“女難の対魔忍”暗躍譚 ―対魔忍RPGX HAERESIS― 作:holdics
対魔剣術「逸刀流」道場内。
「……変わった? 私がですか、あず姉?」
「ああ、無論いい意味でだぞ。剣を振るっている時だけでなく普段の立ち居振る舞いも、以前より自然体で余裕が感じられる。逸刀流や五車の模範たれ、と無駄な力みをすることがなくなった」
「そう……ですか。それは多分、ふうまのお陰かもしれませんね」
「ふうま……ふうま小太郎の事か? あの若いふうま家当主の」
「ええ。今は新設された独立遊撃隊の隊長でもあります。本人は忍法が使えないとのことですが、目端が利く男で、先生たちも知らないような魔物や魔界技術の知識も持っています。何度か任務を共にしたことがあるのですが、その際いくつか参考になる助言をもらいました。それが良かったのでしょう」
「助言……それはどんな?」
「そう、ですね。主には私の空遁……空間転移や五感跳躍以外にも、私では思いつかないようなアイデアをもらいました。後は……ええと、恥ずかしながらその、男性との付き合い方を、少々……」
「! ……ふふっ、成程。その変貌は男を知ったが故、か。噂だがその若当主、相当な女好きらしいじゃないか。免疫のないお前を誑し込むなど容易いだろうな」
「べ、別にそういう訳では……彼は良い友人です。それは、口さがない連中の戯言です……よっ!」
「おっと……ふふ、今のは危なかった。だが、別に悪口を言った覚えはないぞ。女好きな男は嫌いではないし、お前をそういう風にした彼は確かにいい男なのかもしれん。……しかし、お前が家の者以外の男と親しくなるとは以外だ。これも単なる噂だが、レズだと生徒内で言われるくらいには男っ気がなかったろうに」
「な……! あず姉、いくら貴女でも怒りますよ!」
「もう怒ってるじゃないか。剣が、乱れてるぞ……!」
「くっ……! あっ……!?」
「焦って距離を取ろうとしているのが見え見えだったぞ。私がもし敵なら剣を払い落とすだけでなく、腕も斬り落とされていただろうな」
「……すみません。戦いの最中で心を乱してしまいました」
「気にするな、私も意地悪を言った。実戦形式かつ能力を使いながらの戦いで、後輩のお前に不覚を取るわけにはいかんのでな。それに、何度も仕合をした私だからこそ突けた隙だ。お前の技が鈍ったわけではない」
「それでも、負けは負けです。これで私の10敗……ですね。勝負はあず姉の勝ちです」
「ふむ……賭けるものを決めずに10先を始めてしまったが、今決めた。ふうま小太郎と何があったか、馴れ初めから詳しく聞かせてもらおうか。男に興味のなかったお前が如何にして堕とされたか、興味がある」
「えっ……いや、あの、別に私と彼は男女の関係というわけではありません! 以前ちょっとした事件に巻き込まれた時に縁ができて、それ以来たまに相談をし合っているというだけで……!」
「相変わらず嘘が下手だな、凛子。これも単なる噂だが、お前とふうま小太郎がまえさきの商店街を一緒に歩いていたのを見たと、お前の取り巻き女子の1人が話していたぞ。しかもそのまま、ホテル街の方へ2人で歩いて行ったとも言っていた」
「な、見られっ!? ……ちょっと待ってください。確かにまえさき市で彼と同行しましたが、あれはアルバイトをした帰りに偶然会っただけですし、ホテルへ向かってもいません。その子の勘違いでしょう」
「ふむ、ではデートしたのは間違いないのだな」
「デッ?! …………い、いえ。そういうのでは……ない、と思うのですが……」
「ふーん。では、ふうま小太郎には何の感情も抱いていないのか? 男との接し方について相談したのは、本当は彼が好む振る舞いを知りたかったからではないのか?」
「えぁ、そ、それは……男のことは私から相談したわけではなく、話の流れでそうなっただけで……それに、彼はゆきかぜや鬼崎と仲が良いようですし…………私が、入り込む余地なんて……」
「ふふ……あっははは!! 何だ、思った以上に本気じゃないか。くくっ、あははははっはは……!」
「…………そんなに、笑わないでください。正直言って、自分でもよく分からないんです。これが本当に、そういった感情なのかどうか。男を意識するというのは、一体どういう事なのか……」
「ふふふ……成程、それはすまなかった。まあ、戸惑うのも無理はないか。せめてお前に男の兄弟でもいれば、話は違ったんだろうがな」
「兄弟、ですか。兄弟弟子なら何人もいますが……それとはやはり、違うものなのですか?」
「ああ、ちがうな、全く違う。……そう言えば、お前とは長い付き合いだが、恋バナなんて一度もしたことなかったな。よし、今日の鍛錬はここまでにして、その辺ゆっくり語らうとしようじゃないか。まずは湯浴みだな。汗まみれの体では恋バナも何もあったものではない。行くぞ、凜子」
「あ、はい………………恋バナ…………」
アミダバラに平穏な一日などというものは存在しない。
人と魔が入り混じって生きるこの街は常に諍いや揉め事が絶えず、おまけにやたらと強烈な個性と実力を兼ね備えた迷惑な連中が跋扈しているために、一度争いが起これば殆どの場合当人だけでなく、周りにも被害を齎す。故に、そういったトラブルメーカーを制し、街全体のパワーバランスを保つ存在は合法非合法を問わず求められ、この街を維持したい者たちからは重宝されている。
「魔術師組合」 や「五行学園」によって一定の秩序が確保された現在にあって尚、このアミダバラが再び混沌の「廃棄都市」になるのを防いでいる力、その最たるものは個人経営の探偵や用心棒といった街の「便利屋」達であり、当人たちにもその自負はある。
それはアミダバラで(色々な意味で)最も有名な探偵にして、個人主義の魔女剣客である、アンネローゼ・ヴァジュラであっても例外ではない。
たとえ普段は依頼以外の揉め事を積極的に無視し、オフと決めた日は朝から酒浸りになって自他楽に暮らす自由人であっても、街そのものの危機には敏感に反応し、自らの全力をもってその根源を断ち切る。
そう思う程度には、アンネローゼも混沌の魔都に愛着がある。
「……何これ? 戦争でもあった?」
とは言えそんな覇気に満ちた女傑でも、面食らう事や立ち竦むこともある。今アンネローゼの眼前には、そんな希少な彼女を見ることができるだけの情景が広がっている。
すなわち、常人であれば目を覆いたくなるような惨劇の跡である。
「これ、あの喧しいロッカーのとこの奴らよね……うわ、ゲロ踏んじゃった」
遠目に煙が上がっているのが見えた場所まで進み、人気のない廃工場が立ち並ぶ地区まで辿り着いた途端、
アンネローゼは通りに人が列をなすかのように倒れ伏している光景を見た。
ほぼ全員が体の何処かしらから血を流しているし、中には嘔吐だの失禁だのをしている者までいる。それらが流した不浄な混合液が染み込んだ街路に足を踏み入れ、流石の魔女剣士も顔を顰めた。
倒れている人間は彼女から見て10人以上確認できる。如何にも忍者然とした恰好や装備から見て、彼女とも顔見知りである火遁衆―「デスフレイム団」なるギャングを装っている対魔忍の連中だと見当がついた。
顔を覗き込んでみると、明らかに平気な様子ではないが呼吸はしているようだ。虫の息といっていい程の重体になっている者もいるが、今のところ事切れる様子はない。
「死んではいなさそうね。気絶してるだけか……悪いわね、救急道具は持ってきてないのよ。手遅れになっても恨まないでよね……一応、おばあちゃんには連絡しとこうかしら」
義理人情にはあまり興味がないアンネローゼだが、一応の同業者に対して最低限の礼儀を果たす気にはなり、ポケットから携帯端末を取り出す。
掛ける相手はノイ・イーズレーン。この町を仕切っている「魔術師組合」の重鎮であり、組合だけでなく五行学園や五車学園といった他の組織にも顔が利く切れ者だ。
普段は観光客相手の土産屋「魔法堂」の店主であり、一見すれば置物のようにも見える小柄な老婆だが、年老いた今も尚アミダバラ随一の魔術師と呼ばれる腕前は健在であり、どんな悪党もこの店に手を出そうとはしない。
アンネローゼも初めてこの街に来た時から、この「おばあちゃん」には幾度となく世話になっている。別に師匠や後見人といった関係ではないが、孤高であることを好む彼女には珍しく、心から敬意を払い慕っている相手だ。
「…………あ、もしもしおばあちゃん。私よ、アンネローゼ。……え? ええ、そう。よく分かったわね。今その地区にいるんだけど、道中に怪我人が大勢倒れててね。私じゃ手が足りないから、おばあちゃんから人手を集めてもらおうと思って……包帯? そんなの持ってないわよ。私には必要ないもの」
通話先から呆れたようなため息が漏れる。鉄火場に身一つで飛び込むアンネローゼを咎めているようだが、愛刀「金剛夜叉」さえあれば誰にも負けることはない、と本気で信じている彼女にとっては大きなお世話でしかない。
「だってこんなになってるとは思わなかったもの。何とかなりそう? ……ああ、組合の連中ね。でもいいの? 後で貸し借りどうのこうので揉めたりしない? ……お客? 誰が? …………対魔忍? 何でおばあちゃんのとこに……ええ、分かった。じゃあ私は先に進むわね。嫌な予感がするのよ……何かはわからないけど、ほっとくとどんどん情況が悪くなりそうな気がしてね。……ええ、いつもの。……大丈夫だってば。それじゃあ、こいつらの救助はよろしく。……はいはい、また後でね」
頼りになる老魔女との連絡が終わり、そのまま道なりに進むアンネローゼ。
