毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
【三ヶ月後】
「――……でね、そこで誠ちゃんは言ってくれたんです。『お前だけを愛し続けるって、誓う』って」
「あらあら、本当に愛されているのね、真由さんは」
「……おい、誠二。生きているか?」
「死ぬに決まってんだろ。そう思うなら少しは助けろよ。頼むから」
宗一郎の家で、誠二と真由の新婚夫婦が美和子の淹れたお茶を飲みながら寛いでいる。温泉街で何があったかを真由が美和子に話しているのだが、恥ずかしげもなく熱愛っぷりを暴露するせいで、当の誠二が羞恥で今にも死にそうになっているのはご愛敬か。
「ふむ。だったら俺の恥ずかしい話でも披露するか」
「え?」
「おい、なんだよそれ」
真由は惚気話を止めて宗一郎に目を向け、テーブルに突っ伏して頭を抱えていた誠二も顔を上げる。
宗一郎は悪戯っぽい笑みを浮かべながら足を組み直す。
「昔の話だ。まだ小さい頃、俺は叔母さんを『母さん』と呼んで甘えていたことがあった」
「……」
「ええっ!?」
「宗一郎が? 本当かよ?」
今度は逆に、美和子が僅かに頬を染める番だった。そんな美和子と宗一郎の顔を誠二と真由がかわるがわる見つめる。
「それって本当なんですか、美和子さん」
「……そ、そうね。本当に、小さい頃の話だけど」
「あの頃は、叔母さんは俺を『宗ちゃん』と呼んで可愛がってくれていてな。下手すると叔母さんもまだ10代だった頃の話だ。あの頃から今に至るまで、俺を『宗ちゃん』と呼ぶのは叔母さんだけだ。今となっては、他の誰にもそう呼んで欲しくないな」
「へぇ……」
美和子は必死に平静を装う。こんなところで、こんな形で意味深なことを言わないで欲しいと内心で焦りつつも、頬が緩むのを抑えられない。
自分だけ。『宗ちゃん』と呼んでいいのは、それを宗一郎に許されているのは自分だけ。それを公言してもらえたのが嬉しかった。
「おいおい。そんな話を俺達の前でしていいのかよ」
「別に。減るものでもない」
「そりゃそうだが。っていうか、それがお前の『恥ずかしい話』か?」
「まだ10代の叔母さんに『母さん』と呼んで甘えていた俺の過去が恥ずかしくないと言うつもりか?」
「当のお前が全然恥ずかしそうに見えねえんだが? せめてさっきの俺ぐらいに身悶えて見せろよ」
誠二が容赦なく突っ込んだ。真由はクスクスと嗤っている。
「そういえば、真由さん。大学を卒業した後の就職先とかは考えているの? この前、幾つか心当たりを探しているとは聞いたけど」
平然としている宗一郎とは逆に、先に羞恥に耐えられなくなった美和子が話題を変える。
「あ、はい。幾つか候補は見繕ってはいるんですけど……いっそ、誠ちゃんと同じ職場はどうかな、って思ってて」
「真由に何かあっても俺が一緒にいればフォローできるし、同じ職場の人も真由のことは知ってるから、その辺の都合というか融通も利かせてもらえるかもって思ってるんですよ」
真由の答えに、誠二も言い添えるように美和子に話す。
「介護業界は人手不足が深刻だって言いますし、色々と大変でしょうけど……」
「ふむ。なら俺もちょっと働いてみるか」
「は?」
「え?」
宗一郎が何気ない口調で言葉を挟んだ。美和子も、誠二も、真由も目を丸くする。
「おい、宗一郎。働くって、誰が?」
「俺がだ」
「えええ!? 宗一郎君、働く気があったの?」
何気に酷いことを言い放つ真由に宗一郎は小さく肩を竦めてみせる。
「たまたま宝籤に当たったからって、一生このまま働かずにいられるとは思っていないさ。金はいつか使い果たすものだし、むしろそれを前提にして今の内からちゃんと手に職をつけていた方がいいに決まっている」
「それはまあ、確かにそうだけど……」
大人しく引き下がった真由は茶器に口をつける。代わって誠二が口を開いた。
「どういう心境の変化だよ。今までずっと家に引き籠ってたお前が」
「詳しいことは言えないし、言うつもりもないが、ちょっとした出来事があって、俺も過去に一つケリをつけることができた」
淡々と告げる宗一郎。ケリをつけた出来事。それは、もちろん宗一郎の母親だった女の一件のことだ。今やその母親は既に『人間』ではなく『豚』と化して地下牢に繋がれ、一生そこから出ることもない。食事も排泄も全て管理され、もはや人間らしい思考能力を欠落させた『家畜』でしかない。
「過去の整理ができて気持ちに余裕ができたから、社会に出るための準備をしようと思えたというわけか?」
「まぁな」
「それで働こうと」
「そうだ」
「そうか……」
誠二は改めて宗一郎を眺める。いつもと同じ無表情だ。普段から感情をあまり表に出さないこの友人が今何を考えているのか、誠二には窺い知ることができない。
「それで、本気で俺のところに来るつもりなのか?」
「お前の目から見て、どうだ? 俺は通用すると思うか?」
五体満足で、二十歳の若い男。計算能力にも長けている。人を観察する目もある。事務職としてはもちろん、介護の現場でも通用することは間違いない。
「まあ、お前ならやる気さえあれば大丈夫だろ。真由と宗一郎の二人が入ってくれるんなら、すっげぇ楽になるのは確かだし」
「そうか。なら決まりだな」
こうして、宗一郎は新たに社会復帰への第一歩を踏み出すことになった。そんな宗一郎の横顔を、美和子は微笑ましげに見つめていた。その眼差しには隠し切れない愛情が溢れていた。
「頑張ってね、宗ちゃん」
「わぁ、美和子さんが言うとすっごく応援してるって感じがします。私も頑張りますから! 一緒に働けるのが楽しみです!」
「おう! これから一緒に頑張ろうぜ。俺もサポートするからよ!」
「ああ。よろしく頼む」
美和子、真由、誠二のそれぞれの声が宗一郎に向けられる。三人の励ましを受けて、宗一郎は薄く笑う。
「じゃあ早速明日から面接受けてくるか」
「おいおい、いきなりかよ」
宗一郎の即断即決に誠二は苦笑いを浮かべる。しかし彼はそういう奴だったと思い出したようだ。
こうして四人は穏やかな時間を過ごす。
ただ静かに流れる日常の一コマ。そこに亜紀の姿はない。かつて天野亜紀だった女の痕跡は消え去った。
もはや名前を呼ぶ者もいない。忘れ去られる運命だ。
しかしそれこそが天野亜紀という女の終焉だった。全ての希望を奪われ、尊厳を踏み躙られ、家畜以下の存在として最期を迎えること。それが彼女への天罰であり復讐だった。
皮肉にも宗一郎は今幸せだと言えるだろう。愛する者達と温かい日々を送っている。
たとえそれが歪んでいようとも。
たとえそれが常識外れであろうとも。
誰にも否定することはできない幸福がここにある。
だからこそ彼らは今日もまた前を向いて歩いて行くのだ。
この物語は終わりを迎えた。
だが彼らの人生は続いていく。
いつまでも果てしなく……