居酒屋の安酒がもたらした束の間の満足感は体からアルコールが抜けると共に薄霧のように消え失せていた。
影山晶は再び空虚な渇きを覚えていた。
競馬で得た二千万円という大金は彼の精神を満たすにはあまりにも無力な紙切れの束でしかない。
それは活動のための道具や薬を買う資金にはなっても、活動意欲そのものを燃え上がらせる薪にはなり得ないのだ。
彼は新たな苦痛の体現を渇望していた。
あの田舎家で見た絶望と汚濁の光景を超える、より純粋で、より洗練された屈辱の表情が見たい。
「次は何をやろうか」
影山はノートパソコンを開き、インターネットの海へと意識を潜らせた。
彼はもはや、偶然の出会いに身を任せるような行き当たりばったりの手法には興味を失っていた。
もっと意図的に、もっとコンセプトを明確にして、理想の獲物を探し出すべきだと考えていた。
彼の指は俳優やモデルの卵たちが集まるオーディション情報サイトや、自主製作映画の掲示板をなぞるように彷徨う。
無数の野心と自己顕示欲が渦巻くその場所は彼にとって格好の狩場だった。
才能がありながらも機会に恵まれず、焦燥感に駆られている若者。
彼らの切実な願いは捕食者にとっては最も甘美な餌となる。
いくつかのプロフィールを眺めているうちに、一人の女に彼の目が留まった。
名前は「高橋美咲」。年は二十代前半。
小劇団に所属し、いくつかの端役をこなしているが、いまだ大きな役には恵まれていない、いわゆる俳優の卵だった。
プロフィール写真に写る彼女は意志の強さを感じさせるまっすぐな瞳と、どこか儚げな雰囲気を同居させていた。
そのアンバランスな魅力が影山の歪んだ欲望を強く刺激した。
この女なら、極限状況に置かれたときに、素晴らしい表情を見せてくれるに違いない。
彼の頭の中で、新たな罠の構想が瞬く間に組み上がっていく。
影山はすぐに偽名を使って新たなオーディションの告知を打ち出した。
【急募:自主制作映画ヒロイン役】
『監禁された女』
監禁され、絶望的な状況に追い込まれる女性の心理をリアルに描くアートフィルムの撮影です。
役柄:20代女性。セリフはほぼありません。表情や仕草での演技が中心となります。
撮影時間:約半日(4時間程度を予定)
報酬:20万円(当日現金払い)
条件:演技経験者。心身ともに健康な方。守秘義務を守れる方。
半日で二十万円という破格の報酬は明らかに異常だった。
しかし、金に困り、成功を夢見る者にとっては、その異常さすらも魅力的に映る。
影山は蜘蛛が巣を張って獲物を待つように、静かに反響を待った。
予想通り、数時間もしないうちに複数の応募メールが届いた。
その中に「高橋美咲」の名前を見つけたとき、影山の口元に満足げな笑みが浮かんだ。
彼は他の応募者には丁重な断りのメールを送り、美咲にだけ、詳細を伝えるための返信をした。
偽の監督名を名乗り、作品の芸術性を熱っぽく語り、彼女の演技に大きな期待を寄せていると書き連ねた。
その文面は誠実さと情熱に溢れており、疑いを抱かせる隙は微塵もなかった。
数日後、影山は「山田」と名乗り、高橋美咲と郊外の駅で待ち合わせた。
人の良さそうな映画青年といった風貌を完璧に演じきり、彼は彼女を一台のレンタカーへと促す。
「スタジオは、ちょっと分かりにくい場所にあるんですよ。ここから車で送りますね」
美咲は、その破格の報酬に一抹の不安を抱いていなかったわけではない。
しかし、「山田」と名乗る男の物腰の柔らかさと、映画制作に対する真摯な態度に触れ、その不安は次第に期待へと変わっていった。
これはチャンスかもしれない。
この役を掴めば、自分のキャリアにとって大きな一歩になるかもしれない。
そんな希望が彼女の警戒心を麻痺させていた。
車は都心から離れ、次第に倉庫や町工場が立ち並ぶ殺風景なエリアへと入っていく。
やがて、一台の車がやっと通れるほどの細い路地の奥にある、古びたコンクリート造りの建物の前で車は停まった。
「ここが、今日の撮影で使う個室スタジオです」
影山が案内したその場所は「スタジオ」と呼ぶにはあまりにも殺風景で、不気味な空間だった。
厚いコンクリートの壁に囲まれた、およそ六畳ほどの小部屋。
そこには軋む音を立てそうな簡素なベッドと、一脚のパイプ椅子がぽつんと置かれているだけ。
部屋の四隅、高い天井の近くには黒いレンズを光らせる小さなWEBカメラがいくつも取り付けられていた。
まるで、あらゆる角度から被写体を監視するための無機質な実験室のようだった。
