僕がエリックと初めて会ったのは3歳のときだった。お祖父様に連れられて城下町にあるお祖父様の親友・チャルキーさんの家に遊びに行ったとき。彼の若い頃の冒険譚を、目を輝かせながら聞いていたエリック・ミア兄妹と知り合った。訊けばチャルキーさんの近所に住んでいるのだと言う。それ以来、お祖父様がチャルキーさんを訪ねるときはいつも僕も連れて行ってもらい、僕は彼ら兄妹と一緒に遊んだ。一つ上のミアはやんちゃでいい友達。三つ上のエリックは優しくて頼れるお兄ちゃん。彼の笑顔と撥ねた柔らかそうな髪、空色の瞳が大好きだった。
6歳の誕生日を迎えようとしていた頃、僕は家のしきたりでアングリラというところに修業に行かなくてはならないことを聞かされた。
――エリックに会えなくなる。
僕はひどく悲しくて、どうにかなってしまいそうだった。だから城を抜け出して、アングリラに行く前にエリックに会いに行った。家の外で庭仕事をしていた彼が僕を見て驚き、すぐに駆け寄ってくる。
「何があったんだよ?」
エリックが僕の前にしゃがんで、頬を袖で拭う。
「遠いところに修行に行かなくてはならなくて。」
僕はしゃっくりを上げながら話した。
「エリックに、会えなくなる。」
エリックは少し驚いた顔をしたけど、すぐに微笑んで。
「また、帰って来るんだろ?俺は何処にも行かないから、その修行とやらを終えて立派になって帰って来いよ。」
「……」
僕を待ってて、くれるんだ。涙が止まった。
「寂しかったら手紙を書けよ。俺も書くぜ?」
「――うん。」
「よし、いい子だ。」
エリックが僕の頭を撫でて抱き締める。エリックの温もりと匂い。この人と、大きくなっても、ずっと一緒に居たいと思った。
「…エリック。僕が修行から帰ったら、ずっと一緒にいてくれる?」
「ああ。好きなだけ付き合うぜ?」
エリックが抱擁を解いて僕に微笑みかける。僕は嬉しくて僕より低い位置にあるエリックの唇にキスをした。お父様とお母様がいつもしているように。顔を離すと、エリックが驚いた顔で僕を見つめていた。もしかしてファーストキスだったの?僕もだよ。僕はにっこりと笑った。
「…行ってきます。手紙書くね?」
「あ、ああ。俺も書くよ。」
エリックも微笑み返す。僕は踵を返し、元来た路を戻り始めた。途中何度か振り返ったけど、エリックはずっと佇んでいて僕が振り返る度に手を振ってくれた。
*
それから6年の月日が流れた。僕はアングリラでの厳しい修行を終え、ダンドラシルに帰ってきた。家族への報告もそこそこに、僕はエリックの家へと向かった。彼に会いたくて堪らなかった。
「エリック!」
「イレブン?」
手紙で帰ることは知らせてあったものの、薪割りをしていたエリックが僕を見て驚いた顔をした。僕は真っすぐエリックに駆け寄るとぶつかるように抱きついた。もうほとんど身長が変わらない。幼い頃大きく見えていた彼は抱き締めると僕の腕の中に納まるほど細身だった。
「会いたかった…」
彼の首に頬を擦り寄せる。エリックがおずおずと手を上げ、僕の肩を押し戻した。
「…本当にイレブンなのか?」
「僕だよ、エリック。」
「見違えたな。でっかくなって…」
エリックの綺麗な蒼い瞳を見たら、もう言葉を交わしているのもまどろっこしくなって、僕は彼の頬を両手で包むと勢いよく唇を奪った。上唇、下唇と食み、角度を変えてもう一度。顔を離してエリックを見つめる。エリックはひどく驚いた顔をしていた。…ちょっと性急過ぎたかな?もっとゆっくりとすればよかった。
「イレブン?」
「…ミア?」
声のした方に目を遣ると、裏の小さな畑で収穫したらしい野菜を入れた籠を抱えた青い髪の少女が立っていた。何か少し気まずそうだ。それはそうだよね。兄弟のこんな場面に遭遇したりしたら。
「あー…、少し寄ってけば?お茶くらい出すぜ?」
「ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えて。」
僕は兄妹の家でアングリラでの日々を話し、彼らの近況もいろいろと聞いた。父親は今オクタゴニアに出稼ぎに行っていること、母親が二年前に病気で亡くなったこと、エリックとミアは今、商人見習いで成人したら正式にギルドに入って商人になるつもりでいることなど。お茶もエリックが出してくれたドライフルーツも美味しくて三人で話しているとあっという間に時間が過ぎた。気が付くともう大分陽も傾いていたので僕はお暇することにした。次はエリックと二人きりで恋人同士の時間を過ごしたいな。家路につきながら、そう思った。
*
再会してから、僕とエリックは恋人としてうまくいっていた。でも最近、僕の胸に一つの不満が大きくなり始めていた。それは――彼がキスより先のことを許してくれないこと。彼に会う度に、彼を裸にして身体中にキスしたいと思うのに。今まで何度それを求めても『そういうことは成人してからな。』と一蹴されてきた。僕は今14歳で、成人するまであと一年以上。恋人の意思を尊重したいという気持ちと彼への愛欲の葛藤で僕はどうにかなりそうだった。
今日はエリックの家で久しぶりのデート。ミアは出掛けていて二人きり。彼は今、僕のために昼食を作ってくれている。そんな彼を後ろから抱き締め、肩口にキスをした。エリックは僅かに身動ぎしたが、お玉で鍋を掻き回し続ける。
