勇者が旅しているうちに。〜勇者の母親。魔法使いの姉。戦士の妹。〜 作:ユリイカ
カイシュタリア家は古くから王の側近として歴史書に名を残す宮廷魔術師の家系だ。由緒正しい上級貴族でありながら、その特権に胡座をかくことを良しとせず、常に研鑽を怠らない真面目な気質で、それが故に王からの信頼も厚い。
勇者と共に旅立った魔法使いオーウィルは、カイシュタリアの次期当主と目されている青年だ。彼に姉がいたと言う話は、少なくとも俺は初耳だった。
「皆さんが驚くのも無理はありません。私は生まれもって虚弱な体質で、幼少期のほとんどをベッドの上で過ごしていましたから」
少女、フィオリーネはそう言って儚く微笑む。だが、彼女の自嘲をシアが遮った。
「知っていますよ、フィオリーネさんのこと。オーウィル君がよく話していました」
「……弟のことをご存知なんですか?」
親しみを込めた呼び方をするシアに、フィオリーネの方が怪訝な顔をする。彼女の疑問を解消するように、シアは事情を明かした。
「私はシア。アレックスの母です」
「アレックスって、勇者の……?」
シアが頷けば、フィオリーネは驚きに目を見開く。偶然に運び込まれた場所で治療してくれた恩人と、意外なところで接点があったのだ。片や勇者の母、片や勇者の友人の姉。その縁には何か特別なものを感じざるを得ない。
「フィオリーネ。なぜ密林にいたのか、理由を聞いてもいいか?」
「そう、ですね……」
二人の間に割り込むような形に申し訳なく思いつつ、気になっていたことに踏み込む。フィオリーネは生来病弱な体だったという。それならば尚更、危険極まる密林に単身で飛び込んだのか、その理由が分からなかった。
「修行を、しようと思ったんです」
「修行?」
そういえば、ラーヴァサラマンダーに追われていた時も、そんなことを言っていたような。しかし真意は分からない。なおも疑問を呈すると、フィオリーネは涙を堪えるようにして俯いた。
「……本来なら、私がついて行くべきだったんです。オーウィルは優しい子で、戦いは嫌いなんです。それに、魔力だって私の方が多い。勇者と共に魔王に挑むのは、私で良かった」
膝の上で拳を握り締め、絞るように言葉をこぼす。それは悲痛な叫びだった。
魔王に挑む。この単純な言葉は、想像を絶するほど重い。人類はかの軍勢によって、数多の犠牲を出してきたのだ。それをたった数人の勇者一行だけで倒すというのは、無謀にも聞こえる。
勇者は神託によって選ばれ、聖剣に認められた存在だ。しかし、彼に同行する仲間たちは違う。オーウィルも才能溢れる魔法使いだが、その前に十四歳の青年なのだ。
フィオリーネは、自分の身体さえ丈夫なら、と何度も考えたのだろう。単純な魔力量や魔力操作の精度で言えば、彼女は弟を凌ぐほどだという。しかし、過酷な旅に同行できるほどの体力がない。
「だから、修行を?」
「私が強くなれば、オーウィルの代わりに付いていけます。オーウィルはカイシュタリア家の跡継ぎなんです。それが――あ、」
感情に任せて捲し立てたフィオリーネは、はたと気付く。自分の目の前に誰がいるのか。スツールに腰を下ろし、静かな瞳で耳を傾けていた女性が、誰の母なのか。
「いや、その、違う。違うんです……」
フィオリーネの言葉は、ともすれば死を予感しているものと聞こえる。王家の側近である上級貴族カイシュタリア家の跡継ぎが死ぬことはあってはならぬと、そう言っているようなものだった。
それはつまり、勇者一行の死を考えていることになる。
「大丈夫。わかっていますから」
狼狽えるフィオリーネに、シアは平静を保って頷く。ひそかに拳を握り締めているのを見て見ぬふりをしながら、俺はシアの言葉の続きを待った。
