毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
家から飛び出していったきり、丸一日が経っても娘は帰ってこない。初めは反省して帰ってくれば許してやろうかと思っていた私も、いい加減に我慢の限界だった。
真由も、もう21だ。我が儘の通じる子供ではない。分別というものを覚えて然るべきだ。あまり事を荒立てたくはなかったが、仕方ない。私は真由がいなくなってから翌々日の朝に警察へと出向き、行方不明者届を出そうとした。
「水城真由さん……水城真由さん、と。ふむ。それでは、娘さんがいなくなられた時の状況を教えていただいても? 原因動機に事件性や差し迫った危険があるのでしたら、それなりの対応が必要な場合もありますので」
警察署の受付で案内された担当部署に赴き、必要書類に記入する。それに真由の写真を何枚か添付して窓口に出すと、私と同じか少し上くらいの年齢の刑事がこちらをジロリと睨むようにして問い質してくる。
まるで私の方が犯罪者かのように。娘が危険な目に遭っているかもしれないというのに落ち着いていられないのが悪いのか。
だが今ここで私が喚き散らしてみたところで何の解決にもならない。
「私に反抗して出て行ったのです。河原誠二という男のところに居候しているのでしょう。昨日から連絡はありません」
「なるほど。その河原誠二さんという男性の住所や連絡先はわかりますか?」
私は刑事にスマホの画面を見せる。娘の婚約を機に挨拶にも来たし、娘が日常的に入り浸っているのだから場所ぐらいはわかっている。
「娘さんからの連絡は無し。その男性にも連絡は?」
「もちろんしました。ですが着信を拒否されています」
「その男性と娘さんの関係性は?」
「……恋人です。私は交際に反対していたのですが、娘は聞いてくれず……」
刑事は小首を傾げた。
「立ち入ったことをお伺いして申し訳ありません。しかし、職務上必要と判断したので質問させていただきます。娘さんとは、最近何かトラブルなどありましたか?」
「娘が反抗的なのです。あれほど誠二君とは付き合うなと言ったのに、どうしてもっとまともな男性を選ばないのか……!」
私は思わず声を荒げてしまった。周囲の視線が集まる。咳払いをして言葉を飲み込む。
だが刑事は冷静に返してきた。
「その男性はまともではない、と? 相手が無職だとか、娘さんに暴力を振るったとか、あるいは何か法に触れているというような具体的な問題があるのでしょうか?」
「そ……そのような具体的なものは……ありませんが。ですが娘と付き合う資格がないということは明らかでしょう!」
「資格とは?……ああ、その男性が法律上、まだ未成年者だったという場合もなくはありませんが」
「いえ、成人しております」
「そうですか。では一体どういった理由で資格が無いという結論になったのですか?」
刑事の目が鋭く光る。私は唇を噛む。
そもそも河原誠二は欠陥品だ。あの事故で両親と妹を失い自分も足を引きずるようになり、それ以来人に迷惑ばかりかけ続けてきたクズ。
娘の体に障害児を宿すようなことは許されないし、万が一正常な子が生まれても将来は娘を食い物にして怠けることしか考えない屑に育つのだから。
「そんな男と娘の交際を認められるわけがありません。第一あの男は脚を引きずる障害者です。まともな収入もありません」
「先ほど、無職ではないとお伺いしましたが……」
「そういう意味ではありません。片足が不自由な人間では、高給を得るというのは難しい。自分一人が何とか食べていくだけならともかく、妻子を食べさせるだけの安定的な収入が保証されているとは思えません」
「共働きという選択肢もあるのではありませんか?」
「妻子を食べさせるというのは最低限、男の甲斐性です。その点においてあの男は失格でしょう」
刑事は少し唸った。何だ、この無能は。いくら刑事とはいえこんな事例は珍しくないはずだろう。
「娘さんももう大人ですから。それについて本人が納得して選んでいるのなら第三者が口を出すのは如何なものかと。親御さんとしては娘さんの幸せを考えた上で意見されたのかもしれませんが」
第三者。そう、この男に娘の人生の何がわかるというのだろう。まして私の娘なのだ。
私は眉を顰めながら頷いた。
「はい。ですが私は娘の幸せを考えて言いました。やはり真っ当な青年と結ばれる方がいいと考えたからです。しかし娘は聞きませんでした」
「そうですか。ちなみにですが……失礼ですが、娘さんのお父さんとは?」
父。夫のことだ。私たち夫婦は不仲だ。もう長いこと顔も見ていない。仕事柄、海外への赴任が多いのだ。
「夫は長期海外赴任中です。会社の辞令で外国へ行っております」
「なるほど……では、お母さん一人で育ててこられたんですね。それは大変でしたでしょう?」
「いいえ、私は専業主婦ですので家事や育児には慣れております。それに夫も生活費は十分に……」
ふむ、と刑事は再び唸った。あまりにも手ごたえがない反応だ。私は娘のことをこんなにも案じているというのに。まるで他人事だ。いや、他人だから当然なのかもしれないが、しかし警察というのはここまで役に立たないものなのだろうか?
