“女難の対魔忍”暗躍譚 ―対魔忍RPGX HAERESIS― 作:holdics
「あ~あ、酔ってもないのにまたやっちゃったよ……お姉ちゃんになんて言おう……」
「ヤッた事は報告しなくてもいいんじゃないですか? 他に実害が出たわけでもないし」
「…………そうだね。とりあえず黙っとこう、うん。あ、後桐生はシメる。ていうか潰す」
「ですね……。紫先生にも話すとして、触手はどうしましょう? 処刑する前に戻させます?」
「う~ん…………アレはいいんじゃない? ほら……プレイの幅、広がりそうだし♪」
「えぇ…………(全然反省してないなこの人)」
―2083年8月某日 早朝
東京新国際空港ターミナルビル11階にある、カフェテリア「Moonlight Lady」。
対魔忍・八津九郎は、外国から飛行機に乗って帰国した時に必ずここを訪れる。
頼むのは決まってフレンチローストのブラジルコーヒー、言うまでもないがブラックである。
ここの味が気に入っているというわけではない。単に機内から最短で来られる場所だからだ。
九郎にとっては、ここでコーヒーを飲むという行為そのものが、日本の地を踏んだという実感を己が身に刻み込み、張り詰めた緊張感を解すための儀式なのだ。
「お待たせいたしました。ご注文のブラジルコーヒーでございます」
ウェイターが注文の品を机の上に置いた瞬間、ピピピ、ピピピ……と携帯端末の音が鳴り響く。
禿頭にサングラスの大男という、只でさえ周囲に威圧感を与える九郎の眉間に深い皺が刻まれ、普段以上の威圧感を無節操に振り撒く顔になる。
読んでいた新聞紙を乱雑に畳み、たった今自分の元へ運ばれてきたコーヒーの隣に放り出す。
それを見たウェイターは緊張した面持ちでちらりと九郎の顔を見て、足早に持ち場へ戻っていった。
九郎は、耳障りな携帯端末のコール音が嫌いだ。
だからといって態々好きな音楽に変更するようなことも、面倒なのでしない。
本来はこんなモノは携帯すらしたくないのだが、それでは仕事が回らないので仕方なく持っている。
そんな訳で、九郎は今日も軽く不機嫌になりながら携帯をポケットから取り出し、電話に出る。
もっとも、今回腹が立っている理由は音の所為だけではないが。
「……太郎、掛けるにしても飲み終わってからにしろ。今日日ストーカーでも礼儀くらいは弁えるぞ」
『いやぁ、コーヒーブレイク中にすみません。お久しぶりなのに不躾で申し訳ありませんが、至急九郎さんにお伝えしたいことがありまして』
九郎はふん、と鼻を鳴らし、左手でカップを取り口へ運ぶ。ちなみに九郎は両利きである。
彼には電話を取る前から分かっていた。電話の相手が何者で、何の理由で席に着く前から自分を監視していたのかを。
そして、この相手―彼が太郎と呼んだ男は、常に厄ネタしか持ってこないということを。
『それにしてもよく私だとお分かりになりましたね。コール音とか、変えてらっしゃらないんでしょう?』
「その白々しい台詞はテストのつもりか? 何ならそっちへ行って穴を2つばかり増やしてやってもいいが」
『ははは、相変わらず物騒な方だ。……でもそうですね、お互い忙しい身ですし手短に行きましょう。詳細は今からメールで送ります。音声ファイルを添付しますのでご確認ください』
「断る。俺は外務省の使い走りなんぞするつもりはない。お前の飼い主にもそう伝えろ」
『“旅団”の件であっても……ですか?』
“旅団”。その単語が電話相手の口から出た瞬間、すっと九郎の全身に緊張が走る。
この時、九郎の周囲に客や従業員がいなかったのは幸いだった。
もしいれば彼の全身から漏れている、獲物を食い殺す直前の肉食獣に似た獰猛な殺気に当てられ、最悪その場で失神していたかもしれない。
「……一応聞くが、政府の対応に変化は?」
『野党の……いえ、矢崎議員の力が働いている限りは変わりません。今は再来月に予定している総選挙に期待するしかないというのが、大臣と総理の見解ですね』
「見解……ハッ! 随分と御大層な言い回しが好きになったな。「ボクらは神田様と米連様の飼い犬です」って言うのがそんなに難しいか?」
『その暴言、間違ってもウチの大臣には聞かせないでくださいよ。首が物理的に飛びます……多分私の』
「おお……数年ぶりにお前の口から面白いジョークを聞いた。めでたいから話だけは聞いてやるよ」
そこで初めて、心から愉快そうに九郎は笑った。
もっとも彼を知らない者には、まるっきり映画に出てくるシリアルキラーの笑みにしか見えなかっただろう。