単に倒れた人間が見えるほうに進んでいるだけで確固たる根拠があるわけではないが、その足取りに迷いはない。こういう時、彼女の勘が外れたことは一度もないからだ。
怪我人の山を見つけてから100m程進むと、周りの建造物よりも一つ抜きんでて大きい廃工場の近くに辿り着いた。アンネローゼはそこで、今までより更に意外な男が意外な状態でいるのを発見した。
「……炎斗? あなた、どうしたのこんなとこで? また悪酔いでもした?」
そう言う彼女の視線の先には、先程まで通っていた道に転がっていた半死人たちの頭目、「デスフレイム団」団長の西園寺炎斗がいた。
いつも飄々として笑みを絶やさず、頼まれもしないのにギターをかき鳴らす傍迷惑さはどこへ捨てたのか、亀裂だらけのアスファルトにへたり込んで苦しそうに唸っている。
左腕が包帯と三角巾で支えられているのを見るに折れているようだが、その部分が痛むせいで座り込んでいるという風には見えない。何か身体の芯から苦痛を感じているような表情を浮かべている。
「……よぉ、魔女剣客の姐さんじゃねえか。意外に早えご到着だな……生憎、今日はそんなアホな理由で無様を晒してんじゃねえんだ。そっちから来たって事は、俺の部下たちが倒れてんのも見ただろ。かなりヤバい事態だぜ今はよ……あんた、ここに来るまでに全身ラバースーツの女に出くわしたか?」
「は? 何言ってんだこいつ?」と口にこそ出さなかったが、そう言いたいとはっきり読み取れる不審気な顔を向けるアンネローゼ。
しかし炎斗にとっては冗談でも何でもないため、至って真剣な顔で話を続ける。
「何言ってんだって自分でも思うさ。だが俺もあいつらもその女にやられたんだ。……アンタ、この騒ぎを聞きつけて来たんだろ。恐らくその女は今工場の中にいる。行くんなら止めやしねえが、十分注意しな。下手すりゃアンタでもやばいぜ」
「あらそう? それは楽しみね。まあ貴方はさっさとアジトに戻って治療でも……あなた、誰?」
そう言いながら女探偵が訝し気な顔を向けた先には、工場の方から小走りで駆けてきた一人の男がいた。
青みがかった短髪が特徴的で、鉄火場に似合わないラフな私服を着ているその男は、アンネローゼや炎斗より若く、十代の青年に見える。
今まで「デスフレイム団」の構成員、そして街中でも見かけたことのない顔だ。銃や剣といった武装も一切身に着けておらず、強者特有のオーラや覇気も感じない。通りすがりの観光客と言われれば納得してしまうような風貌であり、アンネローゼからは場違いな存在にしか見えない。
「あぁ……俺から紹介するぜ姐さん。こちらふうま小太郎。ついこないだ新設された五車の独立遊撃隊を率いる隊長さんだ。若いが、指揮者としちゃアサギ総隊長のお墨付きだぜ。ふうま、こちらはアンネローゼ・ヴァジュラ。このアミダバラで探偵をやってる凄腕の姐さんだ。『金剛夜叉』って物凄え剣の使い手でな。ここらじゃ無双の魔女剣客で通ってるおっかねえ人さ」
痛みに頬をゆがませながら、双方を知る者として紹介を買って出る炎斗。
相変わらず、見た目に合わない律義さね……等と魔女剣客が考えていると、ふうま小太郎と紹介された青年は頭を下げて挨拶をする。
「初めまして、ふうま小太郎です。あの、探偵という事は、アンネローゼさんは依頼を受けてここに?」
「ん? ああいえ、別に。なんとなくきな臭い匂いを感じたから来ただけ。……それより、この騒ぎの犯人がその……ラバースーツを着た変態女ってのは確かなの?」
アンネローゼの質問に、ふうまと炎斗は顔を見合わせて苦笑する。
彼らも質の悪い冗談みたいな話をしているという自覚はあるらしい。
「ええ……俺は直接見たわけじゃないんですけど、炎斗さんや他の人が大勢やられてますのでそこは間違いないでしょう。俺たちは一旦情報を整理しようと炎斗さんのアジトに行ったんですが、そこで団長のいない隙を狙って襲撃をかけられていたのを知りまして……慌てて部下の人たちがその女を追いかけていった跡を辿ったら、路地で彼らがやられているのを見つけたんです」
「見た目からは考えられねえ程狡猾な奴さ。アジトに詰めてた部下達を挑発して外に誘い出し、孤立して連携が乱れた所を仕留めていく……お陰でアジトに残った少数を除いて皆やられちまった。何とか仇を討ちてえが、俺もこの様でよ……全く、情けねえぜ」
忌々しそうに自分の胸を押さえる炎斗。自身や部下を痛めつけた女に対して、というより、そんな相手に何もできない自分の不甲斐なさをこそ恨んでいるように見える。
「ふーん、腕だけじゃなく頭も良い相手って事ね。……あれかしら、あんたの部下たちを釣り出して倒していったのは、団長であるあんたへの挑発も兼ねてるのかしらね。で、それに乗せられたあんたはまんまとやられたってわけ?」
「いえ、炎斗さんのこの怪我は少し前に、その女を包囲して戦った時にできたものです。その時はあと一歩まで追い詰めたみたいなんですが、逃がしてしまったようで……潜伏も上手い相手みたいですね。それと、今体調が優れないのは単に傷が痛むというだけではないみたいです」
そこでふうまは何かを確認するように炎斗に向かって目くばせをする。
ギターを片手で抱えた団長はそれで察したらしく、無言で頷く。歯を食いしばって脂汗を流しているところを見るに、本来は声を出すことすら億劫なほど辛いようだ。
「まだ確定したわけじゃないんですが、敵はどうやら魔薬を使っているようです。しかもその使い方というのが、得物の鞭に塗って毒代わりにするという方法らしく、炎斗さんが苦しんでいるのはその禁断症状によるところが大きいみたいなんです」
「……何で態々魔薬を? 普通に毒使えばいいじゃない」
「それは分かりません。……実は、俺がこのアミダバラに来たのはその魔薬について調査するためなんです。
件のラバースーツ女が単なるジャンキーなのか、それとも魔薬の売り手なのかは不明ですが、情報を得るために何とかその女は捕まえたい。……差し出がましいとは思いますが、協力していただけないでしょうか」
ふむ、とアンネローゼは頬に手を当て、改めてふうまを観察する。
値踏みするような視線を向けられても、ふうまは別段気分を害した様子はない。
「……それは私に対する依頼って事でいいのかしら。言っとくけど私、安い仕事はやらないわよ」
「あー……報酬については改めて相談させていただくってことでいいですか? 何分今は持ち合わせがなくって……何なら、デスフレイム団からの依頼って事でこちらと交渉していただいてもいいんですが」
その台詞は完全に寝耳に水だったらしく、不服そうな顔をふうまに向ける炎斗。
しかし、彼からしても今他に頼れる者はいないらしく、抗議の声を上げることはなかった。
「……ま、確かにその辺の話は後でいいわ。その変態女があの工場にいるのは確かなのね?」
「はい。近くまで行って偵察してきましたが、中に誰かがいるのは間違いありません。戦闘らしき音も聞こえていたので、俺たち以外の誰かと争っている可能性も高いです。正直俺だけじゃ手に負えませんが、アンネローゼさんがいるなら心強いです」
「……あなた、対魔忍の隊長さんなのよね? それにしては何というか、普通の男の子って感じなんだけど」
アンネローゼのその言葉に、先程とは感じの違った哀愁が漂う苦笑で答えるふうま。
未成年の男らしからぬ、長年積み重ねた苦悩が初対面のアンネローゼにも感じ取れる、そんな表情だった。
「実は俺、忍法が使えないんです。色々あって人より頑丈な身体とちょっとした力は持っていますが、基本的なスペックは一般人と変わりません。まあそれなりに訓練は受けてますんで、ぎりぎり足手纏いにはならないくらい……ってとこですかね」
「ふーん……よっぽど指揮官として優秀なのね。なら、私が先行するってことでいいわね? まあ元々そうするつもりだったけど……。中であんたの面倒までは見れないわよ、それでも付いてくる?」
「……いいんですか? てっきり邪魔だから待ってろと言われるかと……」
はっ、と笑い飛ばすアンネローゼ。ふうまの卑屈な態度への呆れと、自分の目が節穴だと思われたことに対する怒りの両方を含む反応だった。
「いくら私でも、この炎斗と部下たちを纏めて捻る相手に単身突っ込むほど無謀じゃないわ。そいつの情報を何も持ってないしね。それに、あの井河アサギが無能力者を隊長に据えるとも思えない。別にあんたたちの事情には詳しくないけど、そのくらいのことは分かるわよ。……で、どうするの?」
その言葉を聞いて一瞬目を大きく見開き、照れくさそうに苦笑いを浮かべたふうま。
しかしすぐに決意と自信を秘めた目でアンネローゼを見つめ、しっかりとした口調で返答する。
「行きましょう。相手は鞭と鉤爪を使います。先程も言った通り武器には魔薬が使われてますから、かすり傷を負うだけでも危険です。中は崩れたりする心配はなさそうですが、陽の光は殆ど入っていません。日没までそう時間もないですし、トラップや待ち伏せには十分注意しましょう。……明かりは持ってます?」
「いいえ、でも私は大丈夫よ。夜目は利くほうだし、一応だけど透視の魔術も使えるから」
「成程。では、前衛はお任せします。俺も一応携帯のライトはありますが、なるべくこれは使わないようにしましょう。敵にも位置がばれますしね。……あ、そうだ。炎斗さん」
ん? と顔を向ける炎斗に近づき、耳元で何事か囁くふうま。
それを聞いた瞬間ぎょっとした顔を向け、小声で「まじかよ……?」と呟く炎斗。
