大阪、道頓堀——霊子ネオンの川が輝く歓楽の街は、月の落下が迫る末法の夜に、絶望を祭りの炎に変えて燃え盛っていた。
灰色の空に巨大な月が不気味に膨張し、地球の引力から逃れようとするかのように低く垂れ下がる中、人々は世界の終わりを予感しながらも、狂乱の笑い声を上げていた。
日本古来の風土が、死の影を陽気な喧騒に塗り替える——提灯の赤い光がキャラメル菓子の看板を妖しく照らし、巨大な蟹の看板がネオンに映えて蠢くように見える。
道頓堀川の水面は、投げ込まれる花火の残骸で七色に染まり、蒸気機関の笛が鳴り響く中、屋台の油の香りと甘酒の甘い匂いが混じり合い、街全体を甘美な渦に巻き込む。
人々は、終末の予感を最期の祭りに昇華させていた。
浴衣姿の若者たちが太鼓を叩き、獅子舞が跳ね回り、路地から路地へ酒瓶を回し飲みながら歌う。
「ええやん、ええやん、世界が終わるなら今夜だけや!」
と、笑い声が爆発する。
橋の上では花魁のような女たちが扇を振り、男たちは提灯を掲げて踊り狂う。
きゃらめる菓子のポーズを真似た酔客が川に落ち、笑いの渦が巻き起こる。
霊子ネオンの洪水が街を華やかに彩り、道頓堀の看板群——くいだおれ人形の無表情な笑みが、月の影に嘲笑うように浮かぶ。
蒸気駆動の屋台車が轟音を上げて走り、焼きそばの煙が霧のように立ち上る中、誰もが死の予感を酒と笑いに溶かしていた。
バチバチと音を立てて、落下する月を支えるような光の龍のシルエットが瞬く。
そんな背景ではしゃぐ祭りの中心に、白い長髪を風に靡かせ、オレンジの狩衣を纏った少女が現れた。
赤く派手な隈取りが顔を飾り、歌舞伎の化粧のように妖艶で神聖——彼女は蒸気駆動の宝船の神輿に乗り、黄金の小判をばら撒いていた。
「そぉらそらあい、今日は大盤振る舞いや! 末法のこのご時世くらい直接ご利益撒いたって、天照ちゃんは怒りゃあせえへんやろ! あっはっは!」
高らかな笑い声がネオンに響き、小判が雨のように降り注ぐ。人々は平伏するでもなく、共に陽気に手を振り、笑い返す。
「ヒルコ様だ!」「恵比寿様ぁ!」
呼び声が飛び交う。少女は満足げに頷き、神輿を練り歩く——宝船の蒸気管が白い煙を吐き、船体が黄金の鱗のように輝く中、彼女の白髪が月の光を浴びて銀色に瞬く。
だが、すぐ近くにズシンと金属質の何かが着陸する音が響いた。
祭りの喧騒が一瞬、波のように引く。
少女は白けた様子で振り返り、周りの人々に避難を促すように手を払う。陽気な群衆が、笑い声を残しながら退がっていく——道頓堀の霊子ネオンが彼らの影を長く引き、川面に映る提灯の光が揺らぐ。
静寂の隙間に、ジジジと紫色の放電が鳴り響き、金属の異体が姿を表す。
コクピットを解放したウィルバーが降り立ち、聞いていたイメージとあまりにも違う彼女に、申し訳なさそうに声をかけた。
「あ、あのぉ……あなたが、大いなるクトゥルフ、ですか?」
その言葉に、周囲が空白になったような静寂が流れる。
ネオンの輝きが凍りつき、月の影が深く落ちる。だが少女は「は!」と笑い捨てる。
「なんやヨグんとこの坊かいな、その呼び名辞めぇ死するままに夢みる大神官の名前や。待ち至る時も来いひん」
神輿の上から飛び降りると、月を受け止め続ける八岐の幻影が光るシルエットとして瞬き、道頓堀の空を一瞬、幻想的に染める。
それは少女の力の一端、疲弊しきった地の龍の制御装置。
「今の僕はヒルコ、もしくは恵比寿さま言いや……八岐大蛇の名でもええで?」
少女は妖しく微笑み、ウィルバーに小判を差し出した。
金貨が月の光を反射し、彼女の赤い隈取りが、深淵の予感を湛えて輝く。
祭りの余韻が、街の喧騒を優しく包み、終末の渦が静かに回り始めるのだった。
大阪、道頓堀のネオンが川面に揺らめく歓楽の渦中——たこ焼き屋台の鉄板がジュウジュウと音を立て、熱々のソースの香りが蒸気とともに立ち上る。
末法の夜に月の落下が迫る中、屋台の主人は陽気に鉄串を回し、人々は最期の宴を謳歌するように笑い声を上げる。
ヒルコとウィルバーは、公園のベンチで一緒に買ったたこ焼きのパックを開く、ソースのかぐわしい香りが鼻腔をつく。
白い長髪を風に靡かせ、オレンジの狩衣を纏ったヒルコは、ふはふと熱いたこ焼きを頬張り、赤い隈取りの顔を満足げに歪める。
一方、ネクロノミコンでクトゥルフのイメージを知るウィルバーは、八本足のタコを思わせるこの食べ物を共食いのように感じつつも、一緒に買ったたこ焼きを頬張る。
熱いソースが舌を焼き、柔らかな食感と風味が爆発し、あまりの美味しさに彼の瞳が輝いた——異形の血を引く少年の顔に、純粋な喜びが宿る。
「んん、おいひいれふ……柔らかくって、磯の香りが」
「やっはっは、味覚は正直で結構結構」
豪快に笑うヒルコは、白い髪を垂らしてウィルバーに尋ねる。
屋台の提灯が彼女の顔を赤く染め、深淵の神の片鱗を妖しく照らす。
「それで、今月を支える僕にお礼でも言いに来たんかな? あんまり褒められたもんやないで、一時凌ぎしかできひんし……それにこの月の落下、僕の一部が勝手に使われとるさかいな」
ヒルコの白状する真相に、んぐ、とたこ焼きを詰まらせるウィルバー。
「……けほっ、それは、どういうことですか!? 大神官クトゥルフともあろうものが、神体の一部を使われるなんで……!」
「だぁれも、老いには勝てんよ」
ヒルコはそういうと、指を軽く振るい、自分とウィルバーの前に霊子光で構成された球状の立体映像を投影した。
青く淡く輝く球体は、地球を模したもの——細かな大陸の輪郭が浮かび上がり、海の青が脈動するように揺らめく。
そこに、枝分かれする8本の足を持った海シダ、あるいは八本の頭を持つ龍にも見える巨大な影が、ゆっくりと覆い被さる。映像の中で、龍の頭が天から降り注ぎ、地球の表面を優しく包み込み、地中に根を張るように埋まっていく。
月の落下を防ぐ天蓋のように、惑星を護る姿が、立体的に回転しながら表現される。
龍の鱗が霊子の光を反射し、埋まる過程で大地が隆起し、日本列島の形が浮かび上がるさまは、古き神話の再現のようだった。
「これが、この世界における僕の『在り方の可能性(チャンネル)』、惑星寄生型神格級霊子環境管理装置……大神官クトゥルフ、それが僕の本来の姿や」
ヒルコの声が、屋台の喧騒に溶け込みながら続く。
立体映像は動きを変え、唯一の大陸ハイパーボレアを映し出す。
「僕は与えられた役割(ロール)と使命に準じて当時唯一の大陸ハイパーボレアで邪神同士で勢力争いをしとったが、駆逐戦争でボロ負け。大神官として僕を造った外なる神どもにも失敗作と見捨てられて太平洋に沈められよった、あれはショックやったで。今の日本列島は、僕の墓標として隆起させたもんや。」
邪神同士の勢力争いが、触手と魔術の渦として渦巻き、駆逐戦争の惨状が血と炎の色で爆発する。
地球全体を包もうとしていたクトゥルフの巨体が、太平洋の深淵に沈められるイメージが、球体の中でゆっくりと沈降していく。
海底の闇に飲み込まれるさまは、絶望が形になったかのような渦を纏い、映像の端で日本列島が墓標として隆起する。
大地が盛り上がり、島々が海面を破って現れる動きが、霊子の光で細やかに描かれる。
「そうして生まれたこの国に、僕は或る時は海から流れてきた福をもたらす和御魂として、そして生贄を求める大蛇の荒御魂として、あらゆる形でこの国の新しい神話に関わってきたんや」
映像はさらに進化し、海から流れてきた福をもたらす和御魂として、ヒルコの姿が波に乗り、村々に恵みを与える様子を映す。
次いで、大蛇の荒御魂として、生贄を求める恐ろしい龍が山を這い、雷を呼び起こす。あらゆる形で日本の神話に関わるさまが、球体の中で回転し、歴史の渦を織りなす。
だが、映像の色が暗く変わる。
「それも過去の話や、人間の欲も恨みもとうに老いた僕を凌駕した。」
地の龍が東京から光る将門の怨霊によってビクビクと痙攣し、龍の体が裂け、血のような霊子が滴るイメージが、球体の中で爆発的に広がる。
人類の技術が、鉄板やパイプラインで傷ついた龍脈を補強し、途上にはその力の恩恵を受けた式鬼達が闊歩するようになる。
