SOS はらわた喰いの悪魔(Sadistic-Offal-Succubus) 作:氷菓くん
「爪詰くん見てる〜? ジェスクヤ寝取らせの件はバッチリ合意してるから、たくさんいじめてあげてね〜」
家族がテレビを見て笑っている中、部屋の隅でイヤホンを付けて、ぼくはその動画をこっそりと確認していた。
菅野愛佳……もとい、本名ジェスクヤ・ラッカフーブ。性格の屈折した男を好み、ぼくの全てを受け入れると豪語したそのサキュバスは、約束通り一通りの個人情報をぼくに開示した。そしてその際に、彼女が既婚者であることが判明した。
ぼくは相当焦った。人妻に手を出したとなれば、万が一それが揉め事になった時、もはや単なる喧嘩では済まなくなってしまうから。
旦那の同意は得ているのか、そもそも旦那はこのことを知っているのか。ぼくは文面で彼女を問い詰めた。すると「もちろん話してるし、合意してくれてる」なんて返事が来たものだから、口先だけでは信用できず、そのまま彼女に「なら旦那とそれを証明する動画でも撮って送って」と要求したのだ。
そして送られてきたのが、寝取られと寝取らせがあべこべになったような「爪詰くん見てる〜?」の動画だった。ジェスクヤの旦那は一切顔を隠さずに、カップルYouTuberか何かのように彼女とツーショットで映っていた。ぼさぼさ髪に幼い顔つきの、垢抜けない中学生をそのまま大きくしたような男だった。
……ともかくそこまでされては、彼女の立ち回りが旦那のお墨付きであることを信用せざるを得ない。はたしてどんな気持ちで嫁の浮気を後押ししているのかは知らないけれど、ジェスクヤに気に入られる男はきっとみんなどこかがおかしいのだろう。
翌日、家族が全員出かけたあと、ぼくはすぐにジェスクヤを呼び出した。既読が付いたのも、彼女が玄関先に現れたのも、可能な範囲でのほとんど最速だったように思う。
「もしかしてなんだけど、ラブホ待ち合わせにした方がよくない?」
玄関で靴をはたきながら彼女が言う。こちらとしても、万が一誰かが帰ってきたらどうしようと気を揉むことには思うところがあるけれど。それとはまた別の問題もある。
「ジェスクヤさんってそんなにお金持ちなんですか」
「え、ラブホ代くらい払えるよ。あと呼び捨てでいいよ」
「払えるって、今日明日くらいはってことでしょう?」
「え? うん」
「週何回くらい来れるんです?」
「主婦だし何回でも……って、あっ、そういう?」
心が読める相手だと話が早くて助かる。
二人で連れ立ってぼくの自室に入る。LINEに反応があった時点で、今日はあらかじめ冷房も入れてある。
……ぼくはこれを毎日繰り返したいと思っている。
「たしかに毎日だとさすがに厳しいかも」
「でしょう」
「でも家で会ってたら、そのうち何かの拍子に誰か帰ってくるんじゃない?」
「……ないとは言えませんけど」
「……まぁその時はその時か」
おもむろに部屋の窓の方を見ながら、彼女はそう言った。不死身であることを活かして、いざという時は飛び降りて脱出でもする気だろうか……?
