SOS はらわた喰いの悪魔(Sadistic-Offal-Succubus) 作:氷菓くん
ジェスクヤと知り合ってから一ヶ月が経った頃だったか、それには少し満たない頃だったか。大体そのくらいの時期に、ぼくはイカ釣り漁船に乗せられた。ずっと前から決まっていたことだ。
ぼくの父は釣りを趣味にしている。一方で、孤独のことは嫌っている。陽キャなのだ。高校ではバスケ部所属で、スポーツ推薦で大学に行ったらしい。昔の写真を漁ると、上裸で海辺のサーフボード店を背景に似たような出で立ちの友人たちと肩を組む大学生の姿を見ることができる。若い頃はよくモテたのだという。結構なことだ。
幼少期にはあまり深く考えなかったけれど、今なら断言できることとして、ぼくは釣りが苦手である。糸を使う都合上、手先の器用さはどうしても求められるし、忍耐力と、時間帯効率に見合わない結果をそれもまた良しとする精神性も求められる。ぼくにはそれらが何一つとして備わってない。ただ、釣りたての魚を食べることは好きだ。たぶん家族の中でも頭一つ抜けて。
父が釣りに行くといえば他の家族もついて行くのが、物心ついた頃からの当たり前だった。やがて年齢と共に金銭的余裕を得始めた父が応募して釣り船に乗るようになると、日焼けが嫌だといって母はリタイアしたけれど、ぼくと弟は大体同伴して乗る。……いや、ぼくにもリタイアする権利はちゃんとあるのだけど、ニートの家庭内政治的に、あれが嫌だこれが嫌だとばかり言っていては印象が悪いという事情もある。また実際、父の勤める会社のバーベキュー大会に家族枠で出席した時には、そこで繰り広げられた雑談がきっかけとなって、社員の人からゲーム機を譲ってもらえたことがあった。「そういうこともある」というのは、肝に銘じておく必要があるものだとぼくも心から思っている。
何か物をもらえることを期待するわけではなく、積極性とはそういう性質を持つ物であり、消極性はそれらを放棄する選択なのだということを胸に刻んでいる。それで今回はイカを釣りに行く。が、実際はただイカだけを狙うのではない。真っ昼間から出航して、日が沈むまで普通の五目釣りをして、夜にイカを狙う。ちなみに現地の港までは車で片道約二時間。そういう一日仕事だった。
船が出るのは土曜日。ぼくはジェスクヤへ事前にその旨を知らせた。
『土曜は遠くへイカ釣りに行くので、たぶん一日返信できません』
『え、すごいね! 釣れたら見せてね』
『もちろん』
『もちろんなの! かわいい♡ 体目当ての性奴隷にもそんな楽しい話してくれるなんて嬉しい♡』
『連れて行けたらよかったんですけどね、体目当てで』
『いやイカ釣り漁船って親の目を盗んでエッチするようなスペースないでしょ』
『マジレス……!』
……最近はそんな風に彼女と他愛ないやり取りをすることも増えた気がする。少なくとも、一日返信できなくなることで心配をかけるのではと考える程度にはそうだった。
ぼくは漁船にスマホを持ち込まない。手が濡れたり汚れたりして触れなくなることが予想される上に、揺れと忙しなさにまみれた船上では、いつポケットから飛び出したスマホが海に落っこちないとも限らない。ニートにとってスマホはほとんど心臓だ。安全なところに置けるならそうした方がいいに決まっている。
また、船へ荷物を積み込むことや料金の支払い等々の手間を考えると、五分前行動どころではない大きな余裕をもって現地に到着することが望ましい。片道二時間の道のりを超えてお昼に余裕をもって到着するとなると、家を出る時間も相応に早くなる。行きは早起き、帰りは疲労で、移動中は爆睡する自信があった。だからたぶん丸一日連絡が取れない。
ぼくは釣りが苦手だ。作業としてあまりにも適性がないし、それに日焼けはともかく、暑いこと自体が大の苦手である。……けれど今回に限ってはそれに並んで、ジェスクヤと連絡を取れなくなることが自分にとって大きなストレスになる気がした。