『……それはどうも。どうかジョークで済む範囲でお願いします。……南の方は、如何ですか?』
「波穏やかなれども風は強し、という所だな。……そろそろアミダバラへ発つ時間じゃないのか?」
『これはこれは、私のスケジュールまで気にかけていただいて。……仰る通りですので、失礼します」
「ああ、最後に1つ。今朝は妙に検査やら警備やらが厳しいようだが、何かあったのか」
『……ああ。今は問題ありません。先月未明に、ここでとある対魔忍と魔界騎士、それにDSOの“死神”が派手に暴れましてね。その影響がまだ続いてるってだけです』
「おいおい太郎くん、そういう面白そうな話を先に言え。どうせお前もその場にいたんだだろう、詳しく話せよ」
『(えぇ……さっきの気遣いは一体……?)……いやぁ、大したことじゃありませんよ。ただ私は……──」
その後、電話相手の男は九郎の執拗な質問に誠実な回答をしつつ搭乗口へ駆けてゆき、搭乗予定の飛行機にギリギリで滑り込むことに成功した。
自分の帰国時間を把握した上カフェ近くで待ち伏せ、態々コーヒーを飲む直前に依頼をしてきた“クソッタレ”へのささやかな復讐を失敗した九郎は、軽く舌打ちをした後タクシーに乗り、駅へと向かった。
同日 午前
五車学園 校長室内
「……はぁ。暗殺ですか、俺を」
今この部屋の中には、俺―ふうま小太郎と八津紫先生、それに井河アサギ校長がいる。
学校が休みにも関わらずアサギ校長直々に呼び出しを受けた俺は、挨拶もそこそこに切り出された話の内容に面喰い、つい気の抜けた声を上げてしまった。
だってそうなるだろう。
「自分を暗殺しようとしている奴がいた」なんて、朝食を終えてから1時間もしないうちに聞く話じゃない。
「何だそのふやけた返事は。一大事なんだぞ、もっと緊張感を持たんか」
予想通り、即座に同席していた紫先生がこちらを睨み態度を咎めてくる。
それを聞いて苦笑いしながら、アサギ先生が彼女の怒りを宥める。
「まぁまぁ紫。いきなりこんな事言われても実感湧かないわよ。……詳しい話をしても、いいかしら?」
「え……ええ是非聞かせてください。……しかし暗殺って、何処の誰がそんな事を?」
そこでアサギ先生は、話すのを躊躇したのか唇を閉じ、ほんの少し間を作る。
だがすぐに思い直して口を開き、説明を開始する。
「言いにくいけど……五車の生徒よ。貴方の上級生である男子3名が貴方を襲撃するつもりだったみたい。多分、貴方は顔も名前も知らない子たちね」
そこでアサギ先生が目くばせに紫先生が頷きで答え、来客用の机においてあるノートパソコンの電源を点ける。
すると部屋のライトが消えてカーテンが閉められたので、何が始まるか察した俺が部屋の隅からキャスター付きのホワイトボードを運んできて、入り口側に立たせる。
紫先生がそのまま操作を続けると、PCに内蔵されたプロジェクションプログラムが作動し、ホワイトボードへ記録された映像を投影し始めた。
表示された画面はこの学園にある教室内をビデオ撮影した映像であり、その中央に五車の制服を着た男が3人いるのが分かる。画面に表示されている日付は昨日のものだ。
アサギ先生の言う通り、映っている連中には全員見覚えがない。
「4日前に同級生からのタレコミがあった。こいつらが放課後の教室で何やら不穏な話をしているとな。映っているのが素行の悪い連中というのは私も知っていたし、話してくれた生徒も偶然外を通りかかっただけだが、「殺す」という単語をはっきり聞いたらしいのでな。すぐにこうして、カメラを設置した」
教室を撮った映像がある理由を、紫先生が説明してくれた。
暗い部屋の中でも、普段以上に険しい表情を浮かべているのが容易に想像できる口調だ。
「で、昨日になって動かぬ証拠を撮られた……と。秘密の話なら家ですりゃあいいのに」
「同感だ。あえて集まるならここの方が安全だと思ったのかもしれんがな。……こいつらの会話、聞くか?」
「いえ、結構です。」
紫先生の顔を見るまでもなく、こういう連中の口からひり出されるものなど容易に想像がつくし、その答え合わせをしようと思うほど酔狂ではない。
「…だろうな。実を言うと、私もこれ以上聞く気がなかったので助かる。では……」
紫先生はキーボードを操作し、ミュート状態で動画を再生させる。
態度から察するに、紫先生は先に映像を確認し、画面から聞こえてくる悪言に相当ムカついたようだ。
他人が聞いていないと思って、俺を任命したアサギ先生のことも相当罵ったのかもしれない。もしそうなら、よく紫先生が自制できたものだ。こんな薄いノートPCなんか、紫先生の台パン一発でスクラップ確定だろう。
