勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
何やらおかしな方向に迫り始めたパニーに俺は強く訂正することもできず、有耶無耶にしながら逃げるように道場を後にした。問題となっているのは、門下生たちがパニーを異性として意識している可能性があるということなのだが、それを本人にどう指摘したらいいのか分からない。
実際のところ、門下生たちの気持ちも分からなくはないのだ。
パニーは肌こそ小麦色に焼けて髪も短いが、そのボーイッシュで溌剌とした雰囲気とは裏腹に、道着がはち切れんばかりの立派な胸が揺れていた。組み手で密着でもしようものなら、健全で禁欲的な男子はその深い谷間に視線が引き寄せられても仕方がない。
「レリオ! またトカゲの群れだぞ!」
「はぁ。今は襲撃がありがたいな」
壁の上で見張っていた同僚の声で意識を目の前に戻す。密林から飛び出してきたテイルリザードの群れは、真っ直ぐな敵意をこちらに向けている。大鎚を握り直し、地面を爬行する奴らを迎える。
衛士の仕事をしている時は、面倒な問題に頭を悩ませる余裕がなくなって気持ちが楽だった。
――のだが。
「師匠! お手合わせお願いしますっ!」
「ぱ、パニー……」
昼休みになり、適当に昼食でも食べようかと思いながら汗を拭いていたところに、突然ドアを突き破って元気な声が響いた。壁の内側、町の方につながるドアの前に立っていたのは、道着姿で活力を漲らせる小柄な少女、パニーである。
「お手合わせって、道場はどうしたんだよ」
「門下生たちはどうせわたしの鍛錬に付き合ってくれませんし、指導も聞いてくれません。なので、抜け出して来ましたっ!」
「なので、じゃないだろ……」
あっけらかんと言い放つが、師範代としての職務放棄である。
「ゴルドールに頼まれたんじゃないのか?」
「道場を放って旅を選んだのは兄の方ですから。ビゴルたちも止めませんでしたし、わたしはわたしの好きにします」
昨日の合同訓練で、何か吹っ切れたのだろうか。パニーの表情に迷いはない。
彼女はオレンジ色の前髪越しに、丸く大きな目を真っ直ぐにこちらへ向けていた。
「ということで師匠。わたしは師匠と鍛錬して、もっと強い武道家になりたいんです! お願いします!」
「いや、俺は武道家じゃないんだが。と、とりあえず今日はちょっと忙しいからな」
「えっ!? ちょ、ししょ――」
ドアを閉める。
パニーは驚いて再びドアを開けようとしてくるが、それを背中で抑えた。衛士の仕事だけでも大変だというのに、会って数日の少女の師匠などできるはずもない。そもそもヴェリグス流師範の妹など、荷が重すぎる。
「師匠! ……師匠? ……わたし、諦めませんからね!」
しばらくドンドンとドアを叩いていたパニーも、やがては身を引く。
彼女もまだ若い。いろいろと思い悩む時期だろう。しかしあれほどの鍛錬を積んでいた彼女ならば、きっとこの程度のことは一人で乗り越えてくれるはず。
「おい、レリオ。なんか表が騒がしかったような気がするんだが」
「なんでもない。……適当にそのへんで昼飯買って来てくれないか」
一足先に汗を流していた同僚が、髪を濡らして戻ってくる。パニーに鉢合わせすることを懸念して金を渡すと、奴は快く引き受けてくれた。
「へへっ、しかたねぇな。まあ、付き合いの長い俺なら、レリオの好物も知ってるからな。任せとけ!」
そう言って意気揚々と出かけていく同僚。それを見送りつつドアの隙間から周囲を窺うと、すでにパニーはいないようだった。
このまま諦めてくれたらいいのだが、ドア越しに聞いた最後のセリフが妙に頭に残っていた。
†
同僚が買ってきた肉山盛りのミートサンドを食べ、若干胃がもたれたまま午後の業務も終える。夜の勤務も皆無ではないが、俺よりも獣人のような夜目の効く種族の衛士が担当していることが多い。
「レリオぉ、今日こそは俺と呑みに――」
「すまんな。靴べらを買いに行く用事があるんだ」
「昨日も水瓶買ってたじゃねえか! 嘘つくんじゃねぇ!」
面倒な絡みかたをしてくる同僚から逃げるように詰所を後にする。夕暮れの街は俺のような仕事終わりのくたびれた奴らを虎視眈々と狙っている。あちこちで露店が軒を連ね、競うように声を発している。
この人混みに紛れてしまえば、同僚もそう簡単には追ってこない。
「あっ! 師匠! 仕事終わりですか? お疲れ様です! 手合わせお願いします!」
「うわあっ!?」
ほっとしたのも束の間、物陰から元気な声が耳を貫く。驚いて振り返れば、昼間と同じ服装のパニーが立っていた。
「ま、まさかずっとここにいたのか?」
「師匠がいつ帰られるか分かりませんし。でも、人の往来を観察するのもよい修行になったと思います!」
とんでもないことをするな、この少女は。
暇なのか真面目なのかよく分からない奇行に瞠目しつつ、どうにかしてここを切り抜ける方法を模索する。
「すまないが、これから靴べらを買いに――」
「お供します! 荷物持ちは弟子の役目ですから!」
「いや、弟子じゃないだろ……」
ダメだ、これでは撒ける気がしない。
一人でも鍛錬を続けていた粘り強さが、妙なところで発揮されている。
かといってここに残して逃げるのも後味が悪い。いくら彼女がヴェリグス流の師範代と言えど、夜の町には輩も多い。多勢に無勢という言葉もある。
「……ついてこい」
「師匠!」
苦渋の決断で頷くと、パニーは花の咲いたような笑顔で飛びついてきた。無意識だろうが、大きな胸が腰のあたりに押し付けられて、思わず声が出そうになった。
まったく、厄介な子に目をつけられてしまったものだ。
「よう、やってるか?」
「いらっしゃいませ、レリオさ――ん?」
貴族街に程近い、比較的落ち着いたエリア。その一角に店を構える酒場〈白羽根〉。扉を開けば、中からパタパタと足音がしてシアがわざわざ出迎えてくれた。彼女はエプロンに包んだ大きな胸をたゆんと揺らしながら駆け寄ってきたあと、俺の背後に隠れるようにして立つパニーの存在に気が付いた。
「この子は、いったい?」
「パニーだ。ゴルドールの妹だよ」
シアにはそれだけで通じた。彼女は驚いた顔をしてパニーを見た後、すぐに柔和な笑みを浮かべて身を屈めた。
「いらっしゃい、パニーちゃん。私はシア、ここの店主よ」
「はぁ……。こ、こんばんは」
パニーは困惑していた。行き先も知らされず、ついてきたら謎の酒場に通されたのだから、当然と言えば当然か。酒も飲まない彼女にとっては、縁のない場所である。
「あなたのお兄さんは、よくここにも来てくれてたわ。あんまりお酒は飲めないみたいだったけど」
「お兄ちゃ、兄がここに?」
「ええ。アレックスとオーウィル君と、よく三人で」
その名前を聞いた途端、パニーの肩が跳ねた。まさかと驚く彼女に、シアは頷く。
「私はアレックスの母です。よければ、あなたのことを聞かせて欲しいわ」
勇者の母親と、戦士の妹。直接の面識はなくとも、通じ合うところはあるはずだ。
俺はいつもの席に腰掛けて、そんな二人が少しずつ打ち解けていく様子を見守ることにした。