※この作品はR-18です。

淫魔の王   作:Licht

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旧サブタイ:神の名を騙る穢れ


第一話:魔族と教会/魔法使用による疼き/神聖都市の仮面/快楽魔法による強制発情/淫魔の子

 俺は、歩いていた。

 欲望が通貨だった街を離れ、祈りが通貨となる村へ辿り着いた。

 通貨が変われば、人の目も変わる。──俺には、どちらも冷たい。

 

 陽が傾き、空が金と灰の境目を彷徨っていた。

 風は静かで、空気は重い。

 何かが終わり、何かが始まる気配だけが漂っていた。

 

 旅の疲れを癒すため、俺は小さな村へ足を踏み入れた。

 石造りの教会の前には村人たちが集まり、祈りの声が風に溶けていた。

 修道女が聖水を振りかけ、司祭が聖句を唱える。

 中央には、捕らえられた魔族が膝をついていた。

 

「悪魔祓いか……」

 

 俺はフードを深く被ったまま、静かに儀式を見守った。

 光が降り、魔族は苦悶の声を上げ、やがて静かに崩れ落ちる。

 浄化は成功した。村人たちは安堵の息を漏らし、神に感謝を捧げる。

 

 俺は、ただ黙って見ていた。

 

 この世界では、魔力を持つ者は例外なく魔族とされる。

 魔力は人を惑わし、喰らい、穢す──異形の力だ。

 人間に魔力はない。それが、この世界の絶対の前提。

 

 魔族に抗えるのは、教会だけ。

 聖句、聖典、聖具──それらを通して神の力を扱い、神聖魔法として祓う。

 それが、唯一の手段だ。

 

 だから人々は神を信じ、教会にすがる。

 祈り、赦しを乞い、悪を裁く。

 教会は絶対的な権威を持ち、信仰は世界の隅々まで浸透している。

 

 人の姿をしていようが関係ない。

 魔力を使った瞬間、そいつは魔族だ。

 それが、この世界の理。──よくある光景だ。

 

 ──だが。

 

 子供の悲鳴が、空気を裂いた。

 教会の裏手、小さな影が子供に飛びかかろうとしていた。

 

「キィィィィィィィィ!」

 

 甲高く、耳を裂くような声。

 青黒い皮膚、ねじれた四肢。裂けた蝙蝠のような羽根、大きすぎる目に白目は無い。

 口元は裂け、牙がむき出し。

 

 小悪魔(インプ)──群体型魔族の残りかす。

 

 村人たちは凍りついた。司祭も、修道女も、動けない。

 誰もが祈りの余韻に浸っていたその瞬間、現実が牙を剥いた。

 

 子供の瞳が、俺を見た。

 助けを乞うでもなく、ただ絶望を映していた。

 

 俺は、ためらわなかった。

 

 ただ手を伸ばす。

 魔力が掌に集まり、白光が迸る。

 小悪魔の身体が光に包まれ、焼かれ、悲鳴を上げながら消えていく。

 

「キィィ……ッ!」

 

 最後の声は、風に溶けた。

 子供は無事だった。村人たちは驚き、そして安堵の息を漏らす。

 

「助かった……」

「子供が……無事で良かった……」

 

 ──だが、その安堵は一瞬だった。

 

 腹の奥が疼いた。甘い痺れが、俺の内側を撫でる。

 芯から焼かれるような感覚。蜜のようにとろりとした痛み。

 下腹部が張りつめ、理性では抑えきれぬ湿り気が広がっていく。

 

 誰も気づかない。誰も問わない。

 魔力の代償は、いつだって俺だけが背負う。

 

 それでも、顔をしかめない。

 眉を寄せることすら、俺の誇りが許さない。

 

 この疼きが、どれほど痛ましいか──それでも、俺は立ち続ける。

 

 村人たちは俺を見つめた。

 最初は驚き、そして──冷たい視線へと変わる。

 

「魔法だ! あの男、聖具も無く魔法を使ったぞ!」

「人間に魔力などあるはずがない……悪魔だ!」

 

 司祭が眉をひそめる。誰かが叫び、村人たちは石を手に取る。

 

 俺は、皮肉な笑みを浮かべた。

 

「助けてやったのに、礼の一つもないとはな」

 

 肩をすくめる。

 

