無口な幼馴染の「お店ごっこ」で身も心も搾り取られる話 作:松木ユキ
朝、きっかり八時に目が覚めた。夏休み中だし、普段ならお昼まで呑気に惰眠を貪っているところだが、今日は違う。なんといっても……真衣との「お店ごっこ」があるのだ。
「よしっ」
すっかり眠気なんか吹き飛んで、頭もしっかり冴えている。我ながら現金だとは思うが、実際楽しみなんだから仕方がない。
「……」
ここで考え込んでしまう。起きたはいいものの、何時に行けばいいのか分からない。昨日みたいに真衣から呼び出されるのを待つか? いや、俺はあくまで「お客さん」。こっちから「予約」の電話をかけても全く問題はないはずだ。
「ええっと……」
枕元に置いておいたスマホを手に取り、暗証番号を入力してロックを解除した。メッセンジャーアプリを開いて真衣の連絡先を探し、電話のマークにタッチしてから、スマホを耳に当てた。
「真衣だけど」
「うおっ!?」
プルルル、という発信音すら聞こえる間もなく電話に出たので、つい驚いてしまった。
「なに? 大声出して」
「えっと、その……予約したいんだけど」
「予約?」
「お、お店ごっこするんだろ? 何時ならいいかなって」
「ああ……」
何やら考え込んでいるようだ。昨日はあれだけ呼び出してきたのに、今日はどうしたんだろう。
「今日ね、お母さんのお仕事が休みになっちゃったの」
「えっ?」
「だから、カズが家に来るのは難しいかなって……」
……マジか。せっかく制服姿の真衣を拝む良い機会だったのに、ここにきてお預けかよ――
「ちょっとー、和彦ー?」
「!?」
急に部屋の外から母親の声がして、ビビッてしまった。
「ごめん真衣、ちょっと待ってて!」
慌てて電話を保留にして、大急ぎでベッドから下りて部屋の扉へと向かう。それとタイミングを同じくして、母親が部屋に入ってきた。
「あら、起きてたのね。てっきり今日もお昼まで寝るんだと思ってたわ」
「別にいいだろ、起きてたって。それより何か用?」
「お母さんね、今日親戚の法事だってこと忘れてたの」
「えっ?」
「今から急いで行ってくるんだけど、帰りは夜になるからご飯とか適当に食べてて」
「父さんは?」
「あら、気づいてなかった? お父さんは昨日から二泊三日で福岡に出張よ」
どおりでゆうべ父親を見かけなかったわけだな。……ってことは?
「じゃあ、今日は俺しか家にいないの?」
「そうよ。お風呂掃除とかやっといてね、じゃ」
母親は忙しなく部屋から出て行った。……こんなことになるとは、俺の日ごろの行いがいいんだろうな! 右手に持っていたスマホを目の前に持ってきて、保留を解除し、再び耳に当てる。
「ごめんごめん、急に母さんが部屋に来てさ」
「あ、うん。だからカズ、『お店ごっこ』はまた明日――」
「真衣の店、出張してないの?」
「えっ?」
電話越しに戸惑っているのが分かる。そうだよな、こういう店には「出張」って概念があるんだ。
「俺の家、今日は両親いないからさ。……九時から、家に来てくれよ」
「!」
スマホのスピーカーからは何も聞こえてこない。迷っているのか、それとも。
「……分かった。オプションは『コスプレ』ね」
「うん、それで」
「じゃあ、後で行くから」
そこで電話が切れた。俺は再びベッドに寝ころんで、天井を見上げる。高校の頃、よく真衣が学校帰りに制服姿で家に来てたなあ。……あの頃の再現、だな。
***
少しうたたねをしていたら、ピンポーンという呼び鈴の音で目が覚めた。いつの間にか九時になっていて、真衣が家の前に来たらしいな。俺は慌てて部屋を飛び出し、一階に降りて玄関まで迎えに行く。
「はいはい、今開けるよー」
この扉を開ければ、制服を着た真衣がいる。高校時代、ずっと孤高の存在であり続けて、隠れ美少女として人気を集めていた真衣が――俺だけのために、制服を着てくれている!
「おはよう、真衣――」
「おはよ」
「……あれ?」
目の前にいる真衣は、昨日と同じような白シャツとジーパンを身にまとっている。あれ? 俺の青春は? どこ行った?
