勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
重い。
「はぁあッ!」
圧を感じるほどの声と共に放たれた拳は見た目以上の重さを孕んでいた。真正面から受け止めれば、身体の中心まで浸透して無視できないダメージを与えるだろう。しかし、流れを逸らすこともできない。
パニーの一打は驚くほど鮮烈だ。
「ふっ、なかなかやるじゃないか」
結局、俺は腹に力を込めて受け止めつつ、わずかに身体をずらすことで多少の緩和を狙うことしかできなかった。視界がちらつくほどの打撃に、思わず口角が上がる。この表情をどう受け取ったか、パニーは間髪入れず次撃を繰り出してきた。
足。
「てやぁあああっ!」
しなやかに曲がる少女の足が、その爪先に鋭い速度を宿して迫る。鞭のように風を切り、容赦無くこちらへ。
だが、予想通りだ。
「まだ駆け引きはできないみたいだな」
「うわっ!? きゃあああっ!」
狙いやすいように晒した胸に、猪突猛進な一撃を放ってくれた。おかげでその動きは分かりやすく、予想しやすい。そもそも、足を高く掲げて下る蹴撃は威力はともかく隙が大きい。
一本で体重を支えることとなった軸足を軽く蹴倒すだけで、パニーは面白いくらいに吹き飛んでいく。
「よっと」
「あ、あわわ……。わわっ」
彼女が地面に激突する前に、その小柄な身体を受け止める。一瞬にして天地がひっくり返り、そして敵対していた相手に抱き抱えられているのだ。状況を理解するのに数秒を要し、パニーは遅れて狼狽えた。
「さすがはヴェリグス流。素晴らしい技だった」
「あわわぁ……」
まだ困惑しているパニーを下ろして感謝と感嘆を伝える。
「ちぇっ。今の数秒で何が分かるってんだよ」
なぜか不満げな同僚が、一瞬の攻防に疑念を向ける。たしかに、どちらかが再起不能になるまで死力を尽くしたわけでもなく、組み合い自体数十秒とかかっていない。
それでも、受けた打撃の重さや蹴飛ばした足の硬さは、パニーがただの少女ではないことを雄弁に語る。彼女もまたゴルドールの妹として、立派にヴェリグス流を修めている。
「正直、ビゴルたちよりもよほど鍛錬されているように思うが。どうして彼らはパニーを認めないんだ?」
わざわざ俺のような部外者を呼び込むよりも前に、身近に頼れる師範代がいるのだから、そちらに頼るのが筋というものだろう。ビゴルたちの不可解な行いに首を傾げると、パニーはしょんぼりと肩を落とした。
「それは……。わたしが小さくて、頼りないから」
「小さくて、ねぇ」
たしかにパニーは小柄だ。ゴルドールは勇者アレックスより年上の兄貴分という話だが、彼女はおそらく十四歳にも達していないのではないか。
「小さいって言い張るには、ずいぶんと胸のモンは立派でごびゃっ!?」
余計なことを口走る同僚には裏拳で黙ってもらう。全身鎧で固めているとはいえ、中身は筋肉皆無のモヤシだ。多少衝撃を響かせてやればしばらくおとなしくなる。
しかし、パニーは体格差を凌駕するほどの技術があり、俺とも対等に渡りあった。ビゴルたちなど、むしろまだまだ学ぶべきところが多いはずだ。
「お兄ちゃ、兄が師範として稽古を見ていた頃は、何も言われなかったんです。兄も旅に出る前に、わたしに道場を託してくれて。だからビゴルたちと鍛え合おうと気合いを入れてたんだけど」
兄、ゴルドールが王都を発った途端、ビゴルたちは態度を変えた。パニーは師範代としても不適格であると一方的に主張し、門下生同士での自主練習を始めてしまったのだ。パニーはそこに加わることもできず、悔しさを噛み締めながらひとり鍛錬に励むしかなかったという。
「レリオさん、教えてください。わたし、どうしたらビゴルたちと稽古ができますか?」
「お、教えてくれと言われてもな……」
パニー自身はビゴルたちと稽古をしたいと熱望しているらしい。ひとり稽古では限界があるという理由も一つだろうが、兄がいた頃は仲睦まじく拳を交えていた彼らが態度を急変させた理由が分からず戸惑っている。