正直、できれば行きたくない。けれどぼくがとことん消極的な人間だったら、たとえば祖父母との昼食も辞退して留守番を申し出るような人間だったら。ぼくは今でも一生、ジェスクヤと知り合えないまま生きていたのだ。
土曜の朝、ぼくはしっかりと早起きをして家を出た。昨晩はジェスクヤのハメ撮りを見ながら射精を避けて一時間くらいシコってから寝たから、案の定、行きの車では高速道路に乗ったあとの記憶がない。
「あーあーあー。どんだけ絡まっちゃってんのもう……」
魚が釣れた喜びもつかの間、長い糸から枝分かれして三本付いている針がジャンクションの如く絡まっていることに気づき、父がお手上げの音を上げた。
釣られている最中に魚が暴れる都合上、釣り糸はどうしても確率的に絡まる。それをほどくことができなかった場合、釣り人は新しい針と糸をセッティングし直すことになって、時間と労力と道具の代金が無駄に消費されることになる。それもまたぼくが釣りを好きになれない要因の一つになっている。
ただ、今回の釣りには良いこともある。具体的には環境が信じられないほど良かった。びっくりするほど綺麗に空が曇っているのだ。
季節は夏。真っ昼間から日陰もクソもない沖に出るなど正気の沙汰ではないが、それをやらなければならない。ぼくはそう覚悟していた。あるいは、父は夏派だから体も思考もイかれているんだ、冬派のぼくは令和の夏に昼間から釣りをしようなんてとち狂ったこと思わないのに! と、週明けにジェスクヤに愚痴ろうと思っていた。
けれど現場に来てみれば、太陽は分厚い雲の中にすっぽりと隠れて、それでいて雨が降る気配はまったくない。そこへさらに海風が天然の扇風機の役割を果たして、まるで自宅で過ごしているかのような快適な環境が実現していた。
しかもそれだけではなく、魚がポンポンと釣れるわ釣れるわ。小ぶりな種類のタイ、大振りなアジ、それからサバあたりが、待ちくたびれることなく定期的に釣れてくれる。温暖化の影響なのか環境保全の失敗なのか、とにかく最近の釣りは十年前と比べて素人目線からも明らかに取れ高が減っていて、わざわざ船で海に出て半日頑張っても釣果は二〜三匹……なんてこともざらだった。今日だってそれを覚悟して来たのだけれど、開始一時間でもう十匹以上は釣れている。ぼくの嫌いな忍耐と無縁でいられる釣りだった。
涼しい! 釣れる! なんて素晴らしい釣りなんだ! 過去一快適だ! ぼくは感動していた。この世にこんな釣りがあったなんて……! それを知れたこともまた収穫で、やはり積極性は心がけてみるものなのだと思った。
……それにもう一つ、ぼくには快適に感じていることがあった。それはジェスクヤの心配をしなくてもいいこと。船の上にいる間、釣りのことで頭がいっぱいになったぼくが一時彼女のことを忘れても、それを彼女は許してくれるだろうということ。
ぼくが今まで付き合ってきた女性たちは、ほとんど全員が精神を病んでいた。ぼくはそういう人と惹かれ合う性格をしているのだろう。それはいいのだけれど、しかしその手の女性たちは、ぼくから丸一日連絡がなくなると「寂しかった」と言い出す。しかもそれは必ず、単に可愛らしい物などではなく、シリアスな不機嫌を伴う修羅場にも似た物だった。
もしもぼくが数日間ジェスクヤと全く連絡が取れなくなったら……と想像すると、正直その「寂しかった」の気持ちは分かる。けれど分かったところでそれは変わらずぼくの負担だった。船の上でずっとその「寂しかった」への対応を案じなければならない。その手の女性たちはそれを「私のことを考えてくれて嬉しい」と言うけれど、はたしてぼくは本当に彼女らのことを考えていたのだろうか? 精神的負担に喘ぐ自分の都合ではなく?