ふうまはすまなそうに顔の前で手を立て、
「辛いのにすいません。でも中の状況が分からない以上、保険は必要ですから。……勿論、出番がなければそれでいいんです。案外あっさりケリがつくかもしれませんし……ね」
ふうまとアンネローゼが侵入しようとしている工場は3階建てで、放棄されてから一度も清掃などはされた様子はない。元々は他の施設や工場で使う制服や作業着を作る縫製工場だったらしく、埃を被ったミシンや裁断機が放置されている。
窓には全てカーテンがかけられているか板が打ち付けられており、太陽の光は殆ど入ってこない。暫くすれば太陽も沈み、照明も一切付かない工場の中は完全な闇に包まれる。
そんな本来人が立ち入ることのない廃墟の中では、きな臭さを感じながら突入を試みる2人すら想像の出来ない程凄惨で、猥褻極まる暴虐が繰り広げられていた。
「んっぐぅ…………!! や、やめ……はぁぐ、ひぃっ……はぁ、あ……んあっぁあ……っ!」
“電輝の対魔忍”上原燐は手足を縛られ、壁に身体を張り付けられている。
それだけではなく、身に着けている対魔忍スーツは乱暴に引き裂かれ、半裸どころか全裸とほぼ大差ない程に肌を露出させられている。
それだけに留まらず、胸部と臀部は巻き付いたものによって形を歪められ、ただでさえ大きいそれらをより一層卑猥に強調させられている。
しかも彼女に巻き付いているものは、紐やワイヤーといった類のものではない。より生々しく蠢き、謎の液体塗れでぬらぬらとした、本能的に嫌悪感を抱かせるもの──即ち触手である。
「や、やめ……ろ! 零子! おい、正気に戻れ! こん……んんっぅ! やめっ……んああっ……!」
燐は目の前にいる不埒な襲撃者に向けて怒鳴るも、与えられる刺激に身悶えてしまい碌に言葉が続けられない。触手は襲ってきた女の背中から伸びている。女がそういった能力や生態を持つ人外というわけではない。その触手は女の背中に取り付けられた装置の排気口のように8つに分かれた穴からそれぞれ1本ずつ伸びている。戦闘にも使えはするのだろうが、燐からは女に対して今のようにふざけた真似をする為の装備にしか見えなかった。
「んんんっ……! くうぅ……や、止め……ろっ! そんなに絞めつけるな……あっぐっぅ!?」
制止の言葉が届いている様子はない。それどころか燐を襲った女は、ますます触手の動きを活発にさせた。
その女のいで立ちもまた奇妙極まるものだった。ほぼ全身を真っ黒なラバースーツで覆われ、僅かに口と鼻のみが外気に触れているようだ。口にはゴルフボール大の口枷、所謂ボールギャグを嚙まされ、意味のある言葉は発せないようにされている。
街中は勿論戦いの場にすら不釣り合いな女だ。ハードな嗜好を持つ客向けの風俗店でしか存在を許されない卑猥さを間近で見せつけられながら襲われていることも、燐の神経を逆撫でしている。
ましてそんな恰好を晒しているのが同僚かつ友人である事が猶更癪に障る。脅迫されて呼び出されたこんな場所で来た以上罠があることは当然想定済みだが、この有様は悪辣にも程がある。
「ああぅ……くそっ……! いい加減にしないと、こっちも手加減はしないぞ、零子……!」
そう言い、敵意を込めた視線を目の前の女に向ける燐。
今までは見知った相手ゆえに、傷つけることを躊躇い言葉による説得を優先していた。結果として抵抗が中途半端なものに留まっていたが、事ここに至りそれでは埒が明かないと考えを改めたのだ。
ラバースーツを着こんだ女―蓮魔零子とは、上原燐と同じく五車に所属する対魔忍であり、私的な交友関係はそれ程広いとは言えない燐にとって、最も気の合う同僚と言える存在だ。
口以外をすっぽり覆った恰好をしているが、付き合いの長い燐は一目見て零子本人だと分かった。他ならぬ彼女を人質に取られたからこそ、燐は単身こんな場所まで来たのだから。
燐と零子の間柄は、冷めた言い方をしてしまえば同僚以上の何かではない。
親友と言える程お互いを知っているわけではないし、一緒に飲みに行ったりだとか、プライベートな旅行に出かけたりとかもした事はない。しかし後進の育成方針や私生活における心構えなど、多くの共感できる部分が彼女たちの仲を深めていた。
いや、ひょっとしたら“只の同僚”と思っていたのは燐のほうだけだったのかもしれない。
最近、燐は零子にある“悩み”を相談された。零子の立場上、本来なら友人は無論の事家族にさえ打ち明けることは出来ないであろうその話をするくらいには、零子の方は親しみを持っていたのだろう。
その驚くべき話を聞いて―燐にとっては一生ものの不覚なのだが―余りの衝撃に面食らって絶句し、数秒ではあるもののどう返答すべきなのか分からず途方に暮れてしまった。
無論気を取り直してからの燐は、可能な限り真摯な対応を心がけていた。しかし、自分でも内心に湧き上がった困惑と忌避の感情を隠しきれてはいない事、意を決して相談してくれた友にもその思いが伝わってしまったことを察し、会話中常に自分の心が締め付けられるのを感じていた。何より燐自身が、こんな反応をしてしまったことに憤りを禁じ得ず、思い出すたびに自責の念がこみ上げてくる。
五車の中でも冷静さには定評のある燐をしてそうなってしまう程に、この話は意外かつショッキングな内容だった。余人ならば、むしろこんな話をしてきた零子の方をこそ責めるだろう。
そんな感情が一瞬たりとも脳裡に浮かばないのは、偏に上原燐という女が生まれ持った善性ゆえである。
兎も角その日以来、表面上は何事もなく過ぎ去っていても、2人の関係性には微かな、しかし決して無視できない暗い影が落ち込んでいた。少なくとも燐はそんな態度をとってしまったことを毎日のように恥じ、一刻も早く蟠りを解消したいと思っていた。
お互いの忙しい日々が今日までそれを許さなかったわけだが、今回彼女らしからぬ軽率な行動に出てしまいこんな窮地に追い込まれている原因は、その事に対する後ろめたさが多くを占めている。無論彼女とて、何の備えもせず敵地に乗り込んできたわけではない。しかし、現状は彼女の危惧した事態を遥かに超えていると言わざるを得ない。
何せ助けに来た筈の相手に襲われ、凌辱されようとしているのだから。
(零子相手だからと手は抜けん。倒さねばまずい……!)
意を決し、四肢を思い切り動かして不快極まる魔の手を引きちぎらんばかりに暴れる燐。目の前にいる同僚が洗脳されているにしろ操られているにしろ、手心を加えられる相手ではない。
手足をばたつかせながらも燐は乱れてしまった呼吸を整え、気を練り、この状況を打開するための術を発動させる準備を整える。
“電輝の対魔忍”の2つ名の通り、彼女は雷遁の術者である。
術の最大出力こそ水城ゆきかぜが勝るものの、応用力の高さはゆきかぜの比ではなく、任務に応じて様々な用途に用いることができる。
形成した電気製の刀剣による近接戦闘、体内を走る電気信号を操作しての身体機能の強化、空気中の電子を固定し力場を形成することで防壁や足場を作り出すなど、その多様さは多くの同僚から頼りにされ、ゆきかぜや甥の鹿之助含め、同系統の術を使う後輩にとっての目標となっている。
言ってしまえばゆきかぜと鹿之助のいいとこ取りをしたような術を使う上原燐はまた、実戦経験豊富な対魔忍でもあり、この手の窮地を脱するためのノウハウも熟知している。
たとえ気心知れた同僚が相手だろうと、一度心に決めた以上は油断も手加減もなく倒す覚悟はあり、実際今まさに手足から電流を流すことで、触手越しに相手を感電させるつもりだった。
しかし──
「……!? な、何故だ? 術が、でない……っ!?」
燐の意志に反して電流は一切出ず、静電気によって起こるような微細な痺れが腕と触手の間を走るだけだった。原因の分からない術の不発に百戦錬磨の上原燐も戸惑い、一瞬だが動きが止まった。
そして、その隙を敵は見逃さなかった。
「ああっ、ひ! ぐぅ……ぃひぃっ!? や、やめ、そこは……ひぁあ!?」
ラバースーツを身に纏う変質者と化した蓮魔零子は、粘着質な八本の手を駆使して上原燐を壁に抑え込み、彼女の肢体を本格的に撫で始めた。
愛撫と呼べるような生易しいものではない。皮膚に張り付いた触手は皮膚を舐めまわし弄うように粘性の物質を馴染ませるように塗りたくり、身体の拘束を強化しつつ卑猥な部分を殊更強調するように這いまわっていく。
乳首や陰核といった、特に敏感な部分には敢えて触れない。それら快感を呼び起こす急所を取り囲むように身体を包まれ、まるで触手自体が変態趣味のラバースーツになったようだ。
幾ら燐が気丈に歯を食いしばっても、口から甲高い喘ぎ声が漏れるのを抑えられない。
「くぅう……っ! は、離せと言って……!? な、何を……!?」
唐突かつ強引に、床へ引き倒される燐。
尻もちを付き視線を前に向けると、そこには信じられない「モノ」があった。
「なっ……お、お前……っ!?」
男性と交際したことのない上原燐にも、その「モノ」が何かは理解できる。それが今眼前にあるという現実を理解したくなかったのだ。
即ち、男性を象徴する肉の棒が、女である零子に付いていた。
「くっ……!? や、やめ……んぐぅ、んぼぅ!? ……」
呆けている間に腰を突き出され、無理矢理口内へ肉棒をねじ込まれる燐。
断じてそんなものを咥えさせられる謂れはないが、最早抵抗らしい抵抗は不可能だった。
術の不発に戸惑っている間に、体の動きすら覚束なくなっていたのだ。
(く、くそ……何故だ、何故身体が思うように動かない……!? 毒か、媚薬の類か……?)
