勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
そのパレードは壮麗の極みを尽くし、万雷の拍手と喝采によって彩られていたという。大通りは王都百万人の民が老若男女を問わず押し寄せ、春先にも関わらずむせ返るほどの熱気に満ちていた。彼らはただ三人の青年たちを一目見ようと、そして一言でも交わそうと押しかけたのだ。
「なんだぁ、レリオ。お前は勇者様の出陣式は見なかったのか」
「仕事中だよ。防壁の裏側で突っ立ってたさ」
「衛士ってのも大変だなぁ。この記念すべき光景すら観れねぇとは」
パレードの余韻も冷めやらぬ、夜の酒場。魔導灯の光が照らす中、所狭しと並べられたテーブルの隙間を、獣人の女給が走り回っている。
赤ら顔の巨漢はわざとらしく仰け反って、憐れむような目を送ってきた。
「それで給料貰ってんだから文句はないさ。それに、多少は騒がしいのも聞こえてきた」
「そうだろうさ。何せ表通りは隣の声も聞き取れねぇくらいの乱痴気騒ぎだったからな」
傭兵時代の馴染みの男は、再びジョッキを空にする。そうして近くの女給を呼びつけ、新たな酒を注文した。
景気がいいのはこの男だけではない。周囲の卓でも次々と注文があがっている。
今頃、他の酒場も同じだろう。鬱屈した王都の空気を晴らす久々の朗報だ。神によって選ばれた勇者と、彼を支える魔法使いと戦士。まだ年若くも実力は確かな三人が魔王討伐のため出立したのだから。酒は飲むし気分も上がる。芋を洗うような混雑ぶりには辟易とするが、往時の物悲しい雰囲気を知るだけに不満を呈することもない。
「しかし、勇者はまだ14歳って話じゃないか」
「だからこそ伸び代があるんだろ。何も明日すぐに魔王と対決するってわけじゃねぇ。魔王の支配域までは半年以上かかるんだ。それまでの道中で否が応でも鍛えられるさ」
「そういう話をしてるわけじゃないんだが……」
これまでも多くの男たちが徴兵され、送り出された。だが、勇者とその仲間は彼らと比べても驚くほど若い。いや、幼いと言ってもいいだろう。そんな少年に期待しなければならないほど、人類は追い詰められている。その事実が一層身に沁みる。
できることなら俺も同行したいが、そうもいかない。王都の防衛というものも、王より与えられた使命だ。北の魔王にばかり目を向けていれば、南の森から虎視眈々と付け狙う魔獣どもに喉笛を掻き切られてしまう。
俺はそんな魔獣から王都を守る衛士をしていた。かつては目の前の男同様に傭兵として各地を渡り歩いていたこともあったが、ここ数年はすっかりここに根を下ろしてしまった。
王都の南に広がる密林は蛮族と魔獣の巣窟だ。昼夜を問わずやってくる襲撃を退けなければ、王都は魔王の到来を待たずに滅亡するだろう。
「へっ。ぼーっと突っ立ってるだけの楽な仕事にありついてから、すっかり牙が抜けたなぁ。剛腕のレリオはどこにいったんだ」
「昔の二つ名を引っ張り出してくるなよ。流石に酔いすぎだぞ」
「うるせえ!」
いよいよ前後不覚になってきた昔馴染みは、まだなみなみと残っている杯を掲げてお代わりを要求し始める。俺はため息を吐き、渋る彼を羽交締めにして酒場から退散した。
「俺はまーだのめるぞー!」
「はいはい。じゃあさっさと潰れ野垂れ死ね」
ごちゃごちゃと五月蝿い奴は宿の中へ投げ込む。路地裏に転がさないだけ温情だと思ってもらおう。だが酔っ払いに付き合ったせいで、俺自身はほとんど飲めていない。さりとて今日はどこの酒場も似たような騒ぎだろう。
日頃から昼は門番仕事をして、夜は一人でゆっくり飲むのが習慣になっている。どこかのんびりできるところはないだろうか。
「うん……? あんなところに店があったのか」
夜風に吹かれながら、普段は足を伸ばさない区画までやってきた。貴族街にも近く、庶民はあまり立ち入らないエリアで、周囲には高級店が並んでいる。そんななか、路地の奥まったところに隠れるように小さな酒場があった。
酒場〈白羽根〉。看板にはそのように書かれている。開店とも閉店とも示されていないが、窓からは光が漏れていた。
