方である。
アルフォンスは思った。自分は開けてはならない扉を開けてしまったのかもしれない、と。
◆
サザーランド侯爵邸の三階、東向きの窓から満月が見えた。煌々というのはこういう月を言うのだろう。庭の下生えの一本一本にまで影ができている。
イサクは窓枠に肘を乗せ、紙包みの中へ指を突っ込んだ。
砂糖を溶かして薄く延ばし、焼いて割っただけの菓子である。今これが帝都で流行っていて、劇場前の露店では紙包み一つが銅貨二枚。舌に乗せると角から溶け、噛めば乾いた音を立てて砕ける。それだけの安物なのだが、一枚つまむと次の一枚に手が伸びる。伸びた手はまた伸びる。気がつけば包みの底には粉しか残っていない。
指が甘くべたついた。舐めるのは行儀が悪いので、イサクは布で丁寧に拭う。
視線を部屋の内へ戻すと、文机の上が荒れているのが目に入った。
紙、紙、また紙。円と直線、その脇に走り書きの数字。管をどこで曲げるか、どこで細くするか、魔力をどこへ噛ませるか。この数日の夜はもっぱらこれに費やされている。
「魔術で力任せに、とは中々いかないな」
熱を運ぶ側の理屈は前世の記憶で片が付く。羽根車を回し続ける手立てだけがどうにもならない。この世界には
「でも毎年ここまで暑いのは御免だからな。なんとか形にしておきたいところだ」
紙を一枚引き寄せ、羽根ペンを持ち直す。
そこで窓が鳴った。
叩く音であった。二度、間を置いてもう一度。振り向いた先、格子の向こうに黒いものが止まっていた。
「これは……」
カラスに似ているが嘴が違う。細く長く、目が灰色をしている。
この奇妙な鳥はアグリモリアという鳥である。
魔術師が使い魔として好んで使役する種で、人語こそ喋らないものの人の言葉を解し、契約という概念を理解する程度には賢い。厄介なのは、その賢さが主人を値踏みする方向へも働くという点だ。己の契約者を主人として不適格と見做したアグリモリアは、夜更けにその目を
そんな鳥の脚には、一通の手紙が括りつけられており、イサクはその手紙を読んで──。
にたり、と気味の悪い笑みを浮かべた。