毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
「遅かったわね、真由」
家の玄関で待ち構えていたお母さんの声は冷たかった。改めて時間を確認する。門限の5分前。まだ文句を言われるような時間じゃない。
「ちゃんと約束の時間は守ってるけど」
「そういう意味じゃないわ。今日も誠二君と一緒だったの?」
聞かなくてもわかっているはずの、当たり前のことをわざわざ尋ねてくる。
「そうだけど」
「晩ご飯は?」
「食べてきた」
「宗一郎君も一緒に?」
靴を脱ごうとした手が止まる。お母さんの声に、何か嫌な感じがした。どこか粘つくような、すごく嫌な感じがする。
「今日もタクシー? このところ毎回ね」
「……」
宗一郎君のところから、誠ちゃんの部屋までタクシー。誠ちゃんの部屋から最寄りの駅までタクシー。電車から降りて、家までもタクシー。全部、宗一郎君の負担だ。
もし歩こうと思ったら、誠ちゃんと一緒にお風呂でイチャつくことも出来なかった。駅から家まで小走りで急がなきゃならなかったろう。
「それが、何?」
「宗一郎君には、タクシー代も含めてずいぶんとお世話になってるんでしょう? お礼はしたの?」
「ちゃんとお礼は言ってる」
「それだけ?」
お母さんはネチネチと、でも表面的には逆らえない正論で遠回しにお説教を始める。
「口だけでは足りないわ。それなりの誠意を見せないと」
「例えば?」
今の宗一郎君はお金持ちだ。欲しいものなら何でも買える。私が買えるようなもので彼の気を引けるとは思えない。
「そうね、体で支払うのが一番確実じゃない?」
お母さんは、軽い口調でとんでもないことを言ってのけた。
「――…何を、言ってるの」
「だから、いい加減に誠二君のことは諦めなさい。彼の脚が元に戻ることは一生ないんだから。これからもずっと苦労し続けることになるのよ? あなたのためを思って言ってるの」
わたしのため。わたしのことを思って。お母さんの十八番だ。お母さんはいつもそう。
誠ちゃんが独りになってから、私に何度も誠ちゃんと別れるように言ってきた。誠ちゃんが元気だった頃は、逆に「彼と仲良くしなさい」って、そればっかりだったのに。
「足が不自由で、お金もない。何かあっても助けてくれる家族も、親戚もいない。そんな男と一緒になって、一生苦労し続ける。可愛い娘がそんな不幸を背負うのを望む母親がどこにいるの」
それは――…それは、別にわからないわけじゃない。
でも、それでも私は誠ちゃんと一緒にいたい。私にとって、誠ちゃんと一緒にいるのは絶対に不幸なんかじゃない。誠ちゃんを支えて、誠ちゃんと一緒に幸せになりたい。
「それよりは、お金を持ってて、五体満足で、別に付き合っているわけでもないのに、親しい友達の彼女というだけでも良くしてくれる。そういう親切で優しい男を選ぶべきでしょう?」
「違う。宗一郎君が私に良くしてくれているのは誠ちゃんのおかげ。もし私が誠ちゃんと別れれば、もう宗一郎君は二度と私に見向きもしなくなる。それぐらいのことはちゃんとわかってる」
彼はお金持ちだ。私なんかよりも、もっと美人でスタイルも良い女性を幾らでも買える。むしろ女性の方から寄ってくるのを私も何度も見た。
「……そう」
お母さんは困惑したように頬に手を当てた。ようやくわかってくれたのだろうか。しかし、そう思ったのは私の思い違いだった。
「なら、もっと良い方法があるわ」
名案を思いついたとばかりにお母さんは両手を合わせた。
「真由、あなたは誠二君と結婚して、それから宗一郎君の子供を産みなさい」
「…………え?」
いま、お母さんは何を言ったのだろう?