閉まっていたなら、もう諦めて家に戻ろう。そう思いながら扉を押すと、意外にすんなりと開く。中は外観に違わず席数の少ない酒場だ。ひとけはなく、カウンターにも店主らしき姿はない。
「すまない、やってるか?」
奥に引っ込んでいるのかと思い、声を張り上げる。すると案の定、カウンターの奥にある壁の向こうから物音がした。
「す、すみません。今日はもう閉めようかと……」
恐縮した様子で現れたのは、妙齢の女だ。和やかな雰囲気を醸し出す垂れ目がちの瓜実顔で、驚くほどの美人だ。何より服の下からでもはっきりと主張する巨乳が盛大に揺れて、そこから目を離すのが大変だ。彼女を一目見るために通い詰める常連もいるのだろう。
とはいえ、当人は淫靡な空気を振り撒いているわけではなく、むしろ純真そうな印象がある。どことなく疲れ気味の肩も、人の良さそうな気配に一役買っていた。
「そうか……。一杯呑もうかと思ったんだが。邪魔をしたな」
「あ、いえ。その……お一人であれば、大丈夫です」
多少落胆したものの、閉店なら仕方がない。素直に引き下がろうとした矢先、背中に声がかかる。振り返れば、女性が白いエプロンを結ぼうとしていた。手を後ろに回しているせいで、余計に巨乳が揺れて目のやり場に困る。
「いいのか?」
「はい。――今日は少し賑やかで、ちょっと疲れてしまったものですから。でもお客さんは穏やかそうですし」
同僚や昔の仲間からは岩男とも言われる顔だが、どうやら表情が鈍いのにも利点はあったらしい。女性は口元に微笑を湛え、出迎えてくれた。
ここで引き下がるのも厚意を無下にすることになる。カウンターのスツールに腰を下ろし、一杯注文する。ツマミは何があるかと聞けば、キャベツの酢漬けとソーセージが出てきた。
「美味いな。酒が進む味だ」
「ありがとうございます。旦那も好きだったんです、これ」
少し濃いめの味付けが麦酒によく合う。酒そのものも質の良い、何も混ぜられていない美酒だった。
「ここは一人で?」
「はい。まだ開いたばかりなんですけどね」
女店主はシアと名乗った。歳は三十路の半ばといったところか。その割には肌も滑らかで美しいが、肉付きのよい身体はむしろ魅力を増しているようにも思える。
「今日は忙しかっただろう。前に入った店も混雑して、ろくに飲めなかった」
「うふふ。今日はその、記念すべき日ですもの」
辟易として思わず溢すと、シアは口元を隠して上品に笑う。しかし後に続く言葉には、どこか空虚に聞こえた。
「書き入れ時だろうに、閉めてしまってよかったのか?」
シアは俺が酒を煽っている間に閉店の看板を出してしまった。扉が開くことはない。個人的には美人な店主とゆったり飲めるのは嬉しいが、これで良いのかという困惑もある。
酒の勢いもあって率直に尋ねると、シアは長い睫毛をそっと伏せる。
「今日は少し賑やかすぎて……。それに、頑張って稼ぐ必要もなくなっちゃいました」
「というと?」
どこか諦めたような顔に、思わず深く踏み込んでしまう。
「すまない。事情があるならそれでも――」
「ふふっ。レリオさんは優しいですね」
ゆるく一房に編まれた黒髪が揺れる。この辺りでは珍しい黒い瞳が潤んでいた。
「よかったら飲んでくれ。俺の奢りだ」
「そんな。悪いです……」
「どうせ他に客はいない。それに、美人を立たせて一人だけ飲むのも趣味じゃない」
付き合ってくれ、と少し強引に杯を渡す。渋っていたシアも、何か抱えているものがあったのだろう。カウンターから出てきて隣のスツールに腰を下ろす。迫り上がる巨乳に引けを取らない尻が現れ、思わず視線が下がりそうになる男の性を舌を噛んで抑えなければならなかった。
全身を現したシアは、凹凸に富んだ女性らしい身体だった。ゆったりとした服装だが、それで隠しきれない色香がある。おそらく、本人は無自覚なのだろうが旦那の存在がなければ、きっと引く手数多であるはずだ。
「すみません。では、ご相伴に」
彼女の杯に麦酒を注ぐ。それを一口、唇を湿らせるように飲むと、シアはゆっくりと口を開いた。
「今日旅立った勇者。――あの子は、私の息子なんです」