「私も、あなたも、同じ気持ちです。アレックスに行ってほしくなかった。でも、彼の覚悟を無駄にしたくもなかった。――そうですよね」
「うぅ……」
アレックスが勇者に選ばれた翌日には、オーウィルとゴルドールは帯同を表明していた。彼ら三人の絆を感じさせる美談だが、彼らの家族はどう思ったか。何を感じて、どう判断したのか。
結果として三人は旅立った。残されたシアたちは、ここにいる。
「フィオリーネさん。私もずっと不安でした。悲しくて、辛くて、自分が壊れそうでした。――そんな時、レリオさんと出会ったんです」
「うん?」
突然自分が話題に出され、思わず肩が跳ねる。見ればフィオリーネもキョトンとしていた。
「レリオさんは私を優しく抱いて、そして教えてくれました。――待つことも、立派な役目なのだと」
確かにそんなことを言った覚えはあるが。まさかシアにそこまで響いていたとは。
「オーウィル君の代わりになりたいという思いは立派だと思います。でも、彼が凱旋した時に出迎えることができるように待つことも、大切だと思いませんか」
「それは……」
シアは腕を広げ、フィオリーネの細い身体を抱きしめる。大きな胸に埋まるように顔が谷間に密着し、彼女は耳まで真っ赤にしていた。同性でもシアの魔性には抗えないのだろう。程なくして、彼女はシアに身を委ねてシクシクと泣き始めた。
「留守を任せていたお姉さんが危険なことをしているなんて知ったら、それこそオーウィル君が心配しますよ。こちらは大丈夫だと、言ってあげた方がいいでしょう」
「あぅっ、うっ……」
嗚咽を漏らすフィオリーネのさらさらとした髪を優しく撫でるシア。窓から差し込む光に浮き上がる二人の姿は絵画のようだ。
「……もし、体力を付けたいなら、少し手伝ってくれませんか?」
「ぐすっ。……手伝い、ですか?」
フィオリーネが落ち着いたところで、シアが切り出す。突然の誘いに、俺も合わせて困惑する。
「実はこのお店、私が一人で切り盛りしているんです。でも、ちょっと人手が足りなくて……。ご令嬢にこんなことを頼むのは失礼かも知れませんが……」
「や、やらせてください! ぜひ!」
王都でも指折りの上級貴族のご令嬢は、その申し出に食い気味に応じた。
そんなまさかと驚くが、冷静に考えてみれば妙案にも思える。密林と違って命の危険はないし、万が一の場合には治癒術を扱えるシアがいる。それにフィオリーネとしても、信頼できる人物の下で過ごせるのは都合がいいだろう。
しかし、〈白羽根〉は閑古鳥こそ鳴いていないとはいえ、客層も落ち着いた雰囲気だ。そんなに手が回るほど忙しいような印象はない。
「シア、いいのか?」
「はい。人手が欲しいのは本当ですから♡」
無理をしているのではないかと思い尋ねるも、シアはにこやかに笑って頷く。店主である彼女がそう言うのならば、俺が訂正することもないのだが……。
「とはいえ、ここで即断即決というわけにも行くまい。カイシュタリアの当主と話は付けておかないとな」
「お、お父様とですか? それは……」
物事には筋というものがある。貴族社会であれば尚更だろう。大事なご令嬢を預かるのなら、その旨もしっかりと伝えておかねばなるまい。そう思っての発言だったのだが、なぜかフィオリーネが顔を青ざめさせる。
「何か問題でもあったか? しかし、ご両親には相談しないとな」
「あぅ。ま、待って……」
「安心しろ。衛士はそれなりに信用もある。ちゃんと説明するさ」
「あうぅ」
王都防衛の要でもある衛士は、上級貴族相手にも多少は話が通せる。今までこの特典を使った事はないのだが、たまには恩恵に預かろう。
妙に落ち着きのないフィオリーネの肩を叩き、俺は〈白羽根〉から程近い貴族街へと向かうのだった。