勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
ヤギ頭の道化師に、老いたリザードマンが縋り付く。若い男たちは死に、さらには女たちまで連れ去られてしまえば、もはや種族に未来はない。どうにか許しを得ようと懇願する。
だが、そんなリザードマンの悲痛な叫びを"玩弄"のトゥイは煩わしそうに眉を動かすだけで無視した。
『オ、オマチクダサイ……。何卒、モウ一度ダケ……ッ!』
長い舌を口から覗かせながら、必死の陳謝だった。種の存亡を賭け、老身に鞭打って額を擦り付けている。
「くどい! お前らのような下等な木偶共に存在価値を与えてやろうと言っておるのだ。大人しく雌どもを引き渡せ!」
『グァア!』
足に縋る老人を、道化師は乱暴に蹴り飛ばす。集落の中に隠れていたリザードマンの女たちが、トゥイの配下によって強引に引き摺り出される。悲鳴が上がり、子供達の泣き声が響く。
トゥイは忌々しげに頭を振り、血を流しながらなおも懇願する長老を睨みつける。そして、見せしめとばかりに手を伸ばし、
「はぁああっ!」
老いた命が潰える直前。間一髪でその間に割り込んだ。
筋肉張った太い腕を剣で叩き落としながら、勢いよく飛びかかる。
「がああっ! なんだ貴様はぁっ!」
濁った金色の眼が怒りに燃える。真正面に見据えた魔王軍の幹部は、憤怒の威圧を放っていた。
背後からも、驚愕の視線を感じる。こんな森の奥深くで、まさか人間族の男が現れるとは思いもしなかっただろう。それも、敵対していたはずのリザードマンを守るようにトゥイと対峙している。
「人間、なぜこんなところに……。いや、その鎧は……。グハハ、良い巡り合わせではないか!」
驚いたことに、トゥイは俺の立場を看破した。確かに鎧には衛士を示す勲章が付いているが、それを判別できるとは。相当に情報を収集している。それを察して、警戒を強める。
ヤギ頭の道化師は凶悪な笑みを浮かべ、構えを取った。突如現れた俺に好戦的な反応だ。
「お前を殺せば、良い見せしめになるだろう。ずいぶんと都合がいいことではないか!」
こいつの狙いはあくまで王都への侵攻だ。その足がかりとするため、俺を狙うだろう。リザードマンには既に興味を失ったようで、部下たちも爪を伸ばしてこちらを囲んでいる。
実に好都合だ。この隙にリザードマンたちは集落の奥へと避難すればいい。
「大層な口を叩くじゃねぇか。部下任せどころか、現地の協力者に頼るしかねぇ臆病者が。俺ひとりに足がプルプル震えてるぞ?」
「クハッ! クハハッ! 愚か者が、彼我の力量も測れぬとは、いっそ哀れだなぁあっ!」
業火球が放たれる。魔族の中でも上位に位置するだけあって、規格外の魔力だ。
内心で舌打ちしながらも迎撃するしかない。
「うぉおおああっ!」
火球の核となる魔力のコアを一刀両断の下に破壊する。だが、息つく暇もなく四方八方から魔族共が飛びかかってきた。
言動はこちらを舐め腐っているが、戦いには気を抜かない。一番厄介なタイプの相手だ。とはいえ、こちらも防戦一方で収まるつもりはない。
「技術が足りてねぇよ。素人共がっ!」
「グアアッ!?」
剣というものは、殺しに特化した道具だ。それを使いこなせれば、身体能力ではるかに上回る魔族でさえも討ち取れる。
その事実をまざまざと見せつければ、トゥイの軍勢に少なからぬ動揺が走った。
「何をモタモタしている! さっさと殺してしまえ!」
だが、指揮官の言葉を受け、ふたたび襲いかかってくる。相手が油断していれば、隙を突くことで有利に立ち回れる。だが、敵と認められれば一気に状況は悪くなる。
そうなる前のわずかな間に、できる限りのことをしなければならない。
