勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
俺たちを包み込むように、光の壁が広がっていた。柔らかな熱を帯びた優しい光だが、それは全ての痛みを中和する。黒髪を広げて祈るように指を組んだシアが魔力を解き放っていた。彼女の祈祷が、魔族の攻撃を退けていた。
「なんだ、これは……っ!」
魔王軍の幹部であり、強大な魔力を持つトゥイが驚いていた。業火が勢いを高めて俺たちを飲み込まんと渦巻くが、シアの防御障壁はそれを跳ね除ける。
「シアの力なのか、これは」
「――これでも、勇者の母親ですから」
薄く目を開きながら、彼女は自信に満ちた声でいった。その言葉にはっとする。女神の寵愛を一身に受け、その加護によって滅魔の力を得た勇者。彼女はその母親なのだ。
冒険者を引退してなお、その実力はいささかも衰えていない。むしろ、より強くなっているのかもしれない。
トゥイの配下たちのみならず、背後のリザードマンたちでさえ唖然としているのだ。
「レリオさん。間に合って良かった……。生きてさえいれば、助けられますから」
こちらを振り返り、笑う貴婦人。彼女の魔力に包み込まれた俺は、気が付けばほとんどの傷が癒えていた。血は止まり、痛みも引いている。唯一、血が足りないような虚脱感だけは残っているが、逆にいえばそれくらいしかない。
同僚は真っ直ぐに帰還したのだろう。そして情報を伝えてくれた。だが、それは衛士たちだけでなく、なぜかシアたちの耳にも届いたらしい。フィオの魔法によって文字通り飛んできた彼女たちに救われた。
そう。助けてくれたのはシアだけではない。
「我、求めるは執拗なる猟犬。疾風の鏃。流れよ、走れ、食らい破れ。『疾風牙』」
螺旋を描く鋭利な風がシアを飛び越えてトゥイへと迫る。莫大な魔力が注ぎ込まれた必中の風矢が魔族の喉笛を狙う。人間相手ならば反応すら許さずに一撃で屠るような高度な魔法が、立て続けに繰り出される。
惜しくもそれはトゥイの火炎によって阻まれるが、矢の射手たるフィオはすでに次の術式を組み上げている。
身体さえ壮健であったならば勇者一行に帯同するはずと言われていた稀代の魔法使いが、その実力を淡々と見せつけていた。
「ぐわあああっ!?」
「ぎゃあっ!」
「くっ、この小娘――ごはぁあっ!?」
かと思えば、別のところで立て続けに断末魔があがる。森の影、炎の裏側に隠れるようにして走り回る小柄な影が見えていた。
「はああっ!」
どす、と鈍く重い打撃音と共に、屈強なはずの魔族が転がる。その腹を踏みつけながら走るのはパニーである。いつもの道着姿ながら、その気迫は見違えるほどに凄まじい。
握りしめた拳、地面を蹴る足。その末端まで力がみなぎり、全身が凶器と化していた。
対魔族武術として洗練されたヴェリグス流。彼女もまた兄ゴルドールに匹敵する実力を十分に積み上げているのだ。実戦の場において技術と技は最も光り輝く。パニーは臆することなく、魔族の軍勢を圧倒していた。そこに門下生との関係に悩む少女の面影はない。卓越した武人としての威風に満ちていた。
「貴様ら――」
「よそ見をしている暇は、ないよ」
トゥイが牙を剥き出しにして怒りを露わにする。だが、彼の魔法を遮ってフィオの容赦ない追撃が降り注ぐ。
三人の加勢によって、形勢は完全に逆転していた。彼女たちもまた、勇者とその仲間たちに比肩する実力を持っているのだ。
「小癪な下等生物共が……。私を愚弄するとは!」
フィオの魔法が魔王軍幹部の喉元へ届こうとした矢先、鮮烈な紅蓮の炎が吹き乱れる。荒々しくとぐろを巻いて周囲の木々を薙ぎ倒し、他の魔族諸共全てを焼き尽くす。
「くっ。――みんなは、私が守ります!」
シアが魔力の放出を強め、防御障壁をさらに堅固にして対応する。炎の蹂躙は凄惨で、パニーは毛先を焦がしながら目を白黒させて逃げ帰ってくる。
「なんて魔力……。魔族としても格が違いすぎる」
フィオが眉を寄せる。魔法の才能がない俺でさえ気分が悪くなるほど濃密な魔力が噴出していた。ヤギ頭の魔族は、暴力的な衝動のままに森を焼き尽くさんとしていた。
