勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
王都の外壁、南に築かれた堅牢な大門が俺の職場だ。数人の衛士と共に交代で見張りに立ち、密林から蛮族や魔獣が現れないか気を張っている。とはいえ、基本的には何もない時間が過ぎるだけの退屈な仕事でもある。
「よう、レリオ。調子はどうだ?」
外壁の上にある見張り台に立ち、石塀に身体を預けるようにして項垂れていると、同僚が交代を告げにやってきた。
「見ての通りだ。退屈で死にそうだよ」
「そりゃ良かった。……にしても最近、妙だなお前」
軽く肩をすくめてみせると、同僚は急に怪訝な顔をする。俺の身体をまじまじと見つめ、何やら不可解なものでも見るような目つきだ。
「疲れてる様子なのに、肌も妙に艶があるし、髪もフサフサだ。昨日と雰囲気が違う――何があった?」
その追及に思わず喉を詰まらせた。
たしかに今の俺は、自分でも奇妙な状態だ。身体は元気でむしろ力が漲ってしかたがないのに、心が疲弊している。気持ちが奮わないのだ。
とはいえその理由は明確で、なおかつ同僚に話せるようなものでもない。〈白羽根〉にてシアと二回目の交わりがあったのは昨夜のこと。その時、俺は治癒術師の恐ろしさというものをこの身で体感した。
果てるたび、治癒術によって強制的に体力を充填されるのだ。しかもシアの身体がいくら抱いても飽きることのない魅力的なものであるのが余計に悪い。貪欲に搾り取るシアに乗せられて腰を振り続け、体力と精力の限界を迎えてもすぐさま回復される。終わりのない快楽を浴びて、精神だけが満身創痍だった。
「いや、まあ。ちょっとな」
「なんだよ、はぐらかしやがって」
結局、特に具体性のないことを言って誤魔化すしかない。
まさか勇者の母親と酒場の個室でセックスしまくった、などと言えるはずもないし、言ったところで信じてもらえるわけがない。良くて医者を紹介されるくらいだろう。
「ま、ちゃんと仕事してんならいいけどよ。魔王が近づいてきてるからかもしれないが、最近は魔獣どもの動きも活発だ。蛮族もいつ攻めてくるか」
「魔王の方は勇者に任せておけば問題ないだろ。昨日ディアレに到着したそうじゃないか」
「そうなのか? レリオにしては情報が早いじゃないか」
「ん゛っ! ま、まあ俺も人伝てに聞いただけだが……」
そういえば勇者の動向を昨日今日で把握しているのはおかしい。シアが知っていたのは、彼女がアレックスの母親だからなのだ。
空咳で誤魔化しつつ、更なる追及を避けるため話題を進める。
「とはいえ魔王討伐の旅ってのは、十四歳には過酷だよな。ちょっと出掛けりゃいいってもんでもない」
「特に厄介なのは魔王の側近の四天王ってやつらだろ」
魔王の厄介なところは軍勢を率いるという点だ。ただの有象無象ならばともかく、奴の配下についた者は足並みを揃え、連携して戦略に基づき侵攻してくる。大規模な軍組織を維持するため、魔王の下には四天王と呼ばれる幹部がいた。
勇者一行の旅も、その四天王との戦いを余儀なくされることだろう。
「更に四天王の下にはそれぞれ十二大将軍がいて、十二大将軍は七傑っていう実力者が支えてるって話だぜ」
「何人いるんだよ、それは」
同僚の真偽不明の与太話に思わず片眉を上げる。いくら魔王軍が強大無比とはいえ、あまりに幹部が多過ぎる。
そもそも魔王に支える者ども、通称を魔族という亜人はそれぞれが生まれながらにして一騎当千の魔力を宿しているという。ただの雑兵に至るまで、全てがエルフに匹敵する魔の名手なのだ。この力量の差が、人類が一方的に嬲られ続けている原因でもある。
「なに、心配するこたない。勇者には祓魔の聖剣があるし、仲間もいるんだ」
「仲間、ねぇ」
勇者と共に旅立ったのは、彼の友人でもあるという青年ふたり。魔法学院を主席で卒業したという天才オーウィルと、王都を代表する武の名門ヴェリグス流の師範ゴルドールだ。
勇者アレックスはオーウィルと共に勉学に励み、ヴェリグス流の道場でゴルドールと切磋琢磨していたという。そのあたりの話は、結局シアからも詳しく聞いたわけではないが、魔王討伐の旅に二つ返事で付き合うだけの信頼はあるのだろう。
「特に俺はオーウィルに期待してるぜ。なにせ人間なのにエルフを凌ぐ魔力量って噂じゃないか」
魔法使いオーウィル。博学賢才の青年で、全属性の適性を持つ俊英だ。家柄もよく、古くから王家に支える宮廷魔術師一家の後継でもある。その出自もあって甘い顔立ちの美貌で、市井の女性たちからも黄色い声援を受けていたという。
彼の魔法は原野を燃やし、湖さえも凍らせる。人の常識を超えた圧倒的な魔力と、繊細な技術によって、エルフの秘術にさえ迫るほどの実力を誇る。たしかに彼であれば、魔に秀でる魔族どもを圧倒することもできるかもしれない。