「この世界は、俺みたいな半端者には生きづらい」

 

 罵声が飛ぶ。

 

「悪魔が現れた! 子供に触れた! 穢れが移る!」

「異端だ! 異端だ!」

「神の祝福を穢すな!」

 

 異端審問官が剣を抜きかける。

 だが、俺の顔は見られていない。フードの影が、俺を守っていた。

 

 静かに笑った。

 

「いつものことだ」

 

 そして、群衆の中をすり抜けるように走り去った。誰でもない“通りすがり”として。

 ──俺の背に、孤高の誇りが静かに揺れていた。

 それだけが、俺を人間の形に留めていた。

 

 

 

 

 

 夜が深まり、俺は石畳の街に辿り着いた。

 尖塔が月を裂き、灯火が風に揺れている。

 この街は、教会の中でも名高い悧聖(リセイ)大司教の管轄下にある神聖都市。

 栄えてはいるが、俺には冷たい。

 

 悧聖は、教会内でも十の指に入る権力者。

 慈悲深き聖職者として町の信仰を支えていた。

 彼の説教には涙を流す者も多く、献金箱には金貨が溢れていた。

 

 俺は宿の扉を叩いた。

 女主人は俺の姿を一瞥し、眉をひそめて言った。

 

「部屋は空いていません。不審者はご遠慮ください」

「おいおい、門前払いかよ。金ならあるぜ」

 

 扉は閉じられた。──悲しいが、これもいつものことだ。

 

 やれやれ、今日も野宿か。

 俺は自然志向じゃない。土のベッドも石の枕もしんどい。

 

 何より、腹の奥がかすかに疼いていた。

 連日宿屋に門前払いをくらって、まともに休めていないのに、魔力を使う機会だけは積み重なっている。

 疼きは、確かに続いていた。

 少しでも体を休めるために、ちゃんとした布団で眠りたかった。

 その願いすら、贅沢なのかもしれない。

 

 その時、背後から声がした。

 

「旅人よ。良ければ、わしの家で休んでいかんか」

 

 振り返ると、白髪の老人が立っていた。

 その瞳は穏やかで、俺を拒まなかった。

 

 少し悩んで、俺は頷いた。

 

「……助かる」

 

 老人の家は、街の喧騒から離れた丘の上にあった。

 木造の小さな家。軋む床板と、火の香りがする暖炉。

 壁には見慣れない文様が描かれた布が掛けられていた。

 教会のものではない。──異教の印だ。

 

「あんた、異教徒か?」

 

 俺が問うと、老人は薪をくべながら頷いた。

 

「そうじゃ。わしの神は、教会の神とは違う。

 だが、祈る心は同じじゃよ。誰かを守りたいと思う気持ちに、宗派は関係ない」

「違う神……? じゃあ、教会の神とは別物ってことか」

 

 この世界の大半の人間は、神聖魔法を作ったとされる“あの神”を信じている。

 ならば、この老人の信じる神は一体どんな存在なのだろう──そう思った。

 

 老人は首を横に振った。

 

「いや、同じ神じゃ。ただ、教会は“神は裁きの御方”と説く。

 わしらは“神は寄り添う御方”と信じておる。

 同じ山でも、登る道が違えば見える景色も違う──そういうことじゃ。

 誰かを守りたいと思う気持ちに、宗派は関係ない」

 

 ……結局、あいつかよ。

 神聖魔法を作ったとされながら、誰にでも使えるわけでもない不完全な力を残しただけ。

 魔族に苦しめられる人々を救えず、魔族が野放しにされるこの世界を見て見ぬふりをしている存在。

 

 俺は鼻で笑った。

 

「守る? 神が? ──笑わせんなよ」

 

 老人は手を止めた。俺は続ける。

 

「俺が神だったら、魔族に脅かされたり、快楽で人を壊したりする世界なんて作らねぇ。

 罪を裁くために、子供を苦しめる魔法なんて許さねぇ。

 神がいるってんなら、そいつは無能か、残酷か、どっちかだ」

 

 沈黙が落ちる。暖炉の火が、静かに揺れた。

 

 老人は、やがて笑った。優しく、悲しげに。

 