画面の中で、俺を暗殺しようとしているらしい連中は憎々し気に顔を歪め、日頃の不満を好き勝手に吐き出して幾許かのストレスを発散している。
この集まりがあったのが撮影された日だけでないのなら、一体合計で何時間ほどこうしているのだろうか。
「──……まぁこの辺までは、鼓膜が腐るような戯言を言い合っているだけだ。他に言いふらしたりSNSにアップしたりしているわけでもなし、私たちの耳に入らなければ特に咎めることもないが……ここだ」
映像を一時停止し、画面内のある一点を指し示す紫先生。
そこには、非生産的な駄弁り場を開いていた男一人が取り出した、瓶らしき物体が見える。
映像越しでは中に入った物体がピンク色に見えるということ以外、詳細な情報は読み取れない。
「……ジュースとかじゃないですよね、中身」
「だったら態々止めるか。……ここからは声も重要なので聞け。安心しろ、お前への悪口はもう殆ど言ってない」
彼女らしいぶっきらぼうな気遣いの言葉を述べられた後、音声付きで動画が再生される。
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『それにしてもこいつはすげえ力だなオイ! これならよぉ、アサギ校長にだって勝てるかもしれねえぜ!』
『ハハハ……そいつは夢見すぎだって。っていうか飲むのもほどほどにしとけよ。分かってると思うがそれはヨミハラのヤクなんだ、何入ってるか分かったもんじゃねえ』
瓶をもった男がそれを陶酔した目で見つめながら宣う妄言に、軽い忠告を与える別の男。
どうやら一人はしゃいでいる男がグループのリーダー的ポジションらしいが、残りの2人はそれほど気乗りしているわけではなさそうだ。
瓶を握りながら得意げに話す男に対し、2人は机に腰掛けながらそれを聞き流している。
彼らは表情も明らかに呆れ気味だ。仲間と一緒に日ごろの不満を吐き出したくても、実際何かを仕出かす意欲はなさそうに見える。
『つか、ホントに誰にもバレてない系? 押収品リストの量はごまかしといたけどよ、一昨日静流先生に聞かれたぜ俺、「本当に、他には何もなかった?」って』
『あーそれ俺も。……やっぱなんか大げさだよな? ヨミハラから逃げたヤク中魔族一匹捕まえんのに、対魔忍を10人以上動員するなんてよ。偶々俺らが網張ってたとこに来たから、そいつを手に入れたわけだけど……』
『だからよ、こいつは運命なんだよ! 神サマが俺に授けてくれたのさ! この力であいつを……裏切り者の目抜け野郎を殺せってな!』
どうやら話が核心に迫ってきたらしい。
瓶を持つ男が大仰なポーズをとりつつ、仲間の観客に演説を行いだした。
しかし革命家気分な友人に対する2人の反応は、今まで以上に冷めている。
『あのよ、それ系の話なんだけどよ。まさかとは思うけど他で言ったりしてねえだろうな。最近クラスの奴らさ、何か俺らを見る目が変な気がすんだけど』
『……ていうかもうぶっちゃけ聞くけど、まさかお前マジでやるつもりか? そういうのはここだけのジョークにするって、最初に集まった時言ったよな?』
『ああ、言った。……あの時は力がなかったからな! こいつが手に入った以上、もうこんなとこで管を巻くだけで済ます必要はねえ! 後は行動あるのみだ! ……お前らも、こいつをヤれば分かるぜ!!』
そう言った瞬間、男は持っていた瓶の蓋を開け、中の液体を2人に振りかけた。
その2人は顔にかかったものを拭いながら『馬鹿野郎ふざけんな!』『頭おかしいのかテメー!』と悪態をつく。
だが、数秒後に事態は急変する。
『ぎゃああああああ!! か、顔が……俺の顔がぁああー!!!』
『な……何だ……何か、何かが俺の中をぉーっ……がああ痛ぇええ──ー!!』
液体を浴びせられた顔からボコッという音と共に皮膚が膨れだし、2人は悲鳴を上げながら体の異常を押さえようとする。苦痛を感じているかは定かではないが、相当な恐怖体験であることは間違いない。
しかし、すぐに患部を押さえた手も膨張を始める。
まるで腫瘍の群れみたいな盛り上りが次々と体表に出始め、同時にその部分以外の皮膚が硫酸をかけられたかのようにぐずぐずと溶けだしている。
『……あ? 何だこれ。こんな風になるって聞いてな』
最後まで言う前に、瓶を持った男子生徒の命は尽きた。
別の男子一人の腐った右腕から何か棒状のものが飛び出てきて、そいつの眉間を貫いたからだ。
