毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
壁一枚隔てた廊下に潜んでいた美和子は、室内の様子をじっと窺っていた。
宗一郎と香織の情事が今まさに佳境を迎えている。ベッドの軋む音と、香織の嬌声が壁越しにくぐもって聞こえてくる。
(あらあら)
美和子は微かに唇の端を吊り上げた。宗一郎が香織を抱いている。それは単なる調教の一環であることは理解している。
しかしそれでも嫉妬が込み上げるのは否定できない。宗一郎の唯一の愛人たる自分ではない女が抱かれているのだ。
(まあしょうがないけれどね)
香織は調教中のペットでしかない。いずれはどこかに売り飛ばすか捨てるだけだ。
だがそれまでは宗一郎の所有物であり、美和子が管理すべき対象でもある。
(香織は可哀想ね)
夫のいない間に若い男を漁り続けた女。娘を自分の人生設計の一部としか考えていなかった母親。
宗一郎の復讐劇において都合よく利用される存在でしかなかった。
「ご主人様……」
部屋の中から聞こえた香織の甘い囁きに美和子は眉を寄せる。
彼女もまた「ご主人様」と呼んでいる。自分と同じように。
(違うわよ?)
美和子は自嘲気味に微笑んだ。自分の心を誤魔化すための笑みだった。
自分は『宗ちゃん』と呼ぶのだ。それは自分だけの呼び方だ。「宗一郎くん」とか「宗くん」とかでは意味がない。あの甘くて優しい響きで呼べるのは自分だけ。
(他の女には絶対に許さない)
その思いが彼女の精神を支えていた。独占欲と自己肯定感を補強していた。
宗一郎にとって自分は特別な存在であり続ける。だからこそ、この呼び方を許されているのだと思い込んでいる。
それは彼女にとって精神的な安全装置であり、依存の象徴であった。
「……」
廊下の暗闇の中、美和子は両手を胸元で握り締める。
香織の喘ぎ声が響くたびに胸が締め付けられるような痛みを感じる。
それでも壁の向こうを覗き続けることを止められない。
(もっと啼きなさい)
(もっと狂いなさい)
(そして宗一郎に隷属して、彼のために全てを捧げなさい)
自分は見守っているだけでいい。宗一郎の行動を肯定しているという姿勢を見せていればいい。
彼が望む通りに動けばいい。それこそが自分の存在意義だ。
(私は宗ちゃんのためなら何でもするわ)
美和子は静かに呼吸を整えながら目を閉じた。
宗一郎の背中に腕を回し、そして彼の唇に自分のそれを重ねたときの感触を思い返す。舌先を絡め合ったときの痺れるような感覚。
「……」
自分も宗一郎に抱かれたばかりだ。先程まで彼と交わっていた。肉体的には十分に満たされているはずだった。
しかしそれでも心の奥底では枯渇感が残っている。満たされない飢餓感。
(足りないのよ)
それは本能的な欲求からくるものなのか、あるいは精神的な欠落を補いたいがためなのか。
どちらにせよ美和子は宗一郎に依存しすぎている自覚があった。だがそれを変えるつもりもない。
これが自分の生き方なのだと開き直っている節すらある。
「……」
やがて壁向こうの音が止んだ。
美和子は息を潜めながらそっと身を離すと階段を下りて浴室へと向かった。
シャワーを浴びて身支度を整えると再び宗一郎の寝室へと戻る。
「宗ちゃん?」
扉を開けるとベッドで横になっている宗一郎を見つけた。
その傍らには香織がいた。まだ余韻に浸っているようだ。
「美和子」
宗一郎が身を起こす。美和子は微笑んで寄り添う。
「お風呂を沸かしておきましたよ?」
香織は気怠げに身動ぎする。美和子はそれを見ながら宗一郎の肩に手を置く。
宗一郎は無言で彼女の方へと顔を向けた。
「一緒に入りましょう? ね?」
そう囁いて頬に軽くキスする。
宗一郎は小さく頷くとベッドから立ち上がった。