用事によって数時間単位で連絡をとっている場合ではなくなるたびに、ぼくはこう思っていた。この用事が終わるまでの間、あの子がこの世から消滅してくれればいいのに。そして用事が終わった瞬間に、何事もなかったかのように復活してくれればいいのに。……それが愛というやつなのか? まさか、そんなはずはない。
だからそんな話とは無縁のジェスクヤのおかげで、今日のぼくは本当に完璧に快適だった。
「優真、これほどける?」
メインの糸から仕掛け(針とか重りとか餌入れが付いてる諸々の部分)をまるごと取り外した父が他の物品は回収して、絡まった糸だけになったジャンクションもどきをぼくによこす。手先の器用さには自信がない……というか明確に不器用だけれど、父がそれをぼくに渡したことには合理的な理由があった。
今回、数人の他人と乗合で乗ったこの船には、身内はぼくと父と弟の三人だけが乗っている。ただその一方で、竿は一本しかない。ぼくはもちろん弟も戦力外すぎて、二本目以降の竿を出しても使い物にならないからだ。よって三人で一つの竿を交代しながら使っている。そこに作業効率上の意味は、無い。
要するに、父と違ってぼくには無限の時間があった。父の手が滞ると釣りという作業その物が滞るけれど、ぼく一人がすみっこで苦手なりに黙々と絡まり糸との格闘をしている場合には何の支障もない。そしてぼくと弟を比べた時、すみっこでおとなしくしていることがより好きなタイプは前者だった。だからぼくにお呼びがかかったのだ。
ぼくは、それこそが自分に向いている作業だと思った。手先は不器用でも時間なら山ほどある。……それはニートの日頃の特徴と同じだ。そして三本の絡まった糸くらい、時間をいくらかけてもいいなら、いくらなんでも日が暮れるまでほどけないということはないはずなのだ。
時間で解決できる物事に役割を得ると、水を得た魚の気分になる。ニートとはそういうものだった。逆にそれ以外の属性をもった作業を任されても、ニートの自尊心は全く満たされない。なんらかのコンプレックスを刺激されて終わるだけ。たとえば今この場から時間の余裕を抜きされば、手先の不器用さに対するコンプレックスだけが残るみたいに。
……幸い、絡まった糸をほどく作業は本当に上手く進んだ。なんだかこちらが苦戦している間に何匹も魚が釣れていた気がするけれど、べつにいい。どれだけ時間がかかってもいい。なんなら仮に早くほどいたところで、すでに新しい針は取りつけられているのだから何のアドバンテージにもならない。これは「次にまた絡まった時、ほどけたそれをスペアに使う」ための作業であって、またその「次」とやらに間に合わなかったなら、普通に新品の針を開封して使うだけだから何も困らない。とことん気楽な作業だった。
ただ、ようやく全てがほどけかけたという、その段になって。
「い゛いッッッッっ!?!?!?」
不器用さの自覚があるから常に意識して気をつけていたはずなのに、それでも針が指に刺さった。その時の痛みの凄まじさは、一瞬「病院行きかも」と思うほど強烈なものがあった。
が、実際に付いた傷はかすり傷以下だった。ほんの少しの血は出たけれど、それを一度拭うと、もはや血の出どころを目視で確認することすら困難になるほどの小さな傷だった。
作業にやり甲斐を感じていたはずのぼくは、その一件で急激に暗澹とした気分に落ち込むことになる。意識して注意してもなお避けられないミス、その無能さ。痛みから受けた確かな恐怖。……それらから思い出される、そんな小さな痛みにすら耐えられないのに、他人には平気で拷問まがいのプレイを強いる自分の性癖。
ジェスクヤだったらきっと、指に針が刺さっても「怖かった」なんて言わない。いや、言ったとすればそれは冗談で、彼女が心から何かに対して恐怖を覚えるところが想像できない。一方でぼくは本気で怖がるか、本気で怖がっていることを、「病院行きかと思った〜」と冗談のフリで口に出すことしかできない。もしもぼくの方にもジェスクヤと同じような強さがあれば、加虐プレイを行うことにだって少しは自分で納得できるのに。自分にできないことを、ぼくは他人に平気で強いる。それが出来てしまう。……だってぼくの苦手な釣りを父は楽しそうにやっていて、それにぼくには信じられないことだけど、父は働いて、家族を養っているから。