「僕の4本ある地の龍は加藤が将門の怨霊使ってボロボロにしはって、若い世代の陰陽師にまで天の龍の一部をハッキングでもぎ取られかけて月堕としに使われる始末や」
天の龍の1本が赤く染まり、手のように伸びる影がその赤い龍を持ち上げて月に噛みつかせる、月はしなだれる赤い龍に引っ張られるように降下し、3本だけ残った天の龍が必死に月を抑える動き、それが震えながら映し出される。
「今動かせる3本の天の龍でなんとか抑えとるけど、それも時間の問題、僕はもう、寿命や」
ヒルコがそういうと、立体映像を操作する人差し指がわずかにひび割れる——細かな亀裂が霊子の光を乱反射し、老神の疲弊を象徴するように、球体の映像が一瞬、揺らぐ。
道頓堀のネオンがその光を映し、たこ焼きの熱気が二人の周りを包む中、深淵の神話が、末法の夜に静かに渦を巻くのだった。
蒸気霧に包まれたベンチで、老神と異形の少年が、末法の夜を静かに分かち合う。
白い長髪を風に靡かせ、オレンジの狩衣を纏ったヒルコは、足をパタパタと揺らし、赤い隈取りの顔に申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
隣に座るウィルバーは、立体映像の余韻に浸りながら、老神の疲弊を深く受け止めていた。
「ま、待ってください! おかしいですよ」
ヒルコと隣り合ってベンチに座っていたウィルバーが、立ち上がる。
異形の血を引く少年の瞳に、驚愕と疑問の炎が宿る——ネクロノミコンのページから得た古き知識が、目の前の現実と衝突し、魂の深淵を揺さぶる。
「旧支配者に寿命だなんて、可能性の全てに跨って存在し、惑星規模の時間を生きる存在が、なんでそんなに短いんですか! 駆逐戦争や加藤事件の影響があったからって……」
ベンチに座りで足をパタパタしながら、ヒルコは申し訳なさそうに頭を掻く。
白い髪が月の光を浴びて銀色に瞬き、彼女の姿は、古き神話の残滓を纏った少女のように、儚くも妖しい。
「いやぁ、それこそあのクソ風(ハスター)やら他の旧支配者やったらそうなんやけどなぁ、僕が駆逐戦争に負けて、あくまで大神官言われる所以や。僕はそもそも、可能性に存在は広げてても、それぞれが独立してこの世界に顕現しとるんや。つまり、僕自身は肉体を持つものとしてこの世界この次元に核ごと根を下ろしてるんよ。まぁこの姿は遠隔操作の異体やけどな」
ヒルコの言葉に、ウィルバーは絶句する。
目の前のこの神は確かに……神というにはあまりにも『生きて』いるし、それゆえに切実な現実として老いに絶望しているのだ。
ヨグ=ソトースの血を引く少年の心に、神の独立した顕現、核ごとの根を下ろす肉体、古き法則の呪いが溶け込んでくる。
「バックアップシステムはある、それも日本帝国政府に預かかってもらっとる状況や、僕が死んだら、その子が新しいクトゥルフを産み落とす。そのとき産まれた新しいクトゥルフが何を思い、何を起こすかはわからへんが、それは僕にとってもう知ったこっちゃないんや」
ウィルバーが、ヒルコのその言葉に眉を顰める。
少年の異体の影が、ベンチの背後に微かに揺らぎ、深淵の予感を湛える。
「バックアップ……?」
「『クティーラ』……本人は、何も知らずに帝都で人間として暮らしとるはずやで?」
ヒルコの声が、道頓堀の喧騒に溶け込みながら、静かに響く。
ネオンの光が二人の顔を妖しく照らし、たこ焼きの余熱が空気を温める中、バックアップの秘密が、伝奇の糸のように絡みつく。
帝都の龍脈が遠くで脈動する中、老神の寿命と新生が新たな未知の脅威として立ち塞がる。
一方、帝都東京の華やかな浪漫建築が立ち並ぶ中心から、少し外れた路地に、ひっそりと佇む長屋町があった。
洋風の様式を模した建築が、庶民の暮らしを優しく包み込む。赤煉瓦の壁に蔦が這い、アーク灯の淡い光が窓辺を照らす中、そこは古き伝奇の残滓を宿した、静かなる深淵の片隅だった。
食卓の上には、たくあんの酸味が香る質素な食事ーー漬物と蒸した野菜、粗挽きの米が並び、作り手の意気込みが、温かな湯気に込められている。
青黒いツインテールの少女、オトヒメは、フリルのエプロンをセーラー服の上から着け、調理を終えていた。
彼女の小さな手が、箸を丁寧に並べるさまは、まるで古い儀式のよう——兄の帰りを待つ瞳に、切なげな影が宿る。
「お兄ちゃん、遅いなぁ……」
少し残念そうに、少し切なそうに、オトヒメは呟く。
声は風に溶け、路地の蒸気霧に消える。
帝都の夜は、肥大化した月の下、遠くで汽笛が鳴る中、彼女の心臓が静かに鼓動を刻む。
すると、玄関の戸が開く音が響いた。
びくりと反応したオトヒメは、トテトテと喜びを隠せない足取りで玄関へ駆け寄る。
「お兄ちゃんっ! おかえ……」
おかえり、と言おうとした口が凍る。
帰ってきた兄、鮫島計一郎の様子は、尋常ではなかった。
大日本帝国陸軍の軍服外套が、影のように重く垂れ下がり、機械式マスクから突き出たガラス管の中には、液体が一滴も残っていない。
軍帽とマスクで目元しか見えない顔は、深淵の闇に隠れ、乾きに狂いかけた獣のように、視点と焦点が瞬毎に彷徨う。
内なる獣性が、軍人としての理性の枷を軋ませ、魂の深淵から這い上がろうとする。計一郎の心は、守護者の誓いを胸に、圧倒的な意志で抑え込まれていた。
あのクトゥグアの熱線を操る鞘、紅倒蔵が腰に下がる中、彼の体は人間と獣の狭間で震え、理性の壁が今にも崩れ落ちんとする。
ゆっくりと伸ばされる手ーー爪が異様に発達し、眼前の少女を引き裂くか、捉えて貪らんとする獣のそれ。
だが、オトヒメに近づくと、腕は錆びついた機械のように緩慢になり、カクカク、ガクガクガクガクと震える。
内面の戦いが、筋肉の競合を生む。
軍人として鍛えられた鋼の意志が、獣の乾きを抑え込み、筋肉が傷つくほどの力みで耐える。
フーッフーーッ! 水音のない獣のような呼吸が、マスクの下から漏れ、唾液が溢れ落ちる。理性の光が、獣の影を押し戻す……守護者として、妹を護る誓いが、魂の深淵で咆哮を上げる。
狂気的に震える筋肉は、欲求の渦を抑え込むための、自己犠牲の証。
深海の獣が彼の体を蝕む中、計一郎は己の獣性を、軍人の誇りと守護者の愛で、圧倒的に耐えていた。
理性の錨となる——妹を失うまい、家族たるオトヒメを、決して欲のままに汚すまい。
そんな計一郎を、フワリとオトヒメは抱きしめる。少女の温もりが、獣の乾きを優しく溶かす。
「いいよ、お兄ちゃん……無理しないで?」
オトヒメの接触に、乾いた獣のような計一郎の目は塊、理性の光が戻るや、鋭い瞳は悲嘆に潤む。
内なる戦いの疲弊が、魂を震わせる。
「すまん、オトヒメ……今日も、頼む」
「良いよ、オトヒメにしか治せないもん……」
二人は、寝室へゆっくりと足を運んだ。
長屋の木の床が軋み、蒸気灯の光が影を長く引き、兄妹の絆を優しく残酷に包み込むのだった。
床に敷いた布団の上に、仰向けになった計一郎は軍服を脱がされ、裸にされていた。
その膝の上に、また、一糸纏わぬ白い肌を晒して腰を下ろすオトヒメは、その丸太のような膝に尻を擦り付け、脇の下から薄い胸にかけてを必死になぞる。
「んんっ……ん、んんっ」
それは個人的な性愛を貪る背徳の儀式のようでいて、オトヒメにとっては必至の治療行為だった。
計一郎の正気を保つには、オトヒメの体液が要る……直接の肌の接触で表層は保てるが、深いところの理性を癒すにはやはりそれが不可欠だった。
ガクッガクッ、と、促すように膝が震え、オトヒメの股に予想を超えた刺激を加える。
「にゃっ……やっ、はぁっ……んん、お兄ちゃん、待って……もう少し、だからっ」
上擦った猫の声のような、可愛らしい悲鳴をあげて尻を振るわせるオトヒメは、計一郎にしなだれかかりながら自らの乳腺を刺激し続ける。
計一郎の晒された肌には青銀色の鱗が光り、マスクを脱いだ口元から首にかけてはエラのような器官が覗き、晒された口は横向きに裂けたかのような大きい口に、サメのような鋭い刻刻の歯がずらりと並ぶ。
鮫島計一郎の姿は、まるで陸に挙げられた深海魚か、旧き血統の鮫と人間が交わったかのような姿をしていた。
「んっっ……く、あ……出る、で……るっ」