「しかし、これも噂なんだが……。あのオーウィルには姉が――」
「待て、森から何か出てきたぞ!」
話の止まらない同僚を遮り、俺は防壁から身を乗り出す。密林との間に切り開いた遮蔽物のない草原に目を向ければ、小さな人影がこちらに向かって走ってくる様子が見えた。それは必死に足を動かしているようだが、どうにも動きが鈍い。どこか痛めているような感じがある。
南の密林は魔の巣窟だが、自然の恵みに溢れる土地でもある。傭兵が依頼を受けて立ち入ることも珍しくない。その上で、負傷して帰ってくることも。
「救護に連絡を、俺は様子を――」
「レリオ! 森から大物が出てきやがった!」
従来の通りに行動しようとした矢先、同僚が声を上げる。咄嗟に視線を戻せば、走る人影の背後、鬱蒼と茂る濃緑の密林から巨大なトカゲのようなものが飛び出してきた。
どうやら、あの人物は魔獣に追われて逃げていたらしい。
「しかたない、緊急対応に当たる。保護の準備をしておけ!」
「了解! 気をつけろよ、レリオ!」
同僚にその場を任せ、俺は外壁から飛び降りる。高さは十五メートルほどあるが、覚悟を決めて受け身をうまくやればなんとでもなる。柔らかな草地に降り立ち、そのままの勢いで走り出す。
平坦な草原を駆け抜けていけば、遠くに小さな粒のように見えていた人影も詳らかになる。驚いたことに、それは非常識なほど軽装な細身の少女だった。
「はひゅっ、はぁっ! た、たすけ――」
線の細い、薄幸そうな雰囲気もあるが目を見張るほど美しい。彼女は額に汗を滲ませ、足をもつれさせながら駆け寄ってくる。仕立てのいいローブを羽織っているが、そんなものはトカゲの牙で容易く破られるだろう。まったくもって、無謀と言うほかない。
「走り続けろ! アレは俺が食い止める!」
「ひぃっ、ひぃっ!」
声を張り上げ、少女を後ろへ通す。ローブのフードが外れ、細く艶やかな銀髪が風に広がった。色白で高貴な空気を纏う、不思議な少女だ。
しかし見惚れている暇はない。すぐそばに巨大な赤い鱗のトカゲ――ラーヴァサラマンダーが迫っていた。全身を真紅の鱗で包み、灼熱を発する巨大な魔獣。密林の中ではさほど強いとは言えないが、王都に到達すれば面倒なことに変わりはない。
「まったく、デカくて硬いのは嫌いだが、しかも熱いとは最悪だな」
悪態を吐きながら、背中の得物を取り出す。
傭兵時代からの相棒で、共に幾度も窮地を切り抜けてきた親友。――銀嶺狼の堅骨を使った大鎚だ。
「せやあああああっ!」
気合いの発声と共に、超重量の鈍器を繰り出す。ラーヴァサラマンダーは余裕をこいているが、それも直後に打ち砕かれる。凄まじい衝撃が平原に広がり、轟音と共にトカゲの頭が地面にめり込む。ご自慢の紅鱗は無惨に砕かれ、溶岩のような血が流れ出す。
今更ながら、悲鳴を上げるトカゲ。それに向けて間髪入れず追撃を叩き込む。
「うおおおおっ! どっせい!」
絶叫は断末魔へと変わり、ラーヴァサラマンダーは瞬く間に死の淵へ追いやられる。密林では幅を利かせていたようだが、それが王都にまで通用するというのは甘い考えだ。
シアの治癒術は完璧で、精神はともかく身体はすこぶる調子がいい。今ならば亜竜どころか龍種さえも叩き潰せそうな気がした。
「一線を越えなければこうはならなかったんだ。悔い改めな、トカゲ野郎」
ぐったりとするラーヴァサラマンダー。その頭蓋を叩き潰し、完全にとどめを刺す。
一仕事終えた達成感を抱きながら振り返れば、そこには逃げたはずのローブの少女が立っていた。改めて見てみれば睫毛も長く、青い瞳と長い銀髪が儚げな美少女である。十代の後半と言ったところだろうか。密林に出入りする傭兵にしては若い。
「あの、た、助けていただき、ありがとうございました」
「衛士の仕事だからな、そう構えないでくれ」
おどおどとしながらも丁寧に感謝を伝えてくる少女に好感を抱く。一挙手一投足に品があり、見るからに良家の令嬢といった様子だ。
「なぜ、密林なんかに? 君が行くような場所じゃないだろう」
「そ、それは……修行をしようと……」
言いにくいことなのか、小さな言葉で濁そうとする。眉間を寄せて聞き直そうとした矢先、彼女はふらりと足元から崩れ落ちる。
「あぅ……」
「うお!? どうした突然、って熱!?」
咄嗟に抱き抱えた少女は、驚くほど熱かった。風邪や流行病というレベルを超えている。見るからに体調は悪く、顔色もどんどん青っぽくなっていった。
しかし、南門に詰めている救護担当の治癒術師は外傷専門の奴だ。こういった病気には――。
「おーい、レリオ! 大丈夫か!?」
「すまん、後は任せる!」
「うおえっ!? ちょ、どうしたんだ。なんか具合悪いのか!?」
救護班と共に駆けつけた同僚に一言残し、俺は少女を抱えて走る。希望を見出せる場所を、俺は一つしか思い出すことができなかった。