お互いを気遣う優しいセックスも、親しい人と誕生日プレゼントを贈り合うことも、生野菜を食べることも、体調の悪い人へ心配そうな声で話しかけることも、部活動も、作った料理をおいしいと言ってもらった時に嬉しいと感じることも、エンジンの付いた物を運転することも、勉強も、射精も。ぼくには出来なかったり苦しかったり怖かったりすることを、多くの他人が当たり前のようにしているから。自分にできないことを他人に強いることの何が悪いのか、直感的に理解できない。ずっとそういう人生を送ってきた。
「ほどけたよ」
「おっ、サンキュー。使う時来るまで、そこらへんに置いといて」
「あいよ」
ぼくはほどけた糸を片付けた。誰も踏まないように、できるだけ隅の方へ。
……どこか人目のないところに行って、ジェスクヤとエッチなことをしたい気分だった。きっと彼女なら、その旨を伝えてLINEを送れば、せめてもの慰めとしてエロ自撮りくらいは送ってくれたかもしれない。けれどそもそもスマホは今ここにない。
魚は釣れすぎて、そのうち特にサバが疎まれるようになった。料理の幅が一番狭いのに賞味期限の足は早いからだ。その一方で、比較的数の少ないアジの貴重性が上がっていく。
「アジもっと釣ってなめろう作ろうぜ!」
「おー!」
とりあえず元気よく返事をしておく。家庭内政治というやつ……あるいは、単に真っ当なコミュニケーションとして。
意気込み、釣って、サバはリリース。涼しくて、船酔いもしなくて、快適で。だけど人間はわがままだから。……やっぱり早く帰りたい。
厚い雲の裏から存在を主張している太陽は、地平線の彼方からはまだずいぶん離れた高さに居た。
途中、少しの間だけ、ぼくは
船の形状は当然ながら縦に長く、いくつかある玉網はその中央にストックされている。人数分あるわけではないそれを常に手元に置いておくわけにはいかないが、いちいち置き場に戻しに行くことは面倒だし、大物が今まさに針にかかっているという時に、揺れと狭さに苛まれる船上でいちいち網を取りに行くような余裕は基本的にない。特に先端の席にいる人ほどそうなってしまう。そこで釣り人たちは大物がかかった予感がした時、大抵は隣にいる友人等に玉網の確保を頼むか、あるいは自前の物を持ってきている。
うちは家族三人で来ている分、玉網係の確保には事欠かない。……が、何かの拍子にいつの間にか、船のぼくが居る側半分のテリトリーにおいて、ぼくがその場の皆の「玉網を頼む友人枠」にランクインしていた。家族三人以外は全員が他人であるにも関わらずである。……要するにみんな陽キャだったのだ。
兄ちゃん兄ちゃん! 頼むわ! と、知らないおじさんから呼び寄せられる。リールを巻く作業に大した喜びを見出せないぼくは船の上で暇していて、頼られる分にはやぶさかでもなかった。というか、ただ呼ばれたら網を持っていくだけという簡単な作業は、それはそれで「時間の余裕が活きる作業」に該当するものだったから、ちょっと天職を見つけたような気にすらなっていた。
けれどぼくはさっき、似たような天職から突き刺された針に、恐怖を植え付けられたばかりである。
いつの間にか、ただ玉網を持っていくだけではなく、実際にそれで魚を掬うところまでがぼくの役目になっていた。初めのうちはそれでも全然よかった。「失敗したらどうしよう」という気持ちはあったけれど、実際に失敗することは一度もなかったから。
けど、いつまでもそう上手くはいかなかった。
「あかん! もう一個下!」
言われた時には遅かった。
掬おうとした魚の下に、よく見ると薄暗く、銀色の鱗が暴れ回るところが見えた。一度に複数の針を用いて釣りをしているのは我が家だけではない。二匹目の魚がそこに同時ヒットしていたのだ。
そのあと何がどうなったのかは分からない。ただ得られた結果は、下段の魚の逃亡と、玉網にこっぴどく絡まった上段の針という有様だった。
その釣り人は早々に判断して、仕掛けだけを回収して大元の糸ごと針を切り、それをゴミ袋の中に捨てた。「二匹も来ててびびったなぁ」とぼくをフォローしてくれたけれど、それに対してどんな返事をしたのか、ぼくは覚えていない。二匹以上の同時ヒットは今日の船上において、とっくの昔に何ら珍しい光景ではなくなっていたからだ。……たぶん白々しい「すいません」くらいは言ったはず、と思いたい。
一度空気が白けたのだからよせばいいのに、釣り人たちはその後も玉網が必要になるたびにぼくを呼んで、掬うところまでぼくに任せた。「油断すると失敗する」という経験を得たのだから、次はそれを活かして頑張ろう。……と思いはしても結果はついてこなくて、ぼくはそれきり、一匹の魚を掬うことも満足にできなくなってしまった。「油断しない」と「変に力まない」の区別が、自分には付けられなかったのだと思う。
