毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
「久しぶりね、宗一郎」
玄関先に立っている自分の母親を見る。
自称ではない。紛れもなく、生物学的には自分の母親には違いない。
例え、自分がそれを否定しようが否認しようが同じことだ。
――……尤も。
「……ああ、本当に。本当に、久しぶりだね、『母さん』」
玄関の扉を開けて硬直している美和子の肩に手を乗せ、静かに脇に除ける。
このアバズレと向き合うべきは自分だ。自分だけでいい。
「ひとまず、上がりなよ。ちょうど朝ご飯も出来るところなんだ」
無言で、横目に流した視線だけで美和子に意を伝える。
やはり無言で美和子は踵を返し、台所へと向かう。
「へえ、気が利くじゃない。大きくなって、少しは世知を覚えたみたいね」
昔に比べてずいぶんと弛んだ頬を醜悪に歪めながら母親が嗤う。
パーマをかけた髪は手入れも怠りがちなのか色褪せて見える。櫛すら通していないのか随分と毛先も傷んでいるようだ。
何よりも胴回りが随分と丸くなった。若い頃は括れていた腰は見る影もない。
そのくせ、服だけは昔に着ていたブランド品のドレスを無理やりに着込んでいるものだから、余計に見るに堪えなかった。
――豚だな。
そう宗一郎は内心で断言した。
内面は昔からそうだったが、今や外面もそれに相応しくなりつつあるらしい。
(まずは第一歩。招き入れる)
彼女を居間に通す。椅子を勧める。
彼女が腰掛ける。椅子の座面が軋み音を立てる。
彼女の身体から放たれる不快な臭気が鼻につく。
香水と汗と脂の混合臭。かつて彼女が使っていた高級ブランドの香水とは到底思えないほど粗末で下品な芳香。
(次はどうするか)
宗一郎は努めて平静な表情を保ちながら思考を巡らせる。
まずは情報を引き出す必要がある。なぜ今になって現れたのか。目的は何なのか。
だが焦りは禁物だ。彼女のペースに乗せられてはならない。
あくまでこちらが主導権を握る。
「何か飲むかい? 朝食の前に紅茶でも淹れようか?」
敢えて親切ぶった態度で接する。油断させるためだ。
「ふん。まあいいわ。お茶ぐらい頂戴」
傲慢な口調で要求する。変わっていない。何一つ。
かつて彼女が高慢に振る舞っていた頃と変わらない態度。
(この女は、自分が被害者だとでも思っているのだろうか)
彼女の顔を観察しながら思う。
老いて醜くなった容貌。かつての美しさの面影は微塵もない。
その姿はまさに凋落そのものだった。かつての栄光は色褪せ、今やただの堕落した中年女に過ぎない。
それなのに本人はその自覚がない。むしろ過去の栄光に固執し続けているように見える。
(愚かだ)
俺は内心で嘲笑する。そして決意を新たにする。
この女には徹底的な復讐を遂げる必要がある。
そしてそれは今まさに始まったばかりなのだ。
「ちょっと待っていてくれ」
キッチンの方へ声をかける。
すぐに美和子が紅茶を運んできた。手際が良い。
わざわざ口に出して指示しなくとも心得ている。それが俺たちの今の関係だ。
「あら? 誰?」
とぼけた風には見えない。本当にわからないのか。つい先ほど玄関先で自分を出迎えた実の妹の顔ですら見忘れているのか。いや、あるいは、ここにいるはずがないと思い込んでいるのか。
ありうる話だ。当の自分たちが借金を押し付けて逃げたのだから。闇金に捕まって今頃は借金の返済のために体でも売らされているはずだと思い込んでいるのかもしれない。
「美和子叔母さんには、ここで俺の世話をしてもらっているんだ」
「お久しぶりです、姉さん」
美和子は、少なくとも表面上は平静を保って頭を下げた。伏せた顔に、果たしてどんな表情を浮かべているかまでは定かではないにしても。
「あら、美和子? なんでここにいるの? あんたはてっきり――」
そしてやはり、自分が妹に借金だけを残して逃げたことに対して何ら後ろめたさや申し訳なさは感じていない。
「叔母さんの旦那が自分の借金を返さずに蒸発してしまったそうでね。仕方なく俺が生活の面倒を見ているんだ」
「あら、そうだったの。良かったわねえ、美和子。宗一郎が優しい子に育ってくれていて。それもこれも、私のおかげよ。感謝しなさい」
何が自分のおかげなのか。そもそもの最初から育児放棄して、自分の息子をストレス発散の道具にして日常的に虐待して、挙句に施設に放り出して逃げたことが母親としての教育だとでも?
