勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
「遠征……?」
カウンターの奧で皿を拭いていたシアはきょとんとしてこちらを見返してきた。酒を煽り、蛮族共の片付けで軋む身体に栄養を流し込みながら頷く。
「どうもここのところ、密林の魔獣が活発に動き回っていたんだ。その上、今回の蛮族の侵攻だ。これは密林の奧で何か起こっているに違いない、ということでその根本を叩くことになった」
「そんな。レリオさんは衛士なんですよね? 門から離れることもあるなんて聞いてないですよ」
「特例だからな。そう頻繁にあることじゃない」
裏を返せば、そんな珍しい事態に発展するほどきな臭くなっているというわけだ。
実際のところ、遠征と言ってもちょっと森の様子を見に行くだけだ。出掛けるのは俺と同僚の二人で、残りの人員が留守を守ってくれる。本質としては偵察に近い。
前職が宮廷魔術師の同僚はともかく、俺はそもそもが根無草の傭兵だ。近場の森にちょっと足を伸ばすくらい、どうということはない。
しかし、話を聞いたシアは呆然として、ずいぶん悲壮感を漂わせている。そんな店主の違和感に気が付いて、別のテーブルで接客をしていたフィオも戻ってきた。
「シアさん、どうしたんですか?」
「レリオさんが、密林に遠征するって……」
「遠征!?」
こうなるなら、最初から二人にまとめて説明しておけばよかった。
シアにしたものと同じ説明をフィオにも繰り返す。近頃は血色もよくなってきた細身の少女は、ぱちぱちと目を瞬かせて立ち尽くしている。
「そんな急な……。どれくらいの期間になるんですか?」
「さてな。原因らしいものが見つかるまでは探すつもりだが、長くとも二週間くらいじゃないか?」
「にしゅっ!?」
南の密林は広大だ。蛮族――ドルゥル族のゴニたちが蜂起した理由も、あの雑然とした濃緑の中に隠れている。それを探し出すというのは、なかなかに難しい。
とはいえ、何も収穫はなくとも二週間程度で戻らなければ、物資やその他の問題が出てくるはずだ。だからそう長期間空けるわけではない、と言おうとしたのだが。
「そんな長期間……。どうにかならないんですか?」
シアがカウンターから身を乗り出してくる。フィオもまるで世界が終わるかのような絶望的な表情だ。
「長くとも二週間だからな。原因が分かればもっと早く戻ってくることもあるさ」
「そうは言っても、密林は魑魅魍魎の蔓延る魔境でしょう。心配で心配で」
「そう言われても、仕事だからなぁ」
心配してくれるのもありがたいが、俺も上から命じられた以上拒否するわけにもいかない。死ぬつもりもないし、無理はしないが。
シアたちの心配も理解できる。
勇者一行と重ねているのだろう。
「安心してくれ。ちゃんと戻ってくるさ」
「……本当ですか?」
「もちろん。そもそも、出発は三週間後くらいになる予定だからな。今すぐってわけじゃない」
「えっ? そ、そうなんですか?」
そういえば出発時期については話していなかった。
遠征と簡単に言っても、思い立ってすぐに実行できるわけではない。衛士の業務とはまた別に、準備もしなければならないのだ。
明日にでも出発するものと思っていたのか、シアもフィオもポカンとしている。その表情が可愛らしく、思わず吹き出してしまうと、二人揃って拗ねたように頬を膨らませた。
「それならそうと最初に言ってくださいよ」
「すまんすまん」
「本当です。――それなら、こちらも準備ができますね♡」
「うん?」
ほっと胸を撫で下ろすフィオ。更に、何やら妖しい笑みを浮かべたシアが続く。彼女たちの雰囲気に何か不穏なものを感じた俺は、咄嗟に腰を浮かす。だが直後、シアの手が俺の肩を押し付けた。
「危険な遠征に出るんですから、体力をつけておかないと。滋養強壮に効くお料理を用意しますね」
「それじゃあ私、お部屋の準備をしてきます」
「シア? フィオ? ちょ、何を――」
止める間も無く、卓上には禍々しい食材を使ったキツい圧力を放つ料理がずらりと並ぶ。フィオは軽やかな足取りで奥の部屋に入っていく。
「体力作りには運動が一番。でも三週間しか準備期間がないなら、ちょっとハードなトレーニングにした方がいいですよね」
「いや、あの、シア? 別に体力は……」
「それに、遠征中はきっと性欲も溜まるでしょう。事前に発散させておかないと♡」
「論理がないじゃないか!」
「うふふっ♡」
心配は本物だが、そこに私情が入りまくっている。
いや、しかし、実際二週間も禁欲生活を強いられるのは、現状を考えるとかなり辛い気もする。シアの言う通り、ここで限界まで抜いておくことが重要な気もしてきたような。
なんか、騙されている気もするが。
「さあ、レリオさん。いっぱい食べてくださいね♡」
見ているだけで胸焼けしそうな料理が、ずいと前に出される。
結局のところ、妖艶な色香を醸し始めたシアに抗う術などない。俺は覚悟を決めてフォークを手に取った。