SOS はらわた喰いの悪魔(Sadistic-Offal-Succubus) 作:氷菓くん
次の日、ジェスクヤを呼び出した時、珍しく「了解」でも「ついたよ」でもない業務連絡があった。
『今日って昨日と同じプレイする?』
『え、なんでですか』
『そんな感じのこと言ってたじゃん』
言われて記憶を振り返ると、加虐プレイの最中に嫌がらせの言葉としてそんなようなことを言ったような記憶が、ぼんやりとだけど思い出せてきた。
ただ、本当に罪深すぎることだけれど。ぼくはあのプレイが特別好きというわけでは全くない。
『あー……。それは忘れてください』
『了解っ』
たぶんあのプレイの最中にも、彼女はこうなることが分かっていたのだろう。こいつ適当言ってんな……と。心を読まれるということはおそらく、ノリで言ってるのか真剣に言ってるのかまで含めてバレるということだから。
その後、いつも通り無事に合流したジェスクヤは、適度に不満気な声で、昨日の件とは全然関係ないことを話し出した。
「そういえば爪詰くんって、全然呼び捨てにしてくれないよね」
「え?」
「していいって言ったのに。LINEもずっとさん付けだし」
「あー……」
そもそも生身の会話で名前を呼ぶこと自体そう多くないけれど、LINEにまで言及されると確かにそうだ。呼び捨てを許可されていても、ぼくはあえてそれを避けている。もちろん、確固たる理由をもって。
自室へ向かう階段を上りながら、何度目かも分からない無駄な逡巡をした。つまりそれは……呼び捨てを避ける理由を思い浮かべ、それを読まれたことに「しまった」と思い、べつにそれで不都合が生じるわけでもないのだから「しまった」もおかしいか……と思い直し、しかし実際に口に出すには覚悟がいる……と感じること。その一連の流れ。ジェスクヤといる限り無限に起こる、一向に慣れることのできないルーティン。
冷房の効いた部屋に入り扉を閉める。ベッドに腰を下ろしたジェスクヤと目が合う。……やはりその目は、いつも通りの全肯定をぼくに向けていた。「言っていいよ」と。
「……なんで呼び捨てにしないかですけど」
「うん」
「呼び捨てって、それ自体がなんかプレイっぽくないですか?」
「…………くっ」
くっくっくっ……と。堪えていた可笑しさを徐々に排出するかのように、彼女は笑った。
「それは爪詰くん、変態すぎ」
「なっ」
「好きだけどね。変態じゃないとつまんないし」
ニヤニヤしながら言って、彼女はベッドからずり落ちるように降りる。そして膝立ちのまま歩み寄ってきたかと思えば、そのままぼくのズボンに手をかける。
異性の前で下半身を晒すことに躊躇を感じる心はとうの昔に失ったけれど、普通に会話していたことが白々しく感じられる今のようなタイミングだけは、少し例外だ。すでに硬くなっているそれについて、どこへともなく何かを弁明したくなる。
余裕ぶった顔のジェスクヤは、そんなぼくのことを真っ直ぐに見上げた。
「プレイなら、今呼んでみて?」
「え?」
「呼び捨てで。やってみてよ」
「…………ジェスクヤ」
「はぁい。なーに?」
「…………舐めて」
「ん」
そうしていつも通りの奉仕が始まる……かと思いきや。なぜか今日の彼女はぺろぺろと舌先で棒のあちこちを舐めるだけで、いつもの喉奥奉仕に比べると、まるでこちらをおちょくっているかのような態度を見せた。
無言の不満が頭上から注がれていることを察知すると、彼女は伸ばしていた舌をしまい込む。
「なーに? 言われた通り舐めてるよ?」
「…………じゃあ口開けて」
「ん。あーん」
「いいって言うまで閉じないで」
コクコクと頷きが返される。
ぼくは当然、そのまま彼女にイラマチオを強いた。そしてしばらく経ったら性欲を吸われて、いつも通り彼女の胸の中で鬱をやり過ごす。
抱きしめられて何分が経ったか。いつもなら彼女が、答えが分かりきった上で「元気になった?」と聞いてくる頃。一風変わった問いが、恒例となった言葉のかわりに寄越された。
「爪詰くんってさ、言葉遣いが可愛いよね」
「えっ。どこが」
「口でさせたい時、舐めてって言うじゃん」
「…………」
「性癖的には「しゃぶれ」とか言いそうなのに。それかせめて「舐めろ」とか」
「漫画で見る分にはそれが一番好きなんですけどね」
「それって?」
「え。だから、あれ、……命令形のやつ」