「口のあたりを狙うといいよ」
ある時ある人がそう教えてくれて、試してみると、驚くほどすんなりと魚が網の中に入るようになった。結果を見てから冷静に考えてみれば、針にかかった魚の動きは必ず針が支点になっているのだから、そこさえ捕らえてしまえば残りの部分もついてくるというのは理にかなっている話だった。
けれどぼくはそれで、イップスを克服できてよかった! ……と素直に思うことは出来なかった。なぜなら合理的なテクニックに気づいたのは自分の能力ではなく、自分の貧弱なメンタルを克服したわけでもなかったから。ぼくは何も……自分の欠点を何一つとして解決しないまま、ただ元通りの結果を出せるようになってしまっただけだった。仕事としてはそれで良くても、「こういうのがニートの天職なんだ」と思った時のあの気持ちは、それでは戻って来なかった。
自分の人生はこんなことばかりだと思った。周囲の人たちは優しい、それは恵まれたことだけれど、ぼくのような人間を救うには、そのくらいの恵まれ方ではまだ足りない。……ジェスクヤならこんな時、どんな言葉をかけてくれるんだろう? 彼女に会いたい。
願っても太陽の沈む速度は一定で、ここに連絡手段はない。ぼくの玉網係としての役割は、たまたま自分の分の竿を握っている時にお呼びがかかって「すいません今手が離せなくて!」と断った拍子に、なんとなく自然消滅していった。
その後ぼくは、船上で何度か意識を失った。眠っていた……というのが感覚的には正しいけれど、横になった直後に眠るのは入眠ではなく気絶であるという話がある。だから、ぼくはたぶん何度か気絶していたのだ。
父と弟が順調に釣りを進める間、適当な場所に座っていたら、いつの間にか夕暮れになっていた。イカ釣り始めていいですよ〜……と船頭さんがアナウンスを入れて、我々釣り人たちの頭上にずらりとぶら下がった電灯が満を持して光り出す。
昼間の釣りはあんなに入れ食いだったのに、本題であるイカ釣りはダメだった。結果から言えば、我が家は日没の十九時台から帰港開始予定時刻通りの二十三時まで、約四時間もの時を費やして、たった二匹しか釣り上げることができなかった。それもその二匹は、まわりが釣り上げている物よりも明らかに小ぶりだった。
「優真、そのイカ締めといて」
まだそれが貴重な二匹になるとは知らなかった頃。最初の一匹目が釣れたあとに、ぼくは父からアイスピックのような物を渡された。締めるとは、魚などに速やかにトドメを刺すことで鮮度の低下をゆるやかにする手法のことを言うのだけれど。父いわく、イカは目と目の間を貫くと即死するらしい。
たぶん倫理観が死んでいるからだろう。ぼくは生き物を締めるなんて初めての体験だったのに、何の躊躇もなくアイスピックを言われた通りの位置に振り下ろした。不器用な自分ではノーコンすぎて違う箇所に刺さるかもしれないと思ったけれど、その時はその時だとも思った。なにせイカからは血が出ないし、動物のような悲鳴を上げないし、虫のように見た目が気持ち悪くもない。だから無責任に「その時はその時」だと思える。ぼくの倫理観なんて突き詰めればその程度の物なのだと、凪いだ自身の心に思い知らされる。
幸いにも、ピックは狙った箇所に突き立てられた。……が、締めることに成功したイカは通常、透明から白色に変色していくものだと聞いていたのに、そのイカは一向に色が変わらないし、何より暴れ回っていた。刺さりどころが悪かったのかと、もう一度よく狙って刺してみる。……けれどやはりダメだった。もしかすると「目と目の間」が指す範囲が、思っているのと微妙に違うのかもしれない。いかんせんピックの当たる範囲は点だから、狙うべき弱点をうっかり避けてしまうということもありそうだ。
ドスッ、ドスッ、ドスッ……と、それっぽい位置を手当り次第に刺した。しかしイカはあまり白くならなかった。だんだん弱ってはいったものの、それは釣られた上に傷つけられた生き物が自然とそうなっていく範囲の出来事であるようにも思われた。言われた通りにやったのに、何がまずかったのか分からないけれど、不器用な自分のことだから気付かぬうちに何かをしくじっているのだろうと思った。
