毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
「ごめんなさいね、荷物持ちまでやらせちゃって」
夕暮れの街並みを歩きながら、美和子さんが申し訳なさそうに振り返る。俺の両腕にはパンパンに詰まったスーパーの袋が三つぶら下がっている。牛乳やトイレットペーパーといった重いものばかりだ。細身の美和子さんが持つには無理があった。
「いえ、別にこれくらいは軽いもんなんで」
面倒臭がりの宗一郎は業務用スーパーでまとめ買いすることがほとんどだが、その時はもっと大量の荷物を買い込んで家に運び込むことになる。成人済みの男が二人がかりでヒーヒー言いながら大荷物を担ぐ光景は、ほとんどコントだろう。
「宗一郎に、誠二君みたいな友達ができるなんて、ね。正直、ちょっと意外だわ」
美和子さんの声には驚きと感慨が入り混じっている。
「……俺も、意外でした。宗一郎に、美和子さんみたいな優しい親戚の人がいたなんて」
宗一郎が母親を憎んでいるのは知っていた。だから、ことさらに血縁がらみの話を振ることは避けていた。俺だって、他人から家族のことをあからさまに触れられたくはなかったからお互い様だった。
「優しいなんてことはないわ。私ね……」
美和子さんの声のトーンがわずかに下がった。視線は前方を見据えたままだ。
「あの子を置いて、見捨ててしまった人間よ」
その言葉には俺では到底推し量れない苦悩が滲んでいるように思えた。
「置い……? 置いて、って――」
「あの子が母親に捨てられたのは知ってるでしょう?」
「……はい」
「その時、私は宗一郎を引き取ろうとしたのよ。ちょうど結婚したばかりだったから、夫に頼んだの。姉の子供を引き取って育てたい、って。でも、」
美和子さんは小さく笑った。ひどく痛々しい笑顔だった。
「でも、夫に反対されてね。自分で子供を産んだことも無い女が、そして自分の子供を育てたこともない女が何を偉そうに、ってね」
「……」
俺は何も言えなかった。
「私は何度も頭を下げて、何度も夫に頼んだのだけれど。でもダメだった。育てたいなら自分一人でどうにかしろ、って。無理よね。その時、私はまだ20をちょっと過ぎたばかり。ちゃんとした職に就いて働いた経験も無かった。それで10歳くらいの食べ盛りの男の子を女手一つで育てる自信は無かった。――…ううん、それも言い訳。結局、私は宗一郎よりも、夫との安定した暮らしを選んだのよ」
「美和子さん……」
「私は何も出来なかった。あの子が母親に捨てられた後も、私が育ててあげることは出来なかった。施設に入れるしか無かった。それで私は逃げ出したのよ。あの子の人生から逃げたの」
「そんなことはないです」
俺は即座に否定した。
「あの宗一郎の顔を見て、宗一郎の声を聞けばわかります。宗一郎は美和子さんを恨んでたりしないし、嫌っても憎んでもいません。あの人間嫌いで、人間に関わるのも面倒くさがる宗一郎が、です。美和子さんは、それだけ宗一郎にとって特別な人なんだと思います」
「そうかしら」
「きっとそうです」
「じゃあ、なんで……」
美和子さんは何かを言いかけて、でもその後は続けることなく言葉を飲み込んだ。
「美和子さん?」
「……いえ、なんでもないわ。それよりも、あの子とどんな風に知り合ったの? 誠二君と宗一郎では、なんとなく反りが合わないというか、はっきり言えば水と油のように見えるのだけど」
露骨に話題を逸らされた気がする。それにしても、美和子さんの観察眼は正確だった。まさに俺と宗一郎は正反対だ。
「俺は中2で家族が死んじまって。それで行き場がなくなって施設に行くことになったんですけど」
「……」
「で、その施設で同じ部屋になったのが宗一郎で。最初は……なんか陰気で、気味悪い痩せっぽちなガキって感じで」
さすがに言い過ぎたろうか。だけど、美和子さんはクスッと笑っただけだった。
「ああ、わかるわ。きっとそんな感じだったんだろうな、って」
「それで、宗一郎はその時に二段ベッドの下の段を使ってたんですけど。俺が脚を引きずってるのを見て、何も言わずに勝手に荷物をベッドの上の段に放り込んで」
それで、何も言わずに勝手にベッドの上の段に横になって、何も言わずにクロスワードパズルを解き始めた。挨拶も無し。自己紹介も無し。無愛想で口数の少ない宗一郎は他の子供からも距離を置かれていた。
それでも、俺の脚を見ただけで、無言でベッドの下の段を譲ってくれた。当時の俺が無理して上の段を使おうとしても、きっとハシゴを登り切れずに落ちていたに違いない。
「そんでもって、夜になると施設の子供は食堂に行って全員で飯を食うんですけど」
「そうね。それが普通でしょうね」
「でも、当時の俺は歩くのも普通に難しくて。松葉杖を使って少しずつ動くのがやっとで。食堂に行くってだけでも一苦労で。だからなのか宗一郎は勝手に一人で食堂に行っちまって」
「……それで?」
「で、二人分の食事を部屋に持って帰ってきて。食堂に行く途中だった俺を引っ張って部屋に戻して。俺の手に食事を押し付けて」