「んぐぅ、ちゅぼっ、んぶぅ……!? んぶ、……ひゃめ……!? んんんっ……!?」
単に拘束されているから動きづらいだけではない。今まさに触手によって身体に塗りこめられているこの粘性の高い物質が原因なのだろうか。
得体のしれない触手が身体に纏わりつき、あまつさえ口の中へ入ってくる事自体への不快感もある。だがそれよりも、この粘ついたドロドロが身体に与える悪影響の方が、燐の心を焦らせる。
不治の病に罹るか、重大な障碍が残る可能性とてあるのだから。
「ふぅ、ひゃ、ひゃめ……! んんっ、んじゅ、うぶっ、はなへっ、んぐぅ……!?」
口内に指四本分ほどの太さがある触手を捻じ込まれ、好き勝手に頬の内側や歯、口蓋や喉までも好き勝手に撫でまわされながらも抗議の声を上げる燐。しかし、零子に届いた様子はない。
というよりそもそも、今もちゃんと零子本人の意識があるのかさえ定かではない。
猿轡を咥えた口以外の顔が見えないというのもあるが、触手以外彼女の動きは酷く緩慢で、酔っ払いか夢遊病者のように足取りすら覚束ない。立って燐の方を向いてはいるが、自分が襲っているのが自身の同僚だと認識しているかすら定かではない。
だというのに、燐はまるで動けない。
獲物を狩る蛸足のように絡みつく触手から出ている分泌物のせいか、触手自体が万力の如き力で抑え込んでいるからなのか。最早今の燐には、それすら判別できないほどに感覚が鈍ってしまっている。
「んぶぅ、ブはっ! ……やめ……やめろ……はぁう! ……!? だ、ダメだ、そこは……やめろっ!」
口から肉棒が抜かれ、呼吸を確保する暇もなく腕や胴に絡まった触手が、燐を壁に押し付けながら上に持ち上げられる。“電輝の対魔忍”は手足をバタバタと動かす見苦しい抵抗すら許されず、足を広げられた卑猥な恰好で磔にされている。二本の触手が更にスーツを裂き、女性器を完全に露出させているのが分かる。
脚が床から離され、眼下には先程まで咥えさせられていた剛直が、薄暗い中でも悍ましい存在感を放っている。燐は嫌でも「この後」の展開を予想できてしまい、恐怖で顔が青ざめた。
「やめ……ろ。やめて、くれ、零子ぉ……!」
哀願に近い叫びも、表情も碌に読み取れない凌辱者には届いた様子がない。
このまま成す術なく、(恐らく正気ではない……と信じたい)同性の同僚に穢されてしまうのか……そう思った時、思わぬ救いが訪れた。
「…………──!」
無言にして無音、しかし明瞭なる殺気を伴ってその斬撃は零子を襲った。
常人ならば察知することさえ不可能なその不意打ちを、常人ならざる感覚を持つ対魔忍である彼女は事も無さ気に躱した。しかも、自分と同程度の体重を持つ女を触手で抱えながら、である。
「……ふん、ふざけたナリしてやるじゃない。あいつらが手こずるだけはある、ってコトかしら」
死角から完璧なる不意打ちを仕掛けたと確信していた女剣士―アンネローゼ・ヴァジュラはそう独り言を呟き、愛刀「金剛夜叉」を構え直す。
渾身の一撃を躱されたことに対するショックはあまりないが、目の前の「敵」を侮っていたことも内心で自覚したアンネローゼは、慢心を捨て、改めてふざけきった姿をしている触手女を見据えた。
口以外をすっぽり覆った、豊満なボディラインがはっきりと分かるラバースーツを着用。
唯一外気に晒した口部はギャグボールを装着し、端からは涎が垂れ流し。
ちゃんとした意識があるのか、アンネローゼのことを認識しているのかすら分からないふらついた足取り。
両手は素手、両足はラバー製らしきサイハイブーツを履き、武器を携帯している様子はなし。
機構は不明だが、背中に触手を出す装置を装着。飛び出している触手は6本あり、全てローションの様な透明の液体で滑り光っている。
(…………どこのどいつか知らないけど、変態なのは間違いないわね)
見れば見るほど呆れて気が抜けてしまう格好に、内心苦笑いをする魔女剣客。
気を引き締めると誓ったばかりなのに、どう見てもそういうプレイをする娼婦の類にしか見えない相手に対応する方法を考えあぐね、彼女らしからぬ見の姿勢を取ってしまう。
言うまでもないが、単にその卑猥極まる姿に引いてしまったというだけではない。
「ぐっ……う、ぅう……」
彼女がいつものように一気に攻めかかれない理由。それは予想外な人質の存在である。
名前も知れぬ他人とは言え、明らかに無理矢理服をひん剥かれ、望まぬ性行為を強制されかけた女性を躊躇なく見捨てられる程、アンネローゼも人間性を失ってはいない。
おまけに半分以上切り裂かれたスーツの形状から、惨い目に遭っているのはどう見ても知人の同僚である。やむを得ない事情も無しに敵諸共斬るというのは、今後の事を考えると“無い”選択肢となる。
そんな女が首や腕に触手を巻きつけられ、自身の眼前に突き出されている現状は、アンネローゼから吶喊する意志を削ぐには十分だった。故に、不本意ながらも睨み合いに時間を費やすしかない。
(こいつが肉の盾を使うしか能のないヒキョ―モノだったんなら、迷う必要ないんだけど……)
「デスフレイム団」の団員たちを一方的に蹂躙し、女を嬲りながら死角から迫ったアンネローゼの一閃を回避したという事実からいって、“それ”もまず無い。
手練れなのは確実。しかも、状況から鑑みれば絶対に本気を出していない。
「魔女剣客」と呼ばれるようになってから、一対一では誰にも負けたことのないアンネローゼには自身が無双を名乗るに相応しい実力があるという自負があった。だが、誰と何時何処で戦りあっても負ける筈が無いと己惚れるには、余りに世の中というものを知り過ぎてもいた。
多少の実力差や油断の有無なぞ何の足しにもならない。死ぬときは死ぬ、それが殺し合いだ。
増して今懸かっているのは自分の命だけではない。目の前で身体を好き勝手にされている誰かさんの命運もそうだが、彼女は今、アミダバラの治安をその双肩に預かっているつもりで剣を握っている。
こんなふしだらな女が自分を斃し、この街で好き勝手にのさばる未来図など、例え我が身を捨ててでも阻止する覚悟を、こいつの後ろから斬りかかったその瞬間に固めたのだ。
休日は下着姿で事務所内を歩き回り、依頼客が来るとほぼ毎回面倒臭そうな顔を見せる自他楽な普段の姿からは想像できないこの思い切りの良さ―というより突っ走りっぷりはアンネローゼの短所ではあるが、彼女を「魔女剣客」たらしめる力の源でもある。
良く言えば、それは常在戦場の心構えでもある。斬るべき対象を察知した刹那、反射で身体の全てを戦いに向けられるように、鍛錬によって条件づけを行う。
何もアンネローゼだけに限った話だけでなく、闇の世界で名を知られるような猛者となるには須らくこの手の技能を体得しなければならない。でなくば、恐らくアミダバラのような街では2日と生きていられまい。
とはいえ、ただ只管目の前の敵を斬るだけなら狂人にもできる。
彼女は今アミダバラの探偵として、眼前にいる変質者を制圧しつつ、人質をこれ以上傷つけないように解放しなくてはならない。誰かに依頼されたわけでもない。修羅場においてその程度のサブミッションをこなさなくては、アンネローゼ自身の自尊心を満たせない。そう、言ってしまえば自己満足のためだ。
「………………はぁー、成程ね。分かった分かった」
唐突に、そして大仰に構えを解き、剣先を床に向けて下げるアンネローゼ。
やれやれと言わんばかりに首を振り、肩を竦めて腕を腰に付ける。剣を持っていない左手を振り、参ったとでも言わんばかりのポーズを見せ……──
──俊足で回り込み、敵の左側面から斬りかかった。
ギィン! と鈍い鍔迫り合いの音がする。
「……っつう!? やるじゃない、バカな恰好の割には!」
我ながら完璧な奇襲だったのに、またしても簡単に躱された。怪訝な顔をしてアンネローゼが敵の手元を見ると、いつの間にやら触手女が鉤爪を装備している。
一瞬たりとも目を話してはいない筈だが、アンネローゼにはそれを取り出した瞬間を捉えられなかった。
「ガキィン! キィン!」とさらに2度刃を交えた所で距離を取るアンネローゼ。
案の定、彼女の背後へ回り込む形で、右から触手が2本迫っていた。「獲物」を追い求める蛸の足を、彼女は自身のプライドに賭けて全て回避する。
死角からの攻撃を躱されると、ラバースーツの女は上原燐を残り4本で床を引きずり、再び2人の間に挟まる位置へと置く。
うう……と呻き声をあげ、悔しさ満点の顔で歯を食いしばってはいるものの、未だ燐が触手の束縛を抜け出せる様子はない。
「ちっ……ああ、もう! やりにくいったらないわ……ねっ!」
苛ついた声を出し、躊躇いを吹っ切る様に前へ出るアンネローゼ。
迷いや怯えによって手足が竦むことを厭う魔女剣客にとって、人質を突き出されながらの戦闘を強いられる現状は何の愉しみも感じられず、1秒ごとにフラストレーションばかりが溜まっていく。
「ちょっと貴女、その恰好対魔忍なんでしょ!? そんな変態にいいようにされて悔しいとか思ってるんなら、根性見せてみなさいよ!」