「……お前さんは、神を信じていない。

 それでも、誰かを守ろうとしている。

 それなら、お前さん自身が“神のようなもの”なのかもしれんの」

「冗談だろ」

「いや。神とは、誰かの痛みに寄り添える者のことじゃ。

 わしはそう信じておる。異教徒だからな」

 

 俺は黙った。

 腹の奥の痺れは、まだ残っていた。

 だが、少しだけ──痛みが和らいだ気がした。

 

 老人は布団を敷いてくれた。

 その手は、神聖都市の誰よりも温かかった。

 

 俺は、異教徒の家で眠った。

 神を信じない俺が、神のような優しさに触れながら。

 

 翌朝、俺は家の戸口で、粗末な財布を取り出した。

 

「これで足りるか?」

 

 老人は首を振った。

 

「要らんよ。君のような若者が無事でいてくれるだけで、わしには十分だ」

 

 俺は鼻で笑った。

 

「聖人かよ。……ま、ありがたく甘えとくわ」

 

 その言葉に、老人は微笑んだ。

 その笑みは、昨日の暖炉の火と同じくらい、静かで温かかった。

 

 ──だが、街の門を出ようとした直後、衛兵に呼び止められた。

 

「異端審問官の元へ。最近、淫魔の潜伏が報告されている」

 

 俺の格好は粗末な旅装、疲れた足取り──不審者としては十分だった。

 俺は逃げなかった。やましいことはない。

 ただ、腹の奥がまだ微かに疼いていた。

 

 審問室は冷たい石造りだった。

 銀の聖具が机に並び、審問官が俺を見下ろすように座っていた。

 

「名前は?」

「理人。ごく普通の旅人だよ。魔族でも淫魔でもない……多分な」

「多分、だと?」

「俺を決めるのは、あんたらだろ。俺はただ、歩いてるだけだ」

 

 探知の聖具が起動され、光が俺の身体をなぞる。

 何も反応はなかった。

 

「……魔力反応は無し。だが、身なりの割に、随分立派なペンダントだな」

 

 胸元の瑠璃が揺れた。

 金色の粒がまぶされた深い青に、銀の細工が絡みつくように彫られている。

 旅装の中で、そこだけが異様に美しかった。

 まるで、身分違いの装飾品が一つだけ紛れ込んだような違和感。

 

 審問官の視線が、そこに釘付けになる。

 眉がわずかに動き、口元が緩む。

 

「何処で手に入れた?」

 

 俺は目を伏せ、皮肉を捨てた声で答えた。

 

「両親の形見です」

 

 その一言に、審問官の手が止まった。

 

「……そうか。なら、触れずにおこう」

 

 俺は立ち上がり、ペンダントを握りしめた。

 そして、誰にも聞こえないように呟いた。

 

「ちょろいな」

 

 その笑みは、皮肉屋の仮面だった。

 

 ペンダントを握りしめたまま、石畳の路地へと歩き出した。

 だが、数歩も進まぬうちに、広場の騒ぎが耳に届いた。

 

「異教徒を捕らえよ! 昨夜、子供たちを連れ去り淫猥な行為をした!」

 

 振り返ると、あの老人が異端審問官に腕を掴まれていた。

 俺の目が細くなる。

 

「は? 昨日の夜って……俺と一緒だっただろ」

 

 審問官は俺を一瞥し、冷たく言った。

 

「証言だけでは足りぬ。聖具が反応している」

「その聖具、さっきは俺に何も反応しなかったけどな。あんたらの道具、気まぐれか?」

 

 審問官は無言で老人を引きずろうとする。

 老人は抵抗せず、ただ静かに理人を見て微笑んだ。

 

 その笑みに、胸の奥がざらりとした。

 先程の自分が、少しだけ恥ずかしくなった。

 あの暖炉の火よりも、あの手の温かさよりも、今の沈黙が重かった。

 

 俺はペンダントを握りしめた。

 

「恩を受けたなら、返すのが筋だろ」

 

 小さいガキでも、そんなこと理解してる。

 

 そして、俺は歩き出す。

 誰が罪をでっち上げたのか。

 本当の犯人は誰なのか。

 この街の祝福の裏に潜む拒絶を、暴くために。

 

 

 

 

 

 夜の路地裏。

 石畳の隙間に、少女がうずくまっていた。

 衣服は裂け、目は虚ろ。魂だけが先に逃げ出したような顔だった。

 

