事件から三日が経過した頃、県警本部の取調室で刑事・高遠
女性の名前は田村美咲、二十三歳。
地元の薬局でアルバイトをしながら看護師の資格取得を目指している学生だった。
入院が必要な外傷はなかったものの、精神的なショックは深刻で、事件後は実家に戻り療養を続けているという。
「田村さん、お辛いでしょうが、犯人検挙のためにもう一度だけお聞かせください」
高遠は穏やかな声で語りかけた。
「あなたが覚えている範囲で構いません。犯人の特徴について、どんな些細なことでも」
美咲は膝の上で握りしめた両手を震わせながら、か細い声で答えた。
「背は……中くらいだったと思います。それほど大柄ではありませんでした。声は低くて、とても冷たい感じで……」
「年齢はいかがでしょう?」
「三十代から四十代くらいかと。暗くてよく見えませんでしたが、若い人ではなかったように思います」
高遠は丁寧にメモを取りながら質問を続けた。
「車はどのようなものでしたか?」
「黒いセダンでした。車種はよく分からないのですが……普通の乗用車だったと思います。ナンバーは覚えていません。すみません……」
「いえいえ、十分です。では、犯人が使った道具について覚えていることはありますか?」
美咲の顔が青ざめ、聞こえないほど小さな声で答えた。
「カッターナイフと……あとは結束バンドのようなもので手首を……それから目隠しの布と……」
言葉が途切れ、彼女は嗚咽を漏らした。
高遠は一旦質問を止め、美咲が落ち着くのを待った。
被害者の心情を最優先に考えなければならない。
しかし、どうしても確認しておきたいことがあった。
「田村さん、最後にひとつだけお聞きします。犯人があなたに対して行った行為の中で、特に異常だと感じたものはありますか? 他の性犯罪とは違う、特殊な……」
美咲は顔を両手で覆い、震え声で答えた。
「あの人は……私が……お腹を壊すような薬を……それで私が汚してしまったのを見て喜んでいました。普通の暴行とは違って、私を……恥ずかしい思いをさせることが目的のようでした」
高遠の表情が険しくなった。
この手口は明らかに他の性犯罪者とは一線を画している。
排泄行為を利用した屈辱的な犯行。
これまでにも類似の事件が数件報告されていたが、いずれも被害者が恥ずかしさから詳細な証言を避けていた。
今回初めて具体的な証言を得ることができたのだ。
「田村さん、貴重な証言をありがとうございました。必ず犯人を捕まえます」
事情聴取を終えた高遠は、すぐに署内の資料室に向かった。
過去六ヶ月分の性犯罪事件報告書を片っ端から調べ上げ、田村美咲の証言と照合していく。
すると、やはり類似の手口による事件が他にも三件見つかった。
いずれも被害者は若い女性で、犯行場所は人里離れた場所。
そして共通しているのは犯行の際に排泄を強要され、屈辱を与えられているという点だった。
しかし、上司である課長は積極的な捜査を許可しなかった。
「高遠、この件は他の重要事件の後回しだ。人員に余裕がないからな」
「でも課長、明らかに連続犯の可能性が高いです。放置しておけば被害者が増えるだけです」
「気持ちは分かるが、証拠が不十分だ。まずは基本的な聞き込みと防犯カメラの確認から始めろ」
歯がゆい思いを抱えながらも、高遠は独自に行動することを決意した。
警察組織の枠に縛られていては、この狡猾な犯人を捕まえることは不可能だと判断したのだ。
その夜、高遠は自宅のパソコンで複数の出会い系サイトにアクセスした。
そして、犯人の特殊な性癖を逆手に取った囮捜査を計画したのである。
まず最初に投稿したサイトでは、こんなメッセージを書き込んだ。
『本格的な調教を求めています。それなりの価値がある女です。前金30万円の支払いが条件。浣腸プレイの熟練者に身を委ねたい。生ぬるい遊びではなく、完全な屈服を味わわせてくれる方のみ。本気の方だけご連絡ください』
続いて別のサイトにも同様の趣旨で、より挑発的な文言を使って投稿した。
『真の支配を求めています。これまで多くの男性に失望させられてきました。口先だけの素人はお断り。本当の恥辱を知り尽くした上級者のみ。前金30万円で私のプライドを完全に打ち砕いてください』
高遠は自分でも驚くほど大胆な文章を書いていた。
しかし、犯人を引きつけるためには、その歪んだ欲望を刺激する必要があると判断したのだ。