フェイントを織り交ぜたステップとスウェーで触手攻撃を躱しながら、その魔の手に弄ばれている被害者に向かってそんな悪態をつくアンネローゼ。
それは彼女なりに発破をかけたつもりでもあり、同時につまらない戦いを強いられている事による八つ当たりでもある。見ず知らずの女に優しくするつもりはないが、これでもアンネローゼはその仕事上、対魔忍の実力は見聞きしており、彼女なりには敬意も持ち合わせているのだ。
そしてそんな声をかけられた側も、己の責務や実力については人並みならぬ自負を持っている。
上原燐には現在、触手から分泌されている媚薬が完全に回ってしまった。全身が弛緩して火照り息も絶え絶えとなり、今や手足どころか口も碌に動かせない程弱っている。
もしこのままアミダバラの路地裏に放置されれば、1時間もしないうちに人の皮を被ったケダモノ共に見つけられ、そのまま朝まで成す術なく「可愛がられる」ことだろう。
当然、戦闘への加勢など望める状態ではない。
それでも何とか戦闘の邪魔にだけはなるまいと姿勢を低く保ちながら、残されたわずかな力を振り絞り触手の拘束を振りほどこうと機会を窺い続けている。意識がある限り、決して諦めるつもりはない。
常人ならとっくに性衝動に脳が支配されているレベルの発情状態に陥っていながら、未だ戦意を失っていないのは驚異的ではある。だが、残念ながらその踏ん張りも、現状の打破には何ら寄与していない。
自分が戦いの足手纏いになっているという現実は著しく燐のプライドを傷つけ、人質が回復する兆しが見えないという推測は嫌が応でもアンネローゼの焦燥感を煽った。
思うように攻められないとは、勝ち筋を見いだせないという事、このまま戦闘が進めばどんどんアンネローゼ側が不利になるという事を意味する。
「はあっ! ふっ!! ……くぅ!」
敵の攻撃は見切れている。付け入る隙は十分にある。なのに『邪魔者』の所為で動けない。
そのくらいのイレギュラーで動きを乱すような素人ではないが、アンネローゼとて体力や忍耐力には限りがある。ただでさえラバー女の馬鹿げた見た目や緩慢な動作や、そんな見かけにも拘わらず、自分と打ち合うだけの実力はしっかりとあるという事実がアンネローゼの癪に障る。
しかもそんな奴が人質を弄びながら、自分を挑発するように自分の前へ突き出してくるのだ。
『次はお前をこうしてやる』あるいは『魔女剣客は無防備な女一人も斬れないのか?』とでも言いたいのだろうか。無論相手が一言も口を利かない以上、その行為から読み取れるものはアンネローゼの主観でしかない。だがそういった意味に読み取れること自体が、アンネローゼには我慢できなかった。
自制可能な範疇を超え、脚運びや剣を握る手に知らず力を込め過ぎてしまう魔女剣客。
酩酊しているような足取りのまま攻撃を平然と受け流し、背中からの触手も絡めて迎撃を続けるラバー女。
実力はほぼ伯仲していながらも、精神的余裕の有無は少しずつ戦闘における均衡を崩していった。
「……! そこっ!」
だが、アンネローゼがそこで押し切られる事はなかった。敵からこちらに近寄ってこないのを逆手に取り、華麗なフットワークを駆使して敵を翻弄する。そして触手攻撃の隙を見極め受け流し、身を翻しながらその内の1本を上段からの一太刀で斬り落とした。
馬鹿でかい芋虫を斬ったような不快な感触、そしてべちゃっ、という粘着質な落下音がした。
好機到来。得物を前にした肉食獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべ、剣を振り上げるアンネローゼ。
「いい加減……うざったいのよっ!!!」
その勢いのまま憤然と、愛刀たる〈金剛夜叉〉を縦横無尽に振り回す。
まるで癇癪を起こした子どもが駄々を捏ねて暴れ回るかのような乱雑な動きだが、そこは流石というべきか、たとえ怒りによって大雑把な太刀筋となろうが狙いは一切外していない。
即ち、続けて自身へと繰り出された伸びる魔手が計3本、それらが呆気なく両断された。
(もらった……!)
散々っぱら苦しめられた敵の武器を立て続けに奪い、アンネローゼは勝ちを確信する。
この期に及んで敵は人質たる女を手放す様子がない。何なら手数を減らされた相手が、捕まえている彼女を直接「武器」として使用してくることすら想定していたが、その様子もない。
よって、現状奴の武器は触手1本と鉤爪だけ。距離を詰めて戦えさえすれば、人間サイズな肉の盾など機能せず、手を塞ぐお荷物にしかならない。今からそれに気づいたとしてももう遅すぎる。
覚悟しなさいこの糞変態、今その首殺ってやるわ──と敵の手が空いた空間へと飛び込むべく踏み込んだ刹那、
「後ろだ避けろぉっ!!」
「! ──っ!?」
唐突な喝破を受け、反射的に跳躍方向を急転換し、現在位置から真横―右へと飛びのいた。
普段の自分なら絶対にしない行動を取ったことに、アンネローゼは一瞬だが呆然とする。だが生暖かい物質が自身の後方から飛来し腕を掠めた時、その行動が正しかったことを理解した。
そう、咄嗟に回避を優先したことは正しかった。しかし、残念ながら「2人とも」一瞬遅かった。
「!? ……っぅ、あっ……!」
短い呻き声を上げ、その場に右膝を床につくアンネローゼ。背骨を引っこ抜かれたかのようにふらついて上半身が眼前に折れ、剣を持たない左手を3本目の足にして身体を支え、辛うじて倒れることは防ぐ。
「……ああ、そう。誘われたってワケ……やってくれるじゃない」
青筋をこめかみに浮かべ、頬を引き攣らせながら口角を上げるアンネローゼ。彼女の美貌をもってすればそのような凶相すら一種の絵になるが、胸の内に溜まった激情は今にもマグマの如く噴出しそうだ。
前を見れば、斬り落とした触手がそのまま動いていた。アンネローゼに飛び掛かってきたその切れ端は地面に着地し、離された主を庇うように、あるいは得物を見据えるかのようにその半身を立ち上がらせる。
操っている主人とのリンクが物理的に断たれ停止するどころか、枷から外されその獣性を遺憾なく発揮できるとでも言いたげに、それは先程よりも遥かに激しく蠢いている。
蛇が得物を狙うが如くその鎌首をもたげ、ゆらゆらと赤紫色の体を揺らす様は嫌が応にも恐怖と嫌悪感を催させる。よく見てみると、その体内からは血液やそれに類する液体は一切流れ出ていない。
恐らく、その触手は斬られたことによるダメージは一切受けていない。最初から「そうなる事態」を想定して作られたとみるべきなのだろう。
「!!? ……ちょ、嘘でしょ!?」
そこまで考えが至った所で、アンネローゼはこの廃ビルに入って以来最大の衝撃を受ける。
自分で斬り落とした触手の全てが彼女に纏わりつき、四肢を床に縫い留め動きを封じてきたのだ。
「くっ……こんなもの、でっ……!」
必死に振りほどこうともがく魔女剣客。しかし抵抗は無駄な努力に終わる。
触手に施された「仕掛け」は完全に機能した。ベテランの対魔忍さえ一瞬で戦闘不能に追い込む魔薬の効能からは、たとえアミダバラ随一の剣士であろうと逃れられない。
ラバースーツ女が装備している触手は斬り落とされた3本を含め計8本。上原燐の手と足を纏めて縛り上げるのに2本、首筋から胸と下腹部に纏わりつき、乳首と局部を弄るのに2本使用しているので、未だ女の背中から伸びて自由に動かせるのは1本のみ。
だが、それは何の安心材料にもならない。主から離れたものたちは鈍るどころか却って煩わしい制約から解き放たれたかのように活発さを見せている。
最初から緊急時には千切れるようにできている蜥蜴の尻尾が、獰猛で野蛮なる意志をもって動いているのだ。しかも、その淫らな尻尾は鞭のようにしなって敵を打つだけでなく、女を狂わせる毒まで持っている。
斬った触手は動かないと思いこんだことが、アンネローゼにとって致命的な錯誤だった。
一瞬の油断が命取り。これもこの世界においては常識である。
「んっ! く……こ、のぉ~!! ぅあっん!」
埃まみれの床へ引き倒され、俯せの状態で尚手足をバタバタと動かすアンネローゼ。
しかし動かせば動かすほど鬱陶しい魔手は力を強め、抵抗する気力を奪っていく。
シュルシュルと不快な音を鳴らし、床を這いながら迫る追加の攻め手。さしも魔女剣客も手も足も出ず、ただ悔しさと嫌悪感に歯ぎしりするだけ……と思えたが、
「……あ、れ?」
一瞬、らしくもなく呆けるアンネローゼ。
床から顔を上げると、自分と敵の間に人影が1つ増えていた。
「アンネローゼさん! 無事……ではないと思いますが、立てますか?」
言うまでもなく、先程アンネローゼに警告を発した男、ふうま小太郎である。
忍者刀を構え、“敵”に対峙するその姿はそれなりに様になっている。どうやら、彼が不埒なモノを斬り伏せてくれたお陰で、触手との乱交劇が始まることだけは防げたらしい。
「……随分遅い参戦じゃない、道にでも迷ってた?」
多少荒くなった呼吸を整えつつ、命の恩人と言えなくもない相手に話しかけた。
ふうまはその非難めいた問いかけに対して顔を向けず、苦笑を返す。
