僕が守りたいのは薔薇の中の彼女であって、この世界の彼女ではない。
だから、あの館に行くことは今まで一度もなかった。
そもそも会おうと思って簡単に会える場所ではないのだから。
だけど、今回だけは…どうしてもあの館に行かなければならない気がしてならなかった。
館に入る権利を持つ者を探し出して、その心の中から望みを読み取り絵を描き上げる。
普段なら気が進まないどころか思いつきもしないようなことだが、その時の僕は無心で描き続けた。
まるで目に見えない大きな流れに身を委ねていたかのように…気が付いたら館の入り口をくぐっていた。
出迎えた人間のなかに‥‥彼女がいた。
「‥‥‥‥‥‥マチュ?」
なぜ彼女がここに?
イズマにいるはずじゃ。
両親はどうしたの?
…もう、誰かに抱かれた後なのか?
濁流のような疑問に思考が押し流されていく。
口利きをしてくれた男が何か言っていた気がしたが、まるで耳に入らなかった。
結局また、気が付いた時には薄暗い部屋のなかで立ち尽くしていた‥‥マチュを待ちながら。
「本日は御指名いただきありがとうございます。恋人さん…今夜は楽しみましょうね。」
そう言ってマチュは笑っていたが、彼女の"本物の笑顔"を知っている僕からすればソレは作り笑い以下で。
思わず心の中を読めば…そこには、何も無かった。
自由を求め、未来に思いを馳せる、太陽のようにきらめくマチュが…そこにはいなかったのだ。
そして…僕は気づいた。
僕を見る彼女の眼に…かつて感じた"熱"が全く宿っていないことに。
目の前のマチュにとって、僕は"自分を食い物にしてきた男達"と同等の存在でしかなかったのだ。
耐えられなかった。
薔薇の中の彼女が僕を見てくれないのは当然だ。
あの人が好きなのは僕ではないのだから。
だからそれを気にしたことは無かった。
マチュの眼に僕が映っていないことは…どうしても我慢できなかった。
太陽のように僕を焦がしてくるあの"熱"を持たないマチュを、認めることができなかった。
ベッドの上で服を脱ぎ、僕を誘うマチュ。
そのことに、彼女はもう他の…僕ではない男に抱かれたという事実に目の前が真っ赤に染まり…
僕は彼女を身請けした。
半ば祈るような気持ちで、マチュの手を引っ張りながら住居兼移動手段であるトレーラーを目指す。
地球に着いた以上用済みとなったスペースランチを売り払って手に入れたソレのガレージ部分には、壁一面にグラフィティが描いてある。
これを見て…彼女が、僕の知っている"マチュ"に戻るようにただひたすらに祈る。
もし戻らなければ‥‥この世界から"マチュ"が永遠に失われることを意味していた。
真っ暗なガレージまで彼女を案内する。
てっきりベッドのある部屋まで連れていかれると思っていた彼女は、僕を不審な目で見つめる。
かつての彼女からは決して向けられなかった感情にくじけそうになりながら、意を決して…ガレージの明かりをつける。
光のもとに晒される向こう側を表すグラフィティ。…かつて、彼女が見つけてくれたキラキラ。
恐る恐る彼女の顔をみると…。
「‥‥‥‥わぁ…!」
目を輝かせて、僕の描いたグラフィティに心を奪われた彼女がそこにいた。
僕が知っている"マチュ"がそこにいた…!
その日から、僕の旅は"薔薇"を探す旅から‥‥"マチュ"を取り戻す旅へと変わったのだった。
(これから、どうしようか…。)
朝日に照らされる海を前に、マチュと想いを伝え合ったその日の晩…僕は途方に暮れていた。
僕がコチラ側の世界に来たのは、あの人が創ったこの世界を終わらせるためだ。
つまり、終わる世界のなかには当然…マチュも含まれているわけで。
けれど今日、やっと彼女は僕が知っている"マチュ"に戻ってくれた。
薔薇を後回しにしてまで取り戻したマチュを終わらせるなんて、今更できる気がしなかった。
(マチュを選べば、あの人を傷つける世界を放っておくことになる…世界を終わらせれば、再びマチュを失ってしまうことになる。)
堂々巡りの思考が頭のなかに充満する。
たった一つだけのはずだった望みが、迷う必要などないはずだった僕が…マチュによって変えられた。
その事実すらも愛おしくて仕方がないのだから、もう僕にはどうしようもなかった。
「…シュウジ、起きてる?」
「起きてるよ。どうし、た、の‥‥。」
ガレージに描いたグラフィティの前で立ち尽くしていると、マチュが入ってくる。
入り口のほうに目をやれば‥‥。
男を"誘惑"する装いをしたマチュが、頬を可愛らしく染めるマチュがそこにいた。
湧き上がってくる"欲"を何とか抑えるのに必死な僕に、マチュがおずおずと近づいてくる。
一歩歩くごとに、薄く透けた服の中で彼女の膨らみがふるふると震える。
ダメだ、動けない。
一歩、どころか指一本動かしたら…僕はマチュに欲をぶつけるだけのケダモノになってしまう。
「シュウ、ジ。あの…あのね…。」
耳まで真っ赤に染めたマチュが目を伏せたまま、消え去りそうな声でコチラに語り掛けてくる。
それすらも、僕からすれば欲情を誘うもので…ピシリピシリ、と理性にヒビが入っていく音がする。
やめろ、やめてくれ…マチュ、僕は…君を抱いた後の責任がとれないんだ。
世界を終わらせることを諦めきれない僕は、君を抱く資格がないんだ…!