「少し整理させていただきます。娘さんは現在21歳。交際相手の男性も成人しておられる。片足に障害はあるものの、就職はしている。娘さんは交際に反対しておられる母親に反発し、家を出て行かれた。それが一昨日の夜。現在は、おそらく交際相手と一緒にいると思われる。ここまではよろしいでしょうか?」
「はい。そういうことです」
「でありますと……まあ……申し上げにくいのですが、事件性は薄いと判断せざるを得ません」
「そんな!? 娘が危険な目に遭っているかもしれないんですよ!?」
「しかし危険の根拠が……例えば交際相手の男性が、娘さんに暴力を振るわれたことはありますか? そういった事実を証明できる何かはお持ちでしょうか?」
「それは……」
「娘さんが家を出たのはご自身のご意思ということで間違いないですね?」
「……」
「つまりこれは家族間のコミュニケーション不足による軋轢に過ぎないのではないかと愚考します。こういったケースは稀ではなく……いえ、娘さんご本人に何か危険が及びそうな兆候があれば勿論然るべき対応を取らせていただきますが……そうでなければ現時点で警察にできることは……」
刑事は言葉を濁す。私は歯噛みした。要は警察は動かないということだ。
このまま待っていても娘は帰ってこないだろうし、その間にあの河原誠二が娘を汚すことになる。
「……娘は……」
「はい?」
「真由は、あんな男と一緒になるべきじゃないんです! 金もない! 片足も不自由! 娘が不幸になるばかりだとわかっていて、母親としてそれが見ていられないというだけのことなのに!!」
周囲の目にも構わず、私は声を張り上げる。刑事は大きく溜め息をついた。
「なるほど。そのお気持ちはわからなくもありません。私にも娘がおりますので、いずれ大事な娘がどこぞの男のところに行くのかと思うと寂しくてなりませんよ」
「だったら……!」
「しかし、です。それが親子というものでしょう。子供は育ち、いずれ親の元から巣立っていく。寂しくはありますが、それはそれだけ子供が成長したということです。それを祝福し、子供の背中を見送ってやるのが親の務めでしょう」
落ち着いた刑事の言葉は、むしろ私をさらに苛立たせた。こんな、こんな男に何がわかるというのだろう。私の何がわかるのだ。こんな男に。
「違う。違う。私は違うのよ!」
「そうですか。確かに家庭の事情はそれぞれ異なるものですからね。本官が何を申し上げても、それ以上は何も出来ません」
トントンと書類を揃えた刑事は、微かな憐憫の笑みを浮かべてみせた。それがより一層癪に障った。私はカッとなった。
「もう結構です!!!」
「そうですか。どうか気をつけてお帰り下さい。いつか娘さんと分かり合える日が来ることをお祈り申し上げます」
席を立った私は出口に向かう途中で一度だけ振り返った。刑事はもう別の対応を始めていた。まるで興味を失ったかのように。私は怒りを抑え切れず、靴音を高鳴らせながら警察署を後にした。
ああ、忌々しい。どうして世間は私をわかってくれない。私は正しいというのに。
――そしてそのまま、なすすべもなく日が暮れて、夜になる。娘からの連絡は未だない。思い出したように娘に電話する。メッセージも送る。着信は拒否され、メッセージには既読すらつかない。
「……真由」
娘はまだ21だ。まだ若い。これからの人生がある。――…私と違って。
何故か、ひどく胸が痛む。もう三十路の半ばを越えてしまった自分を顧みてしまったのか。