「いや、そっちが速すぎるんですって。俺は壁を蹴って上の階へ跳んだりできませんから……。燐先生、ご無事ですか!? 俺です、ふうま小太郎です!」
弁明もそこそこに、目の前で触手に絡み取られた女に対し大声で呼びかけるふうま。
ああ、やっぱり知り合いか……アンネローゼはそう納得しつつ、再び『敵』と『人質』を見据える。
「…………っ…………!」
ふうまに呼びかけられた燐は、不自由な手足を必死に動かし全身を震わせながら顔を上げた。辛うじて意識があることを示しては来るものの、まともに喋る余裕は一切ないようだ。
額には脂汗を浮かべ、目や口から体液を垂れ流しながらこちらに向ける眼差しは泥酔しているかのように虚ろであり、ふうま達をきちんと視認できているかも怪しいという有様だ。少なくとも今戦力としては数えられないだろう。
すかさずふうまが床に伏したアンネローゼに近寄り、手にした忍者刀で拘束具となっていた触手を切り払った。アンネローゼは不快な束縛がされていた場所を手で払いながら起き上がり、呼吸を整える。
いつの間にか触手共は闖入者の男に集中し、明らかにアンネローゼを縛る力も緩んでいた。何だかふうまの方が脅威度が高いと認定されたようで魔女剣客はややむかついた。が、それを口には出さず、愛刀を握り直しながら再び戦闘態勢を取る。
「ところで、あっちのド変態女は知り合い? 聞いてた以上の手練れなのも相まって、めっちゃムカつく相手なのよね。人質さえいなけりゃ秒で切り刻みたいぐらいに」
「いやぁ、流石にあんな知り合いは……って言いたいんですけど、なーんかひっかかかるんですよね。……得物は、触手と鉤爪、ですか?」
「そ。最初に斬りかかった時は触手で手籠めにした女を嬲ってるだけだったんだけどね、急に出してきたのよ鉤爪。隠せそうなとこもないのに。……で、どうすんの? アンタはそこで黙って見てる?」
フラストレーションが想定以上に蓄積してしまったせいか、ただ対応策を聞くつもりが棘のある物言いになってしまった事をアンネローゼは内心後悔する。
斜に構えた態度と遠慮を知らない物言いがこの魔女剣客の持ち味ではあるが、仮にも共闘する相手に対して苛つきを向けても何にもならないことぐらい、流石の彼女も弁えている。
しかし、当のふうまはそんな言葉にもさして気分を害した様子はない。それどころか不敵な笑みを浮かべ、興味深そうにふしだらな姿を晒している女2人を眺めている。
「……どうやら、本当に相手はあの触手女一人のようですね。他に仲間がいたらちょっと厄介だったんですが、幸いあの手の相手は慣れてますから何とかなるでしょう。アンネローゼさんの方こそどうです? 触手相手はやり辛いですか?」
「なわけないでしょ。人質さえいなけりゃ瞬殺だっての」
「ああ、申し訳ないですが、人質になってしまっている燐先生は勿論、あのラバースーツの方も生きたまま捕らえたいんです。できればお互い無傷で済ませたいんですが……まあ流石に、アンネローゼさんでもそれは難しいでしょう」
「は。何それ、挑発のつもり? ……多分捕まえても碌な情報聞き出せないと思うわよ。見るからにヤク漬けであちこち弄られてるじゃない。下手したら脳味噌すらないかもよ」
さらっとした口調で残酷な可能性を述べているが、それは決して冗談や誇張ではない。
ボディラインを強調するラバースーツを着て豊満すぎる身体をしている触手女が何処の誰かは、現時点では2人とも知らない。
だが、「あんな様」になっている以上、絶対に人権を尊重した扱いはされていない。
この手の改造を施された者が人権無視どころか「材料」としても最低ランクの扱いを受けているというのは、彼や彼女の住まう世界では常識に属する事柄である。下卑た欲望を発散するためにも存分に使い倒されているかもしれない―等と、そうした妄想が好きでなくとも容易に考えついてしまう。
「かもしれません。ですが、燐先生がやられるほどの相手です。改造や洗脳をされているにしろ、あの女性も俺の身内かもしれません。それを確かめないわけにはいきませんよ」
「……了解。そこで寝転がってる女はともかく、下にいるバンドマンにはそれなりに義理があるからね。気は進まないけど努力はするわ……で? 具体的にどうすんの?」
「何、そんな難しい事じゃありませんよ。2対1ならね」
そう言いつつ、つかつかと歩きながら触手女に近寄っていくふうま。
右手に忍者刀を握ってはいるが、構えるどころか敵手に向けることすらしていない。友人にでも歩み寄るような気軽な足取りに、アンネローゼも戸惑いの眼差しを向ける。
ラバースーツの女はそれにすら反応を見せない。触手は不気味に蠢き続けているが、本人は彫像かパントマイムのように動かず、頭をあらぬ方向に向け続けている。
そして、ふうまが女にある程度近づいたところで──風切り音とともに薙ぎ払ってくる触手を避ける素振りさえ見せず、彼は左腕で胴体への攻撃を防御する。
バチィッ、という炸裂音がする打撃をまともに受けても、ふうまは悲鳴1つ挙げずその技を観察する。
「……媚毒、か。作ったやつの性根が分かる武装だな」
「あんた、平気なの?」
確認を終え、後方に飛びのいて距離を開けるふうまを、アンネローゼが驚愕の眼差しで見つめる。
アンネローゼにはふうまが立っていられる理由が分からなかった。自分でさえ腕を掠った程度の量が付着しただけで腰砕けになる薬物を、(見た目だけは)普通の男子が腕全体に受けたというのに。
「そっちこそもう立ててるじゃないですか。1分や2分で復活できるものじゃないでしょ、これ」
「はっ、私を誰だと思ってんの……いやまあ、正直言えば結構きてるけどね。大人しく寝てられるような状況じゃないでしょ。援軍なんかないんだから」
「ですね……。まあ、俺の場合は訓練の賜物とでも言っておきます。おまけに、ほら」
「は? ……あんた、何で」
そう言い左腕を見せてくるふうまに対し、流石のアンネローゼも驚愕の顔を隠せなかった。
鞭打には刃物のような鋭さも鈍器のような破砕力も無い。しかし現代においても拷問で用いられている事実からも分かるように、それによって与えられる痛みはとてつもない。熟練者によって振るわれた鞭の速度は音の壁を超える。その衝撃は容易に人間の皮膚を裂き、抵抗する力を削り取ってしまう。
得物が毒に塗れた触手であろうと、振るわれた速度と威力は本物の鞭に些かも劣らない。当然、まともに受けた人間が平然としていられる道理はない。
しかし―
「これは体質によるものです。あー、っていうか呪いとも言うかな。不死身だとか痛みを感じないとか、そういう便利なものではないので」
「……ニンポーではない、ってこと? その……あんたの傷が治るのは」
ええ違います、と即答するふうま。
彼の左腕には、確かに大きな蚯蚓腫れが出来ていた。しかし、まるで映像を高速で逆再生でも行ったかのように、ものの数秒でそれが消え失せていた。
その尋常ならざる回復力は、ふうま小太郎が対魔忍として生得した術ではない。とある魔族の男と結ばれた宿縁の副産物であり、望まず与えられた厄介モノでもある。
心臓を潰されようが蘇生できる。またどんな重症も驚異的な速度で回復する。
そういった点だけを聞けば確かにすごい恩恵なのだが、手放しで喜べないリスクがあるのはふうま自身が実感している。自身でも述べたように、決して不死身になったわけでもないということも、何となく理解できてしまっている。
調子に乗って頼っていると、いずれ取り返しのつかない事になるだろうことも。
「ま、今はどうでもいいでしょう。俺ならあの攻撃を引き受けられます。盾役が1人いれば、あいつに肉薄できますよね、アンネローゼさん?」
「ああ、そういう……背中の触手が生えてる機械を狙えばいいのね?」
こくり、と頷くふうま。
手筈を整えた2人は敵を見据え、じりじりと間合いを詰める。
ふうまが敵の右手から、アンネローゼが左手側から仕掛ける恰好である。
「お願いします……。あんま、時間かけずに行きましょう」
「言われるまでも、ないわよ……っ!」
言った瞬間、俊足で飛び出して敵に斬りかかるアンネローゼ。
「ちょっ……!」というふうまの声を背に受けながら吶喊する魔女剣客。当然のように迎撃をする触手を刀で弾きながら敵の懐に潜り込もうとする。
ラバースーツ女もそれは織り込み済みである。
既に太刀筋を見切れているのか、腕甲と鉤爪で的確に斬撃を弾いていく。
足取りは未だにふらついて覚束ないように見えるが、上半身だけが別人のように機敏だ。
「盾役やるって言ったでしょう!? そんな突っ込んだらまた―」
「寝言言うな! 今日会ったばかりの奴と連携組めるわけないでしょ! そんなにやりたいならソッチが合わせなさいよ!」
ふうまの咎める声に、アンネローゼは斬り合いを演じながら吐き出すように返答する。
きつい物言いだったが言っていることは正論であり、それが自分の仕事だと思い直したふうまは意を決して敵へと歩を進める。
