夜の帳が下りた都会の片隅、影山晶(かげやま あきら)の部屋だけが、現実から切り離されたかのように静謐だった。
唯一の光源である大型テレビが冷たい光を放ち、彼の無表情な横顔を照らし出している。
画面の中では神妙な面持ちの女性アナウンサーが、最近都内で頻発している連続暴行事件について報じていた。
「……被害者はいずれも若い女性で、犯人は公共交通機関や帰り道などを狙い、被害者に精神的、肉体的に深刻なダメージを与えています。警察は同一犯による犯行の可能性が高いと見て、捜査を続けていますが、犯人に繋がる有力な手がかりは依然として……」
テレビの中の言葉が上質なスピーカーを通してクリアに響く。
影山は手に持ったウィスキーグラスをゆっくりと傾け、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。
芳醇なピート香が鼻腔を抜け、舌の上で転がるスモーキーな味わいが、彼の神経を心地よく刺激する。
アナウンサーが口にする「深刻なダメージ」という言葉。
その無機質な響きが、彼の口元に微かな、ほとんど誰にも気づかれないであろう笑みを浮かべさせた。
ニュースは専門家と称される人物のコメントに切り替わる。
「犯人像は、支配欲が異常に強く、他者を貶めることでしか自尊心を保てない、極めて歪んだ精神構造の持ち主である可能性が……」
陳腐な分析だ、と影山は心の中で吐き捨てた。
歪んでいる? 違う。
俺は、この偽善と欺瞞に満ちた世界の真実の姿を暴いているだけだ。
誰もが理性という薄皮一枚で取り繕っている、醜く、無力で、どうしようもない動物としての本性。
俺はそれを最も純粋な形で引きずり出してやっているに過ぎない。
彼の脳裏に先日の獲物の顔が蘇る。満員電車の中で背後からゆっくりと追い詰めていった時の、あの硬直した身体。
耳元で囁いた時の絶望に染まる瞳。
そして、最後の最後、彼女の内で何かが決定的に決壊した瞬間の、あの微かな感触と、全てを諦めたような表情。
それこそが芸術だ。
社会的地位、プライド、羞恥心、そういった余計な装飾を全て剥ぎ取られ、ただの生き物の雌として、抗えない生理現象の前に屈服する姿。
その瞬間の彼女は誰よりも「本物」だった。
ニュースが伝える「失禁を伴うケースもあった」という一節。
その言葉を聞いた瞬間、影山の股間が鈍く疼いた。
それだ。
それこそが、彼の芸術の核心。
ただ犯すだけでは足りない。
ただ痛めつけるだけでも足りない。
相手の尊厳の最後の砦、自らの身体をコントロールするという根源的なプライドを内側から破壊し尽くすこと。
自らの意思とは無関係に汚物を垂れ流すしかないという絶対的な絶望と屈辱を与えること。
その瞬間に見せる魂の壊れる音、それこそが彼が求める至高の愉悦だった。
「……引き続き、最新の情報が入り次第お伝えします」
アナウンサーの言葉を最後に彼はリモコンでテレビの電源を落とした。
部屋に静寂が戻る。
ウィスキーを飲み干し、カラン、と氷がグラスの中で軽やかな音を立てた。
ショーは終わった。
今度は次の舞台の準備をする時間だ。
影山はゆったりと立ち上がると、寝室の奥にあるウォークインクローゼットへと向かった。
一見、高級なスーツやシャツが整然と並ぶ、ごく普通の収納スペース。
しかし、その壁の一面が彼の「アトリエ」だった。
彼は壁の一部を押し込んだ。
音もなくスライドした壁の奥から現れたのは硬質な金属製の棚。
そこにずらりと並べられた「道具」たちが、間接照明の光を浴びて鈍く輝いていた。
まるで外科医が手術器具を並べるように、あるいは画家が絵の具をパレットに広げるように、彼はその中からいくつかの道具を手に取り、リビングのローテーブルの上に並べていく。
それは、倒錯した芸術家のための聖具の陳列だった。
まずは、彼の芸術の根幹をなす「強制排泄」のための道具たち。
医療用のグリセリン浣腸液が数本。
様々な形状と大きさの坐剤。速効性の高い下剤から、数時間かけてゆっくりと効果が現れる遅効性のものまで、目的別に分類されている。
隣には利尿作用を強制的に引き起こすための薬剤。錠剤タイプのもの、液体に混ぜる粉末タイプのもの。これらは全て、非合法なルートで入手したものだ。
彼は、それぞれのパッケージを指でなぞりながら、次の獲物の体内で、これらがどのように作用するかを想像する。
腸がのたうち回り、膀胱が悲鳴を上げる様を。
次に並べられるのは、獲物の抵抗を奪い、より深い絶望を与えるための道具たち。
光沢のある黒いレザー製の手錠と足枷。口を塞ぐためのボールギャグ。視界を奪うためのアイマスク。
これらは肉体的な自由だけでなく、五感から得られる情報すらも支配下に置くためのものだ。
無力感と孤立感を極限まで高め、獲物の精神を内側から崩壊させる。
そして、その隣には純粋な「快楽」という名の苦痛を与えるための道具たちが並ぶ。
大きさも形も様々なシリコン製のバイブレーター。先端が蠢くローター。静かなモーター音を立てる高性能な電マ。
だが、彼にとってこれらは単なる性的玩具ではない。
これらは屈辱の仕上げに使う絵の具だ。
失禁の恐怖に怯える身体に無理矢理与えられる偽りの快楽。
その混乱と自己嫌悪こそが彼の作品に深みを与える。
最後に彼は棚の奥から小さなベルベットの箱を取り出した。
箱を開けると、中には大きさの異なる数種類のアナルプラグが、まるで宝石のように鎮座している。
冷たい輝きを放つステンレス製のもの、柔らかな感触のシリコン製のもの。これらは彼の「署名」だ。
全てが終わった後、獲物の体内に残していく征服の証。
それは、後から体を洗っても消えない内側からの屈辱の記憶を刻み込むための楔だった。
テーブルの上に広げられた道具たちを影山は満足げに眺めた。
完璧な布陣だ。
これから始まる狩りに不足はない。
彼はその中から、今日の気分に合ったいくつかの道具を慎重に選び始めた。
即効性の高い下剤の坐剤を一つ、小さなケースに入れる。
ポケットにも忍ばせられる小型のローター。
そして、念のために、抵抗が激しかった場合のための強力な睡眠導入剤を数錠。
それらを仕立ての良いコートの内ポケットと、レザーのショルダーバッグに手際よく収めていく。
全ての準備が整った。
彼は窓の外に目をやった。
ネオンの光が乱反射する眠らない街。
あの光の下には数え切れないほどの「素材」が蠢いている。
無防備に笑い、おしゃべりをし、自分たちが安全な日常を生きていると信じ込んでいる哀れな子羊たち。
影山は再び口元に冷たい笑みを浮かべた。
さあ、今夜はどんな傑作を描こうか。
どんな魂の悲鳴を聴かせてもらおうか。
玄関のドアを開け、彼は夜の闇へと溶け込んでいく。
その目は獲物を探す肉食獣のように鋭く、そして飢えた光を宿していた。
街の喧騒が彼を歓迎するかのように包み込む。
今、一人の悪魔が人間たちの群れの中に解き放たれた。