毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
第一幕:白い虚無の中の日常
パチリ、と硬い音を立てて最後の1ピースが嵌め込まれる。真っ白な四角いフレームの中、隙間なく埋まった白いタイルが目に眩しい。天野宗一郎は僅かに背を伸ばすと、その完成品を無表情で眺めた。
無地のジグソーパズル——四方を繋ぎ合わせただけの平面図形が意味を持つはずもない。だがこの1ヶ月近く費やした作業を終えた瞬間は、不思議と微かな達成感さえ生じる。
「……くだらねぇ」
自嘲気味に呟きながら首を軽く回す。酒も煙草も試してみたが全く興味が湧かなかった。賭け事や女遊びといった享楽も気晴らしにさえならなかった。むしろ人間と関われば関わるほどに自分が嫌になる。自分も、他人も、世界も、何もかもが嫌で嫌で仕方ない。生きていることすら面倒臭い。
それでも死ぬ勇気はない。だからこうして白いパズルを組み立てては完成と同時に焼却する。――そんな無意味な循環を繰り返す日々。
壁掛け時計の針は14時を少し過ぎていた。昼食はまだだが空腹感も特になかった。だが、腹に何か入れておかないと口うるさく注意してくるヤツがいる。
仕方ない。また適当にカップ麵で済ませるか。そう思いながら椅子から腰を浮かすと、まるで計ったようなタイミングで携帯電話の着信を告げるアラームが鳴った。この番号を知っているのは地上でたったの三人だけ。そして一番頻繁に電話をかけてくるのは――
「誠二」
『中にいるんだろ、宗一郎。居留守なんか使わないで、さっさと鍵を開けてくれ』
ずっと前からインターホンの電源はオフにしたきり放置してある。招かざる来客なぞに用はない。どうせ金を貸してくれか、金を出してくれか、あるいは無駄な金儲けの話ばかりだ。だがこの声は違う。仕方なく玄関に向かい、三重の鍵を次々に解除するとドアを少し開ける。隙間からニッと笑った誠二の顔が覗いた。
「どうせ昼飯もまだなんだろ? ほれ、食材も買ってきてやったから一緒に食おうぜ」
「ちなみに、今日のメニューはなんだ?」
「お前の好物だ。お湯を入れるだけのカップ麵は禁止な」
好物と聞いた宗一郎の腹の虫が思い出したように鳴いた。無言の許可を了承と取った誠二が勝手に上がり込む。両手には業務用スーパーのロゴ入り袋が二つ。中から牛肉や玉葱に生姜チューブ、八角などが顔を出す。どうやら今日の昼飯はチャイニーズな麻婆豆腐か何からしい。
「なんで急に中華なんだ」
「昨日の夕方テレビで麻婆豆腐特集やっててさ。無性に食べたくなっちまって」
玄関から台所に向かう誠二の足取りが僅かにふらつく。
「片方は俺が持つから、寄越せ」
「お、悪いな」
遠慮なく袋の一方を渡してきた誠二は、ほんの少しだけ左足を引きずりながら台所に入っていく。宗一郎はその後に続く。彼の左脚は中学生の頃の交通事故で切断された。手術で何とか繋がったものの、千切れた神経や腱といった軟組織の損傷は完治できず、リハビリによって何とか日常生活は可能になったが全力疾走は今でも不可能だ。が、それでもまだ命を拾っただけマシだと言えるだろうか。彼の家族である両親と妹は即死だったのだから。
「真由さんは?」
「サークル活動だ。でも夜はこっちに来るってさ」
台所で手早く調理を始める誠二。宗一郎はテーブルに座ってぼんやりとその背中を見つめる。以前はプロ野球選手も夢じゃなかったスポーツ少年だった。リトルリーグでは全国大会で活躍したこともある。交通事故に遭う直前には、過去に甲子園優勝経験もある私立高校からスカウトだって来ていたらしい。全てはあの事故で終わってしまったけれど。
「で、真由と一緒に何か作るつもりなんだけど。お前は何が食いたい?」
「……熱愛バカップルのイチャつきっぷりを俺に見せつけるな」
二人きりで好きなだけイチャイチャすれば良いものを。何故自分まで巻き込もうとするのか。嫌な顔をして答えた宗一郎に誠二はニヤリと笑う。