「死ねぇいっ!」
「耳元で叫ぶ馬鹿がいるかよっ!」
血飛沫が舞う。
魔族共は確かに強いが、そこに戦略や技術はない。ただ闘争本能に突き動かされるままに襲いかかってくるだけだ。その純粋な暴力こそが生存競争で威力を発揮したのだろうが、こちらは何度もその死線を潜り抜けてきている。
剣を引き抜き、弛緩した魔族の体を蹴り飛ばす。鉤爪を振り下ろす奴の腕を切り裂き、腱を削ぐ。
「ずいぶんとやるではないか。流石はトカゲ共の勇者を討っただけのことはある」
含みのある言い方で笑う道化師。だが、その程度で動揺するほどこちらも初心ではない。容赦なく配下を切り捨て、切先を向ける。
「さっきから口ばっかり忙しそうだが、周りは見えてるのか?」
魔族と言えど、やはり行軍速度と隠密性を優先したのだろう。トゥイの配下はさほどの脅威を感じなかった。周囲には血生臭い空気が満ち、死屍累々の惨状が広がっていた。
こちらも無傷というわけではないが、それでも理想的な状況だ。
俺の勝利条件は出来る限り死なないことだ。時間を稼げば同僚が仲間の元へと辿り着ける。そうすれば、トゥイの企ては水泡に帰す。
「クハハッ! 人間の割には、強いようだが……」
トゥイが拳を握る。
一瞬、脳裏に電流が走った。
「っ!」
咄嗟に身を投げ出すように横へ飛んだ次の刹那、立っていた場所に業火が噴き上がる。
詠唱のない、予備動作すらほとんどない、凄まじい火柱の魔法。生来より極めて優秀な魔法使いたる魔族の異常なほどの出力が肌を焦がす。それもひとつではない。
「クハハ! 逃げられるだけ逃げろ。体力が枯れるまで追いかけるぞ!」
炎柱は次々と俺を狙って吹き上がる。一瞬でも立ち止まれば、全身が焼き尽くされる。
トゥイがその二つ名のとおり、愉悦の笑みを浮かべていた。
「はぁっ、はぁっ……!」
「息が上がっているぞ。やはり人間とは弱い生き物だな」
肺が焼けるようだ。
直撃を避けても、熱気が掠めるだけでジリジリとダメージが入る。しかも悪辣なことに、敵は的確に呼吸を乱すような不安定なリズムで魔法を放っていた。
頭の中で計算する。同僚が魔法を出し惜しみなく使えば、すでに森を抜けた頃だろう。向こうの衛士たちには情報が伝わっているはずだ。つまり、トゥイたちが城門へ辿り着くころには、万全の迎撃体制が整っている。
「どうした、人間。余裕がなくなっているぞ」
「……いいや、こちらの勝ちさ」
ニタニタと苛立たしい笑顔を蹴り飛ばすような気持ちで答える。ヤギ頭がぴくりと痙攣した。弄ぶのは得意でも、弄ばれるのは我慢ならないらしい。
「俺ひとりに構いすぎたな。――お前たちはもう、あの壁を越えることはできない」
衛士は命に替えても、王都を守る。
それは俺ひとりの矜持ではない。勲章を戴いたその時から、全ての衛士が覚悟している。たとえ己が身を挺してでも、仲間たちに後を託してでも。
ヤギ頭が憤怒に燃える。
「死ねぇえええっ!」
業火球が、迫る。
「――我、求めるは鉄壁の盾。難攻不落の要塞。全て困難のことごとくを跳ね除け、その内の民を守れ。『鋼鉄盾壁』ッ!」
目を閉じ、熱を待つ。
だが、それは訪れない。
驚きつつ目を開けば、そこには灼熱を抑える大盾が立っていた。魔力によって作られた、人の体をすっぽりと覆うほどの盾だ。それは火球をすべて受け止め、無数の破片となって砕け散る。
「チィッ! 今度は何をした!」
トゥイの苛立たしげな顔。
その時、背後から声がした。
「レリオさん!」
ここで聞こえるはずのない声。目を閉じた時にも想起した声。
空を切り裂くような速度で現れた、黒髪の女性。睫毛の長い垂れ目がちな目の端に雫を湛えて、こちらを。
「シア……」
彼女は着地と同時に、柔らかな光を解き放った。