「で、今日はなにする?」
玉座にでも腰を下ろすかのように、ジェスクヤが我が物顔でベッドに腰かける。気まずくも立ったままのぼくは彼女を見下ろす形になる。
もしかするとこの女性は、自分の全てを受け入れてくれる女神のような存在かもしれない……。そういう意識を含んで見下ろすその姿には、初日とはまた違った魔性が感じられた。
「……またイラマいいですか?」
「え〜? 好きだねぇ」
質問した時点で、聞くまでもなく分かっていたくせに。
彼女はその場で大きく口を開く。手は背中に隠すようにして、無抵抗の意思表示を見せつける。つい昨日、数時間にも及ぶイラマを強いられておいて、今日平気な顔でそんなことを出来るのがサキュバスというものなのだろうか。
ぼくは遠慮なく、彼女の口内と喉の感触を堪能した。そしてその光景をスマホで撮影もした。誰に見せるつもりもない自分用の録画だ。本来ならジェスクヤの裏切りを抑止する弱みにするはずだったけれど、既婚者相手ではそれもどうだろう、追い込まれるのはむしろこちらである気がする。……そんなことを考えながら、濁音でえずく女を画面に収めることには、一風変わった倒錯があった。
息継ぎすら必要としないストロークの押収に、しばらくして射精感が込み上げてくると、また喉奥キープでの休憩を試みる。……がしかし、彼女の喉を塞ぐはずだった肉棒は、みるみるうちにその大きさを失ってしまった。
途端に、今自分がものすごくくだらないことを、人として見下げ果てたことをしている気がしてくる。いい歳して働きもせず、家族に内緒で女を呼び込んで、その女を苦しませてニヤついていた自分が、救いようもなく醜い存在であるように思えてくる。いや、思えてくるというよりも、事実であるそれをぼくは思い出してしまった。
しかもその気付きは、ただ自分を肯定できなくなるだけの物ではなかった。自分の行いがどれだけ最低であっても、そこにあった性的快楽は本物だったはずなのに、その快楽の何がそんなにありがたかったのかが、目の前の女性の粘膜の感触を受けながらですら分からなくなってしまう。信じていた正義がガラクタだと気づいたかのような、何も信じられない、無秩序な闇の中に放り出されたような気持ちになる。
そうか、ぼくは今、性欲を吸われたのか。……失意の先でそう気づいた時には、ジェスクヤが立ち上がってぼくのことを抱きしめていた。
「ごめんね、ごめんね……」
心が読めるせいで感情移入しているのだろうか。自分で性欲を吸っておいて、彼女は本当に申し訳なさそうな声で何度も「ごめん」を繰り返す。
柔らかい肌と熱に包まれて、頭を撫でられたり、背中をさすられて、思いつく限りの愛情を注がれているような気分になる。それで鬱が覚めるわけではなかったけれど、つらい気持ちの片隅でどこか冷静に、性欲を吸われる時って全く何の感触もないんだな……と分析している自分もいた。
……普通、一度こんな雰囲気になってしまえば、その日のうちに再度の性交に及ぶことは難しい。スキンシップ程度に愛撫をすることはあるかもしれないけれど、どうしてもお互いに「今日のサビは終わった」という雰囲気が流れてしまう。たとえ本当はもう一度サビを味わいたいと思っていても、それを実現することはコミュニケーション的に困難になる。
……が、ジェスクヤは、その困難をものともしなかった。
「……元気になった?」
ちょうどこちらの精神が立ち直り始めたタイミングで、彼女はそう言って、半勃ちの物に手を伸ばしてきた。
自己嫌悪がいつの間にか薄れていって、誰もいない部屋に異性を呼び込んで……呼び込むどころかしゃぶらせた上に、まだそれを継続してもいいという事実を受けて、心の有り様は興奮の方が勝っていく。優越感の方が勝っていく。まるで数秒前の記憶が抜け落ちたみたいに……。
「次はなにしたい?」
密着したまま問われて、ぼくは彼女に一方的なキスをしながら、そのままベッドに押し倒した。
