勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
「体力の回復と抵抗力の増強を施しました。今は容態も落ち着いて、眠っているだけですね」
酒場〈白羽根〉の奧に設けられた個室から出てきたシアは、穏やかな表情でそう言った。魔獣に追われて密林から現れた少女は、異常な熱を発して気を失っていた。外傷はなく、見るからに病と分かる症状だけに、詰所に待機している治癒術師では手に負えないと判断した俺は、真っ先に思い浮かんだ彼女の元へと駆けた。
「もっと他にも現役の治癒術師もいるんですから、そちらを頼った方が良かったのでは? 私はもう引退した身ですよ」
「すまん……。シアの実力はよく分かってたからな、ここしか思いつかなかったんだ」
シアが治癒術師として高い実力を持っていることは、昨日から身に染みて理解している。特に体力回復の施術は素晴らしく、何時間でもぶっ通しで全力を出し続けられるほどだ。
「もう、レリオさんたら……。とりあえずなんとか落ち着いて良かったです。しばらく休めば目を覚ますと思います」
「ありがとう。助かったよ」
「それはともかく、あのお嬢さんはやっぱり、貴族のご令嬢でしょうか?」
一命を取り留めた謎の少女は、傭兵にしては若く、美しく、何より高貴な雰囲気を纏っていた。傷ひとつない指先や、玉のような肌がその証だ。シアもすべすべとシミひとつない綺麗な肌をしているが、彼女は日頃から自分に治癒術を使っているからだろう。実際、手先などを触ってみると、確かに仕事をする指だ。
「レリオさん?」
「あ、ああ。いや……」
ついシアの手を見つめてしまい、怪訝な顔をされる。慌てて意識を切り替え、話を続ける。
「やっぱりどこかの貴族の令嬢だろう。どこか……ローブに家紋などはないか?」
貴族の令嬢ならば、装身具のどこかに家紋を記している場合が多い。身元を明らかにすると共に、自身の権威を示すためだ。しかし、シアもそう思って事前に確かめたようだが、それらしいものはないという。
「ローブもその下の衣服も仕立ての良い高級品です。でも、家紋はどこにも」
「よく分からない子だな」
家紋を付けず、一人で無謀に密林へ飛び込んだ少女。俺でなくとも衛士がそんな少女の通過を許すはずがないため、どこか他の門から出たのだろうが。
何はともあれ、少女の意識が戻らなければ話は進まないようだった。
そう結論づけたちょうどその時、少しだけ扉を開けておいた個室から物音が聞こえた。
「お、目が覚めたんじゃないか?」
「あっ!? ちょっとレリオさん、待って――」
様子を見ようと扉を開けて中に入る。
光量を抑えた魔導灯の照らす、薄暗い部屋では長椅子が二つ並べられ、簡易的なベッドが作られていた。そこに寝かされていた少女は上体を起こし……。
白い絹のような肌は、長い髪によって背中だけが隠れている。小ぶりな椀を二つ伏せたような膨らみが痩せた身体のなかで目立つ。少女は濡れた布を使い、その膨らみを持ち上げて蒸れる場所を拭いていた。
お互いの身体が硬直し、視線が交差する。
「あ、わ……」
「あ、が……」
それぞれに軋むような声を漏らす。少女の白い頬が、急激に赤くなっていく。
「きゃーーーーーっ!?」
「すまん、間違えた!」
何をどう間違えたのか、それを一々考えている暇もない。俺の顔面にぺしゃりと濡れた布が投げつけられる。しっとりとほのかに温かく、何か香しい匂いも――。などと考えている余裕はなく、俺はくるりと背を向けて退散した。
「濡れタオルを置いておいたんです。処置に必要だったので、服も脱がせていて……」
「さ、先に言ってくれ……」
「言う前に入っちゃったのはレリオさんじゃないですか」
呆れるシアに叱られながら、俺はしょんぼりと肩を落とす。
個室の奧でゴソゴソと物音がして、戸の隙間から銀髪の頭が少しだけ覗いた。
「あ、あの……」
「目が覚めたようですね。ご気分は?」
「とても楽になりました。ええと、ありがとうございます」
驚かせたものの、少女はシアに向かって丁重に感謝を告げる。やはり、育ちのいいどこかのご令嬢なのだろう。
「すまない、突然。さ、さっきの事はもう忘れたから、気にしないでくれ」
「あぅ……。ええと、あなたは魔獣から助けて下さった方、ですよね。感謝こそすれ、そんな責めるようなことはありませんから」
深々と頭を下げて謝罪すると、少女は寛容にも許してくれた。意識と記憶もはっきりしているようで、俺がラーヴァサラマンダーを倒したことも覚えていた。
「あなたのお名前と、できれば持病についてお聞きできますか? 私も応急処置を施しただけにすぎませんから」
「ついでになぜ密林に入ったのかも知りたいが、それは後でいい。大丈夫か?」
「は、はい……」
シアからの問いに、少女は頷く。
ローブを羽織って現れた彼女はカウンターの席に座り、ごくりと唾を飲み込んで口を開いた。
「わ、私の名前はフィオリーネ・レフィオ・ヴォーデル・カイシュタリア」
シアの目が揺れる。
その長々しい名前は、やはり貴族のそれだ。しかし彼女が驚いたのはそこではないようだった。
「カイシュタリアということは、まさかオーウィル君の……」
「はい。勇者と共に旅立ったオーウィルの、姉です」
魔法使いオーウィル。博学賢才の俊英。魔法学院主席の大魔法使い。エルフの秘術にさえ迫る人類の最高峰。華々しくパレードで見送られた青年。
彼女は、その姉であると語った。