「……おい、聞こえるか?」

 

 少女は反応しない。

 腹の奥の疼きは続いている。

 魔力を使えば、また拒絶される。

 だが、ためらいはなかった。

 

 魔力を掌に集め、回復魔法を放つ。

 白光が少女を包み、傷が癒えていく。

 顔に生気が戻り、少女は震えながら俺を見上げた。

 

「……ありがとう」

 

 その言葉に、俺は微かに口の端を歪めた。

 笑ったわけじゃない。ただ、少女の純粋な感謝に、少しだけ心が震えた。

 

 魔法を使ったことで腹の奥が一段とざわめいた。

 だが顔には出さず腰をかがめ、少女と視線を合わせる。

 

「何があったのか、話せるか?」

 

 少女は無言で首を横に振る。

 俺は少し間を置いて、言った。

 

「悪かった。教会まで連れて行く。あそこなら、お前を保護してくれるはずだ」

 

 その言葉に、少女は怯えた。

 目を見開き、首を激しく振る。

 

「教会には……行きたくない」

 

 俺は黙った。

 その拒絶は、ただの恐怖じゃなかった。

 それは、知っている者の拒絶だった。

 

 少女は、ぽつりと尋ねた。

 

「……お兄ちゃんも、教会の人なの?」

 

 魔法を使ったのだから、疑問に思うのは当然だろう。

 俺は答えなかった。その問いは、俺の立ち位置を問うものだった。

 教会の魔法とは違う。

 俺の魔力は、もっと根の深いところから来ている。

 

 少女は、もう一度口を開いた。

 

「じゃあ……悪魔なの?」

 

 その声に、俺は少しだけ笑った。皮肉でもなく、嘲笑でもなく。

 ただ、答えを濁すように。

 

「さあな。俺は、俺だよ」

 

 それだけ言うと、俺はそっと少女の手を引き、宿屋へ向かう。

 昨夜、門前払いを食らったあの宿だ。

 

 女主人が俺の姿を見て、またもや眉をひそめる。

 

「申し訳ありませんが、満室でして──」

 

 俺は言葉を遮り、金貨を押し付けた。

 

「俺のことはどうでもいい。この子に、温かい寝床と食事を頼む」

 

 女主人は目を見開いた。

 少女の怯えた顔と、俺の声の温度に、何かを感じ取ったのだろう。

 

 少しの沈黙のあと、女主人は頷いた。

 

「……わかりました。部屋をご用意します。あなたの分も」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「最初からそう言えよな」

 

 少女は俺の袖を握っていた。

 その手は、小さくて、震えていて──それでも、温かかった。

 

 俺たちは食堂に通され、パンや温かいスープなどを用意してもらった。玉ねぎや人参やベーコンがたっぷり入った、栄養満点のコンソメスープだ。

 

 少女はスープを前にして、じっと見つめていた。

 湯気が立ち上り、香りが鼻をくすぐる。

 俺は椅子に腰を下ろし、無言でスプーンを差し出す。

 

「冷める前に食っとけ。腹が減ってると、ろくなこと考えねぇからな」

 

 少女は少しだけ躊躇ってから、そっと口をつけた。

 一口、二口──そして、ぽろりと涙が落ちた。

 

「美味しい」

 

 俺はそれに気づかないふりをして、パンを齧った。

 

 黙々と食事をとると、部屋に入って布団にくるまった。

 少女は言った。

 

「……ありがとう」

 

 その声は、震えていなかった。

 俺は軽く頷き、灯りを落とそうとした。

 

 少女はぽつりと呟いた。

 

「教会は怖い。皆を助けて」

「教会が怖い?」

 

 俺が聞き返しても、それ以上少女は何も言わなかった。

 

 その言葉に、俺は礼拝に出ることに決めた。

 この街の祝福がどこまで歪んでいるのか、確かめるために。

 

 翌朝。荷物をまとめていると、少女が勝手に靴を履いていた。

 俺は眉をひそめる。

 

「おい、どこ行く気だ」

「一緒に行く」

「は? お前、昨日まで怖いって言ってただろ。役に立たねぇし、ここで待ってろ」

 

 少女は頬を膨らませた。

 それでも、靴を脱ごうとはしなかった。

 