じわり、と白い雫が、オトヒメの桜色に輝く胸の硬く尖った先端から溢れる。
それは、孕むことなくオトヒメの胸から溢れる母乳、その芳しい香りは甘く、そして深海の底のような深い神秘の残穢を感じさせる。
「うぐっ、ぅぅうっ!」
「ふえあっ!?お、兄ぃっ……ちゃあっ」
ガバッ と、上体を突如起こした計一郎に目を丸くして驚いたオトヒメは、細い両肩を抑えられて、されるがままに兄の長い舌が迫る乳を差し出すように前に出す。
「お兄ちゃん、ほら……舐め……んんんっ!」
言われるまでもなく、飢えに乾いた計一郎の舌がオトヒメの白い肌を這って乳首に膨れた甘い雫を貪る。
ビクン、と跳ねるオトヒメの身体から球の汗が浮く。
二人の呼吸が荒くなる、胸をしゃぶり尽くした計一郎は胸から肩へ、首へ、彼女の汗さえも貪るように舐めとっていく。
そして、瞳から溢れる雫に獣のような目を向けて、はたと凍る。
それは、オトヒメの上気した頬を流れる、涙。
「気に、しないで……勝手に出ちゃうだけ、だから……これも、舐めて?」
計一郎の心臓に、心に、銛のような罪悪感が突き刺さる。
計一郎の相貌から、その大きい目の大きさに釣り合った大粒の涙がぼろぼろと溢れ落ちる。
その震える声で、ガチガチと鋭い歯を鳴らしながら、項垂れて計一郎は懺悔する。
「オトヒメ……ごめん、ごめんっ……俺、俺がっ……」
「お兄ちゃん」
兄の平たい鼻に、オトヒメの人差し指がぷにっと押し当てられる。
彼女の顔は理性的で、それでいて兄を嗜める妹としてはあまりに綺麗で……地母神のような包容力を携えていた。
「オトヒメは、お兄ちゃんが好きです……だから、謝らないで?」
オトヒメの言葉に、涙を流す計一郎は、その身を抱きしめることでしか答えられなかった。
兄妹の背徳が、さらに深まっていく……
オトヒメは、尻の下に熱く膨れ上がるものを感じ、その熱気に瞳を潤ませる。
ヒトのそれよりも遥かに大きく、暴力的に怒張した、兄の欲望。
酷ければオトヒメの腕ほどもあるそれを尻に擦り付け、溢れた愛液を纏わせて、腰を振る。
「はぁぅ……っ、お兄ちゃん……おにいちゃぁんっ、オトヒメも……せつない」
妹の言葉に、理性を浮上させた計一郎の心臓がドグリと跳ねる。
理性は、浮上しただけだ。その肉体はいまだに獣のそれ。
さらにオトヒメの言葉には、計一郎の魂を束縛する霊子の縛りがかけられている。
ドグ、ドグ、ドグ、と、早鐘の鼓動と共に怒張が張り詰めていく。
「オトヒメ……駄目だ、駄目だそれは!……逆らえ、ないっ」
「駄目……ほら、視て。」
首を振る計一郎に、赦しを乞うような悲しみが溢れる。
しかしオトヒメは、妖しく深海の蒼に光る瞳を計一郎の視線に重ねる。
計一郎の理性が、ふたたび『ゾブリ』と、冷たい深海の底に堕ちる。
「あがっ……あ゛っ……あっ……い、あ……いあ」
獣が、言葉を発する……それは、彼女を称える言葉。
彼女の本性を指す言葉であり、神のバックアップシステムたる『それ』を称える、彼の種族の遺伝子からの祈りの言葉。
「いあ……いあ、クティーラ」
その言葉を契機に、計一郎は獣に堕ちた。
オトヒメの尻を掴み、人外の膂力で持ち上げ、一息にその肉壺に不釣り合いに見えたな怒張を、捩じ込んだ。
「あ゛っ……っう゛!?」
オトヒメの声もまた、獣を帯びる。胃液が僅かに逆流するのを構わず、オトヒメは乱暴に突き刺された人外の欲望を深く受け入れ、その細い体にぽっこりと計一郎の『形』を浮かべていた。
休まらない、腰は即座に振り乱され、頑強な肉体がオトヒメの柔らかい尻を容赦なく波打たせて、ばし、ばし、と肉を叩く音を響かせながらオトヒメの内腑を抉る。
「あっ……ぁあ゛っ!お゛っ!おにいっ、じゃあ、んっ!」
しかしオトヒメは依然と、内臓を汚される痛みよりもその獣性の恍惚に身を委ねるかのように兄の愛を貪る。
そう、貪っているのは、オトヒメだ。
オトヒメにとってもはや、兄はその欲求を満たす獣にすぎない。
兄であった獣は、狂ったように白目を剥きながら、迸る快楽を下半身に煮えたぎらせながら、咆哮を上げる。
「ひめっ……ひ、め゛、ぇっ!!ああ、がああああああぐああぁぁぁああ!!」
どぼっ! ごぼっ、ごびゅっ、肉の層の上からでも、大型のポンプで抽送されるような音を立てて、白濁した磯の香りのする白濁がオトヒメの胎を膨らませる。
ビグ、ビクビク……と、オトヒメの脚が震え、彼女自身もそんな乱暴な交尾の果てに深い絶頂に至り、苦痛と恍惚の獣声をあげる。
「んぉお゛っ!?あ゛はっ……あ゛、う゛っ……ぅへへ……へぇ」
くたり、とオトヒメが脱力すると、計一郎の意識は浮上した。
計一郎は、理性の戻った瞳で、理解が追いつかないで混乱したまま目の前を見る。
溢れ出た白濁液に汚された布団と畳、満足に萎みつつある怒張を名残惜しむように絡みつく、妹の肉壺の心地いい感触、白濁を溢れ出す源泉はまるで妊婦のように膨れ上がった、妹の胎。
「あ、ああっ……っぁぁあっ、オトヒメ、お前……あああっ!!」
オトヒメは、息を切らしながらも、計一郎の頭を撫でながら囁く。
「お兄ちゃん、オトヒメ……お兄ちゃんが好き、ずっと……オトヒメのものでいて?
オトヒメだけを護る、軍人さんでいて……?」
それは、兄妹の絆を縛る鎖のように、計一郎の心を縛り上げる言葉だった……。
大日本帝国の荘厳な首相官邸——帝都東京の灰色の夜空の下、浪漫建築の尖塔が龍脈の脈動を秘め、客室の重厚な扉が荘厳な新時代を讃えるように佇む。
アーク灯の淡い光が絨毯に影を落とし、珈琲の苦い香りが部屋を満たす中、ライラ=シュルズベリイは、遠隔操作のビヤーキーに神経を集中させていた。
金髪の教授は、傾いた色眼鏡の下で深緑の瞳を細め、珈琲を片手に、異界の視線を帝都の深淵へ伸ばす——鮫島計一郎を追う影のように。
「ぐふっ! げほっ、はぁ……」
突然、ライラの喉から絞り出されるような咳が響く。
珈琲のカップが震え、熱い雫が指に滴る。
真っ赤な顔をしてプルプルと震える指で傾いた色眼鏡を直すライラは、自分自身を叱責するように呟いた。
「何をっ……やっているんだ私はっ!」
ビヤーキーが追っていた鮫島計一郎——先の戦いでは味方であったが、その所属は大日本帝国陸軍という全容の見えない第三勢力だ。
その目的と秘密を押さえておくことは、探索者として基本ではあるが……視界の先に繰り広げられた淫靡な儀式——兄妹の背徳の宴、深海の獣性が絡みつくような、あの恍惚と苦痛の渦。
ライラの頰が火照り、魂の深淵で恥辱の波が広がる。
「まさか何かと覗かれることを普段から嘆いている私が、他人の情事を覗き見るとは……っ」
恥ずかしさに頭を抱えるが、場所が場所である。
深呼吸して息を落ち着かせ、気を取り直し得られた情報を整理する。ネクロノミコンの異聞に記された、クトゥルフの娘……クティーラ。
それが、帝国政府の手にある。
そしてそれは帝国軍人である、おそらく原種に近い深きものの混血、鮫島計一郎が正気を賭けて共依存しながら守っている。
「つまり鮫島は、彼女の護衛であり、帝国に縛るための……鎖か」
「人聞きが悪いですな」
そう言いながら、扉を開ける細身の男性が神経質そうな声でいう。
まだ若いだろうに、ストレスからか髪には白が混じり、真ん中にチョビと生えた髭をどかせば、青年と見紛うほどの整った細い顔立ちをしている。
彼は辰宮洋一郎、辰宮セツコの父であり、現在の内閣総理大臣だ。
『近親相姦の子だって言いたいんでしょ?』
『わかってるのよ……私は辰宮ユカリと、辰宮洋一郎の娘だって……わかってるけど、けどっ!』
その娘、辰宮セツコの悲痛な叫びを思い出す……その因縁の、根源の一つ。
ライラの視線が、その彼を射抜くのだった。
客室の重厚な扉が古き伝奇の残滓を閉じ込めるように佇む。
若き総理の神経質な視線が、帝都の深淵を映す鏡のように、冷たく輝く。
政治の渦が、二人の間に張り詰めた糸のように張り、部屋の空気を重く淀ませる。
「単刀直入に訊きます、辰宮セツコの動向に心当たりは?」
ライラの声が、鋭く切り込む。
ビヤーキーの視界に残る背徳の残像が、彼女の胸をざわつかせるが、探索者の理性がそれを抑え込む。