シアの額に汗が滲む。彼女とて無限に耐えられるわけではない。むしろ現役から退いて久しい状態で、高位の魔族と正面からやり合えている今が異常なのだ。早く決着を付けなければ、俺たちは諸共消し炭になる。
「三人とも、頼みがある」
俺は意を決して、口を開いた。彼女たちは目を見開き、一度は拒否する。だが、それ以外に道は残されていない。トゥイの猛火がいつ終わるとも分からないなか、耐え続けるだけでは希望がない。
真摯に訴えるほかに、方法はなかった。
「分かった。わたし、頑張るよ」
「パニー!?」
最初に頷いたのはパニーだった。
フィオが驚きの目で見るが、幼い武人はすでに決心していた。
「――分かりました。私も、全力を尽くします」
さらにシアが続く。
フィオは二人の表情に懊悩し、最後には首を縦に振った。
三人と視線を合わせ、タイミングを探る。チャンスは一度きり。失敗すれば、全員死ぬ。
火炎の熱気が肌を焼き、シアの白い頬にオレンジの揺らぎを映し出していた。彼女は悲しげな顔で、しかし不安を隠してこちらに目を合わせる。勇者を送り出し、彼を信じているように、俺のことを信頼してくれている。
「パニー!」
「うんっ。――どりゃあああああっ!」
ヴェリグス流の仮想敵は、人間族よりもはるかに体躯で勝る魔獣や魔族だ。膂力、魔力、双方で人を圧倒する強大な存在に対抗するため、さまざまな技術を培った。力の流れを意のままに操り、自分よりも重く大きな得物も扱えるようになった。
パニーはその、先人たちが積み上げてきた技術の粋を俺にぶつける。
「飛べえええっ!」
金属鎧を着込んだ俺が、軽々と空を飛ぶ。小柄なパニーによって、信じられないほどの速度で飛ばされる。
「我、求めるは穿孔の槍。直進し、貫き、穿て。『龍牙槍』ッ!」
それに合わせ、重ねるように魔法が放たれる。フィオが渾身の魔力を練り上げて作った巨大な槍が、俺よりも僅かに先行して直進する。
「女神よ、彼を守りたまえ――ッ!」
黄金の輝きが炎を退ける。
槍が貫いた間隙を縫うように、俺は翔ぶ。剣を構え、真っ直ぐに。
凄まじい熱が全身に及ぶ。だが、シアの加護がそれを中和する。火傷と再生を繰り返しながら、ギリギリの紙一重で致命傷には至らぬよう。彼女の全力が俺に向かっていた。
「無駄な足掻きを!」
トゥイが叫ぶ。
「うおおおおおおおおっ!」
その嘲りを吹き飛ばす。
龍牙槍が炎を突き破り、ヤギ頭の喉元へ向かう。道化師は愉悦の笑みを浮かべ、手を伸ばす。そうだ、魔法力において人間をはるかに超越する魔族ならば、純粋な魔力操作によって術式を崩壊させることなど造作もない。
だが、
「フィオ!」
「――術式解除!」
彼の手が及ぶ直前、その魔力が流れ出した瞬間に槍そのものを霧散させる。体重を支えていたものが崩れるように自然な力学が働き、トゥイは体勢を崩す。縦長の瞳孔が揺らぐ。
だが、まだ奴は余裕を失っていない。槍を追いかけるように進む俺の鎚は、まだ届かないのだ。
その油断が命取りになる。
「術式付与、」
はるか後方、炎のなかでシアが最後の術を発動させる。対象は俺が握る鎚そのもの。
「『聖光』」
ハンマーが光り輝き、熱を帯びる。トゥイが狼狽えるが、もう間に合わない。
彼が龍牙槍を崩そうと放った魔力に、ハンマーをぶつける。
ただの鎚では純粋な打撃しか与えられない。だがそこに術式による支援があったならば、より純粋な魔力にも直接攻撃を与えることができる。
シアの支援を得て、黄金に変わったハンマーが魔力の波を崩す。それは連鎖し、トゥイにまで届く。
「ぐ、が、この――人間風情が――ッ!」
指先からボロボロと崩れていく。
魔力そのもので身体を作り上げている存在が、その魔力を失うのだ。抗う術はない。苦悶の表情を浮かべながらも崩壊は止まらず、崩れた側から灰燼と化していく。
地面に着地し、身を捩る。
「はああああっ!」
この距離ならば、十分に届く。
魔力の殻を失い、露出した心臓。赤く輝く宝石のようなそれを捉える。
「やめ、ろぉおおおっ!」
声を破り、大鎚を振り抜く。
硬い手応え。その直後に砕ける感触。
魔王軍幹部の命を、打ち砕く。