その後も2人の体は膨張と腐敗を繰り返しながらどんどん形を変えていき、10秒ほど経過したころには最早原型が分からない程に変わっていく。
人としての意識が残っているのかどうかは分からない。辛うじて頭部と思しき部分は形を保っているが、口は悲鳴を上げていた時のまま力なく空きっぱなしだ。
「あ……あ……」という声が時折聞こえてくるが、それが彼らの断末魔なのか、それとも単に喉から空気が漏れたがために出た音なのか、判別を付けることはもうできない。
そして、2人の“変身”は異変が起きてから数十秒で完了した。
友人の頭を貫いた男の方は、巨大な人面ハリネズミに変わった。手足はネズミと同じくらいのサイズ感になったが、背中を中心に、教室の床から天井まで届きそうな長さの針がびっしりと生えている。
針といっても、一本一本が人間の体を貫通できる鋭さと強度はある。映像から見るに、直径2,3㎝という所か。太いフェンシングのサーベルが何百本と伸びている、といえば分かりやすいだろうか。
もう一人は、正確な描写は難しい不定形の存在になった。
最初は腐肉で出来た胴体に、下半分が溶けた人間の頭部が乗っかったスライムに見えた。
しかしその後、ぶるぶると全身が震える度に球体やキューブ状、クモやサソリ、或いは口から猫の手が何本も生えた分類不能の怪物など様々な姿に変わり、一向に形が定まらないまま地面で波打つように蠢いている。
ハリネズミが体を動かすと、針が頭部から抜けて瓶を持っていた男が床に倒れる。
人間だったモノ2匹は動き出すと、少しの間周囲を見渡した後、お互いをじっと見つめ合いだした。
自分が化物になった自覚はあるのか、そもそも自意識などというものが存在するかすら不明だ。
映像越しに見るだけでも背筋が冷たくなる、不気味な姿の化物2匹はしばらく睨み合った後──唐突に唸り声をあげながら戦いを始めた。
「G…………guwhooaaaahaaaaaaaaaa‼‼」
「ケ……ケケケ……ケイケケイ……ケケケケケケイケケケケ……ケ……」
顔らしきものは残っているが、既に人語を話す術は失ったらしい。
意味不明の咆哮と鳴き声を上げ、原始的な暴力衝動に突き動かされるまま2匹は乱闘を始めた。
ハリネズミになった男が鋭くなった歯でスライム男に噛みつき、左目と鼻の一部を齧り取る。
するとスライムの方はバッと体を広げ、ハリネズミの本体を丸ごと包み込み始めた。
粘性の強そうな体が針で串刺しになるのも構わず纏わりつくと、ハリネズミの方も不快に思ったのか甲高い鳴き声を上げ、バタバタともがいて脱出を試み始めた。
しかし、柔らかいスライムを身動きだけで剝がすのは至難なようだ。
針によるダメージも全くない様子で、抵抗を意に介さずスライムはハリネズミの体を刳るんでいく。
やがて針以外の部分がすっぽりとスライムの中に収まったかと思うと、ジューッという音が聞こえてきた。
肉が焼ける時に似たその音がしたと思うと、スライムからボコボコと沸騰したみたいに泡が立ち始め、2匹ともに体の至る所から煙が出て、急速に体が崩壊し始めた。
針が体から外れてバラバラと落ち始め、ハリネズミ本体を取り込んだスライムは泡立ちながら徐々に体積を縮こませていく。時々スライムの中から弱弱しい鳴き声は聞こえるが、特にハリネズミの体が激しく動く様子はない。
あるいは、中に入った時点で体を動かすことすらできないのだろうか。
そのまま融合体の崩壊と縮小は進み、最後は泡が弾けるように体が2つに裂けた。
『ケ……ケィ……ケケ……ケケケィ……』と、耳にへばりつく様なスライムの鳴き声だけが最後まで聞こえていた。
結局、薬品をかけられてからの惨劇は2分と経たないうちに幕を閉じた。
3人の人間があっという間に命を落とし、その内2人は人であった頃の姿すら喪ってしまった。
後に残ったのは塵同然のサイズまで崩れた針の欠片と、頭に穴が開いた1つの死体だけだ。
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そこで、紫先生が映像を停止し、校長室内の明かりがついた。
あまりに見たものがショッキング過ぎて、溜息すら誰もつかない。
頼むからフィクションだと言ってくれ、俺は思わず心の中でそう願ってしまった。
「…………酷い映像ね」
やや間を置いてアサギ先生がぼそりと呟き、やや放心した表情でデスクの椅子にもたれかかる。
反応を見るに、校長もこの映像は初見だったらしい。
俺も頭が真っ白になっている。とりとめのない思考が脳内に浮かんでは泡のように消えていく。
