※この作品はR-18です。

少女X家庭教師X依存   作:霧里

3 / 19
仮面の裏側

 

 

先生が勉強を見てくれるようになって、彩花の成績は目に見えて上がっていった。

母の機嫌も良い日が増えて、無駄な叱責を受けることも減っていく。

 

放課後の帰り道。彩花は、小走りになりそうになる足を抑えていた。

それはまだ、小さな変化。以前は、門限ギリギリになってようやく家に帰っていたのに、その時間が少しずつ早くなっていく。違いなんて10分もあるかどうか。

どう急いでも、30分と変わりはしなかったけど。

早く先生に会いたい。それを恋とは言わないまでも、身だしなみを整える時間が欲しかった。

 

鏡に映る少女は、どこか自分でないように思う。

少し、浮かれているせいかな。気持ちを落ち着けるように、肩まで伸びた黒髪を指で梳かした。摘んだ前髪は するりと逃げて、彩花の細い睫毛に掛かる。

 

先生には、私がどう見えているんだろう?

 

あんまり、子供には思われたくない。けれど、鏡に映る瞳は幼さを残したまま。

頼りなさ気な表情が、その印象を強くする。それなのに、白いブラウスの作る彩花の影は、はっきりとその明暗を分けていた。

 

「綺麗だって……さ?」

 

その言葉を反芻しては頬を染める。わかってるよ……でも、ちょっとくらい。

もう子供じゃない。まだ大人にもなりきれない。鏡に映る少女の姿は、移ろう途中の危うい魅力を宿す。

 

心も体もバラバラ。一足早く大人になった体は、異性への興味を強くする。

先生のことが好き。もっと一緒にいたいと思う。母への依存が薄れていく一方で、玲司への執着が強くなるのにも気づいていなかった。

 

 

***

 

コンコンコンっ……

 

また、この音だ。自室の扉を叩く音。

繰り返された母の叱責を思い出して、彩花は勉強の手を止めてしまう。

胸が苦しい。飛び出しそうになる鼓動の音を落ち着けて、返事を返そうとした時だった。

 

「大丈夫。僕が出るよ」

 

隣で勉強を見ていた玲司は、彩花に優しく微笑みかけた。

震える彩花の手を包みこみ「心配しないで」落ち着かせるように、小さな肩を抱き寄せる。

 

たったそれだけ。

 

でも、たったそれだけの事を、今まで誰もしてくれなかった。

手を握って、肩を抱く。怯える彩花を初めて慰めてくれたのは、ついこの間、出会ったばかりの人。先生と一緒にいると、初めてのことばかりだ。

 

誕生日に食べられなかった分だとか言って、先生はいつもケーキを買ってきてくれた。勉強をする前に、二人でケーキを食べる時間が好き。早く食べたくって、急いで帰るようになったと思われても仕方がない。

 

なんでもない雑談。相変わらず話題に乏しい私。拙い会話でも、先生となら色が付くみたいだ。どんなにつまらない話から始まっても、いつしか二人で笑いあう。

 

扉が開き、母が顔を覗かせても、その視線は彩花に届かない。

 

扉の前に立った玲司は、その視線から さりげなく彩花を隠していた。

母が彩花を気にする様子はあっても、玲司が壁になっているせいか、叱責までは飛んでこない。小声で2・3何かを話したと思ったら、何も言わないまま戻っていってしまった。

 

「ごめんね、彩花ちゃん。少しお母さんと話してくるから、君は気にしないで、勉強していてね?」

 

先生が出ていった後、彩花は部屋に一人残される。

「はぁ……」と、口から出たのは盛大な溜息。椅子の背もたれに体を預けて、すっかりと固まってしまった体を弛緩させた。

 

先生が勉強を見てくれるようになってから、もう何度も母から庇ってもらっていた。未だにノックの音に怯えることはあっても、先生と一緒のときは怖くはない。

 

勉強しなきゃ……

 

せっかく先生が作ってくれた時間だもん。

気を取り直した彩花は、用意された問題集を解き始める。

こんなのまで手作りしてもらって。家庭教師ってそこまでするんだろうか? 

学校の教科書や、有名な参考書なんかよりもよっぽど分かりやすい。

 

一見すれば、彩花が苦手な問題ばかりを集めた、意地悪な作りだ。

けれど、そこには苦手を克服するためのポイントが、随所に書き込まれている。

それは彩花の為だけの、この世でたった一つ問題集だった。

 

自分でも、のめり込んでいるのが分かる。

一つ問題を解いては次に進む。進めば進むほど理解が進む。久しぶりに勉強が楽しいと思えた。最後の問題を解いてしまうのが、少し惜しいと思うくらいだ。

 

一通り問題を解き終わった彩花は、ほっと息を吐いて時計を見た。

 

結構時間が経ったかと思えば、そうでもない。以前なら日もくれていただろうに、夕暮れまでにはもう少しの余裕もあった。

 

先生……遅いな。

 