そして自分は勝手に食べ始めた。後になって俺が訊くと、「自分も皆で一緒に食うのが面倒だったから、部屋で静かに食えるのならそっちの方がいい」とか言ってたけど。
「宗一郎は、自分では俺を助けたつもりは全然ないと思うんですけどね。ベッドのことも、食事のことも。自分が勝手にしたことだと今でも思ってんじゃねえかな」
優しい、というのとは少し違う。世間一般で言う、優しさ、という単語から宗一郎を想像するのは難しい。
「でも、なんていうか、確かに宗一郎はぶっきらぼうで無愛想で陰気なガキだったけど、ずっと俺と同じ部屋にいても、全然嫌な感じがしなかったんですよ。当時の俺の周りにいるのって、憐れむか、同情するか、痛ましいような目で見るか、そういうのばっかりで。いい加減うんざりしてて。他人と距離を置いて、馴れあおうとはしない宗一郎の態度が、逆に居心地がいいっていうか、すっげぇ気が楽で」
それで、逆に気になるようになった。当時の俺みたいな荒れに荒れてるガキと一緒にいても気にしない、気にする素振りすらない。黙々とクロスワードパズルばっか解いて、何一つ口を開かないで一日中でもずっと黙っていられるとか。俺みたいに、物心つく前から外で走り回ってたような腕白とは対照的なタイプで。
「だから、いつの間にか俺から話しかけるようになったんです。俺の家族のこととか、施設に入れられる前の思い出とか。施設に入ってからも俺を疎んじるような視線を向けてくる他の先生や子供のこととか。ほとんど愚痴とか下らない泣き言とかばっかりだったんですけど、それを宗一郎に話してると、それだけでも楽になったんです」
「うん」
「宗一郎は何も言わないけど。黙って俺の話を聞いてて。パズルを解きながら俺の話を聞き流してるみたいだったけど。それでも、俺の話を遮ったり止めさせようとしたりは一切しなかったんですよね」
後になって、それが宗一郎なりの処世術だと知った。本当に、ずっと後になってからだけど。
クソみたいな母親から虐げられていた宗一郎にしてみれば、俺みたいな家族に愛されて恵まれて育ったくせに、その家族に先立たれて一人ぼっちになったぐらいでグチグチ泣き言をほざくガキなんぞ別に気にするまでもない空気のように無害な存在で、そのガキが何を言っても聞き流していれば勝手に満足するのだから相手にするのも楽だったに違いない。
「そんな宗一郎を見てると……なんか、すっげー怖くなって」
「怖くなって?」
急に結論が斜め上にすっ飛んでいったように聞こえたのだろう。美和子さんは小首を傾げる。
「……あー、すいません。なんていうか、言葉にしにくいんですよね、これ。宗一郎みたいにはなりたくねえって思ったんですよ。俺が宗一郎みたいになれるわけがねえんですけど。俺はほら、宗一郎と違って生まれつき家族には恵まれてたもんで」
環境が人を作る。だから、宗一郎という人間を作り出した環境と俺が育った環境は、まるっきり正反対と言ってもいいくらいに何もかもが違う。
家族に愛されて生まれて、恵まれた家庭で育ててもらって、その家族がいなくなっても俺には真由がいて。
じゃあ、もし俺が宗一郎の育ったような環境に置かれてたら? もしそうなっていたとしたら、それで俺は宗一郎のようになっただろうか。
無理だろう。もし俺が宗一郎と同じ環境で育てられたとしても、きっと宗一郎のようにはなれない。なりたくない。
「そう思うと、なんで宗一郎みたいなガキが出来たのか……何があれば宗一郎みたいになるのか、みたいに考えちまって。それが怖いんですよ。何かきっかけがあるのなら、もしきっかけさえあれば俺も宗一郎みたいになっちまうのか。逆にきっかけそのものが無いとするなら、俺だって何かきっかけが無くても宗一郎みたいになっちまうんじゃないか、って」
美和子さんは立ち止まった。
「……ねえ、誠二君」
「はい」
俺も立ち止まる。
「宗一郎『みたいに』って、一体どういうことなのかしら」
静かな声だった。辺りには夜闇が忍び寄り始めていた。
徐々に暗くなり始めた光景の中で、美和子さんがどういう表情で立っているのか、何故か俺にはよくわからなかった。
「……宗一郎は、宗一郎ですよ。宗一郎みたいな人間を、俺は他に知りません」
俺は囁くように答えた。ああはなりたくないと思い、同時にああはなれないだろうとも思う。宗一郎のような人間には俺はなれない。宗一郎と同じ道を歩むことは出来ない。
「そう……そうよね。あの子は、あの子だものね」
美和子さんは再び歩き始めた。俺もその後を追いかけた。スーパーの袋がカサカサと音を立てる。
「ああ、そういえば。さっきは二人で何を話してたの?」
「それは……俺の口からは言えません。真由のプライベートに関わることなんで」
美和子さんは笑った。
「そう。でも、あの子のためなら私は何でもするつもりよ。だから、もし誠二君さえ良ければいつでも相談してね」
「はい」
「それから――」
「それから?」
「もしも宗一郎に困ったことがあったら、いつでも言ってね。私が必ず力になるから」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。美和子さんの声には本心からの優しさが込められていた。