毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
二人で飯を食った後、俺はそのままテーブルを借りて勉強を始める。宗一郎は向かいの席でクロスワードパズルを解いている。
「宗一郎、なんか飲むか?」
「俺はいい。お前が飲みたきゃ好きなのを淹れて飲め。この前のティーセットがそのまま棚の中に置いてある」
「お前、手もつけてねぇのか? 確かアレ、誰かからの貰い物だろ? でっかい銀行だかどっかからの」
「ああ、大口の預金だか信託取引だかの勧誘に来た連中が頼んでもいないのに勝手に置いてったヤツだ。ちなみに俺は一杯か二杯は飲んだぞ。毒味は済んでる」
「そういう意味じゃねえよ。っていうか、それって確かもう先々月ぐらいの話だろうが。もらってから二ヶ月近くも経ってるのに、たったそれだけかよ」
「企業向けの贈答用セットを俺一人で飲みきれると思うか」
遠慮の無い気安い遣り取りが心を和ませる。思わず小さく笑ってしまった拍子に、詰まっていた問題の解法を思い出して、広げたノートにペンを走らせる。
「誠二。そこ、間違ってるぞ」
「え。どこだ?」
「いま書いたところの三つ上。3問目。答えはxの3乗+1だ。2段目の方程式の等式の右側をよく見ろ」
顔を上げると、宗一郎がパズル雑誌の上から俺のノートに視線を投げていた。
上下逆さまの数式を、ほとんど一目で見て解いたのかよ。相変わらず宗一郎の暗算は神がかってる。施設でも他の子供がデタラメに並べた9桁と7桁の数字の掛け算を一瞬で解いてたからな。今でも複数の銀行に預けてる金の利息計算を電卓も使わず全部一人でしているらしい。生活費とかの出費も家計簿要らずだ。
「あ。えっと、……ああ、これか。スマン」
「お前が謝ることじゃない。ただのケアレスミスだ。答えはちゃんと見直せ」
素っ気なく言って宗一郎は再びパズルに目を戻す。俺も改めてノートを確認する。
俺はスポーツ万能とか言われてたが、逆に言えば勉強は得意な方じゃなかった。中二の時に親と妹を亡くして、高校に上がる直前くらいまでは荒れまくってたから、ますます勉強から遠ざかっていた。
なんとか高卒は出来たけど、それも宗一郎と真由が付きっ切りで勉強を見てくれて、ほとんどおんぶにだっこでそれでも辛うじてギリギリ、先生にもお情けで見逃してもらったようなものだ。俺一人の力じゃ絶対に無理だった。中二の時のクラス担任の先生なんか、わざわざ高校にまで出向いてきて俺の様子を見に来てくれていた。
就職の時も、それで色々と悔しい思いをさせられた。もっとちゃんと勉強をしていれば、って何度後悔したことか。
「俺にもお前のような頭があればなぁ」
「俺のは、頭の良さとは別物だ。――数字は、人間みたいにコロコロ態度を変えたりしない。心が無いからな」
何気ない口調だったが、俺は思わずペンを握った手に力が入ってしまう。
「……。…なあ、宗一郎」
そう言いかけて、しかし続きを言おうとしても何も出てこない。
母親に捨てられた子供なんか施設じゃ珍しくない。だけど、実の母親から面と向かって「用無し」「お荷物」「邪魔者」とボロクソに罵倒され尽くして施設に叩き込まれた子供は、そうはいない。少なくとも、大抵の母親は何かしらの事情があって、仕方なく子供を手放す。
確かに俺は家族を事故で亡くしたけど、それまでは間違いなく家族に愛されていた記憶がある。大切な思い出がいっぱいある。そして隣には真由もいてくれた。俺が辛い時にも寄り添ってくれた。
――宗一郎には、誰もいない。誰を差し置いても大切と言える人は、いない。もし俺と真由がいなくなったら、こいつは一体どうなっちまうんだろう。
「なんだ?」
「……いや。さっきのティーセットの人って、まだ来るのか?」
「来ない。金融商品の利殖率を並べて、お前のところの商品では他の銀行よりも損だと数字で教えてやったら引き下がった」
「……」
他人事ながら気の毒になる。銀行員が、勧誘に行った先の顧客から理詰めで論破されるとか。もし俺が同じ立場だったら真由に泣きついて優しく慰めてもらわなきゃ立ち直れないだろう。
「心配するな。そいつは隣に座ってた上司と不倫してる。今頃は俺のことなんか気にしてる場合じゃなくなってるだろう」
「は?」
唖然として顔を上げると、宗一郎は皮肉っぽく、そして物凄く腹黒い笑みを浮かべていた。
「まあ、初対面の相手だったからその時は別に確信があったわけじゃない。試しに興信所を雇って一ヶ月ほど事細かに足取りを調べさせた。そうしたらボロが出るわ出るわ。上司との不倫だけでなく、複数の顧客と枕営業までしていた。証拠を並べて頭取宛に送ると同時に株の空売りを仕掛けてやった。向こうも必死に買い支えていたようだが、ネットに情報を流してやったら先々週の終わりぐらいに一気に値が下がった。興信所に払った金を差し引いてもボロ儲けだ」
