勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
フィオはサンドウィッチを俺に渡すと、意外なほどあっさりと帰ってしまった。店の開店準備があるやら、俺の昼休みを邪魔しては悪いやら、色々と言っていた。やはり、なんだかんだで彼女は上流階級の淑女なのである。……だからきっと、あの夜を期待する怪しい光を帯びた瞳はなにかの間違いだろう。
「しかしどうするか……。今戻ったら面倒なことになりそうだしな」
馬鹿正直に机に戻れば、牙を研いで待ち構えている同僚から質問攻めに合うのは必定。それならいっそ、どこか別のところでひっそりと食べてしまうのもありかもしれない。
あいつが痺れを切らして出てくる前に、とっとと場所を移さなければ。
サンドウィッチの入った籠は、俺が持つには少々可愛らしい。あまり堂々と表を歩いていると、良識ある都民によって別の衛士が呼ばれかねない。俺は大切なものを隠すように腕に抱き、どこか人目の付かない場所を探して歩き始めた。
「とはいえ、この昼時はどこも人でいっぱいだな」
魔王の軍勢が迫ってきているとはいえ、日常は続く。勇者が立て続けに戦果を挙げていることもあり、王都の街並みも以前に比べて活気を増しているように思えた。昼時とあって通りの左右には露店が並び、客を呼ぶ大声が飛び交っている。人々は香ばしい匂いに釣られて店に近寄り、まんまと財布を開いていた。
あまりの賑わいに、人目を気にせずともゆっくり食べることは出来なさそうだとすぐに理解する。喧騒に追われるように路地裏を通り、目抜通りから離れた区画へと移動した。
「この辺りは静かだな。どこか腰を落ち着けられる場所は……」
やって来たのは剣横丁と呼ばれる街の一角だ。鉄の匂いがどこからか漂う物騒なエリアで、路傍の人々も古傷が目立つ者が多い。〈白羽根〉がある貴族街方面とは逆の向きに歩けば辿り着くこの場所は、どこか剣呑な雰囲気を漂わせていた。
俺に取っては懐かしい場所である。
ここは鍛冶屋や地図屋といった、傭兵や旅人向けの商品を取り揃える店が集まっている。傭兵時代は足繁く通っていたし、今も武具の整備のため週に一度は訪れる。貴族街ほど堅苦しくなく、貧民街ほど気を張る必要もない。でかい男が一人でサンドウィッチを食べていても、咎める者もいない。
「おお、こんなところがあったのか」
そんな剣横丁を進み、入り組んだ細い道を抜けると、急に視界が開ける。
背の高い建物に四方を囲まれ、わずかな隙間以外で外界と繋がっていない、謎の広場があった。
誰からも忘れ去られているのか、四角い空から注ぐ光を浴びて草が自由に伸びている。春らしい小さな花も咲き、なかなかに綺麗な場所だ。ちょうどよく壁際に木箱が積まれているのを見つけて、少し拝借することにした。
「ふぅ。久しぶりに一人になるのも、気が休まるな」
昼はうるさい同僚と魔獣の相手に忙しく、夜はどこまでも絞ろうとするシアと体力作りに励むフィオに襲われて、気が付けば休まる暇がなかった。体力は強制的に治癒されるとはいえ、心は気付かぬうちに荒んでいたらしい。
思わず深呼吸など繰り返して、爽快な静寂に身を委ねる。籠に詰まったサンドウィッチを食べれば、これもまた美味い。
「シアもフィオも、もうちょっと落ち着いてくれたら良い女なんだがな……」
個室に入れば朝まで出ることができない。おかげで最近は、自分の家にも荷物と着替えを取りに戻るだけという有様だ。
誰に聞かれるでもなく、一人でこぼすのもまた心が軽くなる。今日こそは二人に流されず、楽しく酒だけ飲んで帰って、ゆっくりと眠ろう。
「ぐすっ、ひぐぅっ……」
「うぉおっ!?」
サンドウィッチに舌鼓を打ちつつ、何度目かも分からない覚悟を決めていたその時、不意に草むらから啜り泣く声がする。まさか他に誰かいるとは露にも思わず、驚いて飛び上がる。
恐る恐る広場の向こうに目を凝らせば、入り口の路地から一番離れた壁際に、誰かがいた。
「女の子か……?」
膝を抱えて土の上に座り込み、背中を曲げている。小柄な少女だろうか。顔立ちは、鮮やかなオレンジ色の髪に隠れて見えない。
目を引くのは、彼女の服装だ。裸足に、厚手の布の服に、黒い帯。かなり使い込まれた道着に身を包んだ姿で、まるでどこかの道場から逃げ出して来たかのような風貌だった。