自分が通っている学校でこんな悍ましい事があったという現実を、まだ完全に受け入れられていない。
だがそんな中でも、いくつか気になる事もあった。
「……あ、あの。2人が変身する前にかけられた液体。これはもしかして、俺が見たものと……?」
「……ああ、恐らく同じものだ。注射されるか振りかけられるか、どちらにせよこんな短時間で人間の姿を変えてしまう薬物なぞまともじゃない。完全に同一でなくとも、用いられた魔の技術は共通しているだろう」
魔薬入り麻酔銃で人間の兄弟を撃ち、自分の頭を同じもので撃った魔族の売人を思い出す。
あの時俺が“女”に拉致された後、アスカは化物となったこの3人と交戦し倒したとのことだが、その時はこの男子生徒達のように消滅せず、元の人間体に戻ってから死亡したらしい。
同じクスリが使われたのなら、今回とその時の違いは何だろうか。
「……3人と聞いていましたけど、俺を本気で殺すつもりだったのは1人だけみたいですね。これを見た限り、他の2人は完全な被害者だ……こいつ、なんで俺を恨んでたんです?」
「全く分からん」と紫先生は即答した。
「映像を見る限り、こいつらは元々3人で集まり愚痴を言い合うだけだった。ところが、1人の馬鹿が力を得てそれだけでは満足できなくなり、鬱憤を直接お前にぶつけようと考えた。そして乗り気でない他の2人にも協力してもらうために、クスリをかけて同じ力を与えようとした。ところが……」
紫先生がシーク機能を使い、丁度2人がクスリをぶっかけられたシーンから再生する。
先生はそのまま数秒程等速で動画を流し、訳も分からず化物にされた哀れな男が変身し、長い針を腕から飛び出させて加害者を殺害するシーンで停止させる。
「自分が化物にした友人に殺されるという、因果応報な結末を迎えた。……そして残念ながら、変化した2人も間もなく死亡、つまり事件の当事者がいなくなったという事だ。友人やクラスメイトに話を聞いてはみたが、正直芳しい成果は──」
コン、コンと、ドアを叩く音がする。
アサギ先生が「どうぞ」と声をかけると同時に、ドアがやや性急な速度で開けられる。
「遅くなって申し訳ありません。……あ、どこまで話されました?」
「……まだ映像を見せただけだ。そっちの調査は、何か進展があったのか?」
「それはもう」と微笑を浮かべながら室内に入ってきたのは、香坂静流先生だ。
彼女は五車学園の英語教師にして現役の対魔忍、それも“花の静流”の異名を持つ実力者だ。
担当の英語以外にも数ヶ国語を流暢に話し、更には博士号まで取得している俊才でもある。何でも器用にこなし、あらゆる経歴の人間になりすませるその能力をフルに活かし、敵組織等への潜入任務に就くことが多い。
まあ多くの人間はその頭脳よりもその美貌、特に頭部以上のボリュームを誇るバストとヒップばかり注目してしまうだろうが……実際静流先生の使う“木遁の術”には、篭絡に用いる技も数多く存在している。
1度ならずその絶技を経験した身としては、彼女の術中に嵌って尚正気を保てる男がもしいるなら、是非ともお目にかかって教えを乞いたいものだ。このままやられっ放しは性に合わない。
「おはようございます、静流先生」「あらおはよう、ふうま君♡」と挨拶を交わしたところで、ふと気づく。
「……ん? そう言えば動画の中で、生徒の1人が静流先生の名前を口にしていたような……」
「……そう。実は今回の事件、発端は私が主導した任務なの。校長、調査の件も含め、改めてこの場で報告しても宜しいでしょうか」
「ええ、お願いするわ静流。実を言うと私も、まだ詳しい経緯は知らないの」
「畏まりました」と手に持っていた赤いビジネスバッグを開け、中からファイルを取り出す静流先生。
ファイルの中身は紙に書かれた4部の報告書だ。それを静流先生は俺たち全員に配る。
「任務自体の報告書はアサギ校長もご覧になっていますが、ふうま君もいますので改めてそこから。事は先月、ふうま君たちがヨミハラに潜入して佐郷文庫の護衛任務に当たった日の、丁度1週間前に遡ります」
その語りだしに、俺は思わず紙を持つ手に力を込める。
だが今それを蒸し返すべきではないと己を戒め、すぐに平静を取り戻す。
「その日ヨミハラでは、とある薬物中毒者の出没情報が出ていました。まあそれ自体はよくあることなのですが、これは少し事情が異なります。どう異なるかは、2枚目にある写真を見ていただければ分かると思います」
「……何度見ても酷いな、これは……」
紫先生がその写真を見て声を上げる。