母は魚を捌けない。柵になっている物なら平気だけれど、見た目が生き物らしければ生き物らしいほどダメだ。グロテスクで怖いのだという。頭を落とすとか内臓を取るとか、そういうのが無理なんだそうだ。もし母がこの船上にいたら気の毒なことになっていただろうなと、アイスピックを手放しながらぼくは思った。ちなみに母はなぜか、イカの皮を剥くことは得意らしい。
「なんか全然締まらないんだけど」
「えぇ? じゃあまぁいいや」
父はべつに失望や呆れた風ではなかった。ぼく同様、純粋に原因が分からなかったのだろう。そしてそれを究明したいと思えるほど研究者肌でもなければ、暇でもない。
二匹目は比較的すぐに釣れた。しかしその後はピタリと当たりが止まった。もとい、父は「あ〜! 引っかけられなかった!」と何回か盛り上がっていたけれど、とにかく三匹目の姿を拝むところまではたどり着けなかった。一度、ちぎれた足が一本、針に引っかかって上がってきたことがあって、ぼくはそれを食べた。意外にも噛んだ瞬間は味がしなくて、しばらく噛んでいるとみるみるうちにイカの甘みが染み出してくるという不思議な体験をした。寄生虫とかがいると困ると思って、死ぬほどよく噛んで食べた。
途中、隣で釣っていたおじさんが、持って帰っても食べきれないからとイカを譲ってくれた。
ぼくには信じ難いことだけれど、釣り人の中には、食べることよりも釣ることを楽しみにしている人がいる。あるいはそのおじさんはべつにそのタイプではなく、ただ単にめちゃくちゃ聖人な人だったのかもしれない。……家族三人で一つの竿を分け合う姿と二匹しか釣れていないイカの組み合わせは、善良な心の持ち主には目の毒だった可能性もある。
おじさんはしばらくの間、釣れるたびにそれを譲ってくれた。……いや、譲ってもらったうちの二匹目は、船内でも有数のビッグサイズを釣り上げたおじさんに感心していた時に、「見る?」と言われた気がして「はい!」と答えたのがよくなかったのかもしれない。直後の会話の流れでおじさんが「いる?」と言っていたことに気づいた時には、もはやリカバリーできなくなっていた。
うっかり二匹目を譲ってもらってしまったことが勢いになって、最終的にぼくたち家族は、そのおじさんから四匹ものイカをもらってしまった。まぁ二匹しか釣れなかった可哀想な人はどうやら船上に自分たちしかいなかったようだし、おじさんはおじさんで四匹ほど持ち帰っていたから、案外それでよかったのかもしれないけれど。……それでも彼の聖人性だとか、せっかく苦労して釣った物を平気で人にあげてしまえる感覚というのは、ぼくには心では理解できない物だった。純粋な感謝と、理解できないものに対して感じる不気味さが、同時に心の中にあった。
港に帰り着く頃には、日付が変わりつつあった。これからまた二時間かけて家に帰らなければならない。……そんなことが人間の体力で本当に可能なのだろうか? ぼくは釣れなさすぎるイカ釣りの最中にも、港までへの帰り道にも、座ったまま気絶するように眠っていたのに。
きっと父だって仮眠くらいするだろう。そうたかをくくりながら、車内でほぼ一日ぶりにスマホを触った。ひとまず無事を報せる意味でも、ジェスクヤに連絡を入れる。
『やっと港に帰ってきたので今から帰ります。いっぱい釣れました』
時間が時間だから、さすがに既読は付かなかった。
メッセージを送り終えたあと、ぼくはイカの締め方について検索してみた。すると出てきた情報には「目と目の間の少し上あたりを、斜めに突く」と書いてあった。「少し上」なのはまだしも、「斜めに突く」というのは完全に初耳だった。おそらく父も知らなかったのだろう。
しかし、生き物に何度も鋭利な暴力を突き立てておいて、それが虐待以外に何の意味も持たないことだったと分かった時。それは「知らなかった」で済まされるものなのだろうか……?
コンビニでトイレを済ませたあと、父の運転する車は高速道路に乗る。ぼくも弟も運転はできない。それどころかぼくは、その後すぐにまた意識を失った。気がついた頃にはもう家だった。まだ夜が明けてもいなかった。父はあの後、ロクに仮眠もとらなかったのだ。
ぼくが当然のように爆睡していたことは、「疲れていたから」で許されることだろうか……? 一番疲れていたのは間違いなく父なのに。
あっけなく寝られたということは、ぼくは心のどこかで「許されるに決まっている」と思っていたのかもしれない。元カノは精神的な理由から、人前で眠れない人だった。