「シュウジには…なにか、やらなきゃいけないことがあるんだよね?」
頭のてっぺんにまで昇っていた血が一気に下がる。
まるでコチラの思考を読んだかのような言葉に、滾っていた欲が凪いでいく。
まるで断罪を待つ囚人のような心持で、マチュの次の言葉を待つしかなくなる。
「なんとなくわかってた。シュウジには、なにかやるべきことがあるって。それを後回しにしてまで…私を海に連れてきてくれたって…!」
伏せられていた目が、僕の目と合わせられる。
そこには、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
ああ、そんな顔しないでくれ。
君が気にする必要なんかないんだ。この旅は、僕が自分で望んだ旅なんだ。
マチュが負い目に感じる必要なんてないんだ。
なんとか口に出そうとするも、カラカラに乾いた唇は全く動かない。
そんな僕の沈黙を肯定と見なしたのか、マチュはまた一歩前に踏み出した。
揺れる柔らかさに、凪いだはずの欲がまた鎌首をもたげる。
「今の私には何もない…。シュウジの優しさに何も返せない。いつか、いつか必ず返してみせるけど…今は、今夜だけは!私の身体を受け取ってほしい!シュウジの隣にいていいって、結局自分のことしか考えてないけど、それでも身体でシュウジに報いさせてほしい!」
声を張り上げて、思いの丈をぶつけてくるマチュ。
そこに含まれる"熱"は、かつての彼女が向けてきてくれたソレよりも遙かに僕を焦がしてきて。
もう…限界だった。
「きゃっ!」
強く強く抱きしめると、可愛らしい悲鳴をあげるマチュ。
耳元をくすぐる吐息と身体中に伝わってくる彼女の体温が、とある事実を僕に突き付けてきた。
マチュは、僕のモノになったのだ。
そうだ、もうマチュは僕のモノなんだ。
なにも迷うことなんてなかったんだ。
僕の望みはたった一つ、それ以外は何もいらない。
だけど、その"いらないモノ"の中にマチュがはいることは永遠にありえない。
なぜなら、マチュの望みは僕のモノになることだから。
いつまでも僕の傍にいつづける…それがマチュのたった一つの望みなんだ。
何もかも終わらせたとしても、マチュだけは終わることなく僕の隣に居続けるのだ。
「マチュ、マチュ、マチュ‥‥!」
「んぁっ、ああっ、シュウジ…!」
欲に身を任せて、僕自身をぶつけられたマチュが歓喜の声を上げる。
経験のない僕の責めなど、男を悦ばせる技術を磨き上げた彼女からすれば児戯にも等しいだろうに。
悦楽の喘ぎをあげるのは…マチュが僕を愛してくれているから!
「マチュ‥‥!!」
頂点に達した欲を注ぎ込む。
その日、僕たちは一つになった…。
僕とマチュは今、海の見える丘に建てられた一軒家に住んでいる。
終わってしまった世界の跡地に建てられた楽園に…。
マチュは思いもしないだろう。この家から見える範囲から先は、"何も無い"が広がっていることに。
この"世界"にはもう、僕とマチュの二人しかいないことに。
マチュが作ってくれたアップルパイに舌鼓を打ったあと、洗い物をすませた彼女を膝に乗せて抱きしめる。
リンゴを持ち帰ったのは、アップルパイが食べたかったというのもあるが、いつかマチュが考えた"僕から離れた未来"が未だに彼女のなかに残っているか確かめたかったからだ。
もしも残っていたのなら…今マチュが思い浮かべている通りに『マチュは僕のモノ』ということを向こう一週間かけて教え込まなければならないところだ。
いやしかし、僕がケダモノになってしまうのはマチュにも責任があるんじゃないだろうか。
だってそうだろう。
マチュは、自分の考えていることが僕に筒抜けであることを自覚している。
それなのにコチラを欲情させることを考えるなんて…まったくもっていやらしい子だ。
これは…責任を取ってもらう必要があるだろう。
抱きしめた柔らかさを堪能する僕の手を、なんとか止めようとするマチュだが首筋に吸い付けばたちまち無力化する辺り、抵抗が形ばかりなのは明白で。
この後に及んでまだ焦らそうとしてくるとは、なんて悪い女の子なんだろう。
お仕置きの意味も込めて、彼女の中でも最も柔らかい部位の頂点を指先でくすぐってやれば、マチュの身体から完全に力が抜けた。
ここから先はベッドで楽しもう、と鼻歌を歌いながら愛しい女の子を抱きあげる。
マチュからすれば、僕は楽園に誘った神様で、毎晩誘惑する蛇であり、自分にとって唯一無二のアダムだという。
それはコチラのセリフというものだ。
僕に楽園を用意させ、やること為すこと常に欲を誘う、代わりなんて何処にもいない愛しいイヴ。
きっと最初に捕まえられたのは僕のほう。
だから僕もマチュを逃がさない。
ずっとずっと一緒に。いつまでも傍に。
彼女の望みを、永遠に叶え続ける。
これは"たった一つの望み"の外の話。
何もかもを僕に捧げた女の子。決して"いらないモノ"になどなりようがない、僕だけのマチュ。