洋一郎は、珈琲のカップを置く動作一つに、計算された無機質さを宿し、即答した。
「無い。私はアレの教育に関与していないし、その暇もない」
その冷徹な響きに、ライラの苛立ちが炎のように燃え上がる。
セツコの血統——洋一郎と妹ユカリの禁断の果実、近親の呪いが、帝都の龍脈に絡みつく影のように、彼女の心に浮かぶ。
「その責任に対する無関心が、帝都大学での暴走を招いたのでは?」
洋一郎の瞳が、わずかに細まる。
政治家の仮面の下で、深淵の計算が回る——娘の怨念、加藤の遺産への、むしろ恐怖か。
「だとしても、それはセツコの問題であって、私の問題ではない。質問はそれだけかね?」
正直に言って、今すぐにでも掴み掛かって殴り倒したい。
ライラのビヤーキー越しの目に、辰宮洋一郎はそう映る。
帝都の権力の化身、冷たい氷のような男。
彼女の拳が魂の深淵で震えるが、理性がそれを抑え込む。
一息つき、質問を変える。
「では、クトゥルフの代替わり後における龍脈の制御方法について質問をさせて頂きたい」
「……何?」
洋一郎の声に、初めての動揺が混じる。
ライラは、まだウィルバーからヒルコに関する情報を得てはいない。
しかし、そのライラから見て、龍脈の弱体化は目に見えてわかるものだった。
深淵を見返すものの神のかけらを用いた術式のバックアップ技術、それとセツコ自身の才能を鑑みても、今回の魔術テロの精度は異常だ。
まして、セツコはその怨念に飲まれかけている節さえあった。
その理由を考えれば、答えは明白だった——帝都の地下に潜む闇、怨念の塊が、すべての鍵を握る。
「地下都市工事計画の障害となったという帝都地下に存在するアジア最大の怨念塊、『蝦夷』……加藤の目的も、帝都地下に蓋を閉じる形で囚われた蝦夷を解き放つことだったとケイコ女史から聞き及んでおります。
閉じ込められたそれを物理的な情報熱量として抑え、エネルギーに変換するために帝都政府はクトゥルフの代替わりを意図的に起こそうと計画していた……違いますか?」
洋一郎の顔が、わずかに引き攣る。
政治の駆け引きが、部屋の空気を剣のように張り詰めさせる——帝都の均衡、クトゥルフの寿命、蝦夷の封印。
娘の血統の呪いが、総理の魂を蝕む影のように、彼の瞳に映る。
「っ、あの女め……」
ライラの深淵を映す瞳が、目の前の凡愚の薄弱な氷の仮面を貫いた。
ライラは瞳を閉じ、深淵の底を覗くように考えを巡らせていた。
蝦夷という帝都に根ざした怨念の塊、その黒い渦が大地を蝕むさま。
そして、それを貪欲に利用しようとする政治家の影——辰宮洋一郎の冷たい計算、その真意。
ライラは、自身の復讐の道が、ハスターを取り戻すことだけではないことを改めて確信した。
この世界に蔓延るあらゆる因縁の糸を、根源から断ち切ること——その復讐の想いが彼女の魂に囁くように、決意の炎を灯す。
「辰宮洋一郎総理、決断しろ」
ライラの声が、部屋の空気を剣のように切り裂く。
ステッキを色眼鏡のフレームに当て、カンと乾いた音を立てる——その響きは、深淵の鐘のように、帝都の均衡を震わせる。
政治の駆け引きが、蒸気灯の淡い光の下で張り詰め、総理の手がわずかに震える。
「父として、娘を止めるか。それとも何も明かさず、総理官邸に泣いて震えながら引きこもるか……尤も、この国には指導者が二人いるんだったな? 選択によっては」
ライラが腕を振るうと、見えざる針が空を切り、総理の手にあるマグカップが粉砕される——陶器の破片が散り、珈琲の黒い雫が絨毯に染み込む。
「そのうち一人は蜂の巣にしても、問題はあるまい」
普段静かに飛ぶ蜂の羽音がするときは、それが警告音であるという。
ブン、ブン、ブゥゥゥゥン……
と、周囲に不可視の羽音が響く中、ビヤーキーの群れが、深淵の影のように部屋を包む。
ライラの瞳に、神殺しの力が宿り、帝都の龍脈がわずかに震える——政治の均衡が、復讐の渦に飲み込まれんとする。
辰宮洋一郎は、鼻で笑う。
白髪混じりの髪が、ストレスに蝕まれた魂を映し、近親の呪い——セツコが洋一郎と妹ユカリの禁断の果実である秘密が、彼の心に腐敗した棘のように刺さる。
「面白い、娘を止められるというなら……やってみろ」
洋一郎は、懐から紙束を取り出し、机の上に置く。
そこには『帝都地下都市計画』と書かれた資料だった。
資料の端には鳴滝純一と記され、帝都の深淵を掘り進む野望が、灰色のインクで綴られる。
「セツコは、加藤に攫われ儀式に利用されたユカリが奴に産まされた娘だと思っていた……」
洋一郎が、懐かしむように言う。
声に、疼く痛みが混じり、娘の怨念が、帝都の地下から這い上がる影のように、彼を蝕む。
「加藤事件の最後にセツコの本当の親が明かされた時、私はユカリに惚れていたこれの著者に撲殺されそうになった。セツコを思うたびにその痛みが疼く、目を逸らすしかできんのだ」
ライラは、心底から洋一郎を見下す目をしつつ、その資料を受け取る。
怒りの炎が、先を照らす黎明となる。
「それでも、その間違った願いは崩させてもらう。現実を見ないで、都合よく済むようにという、貴様の腐り、間違った神(願い)も含めて」
部屋の空気が、深淵の渦を巻き、帝都の灰色の霧が窓辺を叩く中、因縁の糸が優しく巻き取られていく。
それは、蜘蛛の糸を巻く、観音菩薩の指のように。
霧に煙る地下の牢獄めいた部屋で、蒸気の渦がゆっくりと渦巻いていた。
冷たい鉄の鎖が音を立て、霊子の残滓が淡く青く輝く。
そこに、旧支配者の一柱、ハスターの意識は、ゆっくりと目を覚ました。
「んっ……ぁ……?」
声が漏れた。喉の奥から絞り出されるような、かすれた呟き。
頭が痛い。霊子ジャマーなどとは違う、予想外の衝撃——霊子核ディフューザー。 あのオーバーテクノロジーの産物が、世界ごと神の心臓を高速で撹拌するような感覚を味わい、油断した彼は意識を失っていた。
まさか、そんなものを出されるとは。ハスターは体を起こそうとして、違和感に息を呑む。
「んだこれ……頭が、いてぇ……っ!?」
声が高い。聞き覚えのある、柔らかな響き。
慌てて見下ろすと、そこには一糸まとわぬ女の体が横たわっていた。
いや、生きた人間のそれではない、あり得ない技術で作り出された柔らかく、生きているかのような熱を持つ機械の体だ。
極太の鎖と手錠が四肢を縛り、肌は蒸気の煙に濡れて光る。
たわわに実った胸が重く揺れ、金髪の長い髪が肩に流れ落ちる。
それは、太古の昔、ハイパーボレアの時代に慣れ親しんだ体の再現——サチアと呼ばれた頃の、懐かしい肉体そのままだった。
顔が引き攣り、軽薄な冗談を言う口が震える。
「嘘だろオイ……昔の知り合いの仕業にしたって、趣味が悪すぎるぞ」
触手を伸ばそうとして、感覚が空を切る。
ない。そもそも存在しないかのように、体はただの人間の殻。霊子の流れが断たれ、神の力は封じられている。
「この身体、完全に俺の意識だけを……っ」
「良いだろ、サチア」
後ろから、甘い声が響いた。
肩に腕が回され、温かな息が耳朶をくすぐる。
ハスターの心臓。今は女の胸に宿るそれが、鷲掴みにされるような錯覚を覚える。
「なっ……ぇ?」
「苦労したんだぜぇ? その身体、手に入れるのさ」
振り向く。
ゆっくりと、恐る恐る。
そこに立っていたのは、金髪に深緑の瞳を輝かせた男。
軽薄な笑みを湛え、狂気の渦を瞳の奥に宿した顔。
ハスターの時間が、停止した。
その顔を見た瞬間、ハイパーボレアの記憶が洪水のようにフラッシュバックする。
青い空の下、羊を追う青年の笑顔。
両腕で優しく包み込んだ夜の温もり。
サチアと呼ばれ、愛を囁き合った日々。
失われた大陸の風が、魂を撫でる。
だが今、その顔は歪んでいる。愛憎の炎が、獣のように牙を剥く。
ハスターの表情が、崩れた。
目を見開き、唇が震え、頰に涙の予感がにじむ。
泣きそうな顔——いや、すでに泣いているのかもしれない。
神の威厳などどこにもない。ただの、傷ついた恋人のような、脆い表情。眉が寄せられ、瞳が潤み、喉が詰まる。
懐かしさと恐怖、喜びと絶望が混じり合い、顔全体が歪む。
太古の愛が蘇り、胸を締めつける。
なぜ、この顔がここに? なぜ、こんな形で?