俺も目を見開いた。そこには上半身の右半分が結晶の欠片のようなもので覆われ、口が尋常ではない大きさに裂け、目玉が飛び出て触手状に伸びている、グロテスクな人間サイズの怪物が映っていた。
そのまま原型が残っている下半身に履かれたズボンの汚れ具合から見るに、元はスラムで暮らす浮浪者の1人だったのだろう。
「恐らく原因は、ふうま君が以前遭遇したものと同様のものです。この男性がその魔薬を摂取した経緯は今も不明ですが、とにかく彼は突然こんな姿になってスラム街で暴れだし、多数の死傷者を出しました」
静流先生は普段英語教師だけでなく、魔界の住人がひしめく闇の地下都市ヨミハラで情報収集のためにバーを経営している。
更に驚くべきことに、彼女はあの魑魅魍魎が跋扈する町の自治会長をも務めている。普通の住人にはともかく、それなり以上の実力と地位にある者たちには半ば正体を勘づかれているにもかかわらず、である。
正直いつ眠っていられるのか分からないレベルのオーバーワークに見えるが、本人曰く「続けるコツは柔軟なスケジューリングと他人を上手く使う事、後は適度なストレス発散ね♪」らしい。
そういった立場上、彼女は対魔忍でありながらヨミハラの顔役ともいえる存在であり、事実上この町を統治しているノマドを始めとして、有力な魔族勢力とも表面上穏やかな関係を築いているらしい。
だがその権限と引き換えに、こうした問題が起こった時は真っ先に対処する義務も生じる。
「現在までの調査によると、この新しい魔薬は特殊な鉱物を粉末にしたもののようです。使用方法は吸引や摂食だけでなく、水溶性なので血管注射も可能。多幸感や性的感度上昇といったオーソドックスな効能のもの以外に、一時的な身体機能、または異能力の向上が起こるタイプもあるようです。しかしそれを使うと……」
「こんな化物になる副作用もある、と……。服用した者は皆こうなるの?」
「いえ、全員というわけではないようです。さらにこの魔薬は根本から既存のものとは違うようで、科学的手法や魔術を用いても検知できません。知識がなければ写真の通り、キラキラと光る砂としか理解できないでしょう」
俺は報告書にプリントされた、新型魔薬の写真を見る。
透明のチャック付きポリ袋に入れられたその粉は、全体的には薄いピンク色に発光しているが、部分部分で見ると群青色やクリアホワイト、アクアブルーやライトイエロー等、様々な色をしているように見える。
これが光の屈折によるものなのか、原料となっているという鉱物が元々複雑な色合いをしているのかは分からないが、見ていると不思議な気分になる物質なのは間違いない。
ヤバいクスリだと言われればそうにも見えるし、観光地の物産展で売っているような土産物にも見える。
スノードームにでも入れればさぞ見栄えがいいだろう。
しかし次の報告を聞いて、そんな暢気な感想は吹っ飛ぶことになる。
「そして問題がこの鉱物の名称ですが……バイヤーはそれを『対魔石』と呼んでいたようです」
「……え、なん、何ですって?」
その辺の事情を聴いていない俺だけが、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
だって驚くのは当然だろう。よりにもよって『対魔』って名称を付けられた鉱物が魔薬の原料になっているなんて、俺たちからしたら立派な名誉棄損だ。
おまけにそんなクスリを使った生徒が化物に成り果てたなんて、2重の意味でスキャンダルじゃないか。
「『対魔石』なのよ、ふうま君。簡潔に言うと、この鉱物は高純度の対魔粒子で構成されていてね。名称自体は妥当と言えばそうなんだけど、この粉からは普通の粒子とは異なる性質も見つかったわ。3ページを見て」
そう言われて書類をめくると、そこには『対魔石』の分析結果が数ページにわたって書かれていた。
俺が分からない専門用語を省いて説明すると、この対魔忍を貶めるためとしか思えない名前のけしからんブツは、先の説明でも言及されていた通り特殊な鉱石を砕いて粉にしたもののようだ。
だがその鉱物の出所は分かっていない。ウチの魔科医である桐生博士だけでなく、外部の有識者にも片っ端から意見を求めてみたが、レア度の高い魔石に似ているということ以外は分からなかったらしい。
さらに不可解なことに、この鉱物は未知の技術で凝縮された、ほぼ純度100%の対魔粒子で構成されている。
対魔粒子とは、文字通り俺たち対魔忍が使う力の源であり、この粒子を身に纏ったり放出することで忍法を使用している(最も俺は忍法を使えないため、いまだにそこはイメージでしか理解していないが)。