道場に運び込まれ、適当に転がされたまま失神しているビゴルたちを見る。彼らは将来、戦士として傭兵や騎士団に身を売り込んでいくのだろう。ヴェリグス流免許皆伝といかずとも、その門下で技を習ったという事実だけでも、一目置かれる存在になる。しかし、そのためにはきちんと鍛錬を積むことが前提だ。
「なあ、おい。レリオ」
「今度はなんだ?」
切羽詰まった表情のパニーに困っていると、後ろから同僚が呼んでくる。煩わしさを感じながら振り返ると、奴はバケツのようなヘルムからコソコソと囁いた。
「もしかしてなんだが……。ビゴルたちって――」
耳元に打ち明けられた考察に、まさかと目を見張る。しかし改めて道場を見渡せば、死屍累々の門下生達は全員男だ。
「レリオさん、何か分かったの?」
期待のこもった瞳がこちらを見る。
しかしこれは、どう説明したものか。第一合っているかも分からないのだが……。
「なあ、ちびっ子。一つ聞いていいか?」
「おいっ!」
さっきまで後ろにいた同僚が前に出てくる。失礼極まりない呼び方に思わず鎧を叩くが、パニーは怒ることなく応じた。
「こいつら、どこからこの道場に通ってるんだ?」
「ヴェリグス流は常在戦場の流派だから。入門したら破門されるか卒業するまで、ここの敷地内にある寮で暮らしますよ」
「なるほどなるほど」
王都でも有名な流派の一門というだけあり、ヴェリグス流道場の敷地は広大だ。そのほとんどが鍛錬場となっているようだが、一角に立派な二階建ての館がある。そこで門下生たちは共同生活を送り、絆を深めるのだ。
問いに対する答えを聞いた同僚は、ヘルムを揺らして頷く。
「それじゃあもう一つ。ここにはちびっ子以外の女の門下生なんかはいるのか?」
「ううん? ここ最近は、男の子ばっかり」
「なるほどなるほど、なるほどなぁ」
得心がいったという様子の同僚に、パニーはいよいよ答えが分かると期待に胸を弾ませる。実際に、ばるんばるんと跳ねていた。
「……うん。レリオに聞いてみな」
「おいっ!」
こいつ、直前で日和りやがった。
すっとこちらに顔を向ける全身鎧を睨みつけるも、パニーはぱぁっと表情を明るくさせて、再びこちらへ寄ってくる。
「レリオさん、教えてください! わたしに何が足りないんですか!」
どう答えたものか。
まさか禁欲的な生活を送っている門下生たちが、ゴルドールという監視の目がなくなったことによって、可愛い少女を意識してしまっている。などと言えるはずも……。
「やっぱり、わたしが未熟だからでしょうか……」
「そ、そんなことはない!」
言い淀んでいると、パニーはまたしょんぼりと肩を落とす。慌てて否定するも、あまり響いている様子はない。彼女の鍛錬は間違いではないと伝えたいが、それが難しい。
しかし、どうしたものかと悩んでいると、不意にパニーが顔を上げた。
「そうだ、レリオさん! サンドウィッチです!」
「サンドウィッチ? 前に渡したやつか?」
「はいっ!」
何か思い出したのか、パニーは表情を明るくする。
「あれを食べた後、すごく力が湧いてきたんです! 今ならなんでもできそうな気がして、身体の調子も良かったんです。あれをもう一度食べたら、もっと頼りになる武道家になれるかも!」
「ああ。……うん? いや、待て。あれは――」
一瞬頷きかけたが、あのサンドウィッチはまずい。フィオが仕込んだ妙なスパイスが、パニーに作用したのだろう。彼女はそれをどう勘違いしたのか、身体の調子が良くなったと言った。
「レリオさん、わたし、ビゴルたちにも頼られる立派な師範代になりたいんです! サンドウィッチもそうですけど、レリオさんとの試合で自分がまだまだだって分かりました。――ぜひ、わたしの修行に付き合っていただけませんか!」
「うん? うん!?」
話が一瞬にしてよく分からない方向へ飛躍した。
思わず同僚の方を向けば、奴も明後日の方向に目を逸らしている。
「ちょ、ちょっと待て。あのサンドウィッチは――」
「お願いです! レリオさん、いや、師匠!」
「師匠!?」
なんだ、この少女は。ひとけのない路地裏で泣いていた姿とまるで一致しない。興奮剤入りサンドウィッチが何か悪い方向に作用してしまったのか?
キラキラと瞳を輝かせ、こちらに迫るパニー。俺は彼女を突っぱねることもできず、困り果てるのだった。