「な……んで、ハイタ……なのか?」
『ハイタ』。それは、現在のハスターが名乗る仮の名前。だが本当は、脳裏に刻まれた、何よりも愛おしかった記憶の奥底——良き羊飼いの青年の、真実の名。
そして今、それは悍ましいほどの愛憎に歪んだ獣の笑みを浮かべている。
「やっと、逢えたねぇ……サチア♡」
アンブローズ=ビアス。今はそう名乗る、深淵を見返すものの最高幹部。
蒸気の渦が、二人の再会を嘲笑うように、ゆっくりと回り続ける。
失われた愛の悲劇が、これから起こる陵辱の序曲であることを、覚悟させてくる。
霧のヴェールに包まれた地下の牢獄は、蒸気の渦が甘く重く肌を撫でる、禁断の聖域のようだった。
霊子の青い残光が、鎖の冷たい輝きを妖しく照らし、湿った空気が肺に絡みつく。
「……っ、ありえねえ!」
吠えるように、ハスターは女性の声で叫んだ。
喉から迸る高く柔らかな響きが、牢獄の壁に反響する。
気押されて、アンブローズは一歩下がるが、すぐにその狂気の瞳を輝かせ、軽薄に親指を立てる。
「おっと、いきなり激しいね? いやしかし、ここまで男まさりなサチアも新鮮で、イイねっ!」
ハスターにとって、それは傾きかけた自身を、現実の岸辺に引き戻すための咆哮だった。
息が荒く、胸の豊かな膨らみが上下に揺れ、金髪が汗に濡れて頰に張りつく。
「っはぁっ、はぁっはぁっ……お前、ハイタなのか? 魂の形が完全に同じだ、それは……っくそ、間違いねえ! クローンでもコピーでもない!」
認めたくないのに、神としての感覚が、否応なく現実を突きつけてくる。
無力な女の体で、鎖が肌を食い込み、甘い痛みが体を駆け巡る。
ハスターはもはや、駄々をこねる乙女でしかなかった。
「うれしいね、覚えててくれたんだぁ」
へらへらと笑いながら、アンブローズはかつての恋人に拍手する。
深緑の瞳が、獣の飢えを宿し、ハスターの裸体を舐め回すように見つめる。
「だが、何で! 何で生きてる! 何で、そこにいる!? なんでっ……なんで、お前……深淵を見返すもの、なんかに……っ」
ハスターの声は、だんだん力強さを失い、泣きそうな柔らかな響きに変わっていく。
涙の予感が瞳ににじみ、唇が震える。
反して、アンブローズの口角はどんどん上がり、股間の熱が屹立し、欲望の脈動が空気を震わせる。
「誰だって、20万年……いやそれどころか、宇宙(ログ)を3周も生きてりゃ宗旨替えもするさサチア。
まぁ? その間も僕は? 君一筋だったけどね? まぁ大統領とか代用品はオカズにはしたけど、ぶち込んではいないからノーカンだよね?あは」
不気味に嗤うアンブローズをキッと見上げるハスターの瞳に、敵意の炎が宿る。
その視線が、彼の興奮を煽り、股間の膨張をさらに激しくする。
「まぁ、強いていうなら……サチアへの復讐かな?」
「……っ!!」
ズキン、とハスターの心臓を穿つような罪悪感が、胸の奥で疼く。
駆逐戦争の記憶が蘇る——必死に新法則に砕かれながら戦った日々、羊飼いたちの怯えの視線を前にした決断。
邪神の本体が、サチアの仮の肉体を持ち上げ、牙で貫き、飛び散る血飛沫の温かさ……
「ぅあ……あれは……お前達を、守るために……だから、だから俺はぁっ……っあ、ああっ」
震え、泣き出しそうな声で、許しを乞うように項垂れるハスターに、アンブローズはカツカツと近寄る。
蒸気の霧が二人の体を優しく包み、肌の熱を増幅させる。前髪を掴み、乱暴に持ち上げる。
「っひ」
痛みが甘く閃き、ハスターの体が震える。
「おいおいおいサチアサチアサチア、この瞬間を僕がどれだけ待ってたと思う? ついに君と結ばれるんだぁ……そんな過程なんてどうでもイイんだよぉ」
乱暴に、アンブローズはハスターのボディの乳を揉みしだく。柔らかな肉が指に沈み、温かな弾力が手のひらを満たす。
「あっ!……ぐっ、やめ……んぁっ」
目を瞑り、涙を堪え耐えるハスターの頰に、熱い雫が伝う。
肌が火照り、鎖の冷たさが対比的に甘い刺激を与える。
「はぁはぁ、懐かしいね、ハイパーボレアの塔の上で、こうして愛を交わしたろう?」
「っあ!!」
彼の言葉に、ハスターの脳裏に容赦なく、太古の記憶がフラッシュバックする。儀式的な交わりでも、獣の後尾でもない、純粋な愛の交わり……神として未知だった衝撃を味わい、神として永遠を誓ってしまいたいという軽率。
それを呼び起こした日々の甘美な記憶が、体を内側から溶かす。胸の頂が硬く尖り、息が熱く乱れる。
「ぁ、ぁあっ! やめろ! 俺は! あの時のサチアじゃないんだ!っや、あっ」
アンブローズの手が、湿ったハスターの股に伸びる。
邪神が悲鳴じみた声を上げ、鎖が鳴る。体が弓なりに反り、肌の隅々まで官能の波が広がる。
「あはぁはあ!! わかってるさぁ! だから犯すんだよぉ……!! そのためにここに居る、理解したかぁい!? あっひゃひゃひゃはは!!」
ハスターの喘ぎ声と、アンブローズの哄笑が混じり合い、蒸気の渦の中で渦巻いた。
アンブローズは、乱暴にハスターの口に指を突っ込み、その舌を掴む。
「え゛っ……っぐっ」
「サチアぁ、愛のある行為はしたが……愛のない行為は初めてだったよねぇぇ?」
ジ、ジ、ジ、とファスナーの降る音がして、嫌な予感にハスターの目が見開かれる。
その邪悪な欲望が、涎を垂らす機械の体を貫いた、その瞬間が邪神の脳髄を白く染め上げた。
「あ、あ゛っ、あああああああああっ!!!」
汚された邪神の悲鳴が、牢獄の石畳を激しく揺らした。
深淵に潜む地下施設——霧に煙る牢獄の上階で、蒸気の渦が甘く重く空気を淀ませ、軍服を脱ぎ捨てた辰宮セツコは、白い肌を晒して立っていた。
月の落下を予感させる末法の夜に、彼女の細い体躯が復讐の炎に震え、下階から響くハスターの悲痛な喘ぎ声にため息が漏れる。
「なんて、悍ましき人の業……でも、これさえあれば」
目の前の偏向板モニターに、陵辱されたハスターの神核から抽出された『魂のぶれ』が、冷たい数値として計測される——それは、ハスターがライラの魂を啄む行為と同じ理論、同じ理屈。
超高次元のエネルギー情報量が、人間のそれを遥かに上回り、画面の針が狂ったように振れ、深淵の渦を思わせる波形を描く。
ハイパーボレアの失われた遺産が、ウィアードエイジの技術に溶け込み、神の苦痛を力に変える冒涜的な光景——セツコの瞳に、漆黒の復讐の炎が宿る。
肉ムカデの吐く最終儀式用の外套に着替え、彼女の白い肌が、蠕動するような布地に包まれる——紅い鉢巻を頭に巻き、複雑な掌印を刻み、この高出力に耐えうる術式を構築する。
最終的に右人差し指を天に突き、それをもう片手で強く補強するように握り込む——指が震え、龍脈の脈動が彼女の体を駆け巡り、帝都の地下から這い上がる怨念の塊が、息を潜めて応じる。
真言による詠唱を開始する——声が、深淵の底から響くように、低く、力強く。
「オンシロダビジャエイソワカ……天の龍よ、来たれぇっ!! 護法童子ぃぃぃぃぃぃぃいいいいっ!!」
咆哮が、漆黒色をした復讐の炎を全て込め、施設を揺るがす。
モニターの数値が最高潮に達し、地響きがガクガクと震えるセツコの握る両手に呼応するように巻き起こる。
セツコは震える手を、まるで巨岩を持ち上げるように天に突き上げ、その身に宿す魔力とハスターから得た神力をこの一点に集中させた
帝都の灰色の空が、深淵の渦を巻き、捩れ、赤く光る竜の体がガキボコと金属を叩くような音と共に圧壊させていく。
大阪、道頓堀のネオンが川面に乱反射する歓楽の渦中——末法の夜に月の落下を予感させる祭りの喧騒が、突如として中断するほどの地響きが鳴り響いた。
灰色の空が低く垂れ下がり、提灯の赤い光が震え、かに道楽の巨大な蟹が蠢くように揺らぐ中、屋台の油の香りと甘酒の甘い匂いが、絶望の霧に溶け込む。
獅子舞の太鼓が止まり、人々の笑い声が凍りつく——日本という墓標の底、深淵から這い上がるようなガクガクとした振動が、大地を蝕む。
ウィルバーと祭りを回っていたヒルコが、突如として倒れ込む。
オレンジの狩衣が地面に崩れ、白い長髪が月の光を浴びて銀色に瞬く中、彼女の体が、老いた神の疲弊を露わにする。
「ヒルコさん!」
ウィルバーが駆け寄る——異形の血を引く少年の瞳に、驚愕の影が宿る。
ヒルコの息は荒く弱々しく、赤い隈取りの顔が、痛みに歪む。掴んだ左腕が、水分を失った粘土細工のように、ぼごりと崩れ去る——細かな亀裂が広がり、土くれのように落ち、霊子の淡い光がその欠片を妖しく照らす。
人の因果が神たる彼女の体を蝕むかのように、老神の終末を予感させる。
悲鳴混じりに、ヒルコが譫言のように呟く。
「あ゛うっっぐ……来る、触手一本持っていくやとぉ? はは、帝都の若いもん……僕をつこうて……いや、これはハスターの神気もか? 邪神を捏ね合わせて……『なに』を造る気や?」
道頓堀のネオンがその言葉を映し、たこ焼きの熱気が二人の周りを包む中、深淵の神話が、末法の渦をさらに深く巻き込むのだった。
月からの光がその形を大きく歪め、セツコの周囲に立ち並んだ複数の影の鬼が月から伸びる影の鎖を重く引き摺り込む。
そしてその鎖の中心から機械的な小さい金属球が紅い竜の肉体を喰らうように現れ、金属をこするような咆哮を挙げる。
邪神達の苦痛を以て月を引き摺り込もうと、新しき邪悪な神が降誕した。
帝都東京の赤い光と影の鎖に染まる夜道——ライラの乗る4型ビヤーキーが、亜音速の風を切り裂いて駆け抜ける。
金髪の教授の瞳に、復讐の炎が宿り、深緑の眼光が夜の霧を貫く——後ろには、ウィリアナの銀瞳が静かに輝き、巫女服に白い鉢巻を巻いたケイコが、背に薙刀と大弓を携え、白馬の記された絵馬がいくつも飾られた神々しい神気を纏う。
ビヤーキーから跳んだケイコの着地点に、白馬が幻のように召喚され、その背に彼女を乗せ、亜音速の獣に並走する——白馬の鬣が風に靡き、帝都の灰色の空に神話の残滓を残す。
「ケイコさん!」
ライラの声が、夜風に乗り、ケイコが鋭く返す。
「私はセツコとの因縁を断ちます、あなたはあなたの復讐へ赴きなさい! 御健闘を!」
そう言ってケイコは道を逸れ、帝都の闇へ溶け込む——白馬の蹄が大地を叩き、復讐の糸が別々の渦を巻き始める。
「……っ、ありがとうっ……お願い、ウィリアナ!」
「承知、やってみまする!」
ウィリアナの銀瞳が、ライラを照らす——時空の可能性のみならず、ウィルバーのような異次元に潜む異体をも映し、顕現や退去を自在にする力。
「……っ!っぎ、あっ!!」
それはライラの体を一瞬縛り、その身の内に宿すもう一つの姿を、仕様外の形で映し出した。
先の内側より溢れ出すような快楽を伴う変身とは違う——体の外側から焼け付くような強すぎる快楽を浴びせられるような、そんな痛みにライラの瞳が揺れる。皮膚が熱く焦げ、肉体が内側から引き裂かれるような官能が、波のように襲い、理性の瀬戸際で彼女を震わせる——甘い疼きが下腹部に広がり、息が熱く乱れ、しかし探索者の意志が、それを鋼の枷で抑え込む。
「あ゛っ……がっg、ぐ…あ゛あっあ……」
「きょ、教授殿、やっぱりやめた方が……」
悲鳴とともに操縦する腕が震えるライラが、周囲に無数のビヤーキーを召喚しながら、止めようとするウィリアナに吠えるようにいう。
「い゛いっから……つづけろぉっ!!」
「は、はいっ!!」
そして、焼け焦げるような匂いと共に無理やり変身した深淵の女王は、いつかの黄色と違い、黒く焦げたようなドレスアーマーを豊満になった肉体に纏う——半分は笑い、もう半分は苦痛に歪んだような顔で、深緑と真紅に染まった眼光を揺らし、ビヤーキーを加速させた。
理性の糸が細く張り、快楽の波が体を蝕む中、彼女はハスターの元へ、魂の叫びを込めて駆ける——上空高く跳んだのちに、重力の加速度を加えて、コンクリートで舗装された大地、感覚で引き合うハスターの元へ。
「きょ、教授殿おおぉぉぅう!?」
悲鳴じみたウィリアナの叫びと共に地面に激突する、その直前にビヤーキーの群れが深淵の女王の腕に寄り添い同化していき、巨大な採掘機のような針を展開しながら、大地を穿ったーー!