「エリック…どうしても僕が成人してからでないとダメなの?」
「もうすぐできるから座って待っていてくれよ?」
またスルーされた。僕はエリックの上衣の裾から手を入れ、素肌の脇腹に触れたら彼が息を詰めたのがわかった。そのまま上へと撫でていくと、エリックがお玉を放し、身体ごと僕を振り返った。
「こら、悪戯す…ん…」
エリックの腰を引き寄せ、頬に手を添えて唇を塞ぐ。促すように親指で頬を愛撫すると、彼が僅かに口を開けたので僕は舌を滑り込ませ、深く口づけた。彼の咥内を堪能して口づけを解くと、エリックは息を乱し頬を染めて僕を見つめた。
「……はあっ、イレ、ブン」
エリックが何か言いたそうに口を開いたり閉じたりするが、なかなか言葉にならない。逡巡した後に目を逸らし、漸く出てきた言葉は――
「メシ、運ぶから手伝ってくれ。」
だった。…また躱された。僕は溜息を吐いて言われた通り、料理を次々と食卓へと運ぶ。パンにソーセージハッシュ、そら豆のスープとサラダ。エリックが席についてから一緒に食べ始める。笑い合い、他愛のない話をしながら彼が作った美味しいご飯を食べていると楽しくて、更に美味しく感じる。毎日こんな風にエリックと過ごせたらいいのに。ふと食卓脇の窓を見ると、さして広くもない裏庭の小さな畑にまだ青いトマトがなっているのが見えた。
何気ない日常の中、恋人と二人で過ごす幸福な午後の時間が穏やかに過ぎて行く。
*
僕は近頃、お祖父様に15歳の誕生日祝いとしてもらった”ふしぎな鍛冶セット”に夢中になっていた。上手に作れるようになって、エリックに何かプレゼントがしたい、と思った。エリックの青い髪には金色のピアスが似合うかも、と閃いて、僕は早速制作にかかった。満足のいく出来になるまで何度も打ち直す。とうとう完成すると、僕は輪っかの形をしたピアスの内側にメッセージを彫った。エリック、喜んでくれるかな?一刻も早くエリックに見せたくて、僕は出来上がったピアスを小さな箱に入れてリボンをかけ、腰のポーチに大切に仕舞い、もう午後の遅い時間だったけれど街へ向かった。
エリックの家に行くと、生憎彼は留守だった。幸いミアが居て、エリックが商談のためにパブ‘the Beaty Queens’に行ったと教えてくれた。僕はお礼を言ってそのパブに向かった。
時間が早いためかパブには”準備中”の札が掛けられていた。ノックしようとして僕は手を止めた。中から話し声が聞こえる。
「はい、仕事の話はこれで終わり、ね?」
「ああ、よろしく頼むぜ。じゃ、俺はこれで。」
「待って、もう少しいいかしら?個人的にあなたに頼みたいことがあるんだけど…」
パブのオーナーの一人、胸元の大きく開いた、丈の短い桃色のワンピースを着た明るいアッシュブラウンの髪の美女・シンデレラがカウンターに片肘をつき、スツールの上で脚を組み直して、言った。パブのママをしているが彼女はオクタゴニアで開催される仮面武闘会にもう一人のオーナーであるワンブリーナとともに毎年出場している強者だ。
「何だよ、頼みって?」
「うふふ。この前、市場であなたと一緒にいた栗色の髪の男の子…彼、素敵ね。紹介してくれないかしら?」
「それは…できねえ。」
「あら、何故?」
「俺はあいつと付き合ってんだ。」
「まあ、そうだったの。」
シンデレラがさして驚いた風もなく再び形の良い美脚を優雅に組み直す。
「…でも何か…彼、溜まっていそうに見えるのよね~~。あなた、ちゃんと相手してあげてるの?」
「……は?」
「は?って… ……! もしかして付き合ってるのに寝てないの?」
「…別に、あんたには関係ないだろ?」
「あ、図星ね?関係ならあるわよ?あたし、お色気には自信があるの。恋人に寝てもらえない可哀想な彼を、誘惑しちゃおっかな~~」
シンデレラは小悪魔めいた笑みを浮かべ、青い目を細めた。
「…あいつはまだ成人してねえ。」
「それがどうしたっていうの?彼、いいトコのお坊ちゃんなんでしょ?ちょっと見ない美形だし。モノにすればいい思いができそうだわ。」
「あいつは…」
『いいトコの坊ちゃんなんかじゃねえ』と言おうとして、エリックはイレブンがどんな家に住んでいるのか知らないことに気づく。
「あいつは?」
言葉を途切らせたエリックをシンデレラが促す。
「…あいつは、いい奴なんだ。弄ぶような真似はやめてくれ。」
「弄ぶ、なんてひどい言いようね。あたしは彼にパフパフだってしてあげられるのよ?彼もスッキリできるし、お互いにメリットがあるわ。」
シンデレラはカウンターから身を起こすと腕を組んで挑むようにエリックを見た。
「それとも、なあに?寝てあげないくせに、彼が自分以外の誰かといちゃいちゃするのが嫌なの?」
イレブンが誰といちゃつこうと構わないが、彼は大切な幼馴染で弟のような存在で、打算で近づいて欲しくなかった。だがエリックには彼女を止める術がない。
――くそっ、イレブンを金づるやアクセサリーのように思っている女から守ってやることもできないなんてよ。
エリックは自身の不甲斐なさに貌を歪めた。――のだが。それは思いがけない効果があった。
「……そんなに苦しそうな顔をするなんて…。よっぽど彼を愛しているのね?」
――え?