焦らず悠然と、むしろ悠長にすら見える足取りで距離を詰めるふうま。彼が接近する目的が自分の手が相手に届くまで近づくことではなく、自分に対しどのような攻撃をしてきても対応可能な態勢を維持し、カウンターを決めるためだからだ。
アンネローゼが言った通り、彼らはついさっき会ったばかりだ。お互いの主義、嗜好や戦法について知悉しているわけもなく、戦いの際に呼吸を合わせられる可能性など皆無である。
しかし、そういった『一見さん』の動きを敵味方問わず把握し、瞬時に最適な動きを考えるのは、対魔忍唯一の『独立遊撃隊』隊長であるふうま小太郎の責務であり、また彼の得意分野でもある。
ふうまにとっては、既にラバースーツ女は未知の敵ではなく、アンネローゼ・ヴァジュラも不確定な要素を孕む味方ではなくなった。ならば、後はどうやって相手を詰ませ、事態を解決するかを考えるだけだ。
「……認めたくはなかったが、やっぱりそうなのか」
最初から頭の片隅に浮かんでいた既視感は、戦っている姿を見るうちに確信へと変わった。
例え毛髪を含む顔全体を隠し、口をボールギャグで塞がれていようが、相手が知り合いならば立ち姿を見れば凡そ勘づく。
この観察眼はふうま自身の特技でもあり、任務上必要になると思い自主的に鍛錬した成果でもある。
加えて酔っ払いのような足取りでも、戦い方の癖というものは如実に表れる。
使っている『得物』の1つが普段のそれと似通っているというのもあるだろうが、幾度となく見て覚えたその戦闘技能とプロポーションは、ふうまにとって見忘れる筈のないものなのだ。
「蓮魔先生! 聞こえてますか? いえ、俺がだれだか分かりますか?」
呼びかけに、応える声はない。しかし疑う余地はなくなった。
ふうまもここで、目の前にいる全身を変態趣味丸出しのファッションで包んだ女性が、自身の教師である蓮魔零子だと気づいた。
猶更無暗に傷つける訳にはいかなくなったが、といって加減をして戦えるとも思えない。
不正や堕落を一切許さない蓮魔零子の性格は、そのまま戦闘における苛烈さにも反映されている。『透過曲撃』と呼ばれる透視能力を活かし、自由自在に鞭を操って隠れた敵を攻撃するその戦いぶりは、五車だけでなく他の組織にも知れ渡っている。
そんな彼女がどうしてこんな事になったのか。そして、何故上原先生がこんな所で蓮魔先生に襲われているのか。頭の中に疑問は渦巻くが、命のやり取りをしている今考えることではない。
「止まってください、蓮魔先生! 今の先生のそんな様を、黒田巴先輩が観たらどう思うと思います!? 鼻血出しながら卒倒しちゃいますよ、いいんですかそれで!」
「……あんたふざけてんの? そんな説得、聞いてもらえると思ってる?」
交戦しながらアンネローゼに突っ込みをもらったが、もちろんふうまも答えを期待して説得を試みているわけではない。いくつか確認しておきたいことがあったから、敵との距離を詰めつつ普段の彼女が最も言われたくないであろう言葉を投げかけてみたのだ。
まず大前提として、今の蓮魔零子は正気ではない。
零子のパーソナルな情報を十分には持っていないふうまであっても、彼女が白昼にラバースーツを着こみ、人前で局部を露出させて同僚を強姦するような人物でないことぐらいは分かる。
先程名前に出した『黒田巴』という彼の先輩は、そんな破廉恥な教師を慕う程破綻してはいない。いささか行き過ぎじゃないかというかあれってまるっきりソッチの趣味ですよねと確信するほど零子先生に入れ込んでおり先生の話をするだけでトリップしかけてしまう少々(?)アブない先輩ではあるが。
(……ていうか今更だけど、何が悲しくて股間丸出しの先生と戦わなきゃならねえんだよ……)
戦闘中の今も、蓮魔零子の股間についた男性器は完全に見えている。
ふうまとアンネローゼが来る直前まで女を犯しており、それ以後も隠そうとか、恥ずかしがるとかいう素振りさえ見せない。いくら隙を晒してしまうとは言え、倫理観どころか人間性の有無さえ疑う光景である。
おまけにソレが、自分のに迫るどころか超えているかもしれない程『ご立派な』モノとくれば──
(気にしないってのはどうやっても無理だが……)
「……っええい。やるしかねえなら、やってやるさ!」
アホらしくて萎えそうになる身体に気合を込め、顔を歪めながらも前進するふうま。
『敵』はまだこちらにそれ程注意を払う様子はない。魔剣を振るう凄腕と『只の男』ならばどちらに気を遣うかは明白だ。ふうまが忍法を使えないと知っているなら尚の事だろう。
もし目の前にいる女が『本当に』蓮魔零子ならば、絶対にそんな風には考えないだろうが。
「……!?」
驚愕は敵である零子より、むしろ味方であるアンネローゼの方が大きかった。
ラバースーツの女に明確な自意識があるか疑わしいことを差し引いても、それは異様な光景だった。
無造作に近寄ったふうまは、自動的に迎撃してきた触手を身体で受け、何事もないようにその内の一本を掴み取る。
そのままぐい、と引っ張りながらさらにラバースーツ女へ接近する。まるで垂らした釣り糸やタコ糸を力任せに手繰り寄せるかのような手つきであり、流石に敵手である零子の方もたじろいだのか、ただでさえ不安定な足取りが更に乱れた。
現在の蓮魔零子は正気ではない。しかし、完全に意識が存在しないというわけではない。
どんなに顔を隠し、ポーカーフェイスを貫こうと、身体は無意識のレベルで反応を示している。言わずもがな、明確な拒絶と苦痛を訴えている。
ふうまが『彼女』の目の前に現れた時、そして黒田巴の名を聞いた時。その2度に渡って微かにだが生じたその反応を、独立遊撃隊の隊長は見逃さなかった。
身体の自由を奪われ遠隔操作されているのか、それとも暗示や薬物で洗脳されているのか。どちらかは分からないが、少なくとも今の彼女が望んであんな有様になっているわけではないのは明白である。
あのぎこちない動きは、自意識が存在しないが故の非人間的駆動ではない。屈辱に甘んじている高潔な対魔忍の、せめてもの抵抗が現れているのだろう。
故に、最短最速で決着させる。そうふうま小太郎は決意した。
掴んでいる以外の触手に尚も叩かれ、裂けた皮膚から洒落にならないレベルの血が噴き出そうが、流れ出た血が着衣に大きな染みを作ろうが構わず、彼は自分の間合いまで敵を引き寄せる。
平均的な成人男性を上回る腕力で引っ張られれば、さしもの蓮魔零子と言えど体勢を崩さざるを得ない。しかしすぐさま足を開いて踏ん張り、ふうまの引っ張りに対抗しようとする。
「ちょっと! あんま無茶を……ちっ!」
声をかけたアンネローゼを再び触手が襲う。今や上原燐を拘束していた触手すら2人の迎撃に回し、斬り落とされ自律行動している触手は全て魔女剣客に向かっていた。
余裕が無くなったが故の行動だろうが、だからといって戦況が2人にとって楽になったわけではない。
蛇のように鎌首をもたげた触手は蚤や飛蝗のように自在に跳ね回ってアンネローゼを襲っている。
彼女の頭上を飛び回りながら『尻尾』の部分を振り回したり、壁や天井に張り付いて伸縮しながら攻撃しようとしてくる。色白い長く伸びた芋虫のような姿をして、連携技じみた動きまでするのだ。
しかもその体内には媚毒が充満している。1度不覚を取って腰砕けになってしまったアンネローゼにはもう掠る事すら許されない。その瞬間戦力としての魔女剣客は消失したも同然になるだろう。
だが、そうした攻撃をアンネローゼが引きつけてくれたからこそ、ふうまは今こんな無茶ができている。
今やラバースーツ女に繋がった触手はふうまの首や手首に巻き付いて絞めあげ、必死になって彼の意志を挫こうと試みる。
だが、ふうまは動じない。右手で逆手持ちした忍者刀を構え、左手で触手を1本握ったままじりじりと間合いを詰める。
「…………!?」
ふうまとアンネローゼは、そこで初めてラバースーツ女の感情が動く様を見た。
明らかな動揺であった。眼前の男子によるダメージや毒の効力さえ意に介さない特攻には、流石に狼狽えたのだろう。
女の驚きを肌で感じ取ったふうまは、勝機を実感し更に腕へと力を籠める。
「……やはり、蓮魔先生じゃないな」
それを改めて確認し、首絞めによってやや薄れてきた意識を気力で支えながら、ふうまは利き腕を振り上げる。既にふうまと女の距離は30cm程、完全な至近である。
相手の背中であっても、完全に攻撃が届く距離。
「だからこれで……終わりだ!」
目の前にいる女は、自分の知る教師の意志と知恵を持って動いていない。もしそうなら、こんな単純なごり押しが通じる訳がない。
高潔な女教師の精神と肉体を凌辱した何者かへの怒りを込め、ふうまは攻撃を繰り出した。
敵が苦し紛れに繰り出してきた鉤爪を弾き、返す刀を触手たちの制御装置と思しきバックパックへ女の肩越しに振り降ろす。
「!??! ……!!」
切っ先が装置に刺し込まれ火花が散った瞬間、蓮魔零子の全身が電撃を受けたように震え、数瞬硬直する。どうやらふうまの読みは当たっていたようだ。
「今です!」
そう叫ぶより早く、アンネローゼは動いていた。ふうまが己が身を痛撃に晒してまで得た好機を逃さず、彼の付けた傷をさらに抉るべく前進し──