牢獄の底で、黄色い霊子の霧の渦が甘く重く肌を撫でる中、ハスターの魂はもう、ボロボロになっていた。
あの旧支配者の一柱、黄衣の王たる存在が、機械の殻に閉じ込められたサチアの姿で、幾度となくアンブローズの欲望を受け入れ、その魂を幾度となく汚され、身体中に白い汚濁を塗りつけられていた。
金髪が汗と穢れに濡れ、揺れる胸に張り付き、唇から漏れる喘ぎは、絶望の調べのように低く響く。
「あ゛うっ……はぁっ……ぅ、あ……」
その瞳は、それでも汚された事実よりも、過去への懺悔とアンブローズへの罪悪から深い絶望に染められていた。
ハイパーボレアの失われた大陸の風が、魂を吹き抜け、羊飼いの青年の笑顔が、獣の牙に変わった記憶が、胸を締めつける。
「も……ゆるし……ハイ……タ……」
「おいおいおい、これからだろうサチアぁ?……ほら、外を見なよ。もうすぐ僕とサチア以外みぃんな居なくなる。そこで僕らは新しいハイパーボレアを……」
そう言ってアンブローズが壁に仕込んだ偏光板モニターを起動した時だった。表示されたのは、画面いっぱいの採掘機——帝都の灰色の空を切り裂く、巨大な針の影。
「あ、やべ」
アンブローズが真顔で言った瞬間、凄まじい衝撃に地下室全体が揺れ、アンブローズの体がハスターから離れ、欲望が引き抜かれる。
ビクンと弓なりに震えながら、ハスターは戸惑う——機械の殻が、穢れの余韻に震え、甘い痛みが体を駆け巡る。
「んあっ!? な、何が……」
言い終わる前に、瓦礫の崩落と共に飛び出した黒い影が、ハスターを拘束する鎖を悉く針で引きちぎり、金属の火花を散らしながら、黒き深淵の女王ライラが、ハスターの女体をお姫様抱っこした状態で着地し、スライディングしながら静止する。
丸まったウィリアナがその元にころころと転がってきて壁にぶつかり、「に゛ゅえっ」と小さく奇妙な声を上げ目を回している。
「はっ……!? え、なぁっ!?」
ハスターは動揺と羞恥で真っ赤になりながら、汚された全身の中でとりあえず胸を隠す。
機械の殻が、穢れの白濁に塗れ、太古の愛の残滓が、現在の羞恥に溶け込む。
「あ? ハスターなの?」
引き合う魂の感覚で反射的に助けた相手の姿に、ライラも困惑する。
痛々しく黒く焦げたドレスアーマーを纏った豊満な肉体が、理性の瀬戸際で震え、深緑と真紅の眼光が揺らぐ。
「お、おう俺だよ悪いかよ!?」
そう返したハスターに、ライラは怪訝な顔をするがその身体中に塗りたくられた汚れに目を細め、怒りに理性を燃やす。
そして深淵の女王は吹き飛ばされた宿敵に目を向ける。
「悪いわね、自称ご先祖様……この囚われのお姫様は、返してもらうわ!
ラーマヤナの英雄じゃないんで、多少汚されててもこいつは私の物。私の馬鹿邪神だから!」
瓦礫を押し返しながら、ぬるりと立ち上がるアンブローズは、両腰から異形の銃を引き抜きながらボソボソと呟き、それはやがて獣じみた咆哮へと変わっていく。
「オイオイオイなんだよそれ何だよソレ格好いいなぁ分かってるなぁ主役じゃんオイ
惚れっちまうだろうがああああああ!!」
両手の銃をライラに構え、アンブローズの狂気は、ハスターを奪われた怒りと共に爆発した——帝都に渦巻く鬼どもの狂気が、降臨した深淵に牙を剥く。
再戦の時、来たれり。
それはほぼ同時だった。
ライラのロード・ビヤーキーから射出された針、鋭利な触手のようなそれは、虚空を裂いてアンブローズの心臓を狙った。
一方、アンブローズの次元銃が、歪んだ空間を吐き出すように咆哮を上げた。
針と銃弾が空中で激突し、針が負けて抉れる。
弾道がわずかに逸れ、ライラの頬を切り裂く。
鮮血が飛び散り、彼女の肌に熱い線を引いたが、痛みなど感じない。
変身の官能が、そんな些細なものを快楽に塗り替えてしまうのだ。
「くっ……!」
ライラはハスターを優しく地面に置き、即座に高速移動へ移った。
ビヤーキーの翼が風を切り裂き、アンブローズの射線を定めさせない。彼女の脚が鞭のようにしなり、アンブローズの膝を横から蹴折る。
骨の砕ける音が響き、アンブローズは「お、おりょ?」と、まるで膝カックンを食らった子供のような気軽さでつぶやいた。
だが、ライラは止まらない。続いて脳天へ肘を叩き込み、地面にめり込むほどの衝撃を与える。
アンブローズの頭蓋が凹み、血と脳漿が飛び散るはずだった——が、奴は再生する。
ボロボロのコートを脱ぎ落とし、アンブローズはゆっくりと立ち上がった。
凹んだ頭から金髪を梳かし直し、妖しい色眼鏡が地下の薄明かりを反射して光る。
高山帽の下で、その姿は不気味に浮かび上がった。
「だから言ってんじゃん、はしたないよ足技。まぁそんな状態のキミに言ってもしょうが無いだろうけどさぁ」
彼の声は、いつもの哲学めいた嘲笑を帯びていたが、どこか歪んでいる。
未知の何かが、声の奥底で蠢いている。
「存在そのものが悍ましいアンタに言われたく無いのよ、不死人」
ライラが皮肉を返すと、アンブローズは突然、頭を抱えて哄笑した。
アヒャヒャヒャヒャ——それは人間の笑いではなかった。
獣の咆哮と機械の軋みを混ぜたような、深淵から這い上がる音。
色眼鏡が妖しく輝き、奴の体が震え始める。
「不死、不死かあ、その程度じゃあまだ僕を評するには足りないなあっぁぁぁああっ!」
言いながら、アンブローズは喘ぐような叫びを上げ、上半身の服を引きちぎった。
その瞬間、地下の空気が凍りついた。両腕には猛獣のような金毛が生えそろい、頭からは紫に光る金属質のツノが突き出る。
紅いラインが腕に浮かび上がり、まるで回路のように脈打つ。
地面に膝をついていたハスターは、ゾクリとした悪寒を覚えた。
ただの変異ではない。邪神としての眷属で幾度も見た、あり触れた異形の類ではない。これは違う——あまりにも洗練された、機能美を備えた獣への変貌。
『何か』を起こすための、圧倒的な未知の設計図。ハスターの声が震える。
「は、ハイタ……お前、何に成れ果ててしまったんだ!」
あっは! アンブローズの獣のような笑みが破裂し、牙が覗く。
「魔法すら存在しない『異界』の技術の果ての果て、科学のみで魔法に至った滅びし文明の遺したバーカな呪い。僕はこれを『人造魔法・魔神兵器』と呼んでるぅ……そうさ!」
じゅりゅり、という空間ごと地を這うような違和感が、周囲を包んだ。
それは急にライラの眼前に現れた——奴の体から放出された、異次元の金属のような粒子が、虚空で集まり、未知の技術を有した銃器として顕現する。
銃身は有機的に蠢き、銃口は次元を歪めて光る。
未知の、不気味な恐怖ーーそれは、科学が神に追いついた禁忌の産物。
奴の変貌は鏡のように映る、深淵の女王と、不死の魔神、人から歪み変じた新しき神として。
「初の試みだったんだろう?どう成り果てるかわかんなかったんだろう?ライラ=シュルズベリイ。ハスター。
これはねぇ……君たちのあり方と、非常に近いもの……鏡合わせの新しき神さあ!!」
驚愕するライラの頬に刻まれた傷が、ジュウと音を立てて急速に治癒される。
顕現した銃器が、一斉にライラ、ウィリアナ、ハスターに向けられる。
発射の音は、宇宙の裂け目のような轟音、弾丸は次元を飛び越え、未知の悍ましき軌道で迫る。
復讐の渦は頂点を極めようとしていた。ライラの黒きドレスアーマーが、焼けつく官能の疼きを抑えきれず、理性の瀬戸際で震えていた。
一瞬、フーンの唸りが……それはハスターの力の残滓か、その身に取り込んだビヤーキーの咆哮か、ライラの身体中に暴力的な快楽と力を巡らせた。
彼女の感覚を現実より加速し、蛇のように迫り来る無数の弾丸を可視化する。
あの異界の銃器から吐き出された、未知の軌道を描く弾丸の群れが、虚空を裂いて迫るさまを、ライラの瞳はスローモーションのように捉えた。