「ここで、監禁された女性の孤独や不安を表現してもらいます。僕はこちら側でカメラの映像をチェックしながら、マイクを通して指示を出します。最初は、ただ不安そうに待つ、という芝居から始めましょう。大丈夫、一時間おきに必ず休憩を入れますから」
影山はそう言うと、一本のミネラルウォーターのペットボトルを彼女に手渡した。
「部屋の中、少し暑いかもしれないので、水分補給はしっかりしてくださいね」
彼の言葉通り、部屋の中は暖房が効きすぎているかのように、じっとりとした熱気がこもっていた。
それは喉の渇きを誘発するために意図的に設定された温度だった。
そして彼が手渡したミネラルウォーターには無味無臭でありながら、強力かつ即効性のある利尿剤と下剤が、致死量に至らないギリギリの量で混入されていた。
彼の計画において、それは極めて重要な小道具だった。
「分かりました。頑張ります」
美咲は、この異様な状況にもプロ意識で応えようと、力強く
女優として、どんな環境でも最高のパフォーマンスを見せるのが仕事だ。
彼女は覚悟を決め、部屋の中央に置かれたパイプ椅子に腰を下ろした。
「では、よろしくお願いします」
影山は柔和な笑みを浮かべたまま部屋を出ると、重厚な鉄製のドアを閉めた。
ガチャン、という無機質な音とともに彼は外側から特殊な細工を施した鍵をかける。
それは、内側からは決して開けることができない、絶望の始まりを告げる施錠だった。
一人残された美咲は深呼吸をして気持ちを集中させた。
まずは監禁されたばかりの少女の役作りだ。
熱気がこもる部屋の中で、じっとりと汗が滲み始める。
喉が渇き、彼女はごく自然に、影山から渡されたミネラルウォーターに口をつけた。冷たい液体が喉を潤す感覚が心地よかった。
しばらくすると天井のスピーカーから、くぐもった影山の声が響いた。
「いい感じですよ、高橋さん。じゃあ、少しうつむいて、不安そうな表情を作ってみてください。何かに怯えているような感じで」
「はい」
美咲は指示に従い、役に入り込んだ。
視線を落とし、指先を弄り、時折、怯えたようにドアの方を見やる。
これは演技だ。私は女優だ。彼女は自分に言い聞かせながら、孤独と恐怖を表現しようと努めた。
「素晴らしい。じゃあ、次は少し涙を浮かべてみましょうか。泣く演技、できますか?」
美咲は集中し、過去の悲しい記憶を呼び覚ます。
やがて、その瞳にはうっすらと涙の膜が張り、一筋の雫が頬を伝った。
それは完璧な演技だった。しかし、その時、彼女の体の中で演技ではない、本物の異変が静かに始まっていた。
部屋に入ってから三十分ほどが経過した頃だった。
美咲は下腹部に奇妙な圧迫感を覚えた。
尿意。
それは、ごく自然な生理現象のはずだった。
しかし、その高まり方は明らかに異常だった。
まるで蛇口を捻ったかのように急速に、そして抗いがたい力で膀胱が満たされていく感覚。
さっき飲んだミネラルウォーターのせいだろうか。それにしても早すぎる。
(休憩まで、まだ三十分もある……)
監督は一時間おきに休憩があると言っていた。
しかし、この強烈な尿意は、とてもあと三十分も耐えられそうにない。
扉はいつでも開けてもらえるものだと思っていた。
彼女は、少し恥ずかしさを感じながらも、天井のWEBカメラに向かって声をかけた。
「すみません、山田監督? トイレに行きたいのですが……」
スピーカーからは何の応答もない。
ただ、静寂が支配しているだけだった。
「あの、すみません! 聞こえてますか? トイレに……!」
彼女は椅子から立ち上がり、ドアノブに手をかけた。
しかし、ドアノブはびくともしない。
ガチャガチャと音を立ててみるが、まるで溶接でもされたかのように固く閉ざされている。
嘘、でしょ? 彼女は焦り、ドアを強く叩いた。
「開けてください! お願いします! トイレ!」
ドン、ドン、とコンクリートの壁に鈍い音が響き渡る。
だが、返ってくるのは自分の叩く音の反響だけ。
カメラの黒いレンズが無感情にこちらを見つめている。
その瞬間、美咲の全身を悪寒が駆け巡った。
これは演技じゃない。これは……罠だ。
「いや……いやっ……!」
尿意は、もはや我慢の限界に近づいていた。
下腹部が張り裂けそうに痛み、足ががくがくと震える。
意識すればするほど括約筋は言うことを聞かなくなりそうだ。
どうしよう。どうすればいいの。
パニックに陥った彼女の頭に、二つの絶望的な選択肢が浮かんだ。
このまま、今履いているジーンズと下着の中にすべてを放出してしまうか。
それとも、せめて服は汚さないように脱いで、部屋の隅でするか。