「…………え」
まず衝撃が襲い、次に袋が張り裂けるような衝撃音。そして魔女剣客の腹部、臍の辺りに熱い感触が広がる。一瞬腹痛でも起こしたかと錯覚したがそうではない。明らかな外傷の感覚である。
後2,3歩進めば敵に攻撃を加えられるという所で、アンネローゼの足が止まる。
「……ど、どこから、そんなもの……っ」
たたらを踏み、咄嗟に腹部を庇うように、或いは漏れ出そうになる何かを抑え込もうとするように手を傷口に当てる。一目で重症と分かる蚯蚓腫れが彼女の素肌へ横一文字に描かれている。
服を一撃で裂き、戦闘モードに入った魔女剣客の足を止めるほどの痛撃である。
触手による傷ではない。そんなものに今更当たる程アンネローゼは間抜けではないし、第一制御装置にダメージを受けたそれらは今、苦し気に痙攣を繰り返すばかりでその脅威性を喪失している。
「蓮魔先生!? ぐっ……!」
驚きの声を上げた刹那、刀を持った右腕に巻き付いた『それ』を見るふうま。実戦訓練で見慣れたその黒く弛む物体。
まぎれもなく対魔忍、蓮魔零子の愛用する鞭に相違ない。
その鞭が握られている腕を見ると、先程まで付いていた筈の鉤爪がない。ラバースーツの何処にも隠し持てるような所が無い以上、突然現れたとしか思えない。
その絡繰については大いに興味を抱くふうまだったが、今はそれどころではない。
敵が逆にこちらを引っ張り、鳩尾に前蹴りを食らわせようとしてきたその足を左腕で掴む。
「くっ……ああ、もう! しゃあねえなっ!」
ふうまはここで悟る。最早一切の手加減は無理だと。
よって使うつもりの一切無かった奥の手──本来開く筈の無い『右眼』の力を開放する。
「?! ……!!?」
そこからの決着はあっという間に着いた。
腕と首、2重の拘束をされていたふうまは零子の視界から瞬時に消える。瞬きすら間に合わない刹那の移動によって敵の後ろに回り込んだふうまは、素手による右ストレートをその背中にお見舞いする。
ただの拳―しかも忍法を使えない男のそれでは普通、金属製の制御装置を破壊できない。
すなわち今その一発で装置が真っ二つに裂け、パンチを受けた部分が砂粒のように砕け、さらさらと床に流れ落ちていく光景は、異常としか言いようがない。
「っと……! うん、外傷はない、な。後で詳しく検査してもらわなきゃな……」
背中についた装置の崩壊とともに総身から力が抜け、仰向けに倒れた零子を右手で抱えるふうま。
糸が切れた操り人形の如き挙動は、彼女が悪しき縛りから開放された証左だろう。
それを見て、ようやく安堵の息をつくその瞬間、
「うっ……! っふぅ、ぅぐぅっ……!」
眼球に五寸釘を突き刺されたような痛みと脳の重さが十倍になったかのような感覚に襲われ、ふうまは支えた零子ごと後方に倒れ込み、尻餅をつく。無意識に片手で右眼を押さえ、歯をくいしばって耐えるが、呻き声は止められない。
「ちょっと……大丈夫?」
自分の腹を押さえながら、心配そうな声を上げるアンネローゼ。
その優しさに内心で感謝を覚えながら、ふうまはなるべく平静な声を返す。
「っ……ええ、問題ないです。自前のじゃない力を使った代償みたいなもんですから……ほら、すぐ治まりますよ。いつもこうなんです」
「……そういう台詞は鼻と目から血を出しながら言うもんじゃないわよ」
言われてギョッとし、慌てて言われた場所に手を当てるふうま。確かな滑りと汗とは違う生温かさを感じ、そして指についた紅い液体を見て、顔から血の気が引くのを感じる。
「何、もしかしてそうなるのは初めて?」
「…………いいえ、2回目です。ちなみに確認なんですけど、俺の右眼、今どうなってます?」
「どうって……瞼が完全に閉じてるわよ。そこから紅い涙が一筋、流れてる」
そうか──そう呟き、ふうまは何やら得心した様子で息を吐く。
そして蓮魔零子を床にゆっくり下ろすと辺りを見渡し、観念したように溜息をつくと、自分のシャツを脱ぎ、それを零子にかけた。
強姦の被害者である上原燐には申し訳ないが、現状こちらの方が見るに堪えなかった。
「……ああ、すみません。アンネローゼさんの方は平気ですか?」
「は、あんたに心配されるほどのもんじゃないわよ……。こんなもん、テキーラを樽2杯分飲み干した時の方が全然やばかったっての」
何ですかそれ新手の自殺? それとも肝硬変RTA? お腹を擦りながらされた唐突なカミングアウトに突っ込みたい気持ちは多分にあったが、とても軽口が利ける状態ではなかった。
ふうまは頭を左手で抑えながら、死ぬ思いでズボンのポケットから携帯端末を取り出す。
「炎斗さん? ふうまです……ええ、なんとか。…………いえ、俺は大したことは。っつ、く、ふぅ……ええ、ちょっと厳しいんで、救援願いします」
頭を押さえつつふらついた足取りで零子の隣から離れ、燐の近くへ移動するふうま。
零子が意識を失ったままなのを確認し、ようやく燐の様子を確認することができると判断したからだ。
「ああすいません、できれば上がってくるのは女性の方だけで、毛布かシーツの用意もして頂けると…………いや、違いますって。要救助の女性が3名いて、うち2名が半裸状態なんですよ。……ええ。すいませんが詳しい話は後で。俺もちょっと、きついんで……ああ、怪我してるんじゃないです。休んでたら大丈夫なんで……はい、悪いけどそこら辺も後で。……はい、宜しく、お願いします…………ふぅ」
体調が最悪に近いとはいえ、横柄な態度で通話してしまったかな。
ふうまは内心反省しつつ、しゃがみこんで上原燐に話しかける。
「上原先生……燐先生? 燐先生、聞こえますか? ふうまです……」
燐からの応答は聞こえない。
彼の想定以上に消耗してしまっていたからか、それとも媚毒が変な作用を起こしたか。彼女も自分を犯そうとした女と同様、完全に失神してしまっているようだ。
下手に動かすのはまずいかもしれないが、このままにしておくわけにはいかない。ふうまの知識や装備ではそれ以上の結論を導くことは不可能なため、この先は専門家の判断に委ねるしかない。
「……そういや、九郎さんはなにやってるんだ?」
ここでようやく、ふうまは彼をこの地に誘った男の動向に思いを馳せた。なぜ今までそのことに思い至らなかったのか不思議でしょうがないが、一度思いつけば連鎖的に感情が湧き出てくる。
即ち疑問、そして怒りである。
「あ、そういや連絡先知らなかった……いや、聞いた所で教えてくれるわけないか。はぁ……」
肩を落とし、苛立ちと頭痛を抑えるために頭を掻く。
どっかと音を立ててその場に座りこみ、背中の後ろに手をつき天井を見上げる。
「何? 他に仲間がいたの?」
「ええ、一応。今どこで何をやってるか、全く分かりませんがね。……そちらは、誰か来ます?」
「え? ああ……一応同居人というか使い魔はいるけど、今頃は事務所の片づけでもしてるでしょうから、ここには来ないわよ……。……い、痛ぅ……うわ、すごい腫れ。これ、そっちに損害賠償とか請求していいかしら?」
「あ~……いやぁ、自分にそういう事決める権限はないんで、炎斗さん辺りから話通してもらえると―」
嬉しいです、という前に会話が強制的に中断させられた。
ドカーン! という、誰かの馬鹿力によってコンクリートの壁が粉砕される音によって、である。
「ちょっとアンネローゼ! 戦いなら私を連れて行きなさいよ! なんで……―」
脳筋にも程がある方法で部屋に侵入してきた、メイド姿の女性。
怒り気味でアンネローゼに話しかけてきた彼女の声が途切れる理由、それは室内の状況以外にない。
素っ裸以上の卑猥な恰好で寝転がる女性2人。
その直ぐ近くでへたり込んでいる血塗れの男1人。
何より、お腹を押さえながら倒れている自らの主人にして友人。
彼女―ミチコ・フルーレティがフリーズするには十二分に過ぎる光景だった。
「……! あー、ミチコ? ……えっと、これは違うのよ。彼敵じゃないから、もう戦いは終わってるから」
自身の使い魔がどういう思考回路の持ち主か理解している魔女剣客は冷や汗を流し、多分聞こえていないんでしょうね、と半分諦めつつも弁明を試みる。
ふうまもまた、アンネローゼの態度から事情を察し、何かしら言おうかと口を開いた。しかし、メイド姿の女性の顔がどんどん人ならざる凄みを帯びてくるのを見て話すのを止めた。
経験則から、下手な弁解は火に油だと理解したためである。
「き──」
大きく吸い込まれた息。開かれた口からのぞく歯。長い溜め。
数秒後の展開が容易に想像できた2人は息をのみ、両手で耳を塞いだ。そしてその予想は、完全に近い形で実現することになる。
「きぃやぁぁあああああああ──────────────────!!!!!!」
まさしく悪魔めいた絶叫。空を裂かんばかりの金切声だった。
というか、実際に窓ガラスは割れていた。
1年以上もお待たせした挙句別垢での再開となって申し訳ありませんorz
幾度もご迷惑をおかけしていますが、よろしくお願いいたします。