「……昨日は、怖かった。でも、今は……お兄ちゃんがいるから、怖くない」

 

 その言葉に、俺は肩をすくめた。

 

「悪いが、俺は大人の空間に行かなきゃいけないんでね。お前は留守番してな」

「えー、やだー!」

 

 少女は布団に飛び込んで、顔を隠した。

 その背中は、小さくて、拗ねていて──それでも、温かかった。

 

 俺は少しだけため息をついて、ペンダントを握りしめた。

 

「……帰ってくるまで、寝てろ。飯は残してある」

 

 少女は布団の中から、かすかに頷いた。

 

 俺は一人で宿を出た。

 背中に、誰かの信頼を感じながら──それでも、孤独を選んで歩いた。

 

 

 

 

 

 朝の礼拝堂。

 ステンドグラスから差す光が、大司教悧聖の白銀の法衣を神々しく照らす。

 その姿は、まるで天から遣わされた聖人のようだった。

 ⋯⋯あまりに、整いすぎていた。

 

「我らは神の子。罪なき者を守り、迷える者を導く。祝福は、拒絶の先にある」

 

 信徒たちは涙を流し、子供たちは悧聖の手に触れようと列をなす。

 その光景は、祝福と信仰に満ちていた──表面上は。

 

 だが、礼拝後。

 

 俺は地下に残された魔力の痕跡を探知した。

 空気がざらつく。皮膚の内側が、微かに痺れる。

 転移の痕跡。異教徒の祠へと繋がる隠し通路。

 残された聖具の欠片。そして、悧聖の法衣の繊維。

 

 俺は魔法を使い、聖具に刻まれた記憶を読み取った。

 そこに映し出されたものとは──

 

 光が収束し、悧聖の姿が別の空間へと消える。

 そこは、異教徒の遺跡を改造した密室。

 冷たい石壁に囲まれた檻の中には、性別も年齢も異なる子供たちが閉じ込められていた。

 

 悧聖は微笑む。

 その笑みは慈悲ではなく、支配の仮面だった。

 

「救ってあげよう。お前たちの穢れを、私が祓ってやる」

 

 泣き叫ぶ子供たちを魔力の鎖で封じると、悧聖は祈りの手を差し伸べる。

 その手が肌をなぞるたび、聖具が鈍く輝き、空間に異様な熱が満ちていく。

 

 祈りの言葉は、肌を撫でる呪文に変わっていた。

 その光は祝福ではなく、選別と凌辱の象徴だった。

 

 ペンダントを握りしめながら、俺は呟いた。

 

「街じゃ誰もが敬う聖人様、裏では子供に手を出す変態? ⋯⋯笑わせんな」

 

 そして、俺は教会裁判堂へと向かう。

 この街の祝福の仮面を、剥がすために。

 

 

 

 

 

 一方、悧聖は私室で理人の魔力に気付いた。

 

「愚かな魔族が我が聖域に侵入したか⋯⋯」

 

 地下礼拝室に密かに仕掛けてあった“逆探知の魔法陣”が反応を示す。

 僅かに快楽反応──淫魔の痕跡。

 

「淫魔か⋯⋯丁度良い」

 

 聖具が震え、悧聖は静かに立ち上がる。

 祈りの言葉は、誰にも聞こえないほど低く、冷たい。

 

 

 

 

 

 俺は宿屋の部屋を引き払った。

 少女をどこかに預けるつもりだったが──首を振られた。

 

 やれやれ、ガキは本当に我儘だ。

 美味い飯と柔らかいベッドを取り上げられて不満ってか。

 俺は肩をすくめて言った。

 

「連れていけねえよ。俺はこれから仕事なんだ、教会でな」

「教会に行くの?」

「そうだよ。おっかねえおっさんたちとバトってくんだわ。だからここでお別れだ」

 

 教会の名を出せば怯えて引き下がると思った。

 だが──

 

「……私も行く」

 

 意外な台詞だった。

 俺は眉をひそめる。

 

「お前、教会は嫌なんじゃなかったのかよ」

「お兄ちゃん、皆のために教会行くんだよね。私も行く」

 

 冗談半分で言ったつもりだったが、少女は真顔だった。

 その目に宿っていたのは、怯えじゃない。火種みたいな決意だった。

 