相変わらず女に対する宗一郎の観察眼は悪魔じみている。いや、そうならざるを得なかったというべきだが。母親に捨てられた元々のトラウマに加えて、いきなり大金を手にした途端に碌でもない女が大量に寄ってきてたからな。
「そういうわけで、誠二。来年の挙式の時は俺が代わりに費用を全部負担してやるから、海外でもホテルの貸し切りでも好きなプランで大盤振る舞いをして構わないぞ」
「お、お前……」
思わず顔を手で覆った。
「やめろよ、そういうの。俺はお前さえ祝福してくれれば、あとは真由とひっそりこじんまりとした式で十分だって」
「そうか。なら新居の頭金は任せておけ。子供の数は何人だ? 子供用に一人一室ずつ確保できるぐらいの家を見繕っておいてやる」
「……」
とうとう堪えきれずに広げたノートの上に突っ伏す。
「いや、いやいや、勘弁してくれって」
「夫婦となる上で愛情は大事だ。いつもお前が言っている通りだ。そこは認める。だが、それはそれとして、夫婦仲を保つには良好な性生活も大事だ。そういう些細な不満も放置しておくといつか拗れるものだ」
明け透けに言う宗一郎は、いつものように淡々としている。こいつはセックスですら男が腰を振る回数と女が感じる快楽は指数関数的な比例関係にある、とか真顔で言い出しかねない。いや、似たようなことは前に聞いた覚えがある。
「そういう意味で最後に彼女と接触したのはいつだ? さっきも言っていたな。お前とイチャついていると彼女が恥ずかしがる、と。彼女の側も、お前とそういう雰囲気になるのではないかと予想している。裏返せば、期待すらしている。だから、恥ずかしがる。自分からお前を求めてしまうことになるのではと羞恥心を感じている」
「……」
思わず顔を覆った手指の隙間から宗一郎の顔を窺う。クロスワードパズルに目を落としたまま、平静な顔はいつもと変わらない。
「いや、俺と真由は……」
「初夜までは彼女の処女は大事にしたい、だったか。そんなことは知っている。セックスが生殖を目的とする以上、最終的に男が射精するという結果は変わらない。だが、逆に言えば、射精が目的では無い性行為。お前と彼女がお互いの愛情を確認する行為に限定するのであれば、別に射精に拘る必要も意味もない」
クロスワードパズルにペンで書き込みを入れながら、俺の親友はいつものように俺をけしかける。
「彼女に、ちゃんと言えばいい。彼女の処女が目的じゃなく、お前と彼女の間にある絆を確かめたいのだと説明し、納得してもらえ。キス。ペッティング。どこまでするのか、何をしたいのか。きちんと線を引いて、ここから先は結婚してからだとはっきり約束するなら問題ないだろう」
「……」
「なんだ。お前にも性欲がないわけじゃないだろう。そういうことをいつまでも恥ずかしがっていては逆に問題だ。これから夫婦になるなら、そういうこともきちんと話し合っておけ」
ホントに、俺はこいつに頭が上がらない。
「……あー、いや、まあ、うん。た、確かにそれはそう、だな」
辛うじて頷くと、何とも間の悪いことにそこで携帯の着信が鳴る。それも、よりにもよって真由からだった。
「どうした? さっさと出てやれ。さっき俺に居留守を使うなと言ったばかりだろう」
「わかってるって」
今し方の話題のせいか、妙に意識してしまう。
「もしもし?」
『あ、誠ちゃん。いま大丈夫?』
「ああ、大丈夫だ。どうした?」
『いまサークルが終わったの。これからそっちに向かうけど、何か買っていくものとかある?』
俺は反射的に顔を上げて宗一郎を見た。こっちに見開きで突きつけられたクロスワードパズルの余白に、端からはみ出すぐらいにデカデカと『ウナギ』『山芋』『生卵』とペンで書かれている。それもわざわざ二重線付きで。
「……。あー、えっと、ウナギと山芋と、あと生卵を頼む」
『山芋と卵はともかく、この時期にウナギ…? 今年の土用はもう大分前に過ぎたと思うけど……うん、まあ、いっか。そういえば、今年はまだウナギ食べてないもんね。わかった、買ってく。それじゃ、また後でね』
「あ、ああ。待ってる」
そうして、あっさりと切れた電話を片手に持ったまま、俺は宗一郎に尋ねた。
「おい、宗一郎」
「お前が想像している通りだが?」
「……やっぱりか」
ウナギも山芋も、そしてもちろん生卵も食すと滋養強壮に役立ち、特に精がつくという。
「お前なあ……」
「そういうところだぞ、誠二。お前がそういうヤツだから、おせっかいだとわかっていても世話を焼きたくなるんだ」
何事も無かったようにクロスワードパズルに目を落としながら、さっきの意趣返しとばかりに俺の親友は言い放ちやがった。――…悪戯が成功した時のような、どこか子供っぽい笑みを口元に浮かべて。