別室で影山はモニターに映し出された美咲の姿を恍惚とした表情で見つめていた。
狼狽え、混乱し、生理的な欲求に追い詰められていく美しい被写体。
彼女がどちらの選択をするのか、それを観察することこそが、彼にとって至高の娯楽だった。
これは人間の尊厳が剥がされていく過程を記録する最も美しいドキュメンタリーなのだ。
美咲は涙と汗でぐしょぐしょになりながら部屋の隅へと後ずさった。
カメラの死角になる場所を探そうとしたが無駄だった。
四方に設置されたカメラは、この密室のあらゆる場所を捉えている。
もう、逃げ場はない。
彼女は震える手でジーンズのボタンに手をかけ、それを引き下げた。
そして下着も一緒に足首まで下ろすと、壁に向かって蹲る。
屈辱に顔を歪め、奥歯をギリギリと噛み締めた。
その瞬間、抑えつけていたものが決壊した。
ジョロジョロジョロ……。
熱い液体が勢いよく彼女の体から流れ出ていく。
コンクリートの床に叩きつけられ、パシャパシャと虚しい音を立てる。
その音は彼女のプライドが砕け散る音でもあった。
本来、誰にも見られてはならない最もプライベートな行為。
それが今、無機質なカメラレンズの前で完全に晒されている。
溢れ出る尿と共に彼女の目からも大粒の涙が止めどなく流れ落ちた。
一度決壊してしまえば、後は坂を転げ落ちるだけだった。
強力な利尿剤は彼女の体から容赦なく水分を奪い続ける。
ペットボトルの水を頻繁に飲んでいたせいで、膀胱はすぐにまた満杯になった。
三十分も経たないうちに、再び耐えがたい尿意が彼女を襲う。
もはや羞恥心も、抵抗する気力も残っていなかった。
彼女はただ、されるがままに、部屋の隅で二度、三度と排尿を繰り返した。
自分が汚した床を見つめ、アンモニアのツンとした臭いが鼻をつく。
もはや、自分が人間であるという感覚すら薄れていくようだった。
部屋に閉じ込められてから二時間が経過した。
何度も失禁を繰り返すうちに、美咲はふと、あのミネラルウォーターに原因があるのではないかと気づいた。
しかし、時すでに遅し。
喉の渇きに任せて、ペットボトルはとっくの昔に空になっていた。
自分が自ら毒を飲み干してしまったという事実に彼女は血の気が引くのを感じた。
顔面は蒼白になり、ただただ呆然と床に座り込むことしかできない。
そして絶望はまだ終わらない。
次なる苦痛が彼女の体を内側から蝕み始めていた。
それは尿意とは比べ物にならない、腹の底から突き上げてくるような強烈な便意だった。
下剤が、ついにその効果を発揮し始めたのだ。
「うっ……ぁ……」
呻き声が漏れる。
腹の中で何かが激しく蠢き、腸が雑巾のように絞られるような痛み。
冷や汗が背中を伝い、全身が震えだす。
ダメだ、これは絶対に、ダメだ。
尿とは違う。
これは人間の尊厳に関わる最後の砦だ。
しかし、薬物の力は彼女の意志など軽々と凌駕する。
その波は、一度ではなく、何度も、何度も、容赦なく押し寄せてきた。
美咲は、もはやまともに立っていることもできず、床に四つん這いになった。
「いやだ……いやぁぁぁっ……!」
悲鳴に近い懇願は誰にも届かない。
彼女は必死に肛門を締め、耐えようとした。
だが、その抵抗も虚しく、抗いがたい圧力が限界を超えた。
ブ、ブリュッ……。
湿った汚らしい音と共に熱く柔らかい塊が彼女の体から押し出された。
それは一度では終わらず、断続的に彼女が汚した尿溜まりの上に無様に排出されていく。
強烈な悪臭が部屋の空気を満たした。
三時間が経過した頃には、彼女はもう、自分が何回おしっこを漏らし、何回うんちを漏らしたのか、数えることすらやめていた。
おそらく、尿は四回以上。便は三回。
コンクリートの床は彼女の排泄物で見るもおぞましい状態になっていた。彼女自身も、その汚物の上に座り込み、虚空を見つめている。
その全てが、あの黒いカメラに記録されている。
その事実が彼女の心を完全に破壊した。
もう、どうでもいい。何もかも。
絶望は諦念へと変わり、彼女から全ての感情を奪い去った。
その時だった。
カチャリ、と。部屋の外から、ごくかすかな物音がした。
美咲は、もはや何の期待もせずに、ダメ元で、すぐそばにあった鉄の扉に手を伸ばした。
あれだけ叩いても、押しても、引いても開かなかった扉。
──―ギィ、と。
信じられないことに扉は何の抵抗もなく、あっさりと外側へ向かって開いた。
外には誰の姿もなかった。「山田」と名乗ったあの男の気配すらない。
ただ薄暗い景色と静寂が、そこにあるだけだった。