 沈黙が落ちる。少女はじっと俺を見つめる。

 その瞳の奥に、言葉にならない何かが沈んでいた。

 俺は、あの目を知っている。

 逃げる目じゃない。痛みを越えて、立ち上がる目だ。

 

 全く、仕方ねぇな。俺は溜め息をついた。

 

「俺の後ろに隠れてろよ。飛び出したりするんじゃねぇぞ」

 

「うん!」

 

 その声は、震えていなかった。

 俺は、少女を連れて行くことにした。

 

 あの目を見ちまったからな。

 あれは、逃げる目じゃなかった。

 

 もしかしたら──彼女が悧聖について証言してくれるかもしれない。

 その可能性に、賭けるしかなかった。

 

 

 

 

 

 裁判堂は荘厳な静けさに包まれていた。

 白銀の法衣を纏った悧聖大司教が、信徒たちの前に立つ。

 その姿は、まるで神の代弁者のようだった。

 

「この男は異教徒であり、淫猥な罪を犯した。神の名において、裁きを下す」

 

 老人に向かって裁定官が宣言しようとしたその瞬間──

 

「待て」

 

 俺は扉を蹴破った。少女も後ろから離れずついてくる。

 ざわめく人々の中、俺は声を張り上げた。

 

「この町を穢していたのは、信仰の仮面を被った者だ。

 その者は神の名を騙り、快楽に溺れ、罪を他者に擦り付けた。

 そして、真の犯人は――この場にいる」

 

 地下礼拝室の魔法陣の写し。拘束具の痕跡。魔力痕の記録。聖具の欠片。法衣の繊維。

 腐るほどの証拠が、悧聖の名を指していた。

 

 俺の後ろで隠れていた少女が、悧聖を指差した。

 

「神様は、痛かった」

 

 その言葉に、空気が止まった。

 誰もが、何かを言いかけて、言えなかった。

 それは、祝福の言葉ではなかった。

 それは、拒絶の記憶だった。

 

 悧聖の顔は微動だにせず、ただ俺を見据えていた。

 

「悧聖。あんたが、神聖魔法をゆがめて快楽魔法を行使し、子供たちを搾取していた。

 神の名を騙り、罪を他者に擦り付けていた。その罪、あんたのだろ」

 

 異教徒の老人は、涙を流した。

 

 沈黙の中、悧聖は微笑んだ。

 その笑みは、慈悲ではなく、嘲笑だった。

 

「よく喋るな、淫魔よ」

 

 俺に向かって悧聖はそう言った。

 

「淫魔だって⋯⋯!?」

 

 人々や異端審問官や裁判官が混乱する。

 悧聖は言った。

 

「この男は淫魔の血を引く。証拠は偽造。神聖なる秩序を乱す者だ。その器がどれほど脆いか、皆に見せてやろう」

 

 悧聖が詠唱を始める。

 神聖魔法の構文が歪み、空気が震える。

 祝福の光は濁り、淫靡な魔力が俺に向かって放たれる。

 

 避けるわけにはいかなかった。

 少女を守るため、俺は正面から受けた。

 

「……っ、このクソ野郎が……」

 

 それは光ではなく、甘い毒だった。

 

 皮膚が焼けるように熱くなる。痛みではない。もっと質の悪い感覚だ。

 腹の奥が疼き、熱が這い上がる。呼吸が浅くなり、体勢が崩れて膝をつく。

 張りつめたものが震え、濡れた感覚が内側を満たす。

 羞恥が肌を這い、痺れが意識を撫でる。

 

 快楽魔法──それは、器の構造そのものを試す術だった。

 

 悧聖の声が響く。

 

「お前は、甘く、湿った、淫魔の痕跡を纏っていた。だから分かる。

 お前は快楽に溺れるために生まれた、穢れた器だ。淫魔の器は快楽に耐えられまい」

 

 人々が息を呑む。俺の顔が紅潮し、神経が甘く痺れる。

 だが、俺は倒れない。

 

「……これが、お前の信仰か」

 

 ペンダントを握りしめる。冷たい瑠璃の感触が、意識を繋ぎ止める。

 俺はゆっくりと立ち上がる。

 

「俺は淫魔の子だ。でも、快楽に震えても、誇りは折れない」

 