「ふふっ。……しゃぶれって言うの恥ずかしいの?」
「…………」
分かっているのに聞くのは意地が悪い。それも彼女の場合、推理の答え合わせですらないのに。
べつに命令口調自体が恥ずかしいわけではない。ただ実際問題として、ぼくが気軽にそれを使うとスベるのだ。ダサくなると言ってもいい。「あーはいはい、そういうの言ってみたかったんだね」という白けた雰囲気が出てしまう。これは被害妄想ではなく本当に。
だけどその一方で、ぼくはそれを理由に「自分にサディズムは向いてない」と思ったことは一度もない。
「ぼくは思うんですけど。人によって合うやり方があるんです、そういうのにも」
「へぇ?」
「昨日だって「舐めて」から始まったじゃないですか」
〜〜して、と。口調としてはあくまでもお願いする形で始まり、そしてあっという間に、普通なら許されない悪趣味さまで到達してしまった昨日。あれだけのことをしておいてサディズムに向いていないなどとほざいては、神に見放されるどころか悪魔にすら呆れられる。
ぼくの言葉を受けて、「たしかに」とジェスクヤが笑う。傍から見れば間抜けに見えるのだろうけど、ぼくは彼女と抱き合ったままそんな会話をしていた。しかもこちらだけ下を穿いてすらいない。どうせ二回戦を始めるのがいつもの流れだから……と、そういう雑さが、二人の間では特に珍しくもなくなっている。
ただ、今日のジェスクヤはいつもと少しだけ様子が違った。彼女はぼくのことをいっそう強く抱きしめては、急に真剣な声になる。
「……爪詰くんは、昨日みたいなことするの好き?」
「え?」
答えは、口に出す前に伝わってしまうけれど。
どういう意味の問いだろう? ぼくは考える。べつにご機嫌を取ろうというわけではないけど、それはそれとして、彼女にとって好ましい答えとはこの場合何なのか? 考えれば分かるような気がして、考える。
……が、沈黙を長引かせすぎない範囲では、一つのことを除いて何も分からなかった。
「……まぁ、わりと」
一つ。きっと彼女は、ぼくにノーと答えてほしい質問を、「ここではノーと答えてほしい」とあからさまに分かる形以外ではしない。ぼくの心を読むことで、そういった駆け引きがぼくにとって地雷であることを察知できるはずだから。
とはいえイエスと答えることも複雑だった。好みであることに違いないが、こよなく愛する性癖とは言えず、嘘をつくわけにもいかないが、体を張って付き合ってくれた相手への言葉選びが難しい。雑な言い方をしても彼女は許してくれるのだろうけど……。と、悩んだ末に時間切れで出た答えが、まぁわりと……なんて、まさに「雑な言い方」その物になってしまった。
そのことに負い目を感じたりして。そうやってぼくが、保身に必死になっている間に。彼女が何を思ってぼくにそれを問いかけたのかなんて疑問は、すっかり頭から抜け落ちてしまった。
「爪詰くんがしたいなら、いくらでも付き合うよ。ああいうひどいのでも、もっとひどいのでも」
「……ありがとう?」
「いえいえ。……でも一個だけ心配」
「心配?」
「爪詰くん、過激なプレイをしたら、鬱の反動が大きくなるでしょ?」
「……あー、まぁ」
「それでいつか壊れちゃうんじゃないかって。それだけ心配」
ぎゅっ……と彼女が、しがみつくように抱擁をより確かな物にする。
抱きしめられている分、彼女が今どんな表情をしているのか、ぼくには分からなかった。
「でもぼく、その反動も肯定してもらえたことに、きのう結構感動したんですよね」
だからきっと大丈夫。むしろ、その肯定を体験できなかったらと考えた方が、自分は孤独なままだった気がする。……と、そこまで言葉にするのは、なんだか恥ずかしくて出来なかったけれど。それでも間違いなくちゃんと伝わるところが、ジェスクヤの魔法の良いところだ。
彼女は安心したように抱擁を解いて、いつでもキスできる距離から覗き込むようにしてぼくの目を見る。
「じゃあ今からしちゃう? 昨日と別の、昨日みたいなこと」
「えぇ?」
そう言われた瞬間、ぼくの頭に真っ先に思い浮かんだ返事は「そんなの言われても思いつかないですよ」だった。
けれどそれは、思い浮かんだ「返事」がそれだったというだけで。それ以外の思考が一切何も巡らなかったのかというと、違った。