「お、おい。どうかしたのか? 怪我でもしてるのか」
もし怪我でもしているようなら大変だ。シアの店への道順を思い返しつつ声をかけると、彼女は肩を跳ね上げて恐る恐る顔を上げた。
「ひっ、だ、だれ……?」
向こうも、まさかこんな辺鄙な場所に自分以外の人間がやって来るとは思わなかったのだろう。しかも現れたのがデカい仏頂面の男とあって、如実に怯えている。
両手を広げ、できる限り敵意がないことをアピールしつつ、距離を保ったまま口を開く。
「俺はレリオ。南門で衛士をやってる者だ」
「衛士……」
疑念の目。
衛士は普通、統一された鎧と直剣を備えているものだ。しかし俺は武器も防具も自前のもので、衛士よりも傭兵という方がしっくりくる。
「ほら、南門だからな。武装は自由なんだ」
「みなみもん……。そっか」
勤務先を強調すると、彼女も思い出したらしい。
王都の外壁を守るのが衛士の使命だが、密林に面する南門は危険度が高い。そのため俺のような傭兵あがりや、同僚のような宮廷魔術師がスカウトされることも珍しくない。だからこそ、制式の武装ではなく、各々の裁量が強くなっている。
その代わりに、身分を示す徽章もある。胸に取り付けたそれを示すと、ようやく納得してくれた。
「なんで衛士さんが、こんなところに?」
「昼飯を食べようと思ってな。落ち着けるところを探してたら、ここに来たんだ」
籠を掲げて見せる。
少女は少し警戒を柔らげたようだった。短い髪が少年のような雰囲気も纏わせる、中性的な顔立ちの少女だ。日に焼けた肌や、鼻のあたりの傷も、それに一役買っている。
ただ……。
「その、君こそどうしてここに。泣いていたみたいだが」
俺は視線の向け先に迷いながら尋ねる。
顔は中性的で、日に焼けていて、小柄な少年のような少女。ただ、少し乱れた道着から、立派なものが溢れ出そうになっていた。普段は隠れているからか、本来の素肌らしい白さも垣間見える。
年齢にそぐわず、ずいぶんとそこだけ大人びて……。いや、下手な大人よりも、はるかに……。
「わたし……。逃げちゃったんだ」
挙動不審な俺に気付かず、少女はぽつりとこぼす。その真剣な声に、揺らぎかけた煩悩が吹き飛んだ。
「鍛錬がきついのか?」
「ううん。鍛錬は好きだよ」
彼女の言葉は強がりではない。その身体は少女らしい柔らかな曲線を描きながらも、薄い脂肪の下にしっかりとした筋肉を潜ませている。見る者が見れば、彼女が弛まぬ鍛錬を続けてきたことはすぐに分かる。
しかし、そんなストイックな彼女が逃げ出すとは。
「……実は、最近、人に教えるようになったんだ。でも、生徒たちはわたしみたいな小娘じゃ納得いかないって」
「見る目がないな、そいつらは」
武芸に年齢も性別も関係ない。あるのは、真摯に向き合った者の覚悟だけだ。
思わず即座に切り捨てると、少女は一瞬目を丸くして、すぐにふにゃりと相好を崩した。
「おじさん、良いこと言うね」
「おじさんって歳じゃないが」
「わたしにとってはおじさんだよ」
憮然とするも、少女は構わない。むしろ面白がっておじさんと連呼する。さっきまで深刻そうな顔をしていたというのに、秋空も驚く代わりようだ。
「ほら、これを食べろ」
「……いいの? おじさんのお昼ご飯でしょ?」
「泣いてる子を横目に食べられるか。腹が膨れれば、気持ちも立て直すだろ」
困惑する少女に、なかば無理矢理に籠を押し付ける。中にはまだ半分ほどサンドウィッチが入っている。フィオには悪いが、彼女も事情を知れば許してくれるだろう。
知らない男に見られながらというのも気まずいかと思い、俺はそのまま路地へと向かう。背後で少女が慌てて立ち上がる音がした。
「あ、ありがとう、おじさん! えと、これ……」
「後で南門の詰所の前にでも置いといてくれればいいさ」
軽く手を振り、そのまま剣横丁へ。昼間の、傭兵たちが出払った通りはひと気も閑散としていて、どこからか威勢のいい掛け声のようなものも聞こえてきた。そういえば、この辺りには武芸を習う道場のようなものも多い。彼女も、そこから来たのだろう。
少女が立ち直れるか否かは、俺の関わるところではない。しかし、あれだけの肉体を作り上げるまで鍛錬を重ねた彼女なら、きっと大丈夫だろう。
そんなことを思いながら、少し軽くなった足取りで詰所へ戻るのだった。