 魔力がさらに強まり、裁判堂が軋む。

 だが、俺は一歩踏み出した。

 

「誰にも祝福されなくても、俺は、俺の誇りを守る。

 その魔法はもう、神聖じゃない。あんた自身が、もう神から遠ざかってる」

 

 悧聖の顔が、わずかに歪む。

 

 かつての悧聖は、一介の異端審問官だった。

 信仰に生き、欲望を断ち、ただ神の意志に従っていた。

 

 ある日、淫魔との戦いで呪いを受けた。

 それは、肉体の奥に疼きを残すものだった。祈っても、断っても、消えない熱。

 敬虔な信者だったからこそ、誰にも相談できなかった。

 

 孤児院の子供たちを保護することで、悧聖は己を保とうとした。

 だが、ある夜――純粋な瞳に触れた瞬間、何かが崩れた。

 

「これは浄化だ。穢れを祓うための儀式だ」

 

 そう言い聞かせながら、悧聖は“魔法”を使った。

 子供たちは怯え、沈黙した。その沈黙が、悧聖にとって“祝福”に見えた。

 

「神は、穢れを嫌う。ならば、穢れを祓う行為は、神の意志だ」

 

 そう言い聞かせることでしか、悧聖は自分を保てなかった。

 

 やがて呪いは消えた。だが、悧聖の心は戻らなかった。

 

 神聖魔法は、快楽魔法へと変質した。

 祝福の名のもとに、拒絶すべきものが生まれた。

 

 悧聖の目が細くなる。

 

「黙れ。淫魔など、下等な種族だ。 あいつらに人生を壊された者の痛みを、お前が知るか!」

「分かるさ。俺も、ずっと疼いてる。

 でもな――俺は、誇りを穢さない」

 

 悧聖の魔法がさらに強まる。

 子供たちを搾取してきた術。淫魔を弱らせ、倒してきた術。

 その魔法が、俺の器を試している。

 

 快楽は、俺の肉体を焼く。だが、精神は焼かれない。

 俺は、淫魔の癖に──快楽に耐える。

 

 それが、俺の誇りだ。

 

「淫魔の血よ、神の前に曝されよ!」

 

 疼きが、骨の奥から這い上がる。

 だが、俺は笑った。

 

「あんた、昔は異端審問官だったんだろ。信仰に生きて、欲望を殺してた。

 ⋯⋯でも、あんたは負けた。快楽に屈した。俺は、まだ立ってる」

 

 その言葉に、悧聖が動いた。

 高齢とは思えぬ速度で、法衣を翻しながら魔法剣を召喚。

 異端審問官として鍛えた戦闘術が、俺に襲いかかる。

 

 剣が唸りを上げ、魔力が炸裂する。

 俺は紙一重でかわし、魔力を纏った剣で応戦。

 刃と刃がぶつかり、火花が裁判堂を照らす。

 

「お前は穢れている! その血が証だ!」

「なら、穢れた血で、腐った祝福をぶち壊してやるよ!」

 

 魔法が炸裂する。裁判堂の天井が砕け、信徒たちが悲鳴を上げる。

 

 俺は魔力を集中させ、悧聖の術式の核を逆探知。

 魔法陣の歪みを突き、術式を反転させる。

 

 快楽魔法の奔流が、悧聖自身へと押し返された。

 それは発情でも羞恥でもない。

 悧聖が俺に向けて放った、濁った魔力の圧そのものだった。

 

「なっ──!」

 

 悧聖の身体が震え、膝が崩れる。

 その魔力は、俺を焼こうとした強度。

 だが、悧聖は“器”ではなかった。

 

 光が弾け、悧聖の身体が吹き飛ぶ。

 法衣が裂け、魔法陣が崩壊する。

 裁判堂の天井が軋み、瓦礫が降り注ぐ。

 

 悧聖は地に伏し、なおも詠唱を続けようとする。

 だが、術式は逆流し、彼自身に跳ね返る。

 

「神よ、なぜ私を見捨てた──!」

 

 その瞬間、裁判堂の鐘が鳴る。

 誰も鳴らしていない。

 それは祝福でも拒絶でもなかった。

 ただ、沈黙だけが、神の答えだった

 

 悧聖は地に伏し、祈りを続けようとしていた。

 だが、神は語らなかった。

 語る必要すら、なかった。

 

