毒親に虐げられた青年は宝籤で大金を手に入れたので母親に復讐する話 作:葛轍偲刳
宗一郎は連れ帰った叔母を自宅に迎え入れると、真っ白なジグソーパズルが組み上がったままの机の前に座る。
美和子は無言で立ったまま見つめている。ペンを取り出した宗一郎が何を書き始めるのか、息を詰めて見守っていた。
『愛人契約書』
ピースごとの凹凸が文字の形を歪ませている。それでも意味は伝わった。
「これは叔母さんと俺の間だけの契約だ。世間に公表できるものでもないし、そんなことをする意味もない」
甥の声は淡々としていた。夫が自分にも内緒で闇金から借りていた、元本だけでも総計で数百万。膨れ上がった利息も込みなら億の単位に届くであろう借金の山をあっさりと肩代わりした、美和子の実姉である亜紀の子供。
まだ小さい頃、亜紀に心無い罵声を浴びせられ、まだ幼い子供にはあまりに酷な言葉で心を切り刻まれて泣いていたところを慰めてあげたことは、確かにあった。だけど、たったそれだけのことで、あの借金を全て肩代わりしてもらうだけのことを自分がしたとは思っていない。
「そうね。でも、そうする必要があるのね?」
「俺が叔母さんを契約で縛るという意味で、これ以上の関係はないから」
闇金は引き下がった。少なくとも、今回は。けれど、本当にこれで全てが解決したとは思えない。今は逃げている夫が、もし見つかれば? 逃亡している間に新しい借金を作っていないという保証はない。そこでまた、自分を勝手に連帯保証人にしているかもしれない。
そうなれば――また、同じことの繰り返し。
「愛人契約。つまり……宗一郎の女に、なれということ?」
「端的に言うとそうなるな」
「……でも私は、あなたの叔母なのよ? しかも既婚者。夫は――」
「失踪中。逃げ出したきり行方知れずだろ」
あっさりと言い放った甥に、美和子は言葉を飲み込む。宗一郎はジグソーパズルを睨みつけながら続けた。
「叔母さん。俺は叔母さんを助けたけど、慈善事業をするつもりはない」
「それはわかっているわ」
「だけど叔母さんが俺の契約条件を飲んでくれないと困る。もし叔母さんがこの家を出て行くとしてもだ。もう二度と俺の目の届かないところへ行ってしまったら……次にまた何か問題が起きても、俺には助けようがないんだ」
「それは……そうね」
美和子は溜息をついた。借金の問題は解決した。けれど夫の所在はわからないままだし、そもそも夫と籍を入れたまま離婚もしていない。そんな自分が甥と愛人契約を結ぶなんて――
「勿論、無理強いはしない。断ってくれてもいい」
「でもそうしたら?」
「その時はもう俺に関わらないでほしい」
宗一郎はペンを置き、顔を上げた。美和子の瞳をじっと見据えた。
「叔母さんは俺に感謝してくれている。でも、俺も叔母さんに感謝してる。昔、俺が母親に捨てられた時……あのクソみたいなアバズレに虐げられてた時。叔母さんだけが俺に優しくしてくれた。それがどれだけ救いになったか、叔母さんは知らないだろう」
美和子は胸が締め付けられる思いだった。亜紀は自分の姉だが、その本性を知ってからは嫌悪感しかなかった。それでも、あの時、幼い宗一郎の前では優しく振る舞うのがやっとだったのだ。
「叔母さん。叔母さんは夫を愛してるんだろ?」
「勿論よ」
「でもその夫が俺に莫大な借金を背負わせたんだぜ? 叔母さんは何も知らなかったけどさ。夫は叔母さんを騙してた。利用してた。それでもまだ愛せるのか?」
「それは……」
「叔母さんは愛人契約という形で俺と関係を持つことで償いになればと思っているだろうが……俺はそんなもの望まない」
宗一郎の目が細くなった。
「だけどこれだけは言っておく。もし叔母さんがこの愛人契約を受け入れるなら……俺は叔母さんを手放さない。どこにも逃がさない。叔母さんは俺の所有物になるんだ。それを理解してほしい」
愛人契約。その意味するところは美和子にもわかる。愛人である以上は、肉体関係を含めた契約であることは明らかだ。自分より14も年下の甥と肉体関係を持つ。倫理的にも社会的にも許されることではない。
「だけどそれって……私を飼うということよね?」
「ああ。飼う。叔母さんは俺のペットだ。でもただのペットじゃない。叔母さんは叔母さんとして尊重するし大切にする。ただ飼い主として命令することもあるだろうけどな」
美和子は愕然とした。所有物。ペット。飼い主。今までそれぞれの単語を耳にしたことはあっても、まさかソレらが他ならぬ自分を指し示す言葉になる時が来るとは。だが――その言葉に奇妙な安堵感を覚えた。
「それなら……いいわ」
「本当か?」
「ええ。あなたのお役に立てるなら」
「叔母さん」
「契約書にサインするわ。私は――あなたのものになるわ」
「……ありがとう」
宗一郎は再びジグソーパズルに視線を落とし、ペンで続きを書き始めた。
『第一条:本契約における乙(天野美和子)は甲(天野宗一郎)の愛人として甲の指示に従い』
美和子は静かに頷いた。これで良いのだと思った。少なくとも自分は借金地獄から解放された。そしてこれ以上、自分を置いて逃げた夫のせいで追われるようなこともなくなるだろう。
「でもね、宗一郎」
「ん?」
「もし……あなたが私に飽きたなら、その時は捨ててくれても……」
「捨てるもんか」
「でも――」
「捨てるわけないだろ。叔母さんは俺のものだ」
ジグソーパズルを横目に宗一郎は呟いた。『第二条:乙は甲から逃げ出そうとする行為を厳禁とする』と書きながら。
美和子は無言でペンを受け取った。愛人契約書には契約内容がびっしりと書き込まれていた。
『第三条:乙は甲の所有物である以上、自由意志での外出および他者との交流を禁止する』
美和子は震える手で署名欄に名前を記した。
『第四条:乙は甲の要求には全面的に従う義務がある』
こうして美和子は甥である宗一郎の所有物となった。愛人としての契約を結んだことで彼の所有物となった。宗一郎は叔母のサインを確認してから、そのジグソーパズルに火を点けた。
白いパズルが燃えていく。しかし、契約は成立した。契約は、間違いなく成立したのだ。