ジェスクヤはその全てを察知する。まさかここまで計算ずくだったのか? いやいくらなんでもそんなはずは……、と困惑するぼくの心のことも。その大元になった、邪悪な発想のことも。
心を読まれていることを自覚している分、それを踏まえた思考が通常の思考に加算されて、思考の負荷が増えた分、いつも返事にラグが出る。ぼくは「する」とも「したい」とも言えなかった。すると彼女は……、
「してほしいな……♡」
と、たった一言でぼくから退路を奪った。もとい、ぼくに大義名分や免罪符を与えた。「本人が望んでるんだよ」と。
ぼくは彼女をベッドまで連れていって、正常位で犯した。これからすることを考えるだけで、いつも以上に自分の物が硬くなっている気がした。
あっ♡ あっ♡ と喘ぐ彼女を見下ろしながら、腰の動きを止める。こちらを見上げる不思議そうな顔に向けて、筒抜けの台詞をぶつける。
思ったより不機嫌そうな声が出た。
「さっき舐めてって言った時さ、なんでふざけたの?」
「え? ……あ、フェラの時?」
「そう」
「べつにふざけてないよ? 言われた通りにしたし」
「いや、いつも奥まで咥えろって言ってるよね。おかしいでしょ」
「え……。な、なんで怒ってるの? こわいよ……」
怖い、だなんて。あまりに白々しくて、少し笑えてしまう。
ジェスクヤは声の演技が上手い。一方で表情は全然だ。それとも、それはぼくを安心させるためにわざとやっているのだろうか? ……プレイで虐められている時の彼女は、いつも恍惚の笑みを浮かべている。期待と興奮に顔を赤らめている。ぼくもそろそろ、それを見ると安心できるようになってきた。
そういえば昨日は俯いたり土下座してばかりで表情が見えづらかったなと、今さらになって思い出す。
「なに、こわいって。被害者面すんのムカつくんだけど。お前が俺のことおちょくったんだろ」
「し、知らない。私悪いことしてない!」
「はぁ? ……どうせお前、おちょくったら乱暴な言葉遣いを引き出せるかもとか、そんなこと考えてたんだろ、あの時」
「なっ、は、はぁっ!?」
今までこちらを(申し訳程度に)睨んでいた目が、とても分かりやすく明後日の方向へ泳ぐ。
実際、なぜ彼女はあの時あんなことをしたのか? リアルタイムでも不思議に思ってはいた。そして言葉遣いをからかわれた時に、ぼくはその答えにたどり着いた。「乱暴な言葉遣いをさせたくておちょくった」は、今しているプレイとは関係なく、おそらく事実だ。
ぼくが今彼女に喧嘩をふっかけていることはもちろんプレイとしての演技だけれど。そこに事実を混ぜることで、プレイとその外の境界が曖昧になっていく。……曖昧にしてしまっても彼女相手なら平気だと、昨日不覚にも泣いてしまったぼくは信じていた。そうやって彼女を信じることこそが、「反動があっても大丈夫」の証明にもなると考えていた。
ぼくは拳を振り上げる。すると脳裏に彼女の言葉がよみがえってくる。言いたいことを言うって気持ちいいよ、それを受け入れてもらえるって気持ちいいよ。……それはきっと本当にその通りだ。
そして「受け入れてもらう」には、いろいろな種類がある。
振り上げた拳は、彼女の下腹部にある淫紋をめがけて、思ったよりも鋭く落ちた。
「俺は! そういう! 駆け引きみたいなのが!! いっちばん嫌いなんだよ!!!!」
何発殴ったのか、ぼくは途中から数えなくなった。
ジェスクヤは苦しそうな顔をするわりに防御の一つもせず、「ぐぇっ!?」とか「う゛っ」とか「かはっ!?」とか、サディストを飽きさせない反応を示し続けた。彼女の演技論を鑑みれば、それはきっと素のリアクションに近かったのだと思う。
ぼくが駆け引き嫌いなのは本当だった。物事を論理的に考えることは好きだけど、駆け引きは嫌いだ。そしてもっと言うと、その二つを「同じような物だろう」と一蹴する輩のことは、もっと嫌いだ。
ともかくそんな性分の一部だけでも口に出してみると、なるほどなんだか心が軽くなったような気がした。なにせ駆け引きを仕掛けられたことは本当でも、プレイのどさくさに紛れてそれを全否定したところで、彼女なら許してくれるから。現に彼女は一切抵抗せず、ひとしきり殴られたあとは、また好意に満ちた表情でこちらを見上げている。
……そしてもちろん、これくらいではまだこのプレイは終らない。まだ試みの途中で、まだ目的を果たしきっていないから。