 俺は、まだ立っている。

 淫魔の癖に、快楽に耐える器として。

 

 ──それが、俺の“理”だ。

 

 

 

 

 裁判堂の混乱が収まり、瓦礫の隙間から朝の光が差し込む。

 裁定官が震える声で言った。

 

「悧聖大司教、神聖秩序の破壊、神聖魔法の濫用、子供への搾取──罪あり」

 

 裁定官は震えながら、老人を無罪とし、悧聖の名を記録から抹消した。

 だが、俺に向けられたのは感謝ではなかった。

 

「あの男も淫魔の血を引く者! 拘束せよ!」

 

 衛兵たちが動き出す。

 俺はペンダントを握りしめ、魔法陣を描く。

 

「……まあ、こうなるよな」

 

 俺は笑った。

 

「悪いが、こっちも捕まるわけにはいかないんでね」

 

 魔法を放ち、裁判堂全体に記憶消去の術式が展開される。

 光が広がり、裁判堂にいた者たちの瞳が一瞬だけ虚ろになる。

 

「淫魔が侵入した。だが、姿も名も分からない。証拠は残らず、ただ、誰かが戦った──それだけが記憶に残る」

 

 俺は最後に少女、老人の方を見た。

 その目に、僅かな迷いがあった。

 だが、術は発動した。

 

 老人の瞳は、静かに揺れた。

 理人の名も、顔も、記憶から消えた。

 ただ、この日――誰かが自分を助けてくれたことだけは、確かだった。

 

 少女は、理人の顔を見ていた。

 だが、次の瞬間――その顔が、記憶から滑り落ちた。

 胸の奥が、少しだけ痛んだ。

 理由は、わからなかった。

 

 

 

 

 

 悧聖の逮捕後、地下礼拝室の封印が解除され、異教徒の祠へと繋がる隠し通路が発見された。

 衛兵たちが慎重に進み、冷たい石壁の奥から、怯えた子供たちが救出される。

 

 性別も年齢も異なる彼らは、皆、悧聖の“祝福”の犠牲者だった。

 

 少女はその場にいた。

 理人の後ろに隠れていたはずの彼女が、救出された子供たちの中に駆け寄る。

 その瞳は、怯えではなく、寄り添うような光を宿していた。

 

「大丈夫。もう、怖くないよ」

 

 少女の声に、子供たちは少しずつ顔を上げる。

 その中には、かつて彼女と同じように傷つき、沈黙していた子もいた。

 

 理人はその光景を遠くから見ていた。

 ペンダントを握りしめ、静かに背を向ける。

 

 彼女は理人に気づかなかった。

 振り返っていたとしても、理人が誰か分からなかっただろう。

 だが、子供たちに寄り添う姿には、確かに“誇り”が宿っていた。

 

 

 

 

 

 老人は、教会の外れにある異教の祠に立っていた。

 誰かの名も、顔も思い出せない。

 ただ、あの日──誰かが自分を助けてくれたことだけは、確かだった。

 

「名も顔も思い出せない。けれど、あの日──誰かが、わしを救ってくれた。

 ……どうか、あの人が無事でありますように」

 

 老人は祠に手を合わせ、祈りを捧げる。

 その手は震えていたが、心は静かだった。

 

 

 

 

 

 街の門を抜け、俺は再び旅路へと歩き出す。

 ペンダントが胸元で揺れ、陽光を受けて淡く輝いた。

 

「金は底を尽きるし、何度も魔力を使う羽目になるし──散々だ」

 

 俺はぼやいた。

 

 腹の奥の疼きは、未だに収まっていない。

 張りつめた熱が、俺の中の奥で静かに脈打っている。

 だが、快楽に震えても、誇りは折れない。

 

「……あいつは負けた。俺は、まだ立ってる」

 

 振り返らず、ただ前を見て歩く。

 誰にも祝福されず、誰にも拒絶されず。

 それでも、誰かの祈りに包まれていた。

 

 誰も俺を讃えない。誰も俺を覚えていない。

 それでも、俺は、自分の誇りを守った。

 それだけで十分だ。

 

 そして、俺の旅は続く。

 名もなき誇りを胸に、誰にも知られぬ祝福を背負って。

 

 ──それが、俺の理だ。

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