「まあそう言うなって。真由は『最近宗一郎君も寂しそうだし、私たちと一緒の食事なら気が紛れるでしょ』って気遣ってるんだぜ。お前のためを思ってさ」
「余計なお世話だ」
舌打ちする宗一郎を誠二は笑い飛ばす。
「そういうところだぞ。お前が他人の好意を素直に受け取れないから、おせっかいだとわかっていても俺も真由も世話を焼いちまうのさ」
語尾に鉄鍋が具材を炒める音が重なった。油の中で肉と刻んだ玉葱が踊っている。鼻腔に漂う甘辛い中華の匂いが胃を刺激した。
「それにな、二人きりの方が却って気まずくなるんだ。俺たちがイチャイチャしてると真由が突然恥ずかしがっちゃってな。それで途中で中断されるんだよ」
誠二は冗談めかすが真面目な問題らしい。母親との確執が原因で、最近真由の精神状態も不安定になっているようだ。誠二はそれも心配して宗一郎に相談を持ち掛けてくる。
彼女の母親は誠二との結婚に未だに大反対していて、正式な婚約に至る前にもあれこれ条件を出してきた。事故で障害者になったことを理由に「うちの娘は障害者と結婚させる気はない!」と公言し続けている。
「真由を放っておけないだろう? だから三人で食卓を囲んだ方が安心なんだ」
「俺がいると、逆に真由さんのストレスになるだろうに」
自嘲気味に宗一郎が呟くと鍋をかき混ぜていた誠二は手を止めて振り返る。ニッ、と太陽みたいに明るい笑顔を浮かべる。
「いやいや。むしろ宗一郎がいるといつもの真由に戻るんだよ。安心するんだろうな」
「はんっ」
宗一郎が鼻で笑うと誠二は鍋に向き直った。
しばらくの沈黙。肉と野菜を炒める音だけが響く。やがて醤油と甜麺醤が混ざり合った香りが室内に充満する。
「お前がどう思おうが真由にとってお前は救いの神さ。少なくとも俺にとってはそうだ」
「またそれか。お前がどう思うかは勝手だが、押しつけがましく口に出すな」
「本音だよ。お前は俺たちを絶対に裏切らないし見捨てない。例え俺が今ここで倒れて死んでも、真由を守ってくれると思うから俺はお前を友達として尊敬してる。頼りにしてる」
肩越しに垣間見える誠二の横顔にはどこか翳りがあった。
ああ。やっぱりこいつと俺は似た者同士だ。俺と同じで弱い。宗一郎は内心で嘆息しながら言った。
「縁起でもないことを言うな。お前が死んだら真由さんが泣く」
「その通りだ。だから俺は死ねない。だけど――世の中に絶対なんてもんは無い。ある日、いきなり急にってことはある」
まるで祈りでも捧げるように誠二はそう言った。宗一郎は黙って彼の横顔を見つめた。そして溜息を零した。
俺たちは似ている。孤独で脆くて弱い。でもお互いを支え合っている。支え合わないと生きていけないからだ。
「やめろ。そう思うんなら今のうちに生命保険に山ほど入っておけ。保険料なら俺が払ってやる。全額一括前払いでな」
「保険会社を儲けさせてどうするよ。だったら真由の名義で貯金してもらってた方がいい」
「俺がそう言ったら、誰かさんと一緒で断られたことを知ってるだろうが。似たもの夫婦だな」
「真由と俺はまだ夫婦じゃないぞ、一応な」
クスッと笑いながら誠二が肩越しに振り返って答える。ようやく出来上がった麻婆豆腐の盛り付け皿を用意する宗一郎。熱々の鉄鍋から立ち上る蒸気の向こうに誠二の柔和な微笑みが浮かんでいた。
「とにかく今日の夜はお前も参加だからな。拒否権は無しだ」
「……わかったよ」
「よし! 約束な。真由にもそう伝えておくよ」
やれやれと宗一郎は息を吐き出した。この調子ではきっと今夜も二人に振り回される羽目になるだろう。
テーブルに並べられた二人分の食器に麻婆豆腐の香ばしい匂いが混ざり合う。宗一郎が箸を握ると誠二も自分の前に椅子を持って来て座った。
「「いただきます」」
と二人で唱和する。こうして今日もまた虚無に塗れた日常の一ページが刻まれていく。
それでも宗一郎はどこか安堵を感じていた。誠二と真由の存在が、自分の虚無の世界に僅かな温もりを与えてくれているのだから。