娘を産んだ時、私は16になったばかりだった。当時は小遣い稼ぎに体を売っていて、その時の客の中で一番金を持っていて羽振りの良い男を捕まえた。
実際、その選択は間違ってはいなかったと今でも思う。娘を育てるのは大変ではあったが夫の稼ぎで人を雇うことは出来たし、ある程度まで大きくなれば娘はそれほど手のかからない素直な子だった。
近所も夫と同じ金のある家庭が多く、その中でも河原家は娘と同じ年の息子がいて、その縁で色々と助けてももらった。夫がなかなか家に寄り付かない私を気にして、河原家は娘をよく預かってもくれた。娘も河原家の夫妻に懐き、幼馴染の息子と仲良くなった。
私は空いた時間でエステに通い、妊娠と出産で崩れた体の線を磨き直し、高級ブランド品で飾り付けた。
夫が不在なのを良いことに、他の男にも手を伸ばした。もっと金がある男がいれば、夫を捨ててそっちに乗り換えることも考えていた。その時に娘が邪魔なら夫に押し付けるか、あるいは河原家に任せてしまえばいい。あの夫婦なら喜んで引き受けてくれるだろう。
だが、夫以上に金のある男はそうそう見つからない。結婚の時点で夫以上に金を持っている男など周りにいなかったのだから、夫よりも遥かに若い私は出会う男の大半が自分より下に見えた。そんな男と付き合うなど屈辱でしかない。
唯一私の目を引いたのは昔の客の一人だった。彼は下積みの頃は貧乏で私と遊ぶことすら滅多に出来ないくらいだったが、別の職場に転職して、そこで人脈を作ってから起業した後は成功していた。
だが私の美貌と肢体を前にしても彼はまるで私に関心を示さず、ただ淡々と昔の思い出話をするだけで去っていった。彼に見向きもされなかった屈辱は私を打ちのめした。
そして河原家の夫婦が死んだ。娘の幼馴染の息子は片足を切断することになり、私は失望した。娘ももう中学になっていたから誰かに預けなくてはならないほど小さくはなかったが、娘の相手として目をかけていたのに、それがほとんど無一文になってしまったのだから。
娘は河原家の息子に異常なほど依存しているようだった。あの息子も娘のことを気にしているのかもしれないが、あれは脚の不自由な屑だ。そんな男に私の娘は勿体ない。
今も夫から定期的に送られてくる生活費だけが頼り。だから私は娘に期待した。娘がいい男を見つけて、その男から金を毟り取ればいい。娘は男によって変わる。男次第では上玉になる可能性もある。
そのチャンスを逃さないためには、とにかく娘を育て上げる必要がある。そのためには金が要る。勉強もさせなければならない。私は全力で娘の世話を焼いた。家に雇っていた家政婦がいなくなると全てを私一人でやらなければならなかったが、それでも我慢した。
全ては娘に金持ちの婿を捕まえてもらって楽をするため。娘のためではない。あくまで私のため。娘はその道具でしかない。だが、それによって娘も楽が出来るのだから問題はない。娘も幸せ。私も幸せ。それで十分ではないか。
「なのに、それなのに、――…なんでわからないのよ、真由。私の言う通りにしてさえいれば、それで幸せになれるのに」
呻くように呟く私の耳に、着信の音が聞こえた。
私は液晶画面を確認する。『天野宗一郎』の名前を確認する。彼とは何度か電話でなら話したことはある。偏屈というか人間嫌いというか、とにかく陰気で無愛想な青年だった。礼儀知らずというわけではないが、どこか冷淡で熱というものが感じられない声が不気味だった。