「…いいわ。彼にちょっかいをかけるのはやめてあげる。さ、もう話は終わりよ?」
シンデレラはさっさと結論を出すと立ち上がった。
――何か思い違いをしているみてえだが、イレブンに近づかないでくれるってんなら結果オーライだぜ。
エリックも立ち上がり、シンデレラに別れを告げて店を出ようとドアを開けた――
「イ…イレブン!?」
僕がドアのすぐ前にいたことにエリックはひどく驚いたようだった。僕は黙ってエリックの腕を掴み、薄暗い路地裏へと引っ張って行った。
「お、おい、イレブン、放…」
路地裏にエリックを連れ込むと壁に押し付ける。
「僕は君以外の誰ともどうにかなるつもりなんてないから!」
「お、前…、聞いていたのか?」
君は僕が他の誰かに誘惑されたら耐えられないほど、僕のことが好きなの?
「でも正直言って、君に触れられないのは辛い。…いつも、今だって、僕は君を裸にして身体中にキスしたいと思ってる。」
エリックが薄暗い路地裏でもはっきりわかるほど頬を染め、蒼い瞳を瞠った。
「イ…レブン…」
それから彼は目を泳がせて逡巡しているようだったが、顔を上げると。
「…いいぜ。」
意を決した顔で言った。
「お前と、寝ても。」
「……!」
僕は彼の言葉に天にも昇る気持ちになった。
「ほ…ホントに、いいの…?」
「ああ。けど今日はミアが俺の帰りを待っているから、明日の夜に、な…?」
エリックがはにかむように笑う。明日、明日!ついにエリックと…!そこでハタとここへ来た当初の目的を思い出した。
「そうだエリック…君に渡したいものがあって来たんだ。」
僕は腰のポーチから小箱を取り出し、エリックの手を取ってそれを掌の上に載せた。
「これは…?」
「僕が作ったんだ。気に入ってくれるといいんだけど…」
エリックが小箱のリボンを解き蓋を開けると、中から金色のピアスが現れた。
「…これを、俺に?」
「うん。内側に…その、メッセージが彫ってあるから、後で、見て?」
僕は急に恥ずかしくなって、駆け出すと、一度振り返ってエリックに手を振った。
「じゃあ、あ、明日ね!」
僕は一目散にその場から逃げ出した。もう辺りは、昏くなり始めていた。
*
『愛するエリックへ 君のイレブンより』
ピアスの内側にはそれぞれ文字の上半分と下半分が彫られていて、ピタリと重ね合わせるとそう書いてあった。
「…んで、オレは明日アンバーさん家に泊まりに行けばいーんだな?」
アンバーさんは近所に住む気のいいご婦人だ。数年前に亡くなったチャルキーさんの娘で俺とミアの母親が亡くなったときも何かと気にかけてくれてお世話になっている。彼女の作るシチューはとても美味しい。
「ああ。悪いな。」
イシシ、と笑うミアに俺は曖昧に笑って見せる。あのときに気づくべきだった。あいつが修行に行くと告げに来て、俺にキスしたときに。俺はあのとき安易にあいつを“待つ”約束をしちまったんだ。
「いーよ。それにしてもいよいよかあー。ま、ガンバレよな?」
修行から帰ってきて長い間離れていてやっと会えた恋人のように振る舞うイレブンに、俺の存在を励みに厳しい修行に耐えたと聞かされて『そんなつもりはなかった』とは言えずにここまできちまった。
「こら、マセたこと言うな。」
そして今日のあいつの告白。ずっとあいつの気持ちから逃げていたが、もう向き合わざるを得ない。明日、あいつと一線を越える。
俺は自室に戻るとベッドヘッドに寄りかかり、イレブンから贈られたピアスを手に取って掌の上で転がした。ふいに、去り際のイレブンの紅潮した顔が浮かんで、思わず小さく彼の名を呟いた。