とは言え、我々自身もこの対魔粒子なる物質についてそれ程知悉しているわけではない。
人は歩行のメカニズムを理解しなくても歩けるし、駆動原理を知らなくても自動車を運転できる。
同様にそれぞれの適性に合った忍法のイメージとそれを実行できるだけの素養さえあれば、後は勝手に術が発現し、使い方は自然と頭の中に閃いてくるもの……らしい。
今の俺に縁遠い話は兎も角、確認が必要な事は尽きない。
「この粉は間違いなく対魔粒子なんですか? 確か対魔粒子って人為的に固めたりはできない筈ですし、俺の知る限り粒子自体をこういう風にして使う対魔忍もいなかったと思うんですが……」
「ええ、その通り。成分は間違いなく対魔粒子だけど、製造方法も、人を怪物に変えてしまうプロセスも今は不明。シュヴァリエやミリアムにも聞いてみたんだけど、彼女たちも対魔粒子がこんな風になるなんて、見たことも聞いたこともないそうよ。サンプルは手に入ったけど解析も難しいし、正直手詰まりって感じね……」
静流先生のやれやれ、と言いたげにこめかみを押さえる仕草を見て、俺も頭を抱えた。
今先生が名を挙げた「シュヴァリエ」、「ミリアム」の2人はそれぞれ東京キングダムとヨミハラに居を構える、俺が知る中でもトップクラスに博識な魔女だ。
およそ魔に関わることで彼女たちの知らないこととなると、最早聞く当ては全て絶たれたといっていい。
つまり、今のところ『対魔石』を誰がどのように、何の目的で作ったのか知る術は無い、ということだ。
「この対魔石とやらの正体を探るよりも、今は流通を阻止することを先決したほうが良さそうね。五車の生徒さえも被害を受けたとなると事は一刻を争うわ。そっちの調査はどう、静流?」
「そちらの方は順調です。次のページをご覧ください。……映像でも生徒たちが話していたと思いますが、彼らは皆件の魔薬中毒者捕縛の任務に就いており、さらに言えば人気のない場所に誘導されたターゲットを包囲し、最終的に捕らえたチームのメンバーでした」
「その時に、押収した対魔石入の魔薬をちょろまかしたというわけか……全く、ふざけた奴らだ。生きてさえいれば相応しい報いを受けさせてやったものを……!」
額に青筋を浮かべて憤慨する紫先生に、アサギ校長が再び「まあまあ」と宥めに入り、静流に「続けて」と先を促す。
それを見て、静流先生は微かに苦笑を浮かべる。
「えー、3人のプロフィールは資料の通りですので説明は割愛します。ふうま君を狙った詳しい動機については今も調査中ですが、無視できない新情報が一点。捕縛任務から昨日までの間に少なくとも3回、彼らは揃って私的にヨミハラを訪れています。更に未確認の情報ですが、彼らが同じ娼館に入っていく姿を見たという目撃証言があります。それが下に写真のある……」
「『アンダーエデン』……また厄介なところに……」
アサギ先生が頬に手を当て、苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべる。
紫先生も、憮然とした顔をしつつ今度は声を上げようとしない。
俺は不勉強なことにこうした店の知識は大して持っていないため、そうした反応の真意がつかめない。
「……この流れで話すってことは、単なる娼館じゃないんですか、ここ?」
「いえ。表向きは本当にただの娼館よ。規模も人気もヨミハラではトップ、オーナーは少々強引な経営手法を取ってはいるけど内外で目立ったトラブルはなし。でも……そうね、もしここが魔薬の取引に使われてるんだとしたら、単純に踏み込んで調査するってわけにはいかなくなるわ」
「……ああ、そうか。任務で横領できる薬の量なんてたかがしれてますもんね。どっかで新たに手に入れてると考えるのが自然か……」
任務時、押収した物品のチェックをする対魔忍だって馬鹿じゃない。もし中毒患者の手元に薬物がなかったら、一通りの調査をして在処を見つけているはずだ。
映像での発言も併せて考えるなら、あの3人(服用していたのは1人だけのようだが)は一番に見つけた薬を全て着服せず、怪しまれない程度に抜き取って実際より過少に申告していたということになる。
実際どれだけの薬をがめたのかは知らないが、例え1人分でも数回やれば無くなる程度の量だろう。
一度その快楽を味わってしまえば逃れられず、続けて更に欲しくなるのが違法薬物の常である。そして禁断症状の苦しみから逃れるためならば、どんな凶行に手を染めてでもブツを手に入れようとするのが人間の性だ。