心を言葉にすることを重視しているらしい彼女だけれど、言葉を省いたから不機嫌になるのかというとそんなことはないらしい。無言で押し倒されたこちらを見上げながら恍惚とした笑みを浮かべて、「脱ぐからちょっと待ってね」と言う。ぼくがこの手で相手の服を脱がせることにはあまり興奮しないたちであることまで把握していたのかもしれない。
従順にも生まれたままの姿になった彼女に再び覆いかぶさって、また何も言わずにキスをする。今度は舌も入れる。すると待ち構えていたかのように、相手の舌がそれを迎え入れた。
にゅるにゅると蠢く感触を楽しみながら、言葉にしないまま実行したことがこうして受け入れられると安心するなぁ……としみじみ思う。ジェスクヤにとって全ての不意打ちは不意打ちでなく、意表を突いたかのように見えることは全て、明確に彼女の意思でもって容認されたものだから。そう思うと今のような状態には、言葉にした上で受け入れられることとはまた別の安心感がある。
……だからぼくは、そのまま何も言わずに彼女に生で挿入した。
「んっ♡ んっ、んっ、んうぅ♡」
腰の動きに合わせてあえぐ彼女の口を解放して、ぼくはひたすら自分の快楽を求めながら、ただ漠然と相手の顔を見下ろす。セフレに抱かれる人妻の顔は、他の女性のそれと特に変わり映えしなかった。
「あっ、ま、待って。ゴム、ゴムは……?」
火照った顔で白々しく、彼女がそんなことを言うものだから。ぼくの頭の中は一瞬だけ真っ白になってしまう。
サキュバスは意思一つで完璧な避妊ができる。どこかでそう聞いた記憶があったからこそ、許可も得ずに生で挿入した。ジェスクヤ自身もそれを拒まなかったから、きっと何も支障はないのだと思っていた。……だからこそ「ゴムは?」と言われたその一瞬、足元からぐらつくような感覚に陥る。
……が、すぐに我に返った。すぐ目の前にある彼女の顔が、にやにやとイタズラな感じの笑みを浮かべていたから。それは避妊の心配をする女の顔とはとても思えないものだった。かといって、妊娠を辞さない浅はかさや自暴自棄、あるいは狂気とも思えない。その笑みは明らかに、茶番を楽しむ性豪のそれだった。
それを察した時、ふと、人として最低の欲求が脳裏をよぎる。それはサディストとしての性であると同時に、どうしても満たさなければ気が済まないというわけではない、普段なら心の中にそのまま飲み込んでおくような、ほんの思いつきのような物だった。
しかし、ジェスクヤはそういった物を見逃さない。言葉にするしないではなく、ただ「隠す」という選択その物を彼女は否定して、ほじくり返そうとする。
「今考えたこと、していいよ」
笑みを絶やさないまま、すべてを見透かした目でそんなことを言う。
そう言われてぼくが真っ先に思ったことは、「上手くできるだろうか……」だった。サディズムに従おうという時に、それは人としてあまりにもズレた思考だったと我ながら思うけれど、彼女はそれすら肯定する。
「上手くできなくていいよ。練習しよ? 気軽に、思いついたことなんでも。ね?」
男を弄ぶような笑みはいつの間にか、引っ込み思案な子どもを連れ出す先生のようなものに変わっていた。いや、彼女の子宮を小突きながら、頭のおかしいぼくが勝手にそう感じただけなのかもしれないけれど。
こんな優しい人にひどいことをしてもいいのか? という良心と、なんでも受け入れてくれる相手だからこそ言われるがままにしてしまいたい……という、性欲なのか甘えなのか定かでない気持ちが葛藤する。
そしてその末にぼくは、意を決して……あるいは流されて、ジェスクヤの顔に唾を吐きかけた。それは彼女の鼻頭に落ちた。
「な、生でやったくらいでゴチャゴチャ言うな! 萎えるんだよ、ボケ……!」
勢い任せに、ぼくは暴言を吐く。
「はい……♡ ごめんなさいっ♡」
ジェスクヤは満足そうに笑った。
……心の中を言い訳が飛び交う。
ジェスクヤがあんな茶番を始めるから。ゴムを付けてほしいなんて思ってもないくせに、あんなことを言うから。こちらがサディストであることを知っていてそんなことをするから、思いついてしまったんだ。まさか本気で思ってるわけじゃない。現にどう見てもそもそも萎えてすらいない。ぼくはパスを受けただけだ、単なる思いつきを、言われるがままに行動に移しただけだ。彼女の誘いに乗っただけで、少しでも不快に思われるならそもそも誘われなかったはずなんだ。