この特殊な性癖を持つ犯人であれば、必ずこの餌に食いついてくるはずだった。
投稿を終えた高遠は、成功の可能性は決して高くないことを自覚していた。
犯人が出会い系サイトを利用しているという保証もなければ、仮に見つけたとしても実際に接触してくる保証もない。
それでも、何もしないよりはましだと考えたのだ。
一方、その頃の影山晶は新たなターゲットを求めて都内のネットカフェにいた。
個室ブースでパソコンに向かい、いくつかのサイトを巡回している最中だった。
彼の「美」に対する飽くなき探求心は、常に新しい刺激を求めていた。
前回の女に対する犯行も、一時的な満足感をもたらしたに過ぎない。
より知的で、より計画的で、より完璧な屈辱の演出。それが彼の次なる目標だった。
何気なく訪れた出会い系サイトで影山の目はある投稿に釘付けになった。
高遠
その高圧的で自信に満ちた文体に彼は強烈な興味をそそられた。
「前金30万円……面白い」
影山は薄い笑みを浮かべながら呟いた。
「本当の恥辱を知り尽くした上級者、か。随分と偉そうじゃないか」
彼女の投稿には、これまで出会った女性たちとは明らかに違う何かがあった。
媚びることなく、むしろ男性を値踏みするような傲慢さ。
それは影山の征服欲を激しく刺激した。
影山はすぐにメッセージを作成し始めた。
『M_Queenさん、投稿を拝見しました。あなたの求める本格的な調教、私にお任せください。これまで多くの女性を完全に屈服させてきた実績があります。前金30万円の件も承諾いたします。まずは一度お会いして、詳細を相談させていただけますでしょうか』
メッセージを送信した影山は返信が来るのを心待ちにしていた。
この傲慢な女がどのような顔でひれ伏すのか、想像するだけで興奮が止まらなかった。
翌日の昼過ぎ、高遠のスマートフォンに返信が届いた。
予想以上に早い反応に彼女は緊張と期待を同時に感じた。
メッセージの内容を読んだ高遠は、直感的に「これかもしれない」と感じた。
文面からは知識と経験の豊富さがうかがえ、何より前金30万円という条件を躊躇なく受け入れている点が気になった。
普通の男性であれば、まずはもっと小額から始めるはずだ。
高遠は慎重に返信を作成した。
『ご連絡ありがとうございます。まずはお会いして、あなたの実力を見極めさせていただきたいと思います。明日の午後7時、お食事はいかがですか?』
いきなり二人きりになるのは危険だ。
もし相手が本当に犯人であっても、人目の多い場所であれば大胆な行動は取れないはず。高遠はそう考えていた。
影山からの返信は即座に届いた。
『明日午後7時、新宿の四川飯店はいかがでしょう。私は黒いスーツを着用し、入口付近でお待ちいたします』
提示された場所は、人の出入りも多い人気店だった。
高遠はスマートフォンでその店の情報を確認し終えると、簡潔に返信をした。
『承知いたしました。楽しみにしております』
約束の当日、高遠は念入りに準備を整えた。
隠しマイクとミニカメラを身につけ、同僚には「私用で外出する」とだけ伝えた。
正式な捜査ではないため、詳細を話すわけにはいかない。
全ては高遠個人の判断と責任において実行する作戦だった。
午後7時、新宿の四川料理店は平日にもかかわらず大勢の客で賑わっていた。
高遠が入店すると、約束通り入口付近に黒いスーツの男性が立っていた。
しかし、高遠は一瞬戸惑った。
目の前に立つ男性は驚くほど端正な顔立ちで、物腰も洗練されている。
田村美咲の証言とは明らかに異なる外見だった。
「M_Queenさんでしょうか」
男性が丁寧に声をかけてきた。
「ええ、そうです。よろしくお願いします」
高遠は笑顔で応じながらも、内心では警戒を強めた。
二人はウェイターに案内され、店の奥の半個室風のテーブルに着席した。
男性は「山田」と名乗り、早速前金として封筒を差し出した。
「約束の30万円です。まずはこちらをお預かりください」
高遠は封筒の中身を確認した。
確かに30万円がきちんと入っている。
この時点で相手が只者ではないことを確信した。
「ありがとうございます。それでは早速ですが、あなたの経験について聞かせてください」
山田と名乗る男性は流暢に浣腸プレイの技術について、声を抑えながら語り始めた。
