勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
ぐつぐつと煮えたぎるような衝動を腹の底に押し込みながら、シアと共に店へ戻る。何も知らないフィオリーネはくるくるとよく働き、店の常連たちからも暖かく受け入れられているようだ。
「あっ、レリオさん。シアさんの治療? はいかがでしたか?」
「ああ……。とても、効いたよ」
純粋な笑顔を見せるフィオリーネに、個室の中でのことを知られるわけにはいかない。だというのに、言葉を選んで答える俺に、隣の女は妖艶に笑うのだ。
「レリオさん、とっても硬くて、バキバキだったんです♡ だから、後で本格的に治療することにしました」
「そうですか。いいですね、シアさんの治癒術とっても気持ちいいんですから」
聞けばフィオリーネも仕事終わりに軽く治癒術を施してもらっているという。元々病弱で体力の少ない彼女は、研修とはいえ数時間も働き続けるとかなり疲弊してしまう。それを明日に持ち越してしまわぬよう、シアも注意を払っていた。
フィオリーネの父親が信頼して娘を預けたのは、これも理由の一つだろう。些細な疲れにもこまめに治癒術をかけてもらえるなら、より効果的に体力増進を望める。
「レリオさん、今日もおまかせでいいですか?」
「あ、ああ。よろしく頼む」
カウンターの奥に戻ったシアは数秒前までの淫靡な空気をすっかり消し去り、場末の酒場の女店主としての顔に戻る。変わり身の速さに驚きつつ、俺も疲労と空腹を思い出した。魔獣と戦えば激しく動くし、動けば腹も減る。個室のあれこれがなくとも、がっつりとしたものが食べたい気分だった。
「では、先付けのカブトワリタケの素焼きから……」
「待て待て待て。せめて食べられるものを出してくれ!」
シアが平静に戻ったと、一瞬でも信じた俺が馬鹿だった。
カブトワリタケは強烈な強壮作用を持つ希少なキノコで、毒々しい赤い色が特徴的だ。かつてとある部族がこれを戦の前に食べ、連戦連勝の武威を誇っていたという。食べれば相手の兜ごと割り潰すことができる、というのが名前の所以である。
その強壮効果は本物かもしれないが、摂食者は自我を失うほど興奮してしまう。まごうことなき危険物だ。
「ちぇっ。――大丈夫ですよ、治癒術を使って無毒化していますから」
「信用できないんだよ。というか、フィオリーネの前でなんてものを出してるんだ」
小さく舌打ちしたのを聞き逃さず、赤黒いキノコの載った皿を突き返す。
カブトワリタケはその興奮効果から、媚薬の材料としても知られている。幸いフィオはピンときていないようだが、とんでもないことをする店主である。
「ちょっとした冗談ですよ。……はい、小芋の煮物です」
「本当か……?」
冗談と言うわりに、残念そうな顔をしている。
たしかにシアの治癒術の腕なら、平静を失った俺を治療することも容易だろう。それにしても、いまいち彼女を信じきれない。
キノコの代わりに出てきたのは、なんの変哲もない素朴な煮物だ。他のテーブルにも同じものがあり、こちらが本来の突き出しだとわかる。食べてみると、じっくりと時間をかけて煮込まれてしっかりと味のついた小芋のねっちょりとした食感が落ち着く一品だった。
「こういうのでいいんだよ。こういうので」
「うふふ。レリオさんは美味しそうに食べてくれるので作り甲斐がありますね」
「シアの腕がいいのさ」
本当に、変な気を起こさなければシアの料理は非常に美味い。ただの煮物と侮るなかれ、しっかりと煮崩れなく作られ、緑もそっと添えられている。目にも美しく、舌に美味い、最高の料理だ。素朴な家庭料理といえばその通りだが、細部まで手が混んでいる。
「……あぅ」
「うん? どうかしたのか、フィオリーネ」
味の染みた小芋に舌鼓を打っていると、不意に視線を感じる。顔を向ければ、テーブルを拭いていたフィオリーネがこちらを見ていた。声をかけると、彼女は慌てて顔を逸らす。
なんなんだ、いったい。
「はい、レリオさん。今日はお魚なんていかがですか?」
「おおっ、これも美味そうだな」
フィオリーネに気を取られていると、新たな料理が出てくる。彼女が自ら市場で選んだという立派な魚がシンプルに焼かれていた。それだけかと思えば、魚のアラを使ったスープもついていた。
「いっぱい食べてくださいね。お代わりもありますから」
ぷすぷすと皮が焼け脂の滲む焼き魚は酒にも合う。
「うぅう……。れ、レリオさんは、料理ができる女性とか、どう思われますか?」
「うん? なんだ、藪から棒に」
夢中で食事をしていると、フィオリーネがずいと身を寄せてくる。よく分からない問いだが、答えなければ解放されなさそうな気迫を感じる。
やや考えて、俺は答えた。
「まあできるに越したことはないと思うが」
「あぅ」
「それよりも、一緒に美味いもの食べて美味いと言い合える仲がいいな」
「な、なるほど!」
俺自身、されるがままというのは性に合わない。苦楽を共にするような仲間がいれば、きっと楽しいだろう。ま、そういった出会いが今までなかったからこそ、こうして一人飲みが趣味の侘しい人間になってしまったわけだが。
微妙に着地点をずらしたような回答だったが、フィオリーネは満足してくれたらしい。いつもより少し機敏な動きで、他のテーブルの注文を取りに行っていた。
「一緒に食べて、美味しいと言い合える関係ですか。なるほど、なるほど」
「な、なんだよ……」
カウンターで話を聞いていたシアが、俺の言葉を繰り返してにっこりと笑う。ぞくりと背中が寒くなり身構えるも、彼女は笑ったまま答えない。
「たしかに、二人で一緒に過ごせば、楽しいことはもっと楽しくなりますよね」
俺と同じことを言っているはずなのに、そこに妙な意味が加わっているような気がする。しかしそれを追及する気にもなれず、俺は次々と出てくる料理に手を伸ばす。
やはりシアの料理は美味い。どれを食べてもハズレがない。しかも、これで本当に採算が取れているのかと疑うほどのボリュームだ。
しかしパクパクと食欲のまま食べ進めているうちに、違和感に気がつく。妙に店内が暑い気がするのだ。
「シア、ちょっと暑くないか?」
「そうでしょうか? 涼しい風も入ってきますけど」
春先の夜。まだまだ肌寒い日もある季節である。それなのに俺だけが汗を滲ませていた。周囲の客も酒が入っているとはいえ、ここまでではない。
「シア、何かやったのか」
「うふふっ♡ 何のことでしょう?」
気温が上がっていないのであれば、俺の体温が上がっている。汗をかくほど急激に上昇しているとなれば、理由は限られる。まさかと思って問い詰めれば、シアは妖艶に目を細める。その間にも体温は上がり、脈が加速する。水の入ったコップに手を伸ばすが、動きが揺れてそれを倒してしまう。
「あら、あらあら♡ レリオさん、少し飲みすぎですよ♡」
「シア……」
わざとらしく、ゆっさゆっさと大きな胸を揺らしながらカウンターから出てくるシア。彼女は俺の腕を抱き、強引に立ち上がらせる。
「ごめんなさいね、フィオちゃん。やっぱりレリオさん、疲れが溜まってるみたい♡ ――今からじっくり治癒してくるから、お店お願いね♡」
「は、はい! レリオさん、あんまり飲みすぎちゃダメですよ?」
「あ、ああ……」
もはや舌も動かない。
純粋に心配するフィオに何か言うこともできないが。
俺はシアに引きずられるようにして、再び奥の個室に入ることとなった。