その隙間を縫うように、ライラはハスターとウィリアナを抱えて大きくアンブローズから後退した。
ビヤーキーの翼が風を切り裂き、地下の石畳を蹴り上げる。
「どあああっ!?」「ひえぇっ!」
加速が終わり、遅れたハスターとウィリアナの悲鳴と共に誰もいない空間を砕き、穿ち、大量のクレーターをつくる銃弾の雨音が、アンブローズの哄笑と混ざって派手に響く。
「きゃあは、は、は、ははははは!!」
あの狂った笑いが、地下の壁に反響し、深淵のエコーとなってライラの背中を追う。
彼らを救い出した後、遅れて快楽の波がライラの精神を焼き、痙攣と共にライラの瞳が紅と深緑で明滅した。
「かぁっ!あ!っく……なら、私はソレでも!」
ライラの様子に、ハスターが制止をかける。
「……!ライラ、待て!」
ハスターの声は、汚された体を抱えながらも、切実な響きを帯びていた。
だが、それを聞かず、ライラは跳躍した。
腕のパイルバンカーを構え、神殺しの針が輝く。
「お前という、紛い物の神を撃ち倒さなければ、ならないっ!!」
「あ゛ぁ、そうさ……これは2009年事件と同じ、新しき神同士、どちらの願いと物語が生き残るかの競争さあ!!」
アンブローズが異界の金属を腕に纏い、ライラの足技をその腕に受けながら獣のように嗤う。
金毛の腕が衝撃を吸収し、ツノが紫に輝き、紅いラインが脈打つ。
あの機能美の獣は、科学の果てに生まれた呪いとして、ライラの攻撃を嘲笑うように受け止める。
一方、ライラの突入の余波によって一部崩落した上階の儀式場では、倒れたセツコが意識を取り戻す。
「う、うぅっ……はは、ははぁ、あっ」
その体に満ちる膨大な怨念の力が、無数の赤子の手のように身体中を、儀式服の内側を悍ましく這い回る感触に恍惚とした笑みを浮かべる。
怨念の触手が肌を撫で、魂を掻きむしるような甘い痛みが、セツコの神経を火のように灼く。
あの悍ましい感触は、セツコの絶望と蝦夷の怨念が混じり合ったもの——彼女の体を傀儡として操る、深淵の糸。
「は、は、は、あっはっはっはっは!」
振り乱れた髪を掻き上げながら、両腕を天に掲げて勝利を確信した笑みを浮かべる。
狂気の瞳が輝き、唇が歪む。
「勝った!勝ったんだ私は!加藤お父様にも、将門にも!あっはぁっ」
儀式場の崩れた天井から差し込む灰色の光が、彼女の儀式姿を血のように染め、勝利の宣言を深淵の嘲笑に変える。
「いいえ。」
確りと、凛とした声が、狂気の笑みを掻き消した。
セツコは白けた顔で、真っ黒な瞳を地上へ通じる階段へ向ける。
そこに立つのはケイコ——巫女服の上から立ち上る白の神気が、薙刀に宿り振るう刃の残光となる。
彼女の影は漆黒に染まり、怨念の渦を切り裂くように伸びる。
「まだ、あなたは誰にも勝てていない。それどころか、戦ってすらいない。貴女はただ、怨念と鬼に突き動かされる傀儡……今、その糸を断ち切ります。セツコ!」
ケイコの影から立ち上る、漆黒の魂が軍服の形を取り、共に立つ幻影と成る。
あの影は、ケイコの過去の因縁——ユカリの記憶と加藤の怨霊が絡みつく、菩薩と共にある鬼神の力。
セツコの憎しみの炎が、膨れ上がる。
「メカタ、ケイコ……お前は、どこまで私を苛立たせるっ!護法!」
セツコの吠える呼びかけに、上空の金属球が目に見えぬ速さで大地を突き破り、天井を突き抜けてセツコとケイコの間に降り立つ。
その純銀のような金属の光沢に、怒れる鬼のような顔が浮かび上がる。
護法童子——セツコの持てる限りの殺意の具現を、邪神の苦痛を混ぜ合わせた新しき神が受け取った姿。
鬼の顔が歪み、無数の目がケイコを睨む。
「消えてなくなれ、将門の巫女!」
護法の咆哮が儀式場を震わせ、金属の体が突進する。
「鬼神、調伏します!」
瞬時、射出された護法童子の突貫をケイコは薙刀で受け流す。
しかし薙刀は無惨にもその途中で鋭利な切断面を残して刃を切り落とされる。
護法の鬼の顔が縦に裂けて、その内側から無数の銛が伸び、チェーンソーのように高速回転しながら浮かび上がる。
あの悍ましい機構は、理屈を通り越してケイコだけに向けられる恨みの形。
回転する銛が空気を切り裂き、血の臭いを予感させる。
ケイコの影の幻影が揺らぎ、魔人の顕現を予感させる。
調伏の白光が護法の金属体を照らす中、儀式場の闇を光と影が複雑化した太極図のように飲み込んでいく。
灰色の霧が帝都の儀式場を這い、末法の予感を血のように染め上げる。
護法の突貫を、薙刀だった棒でいなし、ケイコは棒から大弓に持ち替え、光の矢を番えて放つ。
白の神気が矢に宿り、虚空を裂いて護法の金属体を貫く。
間髪おかず、一回転し戻ってきた護法を絵馬の神気で弾き返す。
白光が爆発し、護法の鬼の顔が歪む。
「小癪っ!」
セツコの指が鳴り、その儀式服の内側にて白い肌を愛撫する怨念が、大地に染み出すように溢れケイコの足元を縫い止める。
「……っ!これがっ、蝦夷の怨念!?っあ」
影から触手が這い上がり、一瞬にして巫女服の内側からケイコの全身を這い回り、血管のようにその身を張り巡らせてその見た目に合わない怪力によって拘束する。
巫女服がはだけ、露わになった乳房を影が形を変えて形成した大口が噛みつき、しゃぶり、泡のように浮かんだ目が歪んだ喜悦に笑みを浮かべる。
あの悍ましい触手は、怨念の具現——ケイコの肌を汚し、魂を貪るように蠢く。
「くぅ、ぅっ!」
踠くケイコの前に、ゆっくりと降りてきた護法が、銛の刃をギイイイイと鳴らしながら徐々にケイコへと近づいてくる。
回転する銛が空気を切り裂き、死の予感を撒き散らす。
「はぁ、はぁぁ!お前も、私のように怨念に飲まれてしまえ、殺しただけじゃ済まさない……その魂を、永遠に蝦夷の慰み者にしてやる!!」
セツコの殺意が頂点に達し、銛の刃が肌を裂く予感にケイコが覚悟するように瞳を閉じた……その時だった。
「ドーマン・セーマン」
低い、男の声が響く。
瞬間、護法とケイコの間に、青白く輝く五芒星が強く瞬いて護法を弾き飛ばし、セツコの背後の岸壁へと突き刺した。
金属の体が壁にめり込み、鬼の顔が砕け散るような音が響く。
「……な、にぃ?」
セツコは、漆黒に燃え盛る瞳の炎を揺らがせ、引き攣った顔をする。
勝利の確信が、初めての恐怖に変わる。
「愚か也、仮初の娘よ……」
ケイコの影から、一枚の札が放たれて陰に触れた途端、その怨念を依代としてそれは人の形を成していく。
黒く染まった軍服外套、青白い肌、細く鋭い印象を持った体躯に、五芒星を手の甲に刻む白手袋。
「我が本懐は、破滅に在らず……帝都の滅びは、我の物也」
白刃を抜き、セツコに向ける、鬼神。
その出現は、儀式場の空気を一変させた。加藤の存在は、全てを凌駕する圧倒的な悪——仮初の怨念や護法の金属体など、玩具のように矮小化する闇の化身。
青白い肌から立ち上る魔気の渦が、セツコの殺意を嘲笑うように飲み込み、ケイコの拘束を一瞬で解き放つ。
白刃が光り、帝都の滅びを約束するかのようにセツコを睨む。
ケイコの陰に封じられていた最強最悪の陰陽師……魔人、加藤保憲が、ケイコを守るようにその場へと降臨した。
守護する悪の降臨が、彼を封じていたケイコの魂に安堵の光を灯し、復讐の連鎖に新たな闇の均衡をもたらした。
「……っ、何故!何故あなたが、『そこ』に居る!」
セツコが絶望の叫びを上げる。
彼女が怨念に犯される自身を支えるために、信じていたものが瓦解する。
復讐の炎が揺らぎ、加藤とケイコの並び立つ姿が、共に向けられた自身への敵意が、セツコの正気を削り取る。
泣きそうな顔をしながら、胸の前で腕を強く組む。
あの軍服の少女の瞳に、狂気の渦が渦巻き、唇が震える。
ボゴっと壁にめり込んだ護法童子が四つに裂けて分離し、液体金属のように複数の独鈷と化して浮かぶ。