とはいえ、そんな欠点など金を持っていることに比べれば些細なことだ。一度は私の方から娘を売り込んだこともあるが、ひどくぞんざいに対応された。その時はまず娘の方を優先せざるを得なかったので引き下がるしかなかったが、こうなると彼の方に改めて話をしておくべきかもしれない。
「はい、もしもし」
『夜分に失礼いたします。自分は天野宗一郎と申します。水城香織さんの携帯でお間違いありませんか』
少し意外だった。思ったよりも低姿勢で、かつ礼儀正しい。もしかすると娘の方から話が回っていて、私に対してもっと喧嘩腰だったり、抗議するような口調で切り出されるかと思ったのだが。
「ええ、間違いないわ。久しぶりね、宗一郎君」
『ご無沙汰しております。真由さんにはいつもお世話になっています』
「こちらこそ、娘にはいつも良くしてもらっていて、感謝しているわ。ありがとう」
すんなりと話ができる。昼間の警察官とは大違いだ。
「それで、何かしら? 実は、娘が家出してしまって。今も心配していたところなのだけど、宗一郎君は何か知らないかしら?」
『ああ、やはりそうだったんですね。実は誠二から助けを求められていて。真由さんが家出してきたと。自分のところで預かりたいが、金がないから養えない。すまないが預かってくれないかと言われていて――』
なるほど、娘を持て余して彼に預けようとしたのか。娘の行方が掴めそうなことに安堵すると同時に、河原家の息子への侮蔑は強まる一方だった。娘一人さえ養えないで、よくも結婚だの何だのと言えたものだ。
「まあ、そうだったの。ごめんなさいね。迷惑をかけてしまって」
『いえ、そんなことは。それで、家出した原因はと尋ねてもなかなか答えてくれなくて。まあ、真由さんを預かること自体は問題ないんですが、真由さんにも大学がありますし、あまり長いこと預かると、それはそれで……自分は真由さんと何か特別な関係があるわけでもないですし、誘拐だの何だのと疑われるのも困りますし』
「そうよね。わかるわ。実は今日、警察にも相談に行ってきたところだったの」
『そうだったんですか?』
「ええ。と言っても、まだ相談だけで、本格的な捜査とか捜索とかの話にはならなかったんだけど」
本当は体よく追い返されてきたのだが、それを正直に話す必要もない。彼が娘を預かり続けることを少しでも迷惑がってくれればいい。
「でも、宗一郎君が連絡してきてくれて助かったわ。娘は電話にも出てくれないし、メッセージを送っても梨の礫だったのよ」
『ああ、やっぱり。きっとそうだろうと思って電話をさせていただいたんです。もしよろしければ、直接お会いして詳しくお話をさせていただければと思うのですが』
「もちろん、喜んで」
『ありがとうございます。でしたら――』
宗一郎君はどこかにメモを取るような音をさせながら、待ち合わせ場所と日時を告げた。
「わかったわ。明日の昼過ぎね。ありがとう」
電話を切った私は小さく溜め息をついた。これで娘の行方も掴めるだろう。何なら、そのまま宗一郎君に娘の処女をもらってもらうという手もある。既成事実さえ出来てしまえば娘も諦めるだろうし、あとはこちらで適当な理由をつけて二人を結婚させてしまえばいい。
そうなれば宗一郎君の持つ資産もすべて娘のもの。娘を通じて私にも恩恵が及んでくる。あの河原家の息子とは天と地の差。こんな簡単なことに今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
明日が楽しみだ。早く明日になればいい。私はその日、久し振りにぐっすりと眠ることが出来た。