使用する器具の種類、温度管理の重要性、被験者の心理状態への配慮など、素人では知り得ない詳細な知識を披露した。
「最も重要なのは相手の羞恥心を的確に刺激することです。肉体的な快感だけではなく、精神的な屈服感を味わわせることで、真の満足感を与えることができるのです」
高遠は相槌を打ちながら、慎重に話題を誘導していった。
「実は最近、新聞で連続強姦事件の記事を読んだのです。犯人は被害者に排泄を強要するという特殊な手口だとか。ああいう体験も、ある意味では究極の屈辱と言えるのではないでしょうか」
山田の表情に一瞬の変化が見られたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「確かにそうですね。ただし、合意の上で行う行為と強制的に行う犯罪行為とは全く別物です。私たちがこれから行うのは、あくまでも双方が納得した上での行為ですから」
「もちろんです。でも、もしも私がそういう強制的な状況を疑似体験したいと望んだら、再現していただけるでしょうか。例えば、抵抗できない状況で意思に反して……」
「お任せください。これまでにない興奮を味わわせて差し上げます」
山田は自信満々に答えた。
会話が進む中、高遠は次々と注文された四川料理に苦戦していた。
彼女は元々辛い物が苦手だったが、相手との会話を続けるために我慢するしかなかった。
麻婆豆腐、担々麺、回鍋肉と、どの料理も舌を刺すような辛さで、額に汗が浮かんでくる。
「お辛くありませんか?」
山田が心配そうに声をかけた。
「いえ、大丈夫です。この程度の刺激は問題ありません」
高遠は強がりを言いながら、さらに一口料理を口に運んだ。
その時、店員の格好をした男性がテーブルに近づいてきた。
手には冷たいお茶の入ったポットを持っている。
「冷たいお茶はいかがですか?」
男性は高遠の空になったグラスに目を向け、当たり前のようにウーロン茶を注いだ。
辛い料理に悶えていた高遠は冷たい飲み物に救いを求め、勢いよくそのお茶を飲み干した。
実は、この店員こそが影山晶だった。
彼はスタッフの制服に見えなくもない服装で、堂々と店に紛れ込み、彼女の前に現れたのだ。
そして、高遠のグラスに注いだお茶には遅効性の睡眠薬と強力な下剤が混入されていた。
高遠は山田との会話に集中しており、「店員」の顔をまともに見ることはなかった。
彼女の全神経は目の前の男性に向けられており、第三者である店員には一切の警戒心を抱いていなかった。
「ごちそうさまでした。今日は貴重なお話をありがとうございました」
食事を終えた高遠は山田と店を出た。
次回の約束を取り付け、連絡先を交換してから、二人は別れた。
帰宅した高遠は今日の出来事を振り返っていた。
山田と名乗る男性の知識は確かに深く、浣腸プレイの経験者であることは間違いないと思われた。
しかし、彼が連続強姦犯であるかどうかは、まだ断定できない。
「30万円も前払いして、食事と会話だけで終わり。普通そんなことがあるだろうか……」
高遠は疑問を抱きながらも、急激な眠気に襲われていた。
四川料理の辛さと緊張で疲れたのだろうと思い、シャワーを浴びてベッドに向かった。
翌朝、高遠は異常な状況で目を覚ました。
ベッドが水様便で汚れているではないか。
寝ている間に大量の下痢便を漏らしてしまったのだ。
油分を含んだ便が衣服とシーツを汚し、肛門周辺は四川料理の辛味成分でひりひりと痛んでいた。
そして頭の芯にずしりと響く不快な痛み。
「なんで……こんな……」
困惑する高遠のスマートフォンに出会い系サイトのアプリ経由でメッセージが届いた。
『昨夜はお疲れ様でした。浣腸はできませんでしたが、「おもらし」は体験していただけたと思います。いかがでしたか? 羞恥心と無力感を存分に味わえたのではないでしょうか。また近いうちにお会いしましょう。次回はもっと本格的な体験をお約束します』
高遠の血の気が引いた。
いつ仕込まれたのかは分からない。
だが、これは、意図的に睡眠薬や下剤を飲まされた結果なのだ。
キリキリと痛む腹を両手で押さえながら、高遠は唇を強く噛みしめた。
背後に犯人のやり口を強く感じる。
彼女の独断専行は確かに犯人にたどり着いたのだ。
そして自分はまんまとしてやられた。
高遠
影山は闇バイトでイケメン男性を雇っていました。
不細工な自分に代わって、デートの相手と食事をして欲しいと。