とはいえ、ただ母と話をするだけにしては、時間が経ちすぎてはいた。

気にならないといえば嘘だ。いくら先生が優しくっても、それは表面上の話しだけかもしれない。分かってる。良い子でいようとしたのは、お母さんに言われたからじゃない。少しでも、先生に良く思われたかった。

 

嫌な想像を、少しでも遠ざけたい。

 

もし母と二人、先生が私の悪口で盛り上がったりしていたら……。

 

もう一度、問題集を最初から……。その内に先生も戻ってくるだろう。

そう思うのに、驚くほど勉強に身が入らない。思考が別の所に流れていく。

カチカチと、無駄にシャーペンの芯を出してみたり。意味もなく引いた線を消しゴムで削ってみたり。心ここにあらずだ。こんな状態じゃ、正解していた問題まで、間違いで上書きしてしまいそう。

 

少しだけ……

 

一度思えば、止まらなくなる。

 

少しだけ、部屋の扉を開けるだけ。もしかしたら、もうそこまで先生が来ているかもしれない。少しだけ、廊下の向こうを覗くだけ。もしかしたら、先生たちの会話が聞こえるかもしれない。少しだけ、近くまで行って。少しだけ、話を聞いて。私とは関係ないとわかれば、それで安心できるから。

 

人生初の盗み聞きは、結果だけで言えば上手くいった。

 

日頃、気配を殺して歩くのには慣れていた。そうじゃなくても、先生たちは気づかなかったと思う。リビングから漏れ聞こえる声に、彩花の足は止まっていた。

 

「はぁっ……♥ あぁ、玲司、さん。良いわ……そこ、もっと……」

 

甲高い女の嬌声。唸るような男の吐息。肉の絡み合う音がする。

そっと触れた壁から伝わる振動が、行為の熱を物語っていた。

 

そこにいるのは本当に母なのか。先生と二人で、何の話をしているの?

忘れていた。ううん、思い出したくなかった。先生と出会って、一番最初に抱いた違和感の正体。母が見知らぬ男性を家に呼ぶ理由。あの時、形にしなかった言葉は、たったの二文字で済んでしまう。

 

部屋が遠い。

 

目の前がグラリと歪んで、階段から足を踏み外してしまいそう。

本当なら「なにをやってるのっ」と、声を上げるべきだった。

社会的に許されることじゃない。私も、父も、あれだけ責め立てていた母が、それをするのはあまりに卑怯だ。

 

でも……言えない。

 

言ってしまえば、先生とはもう二度と会えない。

 

それを考えると、母の裏切りに目を瞑る位なんてことはなかった。

たった一人だけだ。今までの人生で唯一ちゃんと私を見て、守ってくれた人。

ついででいい。片手間でも構わない。1時間でも、10分だって。少しだけでいいの。先生が私に時間を割いてくれたなら、それでもう十分。

 

這々の体で、彩花は自分の机に齧り付く。

広げたままの問題集を、クシャリと握りつぶしてしまいそうになった。

けど、出来ない。たった数枚のコピー用紙でも、それが先生との思い出の全部。

それを自分から壊すなんて、出来るわけがない。問題集に掛かる右手を、左手で無理やり抑え込んだ。

 

母の嬌声を思い出すだけで、喉に込み上げてくるものがある。

口の中に広がる酸味と、ケーキの甘さ。苦みの残る液体を、無理矢理に飲み込んだ。大丈夫、大丈夫……。私は何も聞いていない。先生は、お母さんと話をしているだけ。何度も自分に言い聞かせた。先生が戻ってくる前に、いつもの私に戻らなきゃ。

 

いつもの……いつもの……私って、なんだっけ?

 

ただ母に怯えて、勉強するだけだった私のこと? それは、イヤだ。

もう、一人じゃ耐えられない。盗み聞きなんかしなければ良かった。

もし先生にバレたら。もしお母さんにバレたら。もしお父さんにバレたら。

 

コンコンコンっ……

 

部屋の扉を叩く音に、彩花の心臓は跳ねた。

 

もし、扉を開けた先にいるのが先生じゃなくて、お母さんだったら?

もし、覗いていたのがバレていたら?

 

そんな事はない、大丈夫。あんなに声を出していたんだ。私の足音なんか聞こえるはずがない。大丈夫だから。そこにいるのは先生で、お話しが終わって戻ってきてくれただけ。

 

努めて平静を装って返事を返す。扉が開くまでの僅かな時間が、酷く間延びしてみえた。申し訳無さそうにした先生の顔を見た途端、心底ほっとする。

 

「もう……遅いですよ、先生。問題、全部解いちゃったんだから」

 

ちゃんと出来てるだろうか? 声は震えてない? 不安は顔に出てはいない?

間違っても涙を流すわけにはいかなかった。先生がもどってくるまで退屈だったって、ちょっと甘えるぐらいで丁度いい。

 

「あはは。ごめんごめん。ずいぶん早くなったね、偉いよ彩花ちゃん」

「うん……」

 

褒められて、嬉しくなった。頭を撫でられて、くすぐったくも思う。

さっきまで母を抱いていた手なのに、彩花にはどうしても拒絶することができなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。