「――…ありがとうございます、姉さん」
そしてやはり、頭を下げたまま奇妙なほどに平坦な口調で美和子は答えた。そしてテーブルの上に茶器を置き、そしてまた頭を下げて台所へと戻っていく。
「でも、美和子がここにいるなら話は早いわね。宗一郎、私にもお金ちょうだい」
臆面もなく、何ら後ろめたさすらも感じていないように、至極当然の要求をしているとばかりに厚顔無恥な態度で宣ってのけた。
「へえ、幾らぐらい?」
「とりあえず手付に百万ね。来週にも百万」
理由など尋ねない。訊くだけ無駄だ。酒か、ギャンブルか、ブランド品の買い漁りか。何であろうと無意味で無価値な浪費には変わりない。
金額などどうでもいい。どうせあぶく銭だ。見せ金として札束だけちらつかせてやってぬか喜びさせてやっても構わない。
「そうなんだ。それはまあ構わないけど、今は手持ちがないんだ。ちょっと金を下ろしてくるから、少し待ってくれるかな」
「使えないわねえ。だったら倍額を寄越しなさい。先に二百万、明日に二百万よ」
そして、ついさっきは来週だったはずの要求が、いつの間にか明日までになっている。実に理不尽だ。だが、いかにもこのアバズレらしい。息を吸うように我が儘を通し、それが叶えられないのは全て他人が悪いということになっている。少なくとも、この女の中では。
「わかった。明日までだね。用意するよ。その間はどうする? どこかホテルにでも泊まる?」
「嫌よ。ここに泊まるわ」
なるほど、ホテルに泊まる金すら無い、と。本気で素寒貧らしい。なんともはや。いま着ている服や身に着けているアクセサリーでも叩き売れば多少の生活費にはなるだろうに。
「わかったよ。部屋を用意するから好きに使って。食事は――」
「ステーキよ! 血も滴るようなレアで! 当然、最高級黒和牛のヒレ肉を分厚く切ったのを出しなさい!!」
そこは豚肉じゃないのか。どうせなら豚カツとかを注文してくれれば、いっそ共食いだなと笑ってやれたものを。
唾を飛ばして要求するアバズレは、もしかしたら食費すら持ち合わせがないのかもしれない。
「ワインも付けようか?」
「いいわね! ボトルごと持ってきなさい! あとはシャンパンも! ドンペリのゴールドよ!!」
なるほど、この調子で好き勝手に飲み食いしてれば手持ちの金も瞬く間に消えてなくなるだろうし、何より腹も出るだろう。
「いいよ。愛する母親のためなら何でもするよ。それが息子の務めだからね」
「あら、わかってるじゃない。それでいいのよ」
満足そうに頷いてみせたアバズレは、しかしそれだけでは終わらなかった。
「これからも私に貢いで楽をさせなさいな。私の愛する息子なんだから、それぐらいは当然よね」
俺は静かに息を吐いて、吸った。今にも暴発しそうなほど荒れ狂っている内心を抑圧するのに、それは必要だった。
愛する息子。愛する息子か。このアバズレにとって、俺は愛する息子らしい。何とも素敵な冗談だ。最高に笑える。生まれてこの方、これほど笑える冗談は聞いたことが無かった。
こんなに面白くて楽しい冗談ならいくらでも聞かせて欲しいと請いたくなるほどに傑作だ。
「もちろんだよ、母さん。俺は母さんを愛しているからね」
―――その時が来るまではね。
俺は冷酷に笑った。母と名乗る存在の顔を見つめながら。