しかし実際に使っていた馬鹿も含め、あの3人がその“リスク”をきちんと理解できていたかは怪しい。
もし証言通り雁首揃えて直接ヨミハラに行き、しかも娼館で薬を買い込むなんて真似をしていたんだとしたら、対魔忍になって何も学んでいなかったに等しい。そこら辺の一般人にも嗤われるレベルの阿呆だ。
「仮にこの3人が『アンダーエデン』で魔薬を買っていたとして、彼らはその情報をどこから手に入れたんです? 静流先生だって、未だにここがその取引場所だって確証を持てていないんでしょう?」
「フフ、相変わらず鋭いわね。でもごめんなさい、その情報元はまだ特定できてないの。私も彼らのヨミハラでの行動を辿って裏を取ろうとしたんだけど、分かったのは『アンダーエデン』がヨミハラでいたく人気だっていうことぐらい。取引はおろか、従業員がその手の薬を扱っているっていう噂すら聞けなかったわ」
アサギ先生が椅子から体を起こし、肘を机に置いて考え込む。
「それは……変ね。静流ですら確証が持てない情報を、彼らはどうやって知ったのかしら?」
「ですがそれで、逆に『アンダーエデン』が絡んでいる可能性は高くなりました。あそこがヨミハラに持つ影響力は甚大です。その気になれば幾らでも隠蔽はできるでしょう。住人に金を撒いて口止めするのも、です」
「うーん……紫先生の仰ることは分かりますが、そうだとしたらちょっと凹みますね。私の“手管”より金の力が勝った、ということになりますから。それに影響力とこの証言だけでは、容疑者を絞る材料としては弱いですね」
「それもそうね……と、いうのが現状なのよ。ふうま君」
唐突にアサギ先生から話を振られ、一瞬反応が遅れる。
いや正直に言えば、アサギ先生からの連絡を受けた時点から嫌な予感はずっとしていたのだが。
「……もしかして、俺たちにこの捜査に加われと?」
「でなきゃ、こんな時間に呼び出したりしないわよ。といっても、当面は静流が普段していることのお手伝いといった形になると思うわ。『アンダーエデン』の件もそうだけど、あのヨミハラという街は迂闊に手を出すわけにはいかないの。もう少し時間をかけて調査して、確証が掴めてから──」
と、その時だった。
「そういう迂遠な作戦にこいつは向かんよ。むしろ不確定要素を呼び込んで収拾がつかなくなるだろうな」
突然校長室の入口から聞こえてきた低い声に驚き、室内の視線が一点に集中する。
そこにいたのは、灰色のコートに黒のズボンという、季節感という概念に中指を立てているとしか思えないファッションに身を包んだ禿頭の大男だった。
ゴーグルじみたサングラスをかけた顔、浅黒い肌と筋骨隆々の体格は、拭い難い威圧感を周囲に放っている。傭兵か殺し屋か用心棒か、とにかくその手の裏稼業に手を染めていなければあり得ない風体だ。
まあ対魔忍も裏社会の人間だろうと言われれば否定できないので、実に「らしい」恰好とも言える。
「兄様……!?」
紫先生が驚きと喜び、そして僅かだが確かな緊張を含んだ声で男を呼ぶ。
そう、彼は八津紫先生の兄、八津九郎だ。
普段は海外における魔族の活動に対応するため諸国を転々としており、日本には滅多に帰ってこない。家族である紫先生ですら、こうして直接会うのは数か月ぶりだろう。
「あら……早かったわね。こっちには夜に顔を見せるって言ってたと思うけど」
「予定が変わってな、よくある事だろう。……今話に出ていた“対魔石”のことだが、俺も軽く心当たりを当たってみたが収穫はない。どうも俺たちが把握している以外の、全く新しいルートで国内に持ち込まれているらしい?」
九郎さんのその話を聞き、静流先生が怪訝な顔をする。
「“対魔石”は海外で作られていると……? 失礼ですが、九郎さんはその情報をどこから……?」
「ソースは明かせないが、信頼できる筋からだ。おまけにその流通には、そこそこの数の企業家や政治家が絡んでいるらしい。石の性質や製法については、本当にどこからも情報が出てこない。本当に鉱物なのか、人工的に作られたのか、それすら誰も知らんそうだ」
そう言いながら九郎さんは室内に入り、アサギと応接机をはさんで対面に設置されたソファーに座る。
実質進展のない報告を受け、束の間重く静かな沈黙が校長室を支配する。
だが次の九郎の発言で、一気に場の空気が変わることになる。
「だがその真実を知っている人物に心当たりはある……。俺はこれからそいつを当たってみるつもりだ。このふうま家ご当主と一緒にな」
「……え、俺と?」
あまりに唐突な提案だった。