――1950年代後半。
戦争は終わったはずだった。
だが、海に船を浮かべれば、銃火の匂いは未だ消えちゃいない。
俺はそう思い知らされていた。
佐世保を出港した駆逐艦《時雨》。
任務はただ一つ――領海に侵入した国籍不明艦を追跡・警告すること。
「艦長、不審船、距離一万八千。速力十五ノット」
美月の報告。無表情の裏で、わずかに緊張が走っているのが見えた。
旗は……ない。識別信号も応答なし。
この時点で怪しさは十分だった。
「こちら日本国海上警備隊護衛艦《時雨》! 直ちに停船せよ!」
実が拡声器で叫ぶ。英語、日本語、中国語。だが、海に返ってくるのは波音ばかり。
――嫌な予感がした。
俺は平和を望んでいた。
だが、現実は甘くない。沈黙は往々にして敵意の表れだ。
「艦長!」
実の声が鋭くなる。
「相手、答える気はありません!」
直後、不審船が火を噴いた。
水柱が甲板にまで降りかかる。
――ああ、やはりな。
撃たれた以上、こっちも撃ち返すしかない。
どれだけ理想を語っても、戦場は理屈を許してはくれない。
「発砲確認! 交戦状態!」
美月の声。
俺は短く息を吐いた。
「全砲、撃てぇッ!」
12.7センチ連装砲が火を吹き、砲煙が視界を覆う。
轟音。衝撃。心臓が跳ねる。
不審船に直撃。火柱。悲鳴。傾き。
――これが現実か。
俺は艦長である前に人間だ。
人を殺すのは嫌だ。けれど、殺さなきゃ仲間が死ぬ。
なら、迷う余地なんてどこにある?
数分後、不審船は黒煙を吐きながら沈んだ。
「……敵艦、沈没確認。生存者、ごく少数」
実の報告が重い。
「救助せよ」
俺は言った。
どれほど卑劣でも、命は命だ。
助けるのが、俺たちの義務だ。
◆
――尋問室。
俺と実、美月の三人は、生き残った薄汚れた男と対面していた。
脂ぎった顔に血走った目。
まるで人間というより野犬だった。
「お前たち……どこの国の人間だ?」
俺は問う。
「答える義務はねえ」
男は鼻で笑った。
実が机を叩く。
「ふざけるな! なぜ撃ってきた! 答えろ!」
「へっ……俺たちはただ生きるためさ。密漁も密輸も武器も……何でもやる。国なんざ関係ねえ」
――そうか。
国に属せず、ただ飢えを満たすために。
それで船を出し、人を撃つ。
……なんて醜い。けど、ある意味で正直でもある。
美月が鋭い目を向けた。
「あなた方のせいで、こっちは死者が出てもおかしくなかったのよ」
「へっ……軍艦に喧嘩売るつもりはなかったさ。ただ、俺たちも必死なんだ」
――必死。
その言葉が耳に残った。
確かに、誰もが必死に生きている。
俺も、実も、美月も、この海で。
だが、だからといって銃を向けていい理由にはならない。
俺は椅子に身を預け、言い放った。
「……事情はわかった。だが、国を捨てたからといって海を荒らす権利はない。ここから先は法で裁かれる」
実が歯を食いしばる。
「艦長……こいつら、許せません」
美月は小さく頷き、冷たく言った。
「ええ。でも命は命。だからこそ、法に渡すんです」
――海は広い。
その広さは、夢を運ぶと同時に、闇も生む。
そして艦長である俺には、選ぶ義務がある。
理想と現実の狭間で、何を守るのかを。
そう、これは“ただの小競り合い”じゃない。
俺にとっては――この海を守る覚悟を試される戦いだったのだ。