「だから、誠二君と別れたら宗一郎君はあなたに見向きもしなくなるんでしょう? だったら、誠二君と結婚してから、宗一郎君に近付きなさい。あなたは大好きな誠二君と結婚できて幸せ。誠二君もあなたと結婚できて幸せ。宗一郎君はあなたの体を好きにできて幸せ。ほら、誰も損しないでしょう?」
その言葉の意味を理解して、頭から一気に血の気が引いた。理解したくなかった。むしろ死にたくなった。
「お……母さん、何、言って……」
「托卵、って言うのよ。別に悪いことじゃないわ。障害を持つ子供を産む可能性は少しでも低い方がいいに決まってるし……」
「バカ言わないで!!!」
とうとう我慢できなくなって、私は喉も裂けよとばかりに絶叫した。誠ちゃんの怪我は子供に遺伝するようなものじゃない。
誠ちゃんが、一体どんな思いで自分の子供に野球を教えてやりたいって笑っていたかも知らないで。お母さんはなんて酷いことを言うんだろう。
「真由、聞きなさい」
「聞きたくない!」
「いいから、聞くの!!」
玄関で私とお母さんは怒鳴り合い、睨み合う。
「子供を産むのも、育てるのも、簡単なことじゃないの。産むまでにも、病院に通えばお金がかかる。ちゃんとした病院に入院すれば、それだけたくさんお金がかかるのよ? 産んでからも食費に学費、塾や習い事をさせればそれだけお金はかかる。遊びじゃないのよ? 子供の人生に責任を持つのが親なの。子供を幸せに出来ないのなら、そもそも子供を産むべきじゃないの」
懇々と、物分かりの悪い子供に言い聞かせるようにお母さんはお説教する。
「別に、誠二君にも馬鹿正直に全部教えてあげる必要もないのよ? もし後になって宗一郎君の子供だってわかったとしても、大切な親友の子供なら喜んで育ててくれるわよ」
気持ち悪い。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!
「お金のために、私に宗一郎君に抱かれろって? お金のために、私に宗一郎君の子供を産めって?」
掌に爪が食い込むほど強く拳を握り締める。そうでもしないと、今すぐ胃の中のものを全部嘔吐してしまいそうだった。せっかく誠ちゃんが作ってくれたミルクセーキが、喉の奥にまで込み上げてくる。
全身の血が逆流しそう。頭の血管が切れそうだった。
「ふざけないで。ふざけないでふざけないで!!!」
「真由!」
「冗談じゃない! 私は――私の体は!!」
私は思い切り足を踏み鳴らした。
「私は、誠ちゃんが好きで、誠ちゃんだけがいい! 誠ちゃん以外の男なんか、要らない!!!」
「真由!!」
「触らないで!」
伸ばされたお母さんの手を払いのける。もう我慢できなかった。この場でお母さんと一緒の空気を吸うのも嫌だった。私のこの体に、お母さんと同じ血が流れていることすら嫌だった。
玄関に体当たりする勢いで扉を開ける。家から飛び出す。
「真由!!!」
後ろから声がする。怖い。私は走り出した。走りながらスマホを操作する。
『もしもし、真由か。どうし――』
「誠ちゃん」
回線が繋がった途端、私は堪えきれずに嗚咽を漏らしていた。
「誠ちゃん、助けて。お願い、助けて」
『どうした。いや、今どこにいる? すぐに行く』
慌てたのか、ベッドから転げ落ちるような音がした。だけどすぐに起き上がったんだろう。これまでにないくらい誠ちゃんの声は力強かった。
『場所だけ教えろ。すぐ行く』
「駅。ううん、違うの、いま家から飛び出してきたところ。もしかしたらお母さんが追いかけてくるかも知れないから、流しのタクシーが拾えなければ駅まで走って、それから何でも良いから電車に乗る。電車がなければ駅のタクシー乗り場からタクシーに乗る。だから、どっかの駅で落ち合おう?」
『わかった。電車かタクシーに乗ったら連絡をくれ。なんでもいい。どこでもいい。すぐ行く』
「お願い、誠ちゃん。……大好きだよ」
『愛してる。真由は、絶対に俺が守るから』
電話が切れる。でも、誠ちゃんの優しい声に少しだけ勇気をもらえた気がする。
私は走りながら肩越しに後ろを振り向く。お母さんは、いない。でも、どこからか見られているような気がして仕方が無い。
私は鼻を啜り、右手の拳の甲で乱暴に目元を拭いながら走り続けた。
たった今、電話で話したばかりなのに。でも、もう誠ちゃんの声が聞きたくて、誠ちゃんの顔が見たくて。今すぐ誠ちゃんに抱きつきたくてたまらなかった。