……必死でそう思っても、心臓がドキドキする。どうしてだろう、性癖自体は間違いなくぼくの物なのに。望んでもいないことをやらされたわけではないのに。首絞めセックスの経験程度はあるけれど、こんなことをしたのは初めてだった。こんな気持ちになったのは初めてだった。
動揺に反して勃起は強まった気がする。ギシギシと軋むベッドの音が、ざらついた心には一際耳障りに聞こえる。
「大丈夫だよ」
されるがままに犯されている彼女が、ぼくの頭を撫でる。一瞬、条件反射で「性欲を吸われたのか?」と思ったけれど、そうではなかった。
「私、なにされても傷つかないし。こういうの好きだから、なんでもして?」
そう言って彼女は大きく口を開く。ぼくの思いつくことを、本当にコンマ数秒もかからずに読み取っているようだ。
ぼくはその口の中に唾を吐いた。何度も、何度も、彼女の尊厳その物に唾を吐きかけるかのように。
ジェスクヤはぼくの全てを受け入れると言った。全てとは、鬱だけではなく、性欲だけでもない。鬱と性欲と、それからサディズム。彼女に見せた範囲だけでも、この三つは明確だ。
彼女のことを信じるのであれば、ぼくは彼女に、どんなひどいプレイをしてもいいはず。
「あ、いっ、いひゃい……♡」
ジェスクヤの頬を思いきり抓る。加減の付け方が分からないビンタより、個人的にはこっちの方が好きだ。
引きちぎらんばかりに抓ったあと手を離すと、彼女は恨みがましそうに頬をさすりながら、しかしそれに矛盾した恍惚の表情を浮かべて、白々しい抗議をする。
「痛いよ……♡ なんでひどいことするの……?♡」
それが彼女の余裕の証明と、さらなる加虐への誘いであることは明らかだった。
首を絞めて、胸を握り潰し、サキュバスの特徴である下腹部の淫紋めがけて何度も拳を振り下ろす。悲鳴を上げたら「うるさい」と力任せに頬を抓り、声を押し殺せば喉に指を突っ込んで「マグロ女はつまらない。イライラする」と脅した。
……それら狼藉の全てが、ある時を境に自分の心へ後ろ指をさすように跳ね返ってくる。かつてないほどの加虐行為にもいよいよ慣れてきたその瞬間に、ぼくはその時抱えていた性欲のすべてを吸い取られてしまった。
「よしよし、大丈夫だからね。ごめんね、つらいよね……」
さっきまで好き放題に、体どころか心まで玩具扱いしていた相手に、ぼくは都合よく記憶を失ったかのように抱きしめられる。その構図自体が良心の呵責を引き起こしたけれど、それでも、オナニーのあと一人で落ち込むよりは何倍もマシだった。
数分後、再び立ち直ったぼくは、ジェスクヤに口での奉仕を命じた。「また口〜?」とぼやく彼女は言葉に反して嬉しげで、きっと「またかよ、と愛想を尽かされたくない」というぼくの心を読み取っていたのだと思う。
命じられるまでもなく喉まで使って奉仕を続けた彼女は、最後だけは性欲を吸い取ることなく行為を切り上げた。
「さて、そろそろ終わりにしないと」
「ですね」
時計を見やってお互いに納得する。家族の帰ってくる時間を彼女に告げたかどうかは記憶が定かではないけれど、仮に告げていなくても魔法で分かるのだろう。
靴を持って一階に降りた彼女を玄関で見送る時が一番緊張する。親と鉢合わせでもしたら言い逃れができないから。
「じゃあ、また明日?」
「はい」
「ふふ、気に入ってもらえて嬉しい。じゃあね」
最後の一瞬まで本当に満足げに微笑んで、ジェスクヤはすんなりと帰っていった。なぜか何の根拠もなく、彼女ならもし親と鉢合わせてもなんとかするんじゃないか、という気がした。……そうであってほしいと、彼女との関係を失いたくないと、ぼくが願ったのだ。
その日の夜、ぼくはLINEで彼女に聞いた。
『ていうか、ぼくの性欲っておいしいんですか』
雑談の流れの中で聞いたこともあって、返事はすぐだった。
『最高。たまんない。ぞくぞくする。住みたい』
最後の一言の勢いに、ぼくは笑った。
ぼくの十八番であるところの、自分の抱えている罪を全て忘れたような笑いだった。