毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
俺は美和子さんが淹れてくれた茶を啜る。アールグレイだかの高い銘柄の茶葉らしいが、生憎と俺は茶に詳しくないからその辺の蘊蓄はさっぱりわからない。ただ、飲んでも口の中に渋みが残らず、喉を通ると鼻の奥にふんわりと香りが残る後味が快かった。
「で、何があった。さっさと話せ」
宗一郎の促しに、俺は茶器を受け皿に戻した。どこからか掃除機の音が聞こえる。美和子さんは気を利かせて席を外してくれている。というか、宗一郎がそうするように促したのだろう。
「悪い、宗一郎。助けてくれ」
「当たり前だ。だから話せ」
宗一郎の中では、俺を助けるのは既に決定事項らしい。それが心苦しい。いつか宗一郎にこの借りを返せる日が来るんだろうか。
「実は……」
俺が話している間、宗一郎は黙って腕を組んだまま目を閉じていた。居眠りでもしているようだが、そんなわけはない。本気で俺のために頭を回してくれている。
「……というわけなんだが」
一通りのことを放し終えると、俺は再び茶を口に運ぶ、少し冷めていたが、まだ十分に美味かった。
「誠二」
目を閉じたまま、宗一郎が俺を呼ぶ。
「な、なんだよ」
「まず確認しておく。言うまでも無いことだが、これは大前提だ。ここをはっきりさせておかないと、何も話が進まない。いいか?」
「ああ」
「ここで真由さんを俺に差し出す、なんてバカなことを言い出す気はないな?」
「あるわけねえだろ」
「なら、次だ。もしお前たちが駆け落ちしたら、真由さんは二度とお袋さんと会えなくなるか、仮に会う機会があるにしても何年後か、下手をすれば何十年後かになるかもしれん。その間に真由さんがお袋さんに会いたいと恋しがって泣いたら、お前はどうする?」
それを言われると、俺は何も言えなくなる。
「お前はどうしたい? 真由さんと駆け落ちして幸せに暮らしたいのか? それともお袋さんに謝ってもらって、今まで通りに真由さんと一緒に暮らして欲しいのか? または違う何かがあるのか?」
「俺は……」
何がしたい?
何をすればいい?
俺はただ、真由が笑ってくれていれば、それで――
「俺は真由に幸せになってもらいたいんだよ」
「その幸せの中に、真由さんのお袋さんは入るか?」
「それは……」
「お袋さんと喧嘩して泣いている真由さんが幸せか? お袋さんに謝ってもらって抱き合って喜ぶ真由さんは幸せか? それとも駆け落ちしてお前だけを想っていれば幸せか?」
考えれば考えるほどに答えは出てこない。何が真由の幸せなのか。どうすれば真由が幸せになるのか。どうすれば真由と一緒に幸せになれるのか。
「俺にもわかんねえよ……」
「わからんことはわからんとはっきり認めろ。それでいい」
「え?」
「どうすればいいのかわからないままに無理やり結論を捻り出して後悔するぐらいなら、わからないときはわからないと言え。それが一番マシだ」
宗一郎は目を開いた。
「だが、考え続けろ。今はまだ、結論を出さなくてもいい。今は、な。いつか、その問いに対する答えを出さなくてはならない日が来るかもしれないぞ」
「ああ」
「よし。なら、次は真由さんに訊いておくべきことがある。お前が電話しろ。スピーカーモードでな」
俺はすぐに電話した。真由が出る。
『誠ちゃん?』
「真由、いま宗一郎と話してるところなんだが……」
「やあ、真由さん。いま誠二から話は聞いたよ。お袋さんから、俺の子供を産めって言われたんだって?」
さらりと宗一郎は爆弾を投げつけやがった。っていうか全力投球で火の玉ストレートをぶん投げやがった。
『……うん』
「大変だったね。でも、それは気にしないでいいよ。俺が好きなのは誠二だけだから」
「おい」
俺は宗一郎の肩を掴んで、とんでもないことをほざきやがる口を物理的に黙らせようとした。
「お前はホントにやめろ! 真面目な話をしてんだぞ!!」
「ああ。真面目な話をしてるんだよ」
「お前のそれのどこが真面目だよ!」
『私も誠ちゃんが好きよ。それから宗一郎君も好きよ』
「ありがとう。とても光栄だ」
「お前らふざけんな!」
『真面目な話を続けて』
「そうだったね。真由さん」
宗一郎は俺の肩に手を置いて首を振りながらニヤニヤしていたが、それでも真由からの注文には神妙な顔に戻った。
「君のお母さんに対する今の気持ちを教えてくれないかな? やっぱり大嫌いかい?」
『そうね。正直に言うなら嫌い。誠ちゃんとの仲を引き裂こうとするお母さんが大嫌い』
「うん。もし彼女が改心して謝ってきたら、許せるかい?」
『難しい。だけど……その時に改めて考えてみないとわからない」
「真由さんは優しいね。でも、世の中にはそうじゃない人の方がずっと多いよ」
宗一郎は組んだ手の上に顎を乗せた。
「改心したように見えても、悔い改めたように振る舞っていたとしても、本当にそうなのかは誰にもわからない」
『……何が言いたいの?』
「例え話だ。仮定の話として、謝ってきたお袋さんを真由さんが許したとしよう。その結果、誠二や、誠二の子供にもしものことがあったとしよう。その時、真由さんはお袋さんを許してしまった自分自身を許せるかい?」
俺は目を見開いた。スマホの液晶に表示された真由の顔を見つめる。小さい画面でも、真由が苦悩しているのは見て取れた。
『……。それは、無理』
「だろうね」
絞り出すように答えた真由に、宗一郎はあっさりと頷いた。
「真由」
『お母さんを許せるかはわからない。でも、その結果お母さんが誠ちゃんや誠ちゃんの子供をもし傷つけたら、絶対に私は私を許せない。それは確か』
「そういうわけだ、誠二。その危険がある限り、真由さんを二度とお袋さんと接触させてはダメだ。さもないと、誰よりも真由さん自身が決定的に真由さんを傷つけてしまうことになるぞ」
宗一郎の言うことはわかる。わかるが――
「さて、ここからは真由さんと俺だけの内緒話だ。誠二、悪いが席を外してくれ」
「おい」
「叔母さんと買い物にでも行ってきてくれ。悪いが叔母さんは闇金から追われる可能性があって、一人で外出するのは危険なんだ。だが、お前なら安心して任せられる。真由さんにお土産としてお菓子でも買っていってやれ」
『え、叔母さん? ちょっと誠ちゃん、宗一郎君に叔母さんがいたの?』
「実はそうなんだよ。ごめんね真由さん、今まで黙ってて」
『誠ちゃん、なんで私にまで内緒に――』
「ちげぇって、俺も知らなかったんだって。宗一郎、お前なんで俺まで勝手に巻き込んで真由をのけ者にしてたみたいな流れにしてるんだよ」
俺は、俺たちは、いつの間にか普段と同じような空気で気安くじゃれあうようにお喋りをしていた。
そして、そんな俺たちをいつの間にか掃除から戻ってきていた美和子さんが戸惑ったような目で見守っていた。だけど、俺も宗一郎もそれに気付くことは無かった。