勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
密林を歩くのに、地図や道標といった頼りになるようなものは何もない。魔獣や蛮族が跳梁跋扈するこの森は、たとえ道を整備しようとしても一日経てば自然の混沌へ帰してしまう。
「ええい、全部焼き払ってやりたいな!」
「そんなデカい甲冑着てるからだろ。あんまり騒ぐなよ」
目の前を塞ぐように伸びる枝を押し除けながら同僚が悪態をつく。奴なら本当に辺り一帯を焼き払うこともできるだろうが、その後のことを考えればぜひやめてもらいたい。俺だって死にたいわけではないのだ。
そもそも、背後にはシアたちが待つ王都がある。そこを守る衛士としての責任と、そこに帰る男としての矜持があった。
「とりあえず、トカゲの足跡を辿れば集落には着くだろう。その様子を見れば、なにか分かるかもしれん」
蔦と格闘している同僚の甲冑を拳で叩き、道なき道を進む。
唯一の助けとなるのは、泥と落葉に紛れたトカゲの足跡だ。ゴニ・ブリガ――蜥蜴人の勇者とその一族たちが来た道を辿るのだ。
少し時間が経っているものの、天気は安定していたし、全ての痕跡が消えるほど踏み荒らされているわけではない。注意深く観察すれば、その道筋をなぞることはできた。
「レリオ」
「分かってる。お前も動くなよ」
とはいえ、道を阻むのは鬱蒼と茂る木々だけではない。
ずしん、ずしんと重く大地を揺るがす足音を聞き、動きを止めて息を潜める。緑の中に紛れたままそっと様子を窺えば、木々を薙ぎ倒しながら悠々と歩く巨大な魔猪が横切っていた。
これまで俺たちが対峙してきた魔獣は、
あの猪の名前など知らないが、俺と同僚が足並みを揃えたところで無傷で倒せる相手ではないことは明白だった。
「ったく、ハラハラするぜ」
猪が十分に離れていったのを見送り、ようやく呼吸を再開する。同僚も甲冑の下では冷や汗を滲ませていることだろう。
俺たちの目的はあくまで調査だ。出会う敵全てに喧嘩を売っていては、命がいくつあっても足りない。避けられる戦いは避けていくのが基本だった。俺たちは勇者じゃないし、密林に棲むのは魔王の軍勢ではない。平和的に行こうじゃないか。
「しかしレリオは歩き慣れてる感じがするな。全然疲れてないじゃないか」
「うん? まあ、昔取った杵柄ってやつだな」
傭兵時代はちょくちょく密林にも足を運んでいた。大魔獣すら満足させるほどの豊富な資源は、人間にとっても魅力的なのだ。王都に程近くも人の手の入らない秘境ということで、危険はともかく稼ぎは大きい。
同僚は羨ましそうに唸りながら、ガシャリと金属の具足を動かす。いくら軽量化の魔法をかけているとはいっても、嵩張るし音も鳴る。そんな邪魔なものは脱げばいいだろうに、こいつはそうしなかった。
「なんだよ、その呆れた目は。この甲冑は脱がないぞ」
「別にお前がいいなら何も言わないさ」
慎重を期しながら進むことには変わりない。
魔獣をやり過ごし、倒木を乗り越えながら、遅々とした歩みで森の奥へと分け入っていく。蜥蜴の足跡を辿りながら進み、数時間に一度はしっかりと休憩も取りながら。
そうして半日ほど歩き通し、夕刻が迫ろうという頃のことだった。
「レリオ、あれを見ろ!」
「……リザードマンの集落だな」
ついに、俺たちは蛮族たちの出発地点へと辿り着いた。
太い丸太がずらりと並べられ、要塞のように防備を固めた集落だ。密林の中であれほどの"縄張り"を作り上げているのを見るに、あのリザードマンたちはなかなかの強者だったのだろう。
とはいえ、戦士たちの大勢が喪われた今、それを守り切れるかどうかは疑わしいところがあるが。
「龍の血脈……」
「レリオ? どうかしたのか?」
口の中で言葉を転がす。リザードマンの勇者が口走っていた言葉だ。
リザードマンは龍を祖とする種族であるという。たとえその血が希薄となっても、彼らはそれを誇りとしている。そして、密林から現れたラーヴァサラマンダーやテイルリザードもまた龍に関連があるとされている。
これらを偶然の一致と考えることもできなくはないが、それは軽率だろう。
虫のいい話だが、今一度ゴニ・ブリガから話を聞きたかった。彼が言っていた龍の血脈とは何なのか。これまで密林の中の集落で暮らしてきた彼らがなぜ決起したのか。リザードマンはこの森では強者の側だろう。これほど立派な拠点があるからには、生活もそれなりに安定していたはずだ。
それを捨て、戦士の大半を率いるという愚を犯してなお、安住の地から出てきた理由はなんなのか。
「なあ、蛮族たちと話せると思うか?」
「は? そりゃあ、言葉はある程度通じるだろうが……」
夕闇のなか、静かな集落を見つめながら相方に問う。
ゴニ・ブリガは比較的流暢に話していたし、その言動には知性があった。蛮族といえど、全く交流が取れないというわけではない。実際、他の国では蛮族たちと協力関係を築いているところもあるという。
問題は、俺たちはこの集落に棲むリザードマンたちの身内を殺しているということだが。果たして、それを知ってリザードマンたちは融和の呼びかけに応えてくれるだろうか。――おそらく、難しい。
「やっぱり、集落を中心にして周囲を探索するしか――ッ!」
言いかけて、咄嗟に口を噤む。同僚の肩を抑え、息を殺す。
視線の先、集落の向こうから迫ってくる何かが見えた。木々を薙ぎ倒しながらやって来る、燃え盛る巨大な四足獣。薄闇のなかでそれはよく目立つ。
だが、より驚きを引き起こしたのは、それが背に豪奢な鞍を載せていることだった。その鞍に腰掛けているのは、歪に曲がった角を生やしたヤギ頭の怪人だ。ひょろりとした背格好で、道化師じみた装いをしている。あきらかに、人間のそれではない。
「おいおい、密林にあんなのがいるなんて聞いてないぞ」
その姿を遠目に見て、同僚が声を固くする。
炎獣の背に腰掛けて我が物顔でリザードマンの集落を訪れたのは――。
「あれは、炎将ヴレイザール配下の十二大将軍。"玩弄"のトゥイじゃないか」
魔王軍の幹部級の魔族が、王都近傍の森に現れたのだ。