「せ、制服は?」
「……お母さんが家にいるのに、高校の制服なんか着てたら怪しまれる」
そりゃそうか。納得したわ。
しかしよく見てみると、真衣は旅行に持って行くようなスーツケースを横に携えていた。もしかして制服を入れているのかな? これはこれで怪しまれそうな気がするけど、いいのかな……。
「中、入れてよ。暑いから」
「はいよ、荷物代わりに持とうか?」
「いい。着替えるから、お風呂のとこ借りていい?」
「ああ、うん」
スーツケースを持ち上げ、家の中に入ってくる真衣。入れてよも何も、普段から勝手に入ってきていると思うのだけど……まあいいか。お風呂のとこ、ってのは風呂場の脱衣所のことだろうな。
「……」
「ん?」
まだ何か言いたげに、こちらをじっと見る真衣。そういや、今日は髪を下ろしているんだな。高校生の頃はそういうときが多かったからだろうか。
「どうしたの、真衣?」
「いや、なんでもない。先にお部屋で待ってて」
「ん、分かった」
俺は言われるがまま、階段に向かって歩いていく。真衣は風呂場の場所も把握しているはずだし、大丈夫だろう。
***
「……」
さて、言われた通りに自分の部屋に戻ってきたわけだけど――なんだかモヤモヤする。下の階で、真衣が着替えをしているかと思うと心臓が速くなる気がする。いや、昨日下着姿を見ちゃったんだけどさ。それとこれとは別だよな。
「カズ、いい?」
その時、ドアがノックされる音がした。……緊張するな。今度こそ、制服を着た真衣がいるはずなんだ。
「うん、開けるから待ってて」
別に鍵なんかかけていないのだが、なんとなく迎えに行ってしまう。いちおう床に掃除機もかけたし、邪魔なものは脇によせておいた。真衣が来ることなんて日常だから、本当はいちいち掃除することはないけど、今日はなんだか特別な気分だったのだ。
扉の前に着いた。こほんと咳ばらいをして、緊張をほぐしてからドアノブに手をかける。
「よろしく、真衣――」
……一瞬、時が止まったような気がした。
純白のシャツの上に、紺色のブレザーがよく映える。胸元には赤色のリボンがあって、視線が惹かれる。膝くらいまであるチェック柄のスカートも可愛らしく、綺麗な足がいっそう美しく見えた。肝心の真衣本人はと言うと、あの頃のように凛とした表情を見せていた。
「か」
「か?」
「可愛い……」
「!」
目に見えて顔を赤くして、表情を崩す真衣。口をついて出てしまった、可愛いという言葉。高校三年間、毎日のように見ていたはずなのに……いま改めて見ると、とても輝いているように映る。
「こ、高校の時はそんなこと言ってくれなかった」
「だ、だってそれは……」
部屋の入り口でお互いに照れたまま動けなくなる俺たち。高校生の時なんか、とても言えるわけがない。恥ずかしいし、そんなことを言って嫌われたらと思うと余計に無理だった。
「か、カズだって!」
「えっ?」
「カズだって、制服着てたのカッコよかった!」
「!」
自分がそんな風に見られていたなんて露ほども知らず、驚いてしまう。……そしてすぐに、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになる。
「だからっ、その……カズにも、制服着てほしかった」
「えっ?」
「『カズも制服着て』って言いたかったけど……は、恥ずかしかったから……」
俯いて、ぼそぼそとつぶやく真衣。そうか、さっき玄関で何かを言いかけていたのはそれだったのか。なんて健気で、愛おしい幼馴染なんだろう。今まで好きだと言わなかったことを後悔するくらいに、真衣に対する好意が胸に降り積もっていく。
「でもごめん、高校の制服はもう持ってないんだ」
「……そっか」
真衣の表情は本当に残念そうで、さっきの言葉が嘘偽りでないことを物語っていた。親戚の子で、俺と入れ替わりで同じ高校に進学する子がいたから、お下がりとしてあげちゃったんだよな。こればかりは仕方ない。
「その……さ、立ち話もなんだし部屋に入ったら?」
「……カズ、早くえっちなことしたいだけでしょ」
「ち、違うって!」
「あーあ、カズは高校の頃から私をいやらしい目で見てたんだ。ひどいなー」
「もー、いちいち言うなって」
頬を膨らませて不満を露わにしながらも、真衣は部屋に入っていく。右手にトートバッグを持っているけど、ローションなり何なりが入っているんだろうな。
「あっ、そうだ」
「なに?」
「『コスプレ』の料金は何なの?」
「!」
ドキッとしたかのように、体を跳ねさせる真衣。こちらに背中を向けたまま、静かに呟く。
「も、もう貰った」
「へっ?」
「さっき、カズから貰った。だからいいの」
え? 俺なんかあげたっけ?
「ちょっ、何が料金なんだよ!?」
「いいの! いちいち言わないで!」
真衣はぷんぷんと怒りつつ、器用にスカートを抑えながら床に座り込んだ。きっと「お店ごっこ」の準備をするのだろう。
「分かったよ、今日はよろしく」
ごそごそとバッグを漁る真衣を横目に、ベッドに腰かける。高校時代、真衣が自分の鞄から宿題のノートを取り出していた姿を思い出す。
「……さっきの、料金の話」
「えっ?」
小さく呟いた真衣の声。首をかしげていると、真衣は照れ臭そうに、そっと話を続ける。
「高校時代に、
その声は透き通っていて、何より綺麗で――何よりも愛おしかった。