ぼくは満を持して、暴力に晒された彼女に決定的な言葉を向ける。
「ごめんなさいは?」
「…………私、悪くない」
にやけ面で答える彼女の腹部に拳を置くと、途端にその呼吸は荒く乱れていく。
「わっ、わ、わかった。謝る。ごめんってば」
さすが心が読めるだけあって、まるで台本の読み合わせをしたみたいだ……。そう感心しながら、置いた拳を勢いよく彼女の体にめり込ませる。
「う゛ぐっ!?」
「言葉遣い、ちゃんとして」
「はっ……、あっ……。わ、わかりました。謝ります、ごめんなさい! すみませんでした! 私が悪かったです……!!」
「…………」
それを聞いて満足したぼくは、「許す」の一言も言わずにセックスを再開した。一連のくだりを経験するまではあんあん喘いでいた彼女だけれど、今はそんな気分ではなくなってしまったのか、それとも腹部に残った痛みにピストンの振動が染みるのか、「うっ……くっ……ふっ……」とくぐもったような声ばかりが、引き結ばれた唇の間から漏れ聞こえて来る。
ぼくはあっという間に射精しそうになって、咄嗟にそれを我慢しようとするも、性欲を吸い取られることは当然避けられなかった。
脱力したまま覆い被さるようにしてジェスクヤに抱きつきながら、ぼくはまた全てを理解している彼女に慰められる。
「もう〜、いい性格してるなぁ。楽しかった?」
聞かれて、今日のぼくは素直に頷くことが出来た。性欲が嘘みたいに抜け切ってしまった今では、数秒前まで感じていた暗い悦びが嘘のように思えてしまうけれど、それでも確かにそれがあったのだということを認められた。
今回ぼくがしたことは、昨日、上手く謝れない自分に幼児の手を引くようなお膳立てをしてくれた彼女に対して、全く逆の理不尽な形で「ごめんなさいを引き出すこと」だった。
反動が大きそうなプレイとはなんだろうと一瞬だけ考えた時、その一瞬でそれを思いついてしまったことに、なんでそんなことばかりが得意なんだと自己嫌悪せずにいられなかった面はある。悪趣味さの本質は昨日と同じだ。「何もこんなことをしなくてもいいのに」と、その一言に尽きる。その一言がいくら拭っても消えない、薄れもしない。今日だって、罪悪感は濃く、消えた性欲の入っていた空き枠に染み入ってくる。罪のない女の子一人を傷つけるに足る物は得られましたか……? と。
でもなぜだろう、初めての感覚だ。罪悪感がどんどん心中を染め上げていくのに、それがあまり苦にならない。抱きしめた彼女の温もりを感じることの方に、脳のリソースの何割かを持っていかれてるような感覚がある。
「なんか今日のは、私のこと信頼してくれてるって感じがいつも以上に伝わってきて、すごく嬉しかったよ。爪詰くん、がんばったね」
「……がんばってないです」
「ふふ、そうだね〜。じゃあ才能だね、よしよし」
自分勝手に暴虐の限りを尽くしただけなのに、彼女はそんな風に全てを肯定してくれる。心を読めるせいで言葉選びが毎度的確だ。魔性を感じる。
おかげで、恩を仇で返すようなプレイを思いついてしまっても、それを実行しても、もう昨日のような反動は自分に訪れなかった。ただ粛々と「自分は最低の人間だ」という理解だけが頭から離れなくなるだけで、それ以上のことがなかった。
そしてそんな最低限の理解すら、しばらく経てば性欲に押し流されて形骸化していく。
解散する前にもう一度だけ……という言い方をするには長い時間、ぼくは彼女に口で奉仕してもらった。「またぺろぺろだけしたら怒る?」と半笑いで聞かれて、この人は本当にビクともしないんだなと、安心しながら呆れたことが印象に残っている。
帰り際、ぼくはそんな彼女に聞いた。
「そういえば、なんで呼び捨てがいいんですか?」
「え?」
「いや、名前」
「……あぁ。だってほら、お店屋さんみたいだから」
「お店屋さん……?」
「ん、分かんないならよし。じゃあね」
朗らかに手を振りながらも、どこか逃げるように帰っていった彼女。お店屋さんとはいったいどういう意味なのだろう?
その答えには、その日の夜の布団の中で、特にきっかけもなく唐突に気がついた。
ジェスクヤさん、お店屋さん。……ジェスク屋さん。
人のコンプレックスってどこにあるか分からないものだなぁ……とぼくは笑った。仮に本人の前で笑ってしまっても、たぶん彼女なら許してくれるはずだと思えるところが、また良かった。