銀の光沢が怨念の炎を反射し、空中で回転しながら殺意を蓄え、セツコは絶叫する。
「このっ……裏切り者がぁあーーー!!」
セツコの殺意が独鈷の推進力となって加藤に迫るが、彼は獣のような笑顔を浮かべ、一言発する。
「笑止」
またドーマンセーマンの五芒星に弾かれる。
しかし独鈷はただ弾かれるだけではなく、より殺意の高い形状となって五芒星を一本が貫き、残り3本が守りを砕いて殺到する。
加藤の白刃がその殺意を受け止め、受け流し、セツコに迫る。あの白刃は魔人の業火を宿し、虚空を切り裂くように閃く。
「殺すな!」
ケイコの叫びを聞くまでもなく、加藤は彼女の足元、蝦夷の怨念と彼女を繋ぐ触手を断ち切る。
触手が斬り落とされ、黒い血のような怨念が噴出する。
加藤は振り返り、ケイコを叱責するように言う。
「貴様も何をやっている!貴様は何だ、面影の巫女!」
ケイコはその言葉にハッとして、その身を未だしゃぶる影の触手を見下ろす。
そして、恨みの塊であるそれを慈しむ視線をむけ、動くようになった腕でそれを撫でる。
影の目は怯えに震え、ぶるぶると震えると、淡く光るオレンジ色の温かい光に変わり、赤子のような純粋な笑顔を浮かべて大気に溶けていく。
それは……観音力の極致、菩薩の抱擁のように身を犯す影たちが淡い光に消えていく。
あの光は、儀式場の闇を優しく照らし、怨念の呻きを静かに鎮める。
「あぁ、それでこそ……俺の女よ」
加藤自身も、その身を淡い光に変えられていく。
交差する視線に、加藤事件の因縁が混じり合い、それを赦すケイコの微笑みが加藤の凍った心を癒す。
「決着は、いずれ」
「その時こそ、俺はこの手で帝都を滅ぼすのだ」
そう言い交わすと、淡い光となった加藤だけが、ケイコの影の中に戻り、安寧とした眠りにつくのだった。
儀式場の空気が穏やかになり、復讐の渦が一時、静かな余韻を残す。
灰色の霧が帝都の地下を這い、末法の予感を血のように染め上げる中、復讐の渦は頂点を極めようとしていた。
ライラのパイルバンカーと、アンブローズの異次元金属の腕が、共に異界の力を拮抗させながら、地下の闇を震わせる。
あの機能美の獣は、科学の果てに生まれた呪いが、ライラの神殺しの針を押し返し、火花を散らす。
「あ、月が止まっちゃったあ……あーぁやっぱり仕事と趣味っつーか恋愛を両立すんのは難しいねーぇ」
アンブローズは、イタズラを止められた子供のようなため息をついた。
色眼鏡の奥で、狂気の瞳が遊び心を覗かせる。
「仕方ねっか!」
と、ライラを弾き、片手を掲げる。
ボゴっと、崩落した階段の瓦礫を突き破り、四本の独鈷——護法童子がまるで本来の主人であるかのようにアンブローズの周囲を四つの液体金属となって旋回する。
銀の光沢が紅いラインを反射し、空中で渦を巻く。
あの金属の鬼は、セツコの怨念を吸い込み、新しき神の玩具として蘇る。
アンブローズの瞳が紅光をカチチカチチチカチカと高速で明滅し、異次元の知識をダウンロードする。
虚空から引き出されたデータが、奴の脳を火のように灼く。
「えーーっと、こうか」
アンブローズがセツコのように複雑な掌印を組むと、その術式の権限がセツコからアンブローズへと移譲される。
護法の旋回が加速し、地下の空気を切り裂く。
「は、は、はぁ!面白いねぇ、楽しいねえ!」
アンブローズの哄笑が、深淵のエコーとなって響く。
奴の獣のような笑みが、ツノを紫に輝かせる。
「お前……セツコをやっぱり、利用してやがったなぁ……!?」
恨みがましく、白濁が乾いて不快な粘り気がする身体を持ち上げながらハスターが言う。
汚された体が震え、憎しみの炎が瞳に灯る。
アンブローズは悪戯がバレた子供のようにウインクしてテヘッと舌を出しながら、指を鳴らす。
「そりゃあ、バックドアくらい作っとくでしょ?
ま、僕ら深淵を見返すものとしては、こっちがメインシナリオなんだよねぇ」
同時、長屋で、オトヒメが突如お腹を抑えて蹲った。
「うぐっ、う゛、うううぅっ!?」
青黒いツインテールの少女の顔が、痛みに歪む。
セツコが、オトヒメに呑ませた卵ーー蠱毒、腹中蟲。その孵化の鼓動が、オトヒメの神経を通してその神格へのアクセスを試みる。
あの質素な部屋の湯気が、突然の異変に凍りつくように止まる。
崩壊の影が、守られるべき少女に迫る。
アンブローズの哄笑が、深淵の底から湧き上がるように響く。
「アッハッハッハ、クトゥルフは死にかけてる、オトヒメを操って新しいクトゥルフの降誕を早めれば、前のクトゥルフは逆説的に崩壊する。いやあわれながら見事な仕掛けだ、さすが僕、しごでき!うんっ!」
機能美の獣は、金毛の腕を振り回し、ツノを紫に輝かせながら、愉快そうに笑う。
色眼鏡の奥で、狂気の瞳が遊び心を覗かせる。
ライラは疲弊した身体を引きずりながら、問う。
「それで、どうするって言うんだ……お前らの目的は、邪神の殺害なんだろう?前のクトゥルフを殺して、それで満足なのか」
黒きドレスアーマーが、焼けつく官能の疼きを抑えきれず、彼女の瞳を紅く染める。
アンブローズは心底愉快そうに、唇を歪めながらネタバラシのように返す。
「あぁそれ、アルヴィン=トードみたいなうちの組織の中級魔術師までに広めてる実働部隊向けの『ブラフ』ぅ〜、その方が彼ら命懸けで動いてくれるからね。
『僕ら』の目的は別にあるんだよねぇ?」
煽るようなその言葉に、ライラの理性は沸騰し、拳が強く握りしめられる。
「お前らは……っ、お前ら!どこまで運命を弄べば、気が済むんだっ!!」
ライラの理性が、完全に崩壊して瞳が赤く染まる。
しかし溢れたのは快楽でなく、完全な殺意だ。変身の代償が、魂を蝕む炎のように彼女を駆り立てる。
アンブローズは跳び上がりながら早口で捲し立てる。
「僕らは僕らの『物語』をつくる、全ての因果全ての運命全ての神全て全て全てクソ喰らえだっ!また会おう、愛しのハスター!そして可愛い可愛い僕の子孫ライラちゃん!今度は二人とも、愛してあ・げ・る♡んちゅ」
投げキスを残し、歪む空間に飲まれるように消えていくアンブローズ。
あの異次元の渦が、虚空を裂き、奴の哄笑を残響として残す。
「アンブローズぅぅぅあああ!!」
ライラは怒りのままにその歪みへ特攻する。
「ライラよせ!」
ハスターが柔らかい女体で覆い被さるように、ライラを全力で止める。
「ああっ!がああっ!止めるな、邪神があっ!あ、あああああっ」
ハスターを振り解こうとしたところで、限界が来た。ライラのドレスアーマーが、肌に溶けるようにその身を潜めていく。
無理な変身が、その代償のように焼けるような快楽でライラの脳髄を焼く。
ビクビクと痙攣しながら、その場に膝をついた。
涙がこぼれ落ちる。全ての元凶に、仇に、やっと会えたのに、取り逃した悔しさに。
だが、冷静さが元ってきたライラは、自らを抱く女体のハスターにその手を添えて感謝する。
「くそぅ……すまないっ、はすたー……私は、わたしはぁっ」
「大丈夫だから……ありがとう、助けに来てくれて……お前が無事で、良かった」
まるで逆転したような構図で、裸で泣きじゃくるライラを、同じく裸のハスターが抱きしめ癒す。
歪な絆が、地下の闇を優しく照らす。
そんな光景を眺めるウィリアナのポケットから、声が響く。
「ライラ、ライラ教授!助けて!」
それは、いつかハヤマの使いとして送られた紙人形だった。
そこから、ハヤマの必死な声が聞こえる。
「オトヒメを、オトヒメを助けて!このままじゃあ、オトヒメが死んじゃう!誰か、誰かぁっ!!」
それは、普段の嘲笑的な毒のある美少年のそれではない。
必死な、守るべきものの死を前にした少年の救いを求める叫びだった。
深淵の渦が、新たな悲劇を呼び込み、帝都の灰色の空をさらに暗く染め上げる。