謝ったら何をしても許される世界で俺は 作:奥野細道
朝のラッシュアワーは地獄だ。
ぎゅうぎゅう詰めの車内で俺はスマホをいじることもできずただ吊革を握りしめている。目の前にはきっちりとしたスーツを着こなしたOLさん。長い髪をひとつに束ねていて清潔感がある。香水の匂いがふわりと鼻をかすめた。
別にどうこうなりたいわけじゃない。ただ満員電車という劣悪な環境下における一服の清涼剤。そんな存在だった。
ガタンゴトンと電車は一定のリズムを刻み続ける。次の駅まであと少し──そう思った矢先だった。
「きゃっ」
けたたましいブレーキ音と共に電車が大きく揺れた。俺の身体は慣性の法則に従って前のめりになる。掴んでいたはずの吊革が手からすっぽ抜けた。
──やばい
そう思った時にはもう遅い。俺の手は目の前のOLさんの胸に──それもがっつりと鷲掴みにするような形で触れてしまっていた。柔らかくてしかし確かな弾力のある感触が手のひらに伝わってくる。スーツの生地越しだというのにその存在感は圧倒的だった。
「っ……!」
OLさんは驚きと羞恥に顔を赤らめている。その瞳が鋭く俺を射抜いた。しまったこれは完全に痴漢だ。言い訳のしようもない。
「す、すみません! わざとじゃ……!」
慌てて手を離し俺は必死に頭を下げた。もうどうにでもなれ。駅員に突き出されたって文句は言えない。そんな覚悟を決めた俺にしかしOLさんは意外な言葉を口にした。
「……謝るならいいわよ」
「え?」
顔を上げると彼女はもう俺のことなど気にしていない様子でスマホに視線を落としていた。その横顔に先ほどまでの怒りや羞恥の色は微塵もない。
まるで何もなかったかのように。
駅につき、とドアが開く。OLさんはさっさと人混みの中へ消えていった。
残された俺は呆然とその場に立ち尽くす。
なんだ? 今の……。胸を揉まれたんだぞ。普通もっと怒るんじゃないか。なんなら警察沙汰になってもおかしくない。なのに「謝るならいい」? そんな一言で片付けてしまうものなのか。
──まあでも、わざとじゃないし。その辺が伝わったのかなぁ……
釈然としない気持ちを抱えながらも俺は大学へと向かった。
講義を終えて昼休み。学食は学生たちでごった返していた。
俺は今日のランチにカレーライスを選んだ。トレーに乗せて空いている席を探す。奥の方に一つだけ空席を見つけ俺はそそくさと歩き出した。その時だった。誰かの足に俺の足が引っかかってしまった。
「うわっ!?」
トレーが大きく傾きカレーライスが宙を舞う。そしてそれは無情にも前方から歩いてきていた女の子の服に見事な放物線を描いて降り注いだ。
「ちょっと!!!」
金髪にピアスのいかにもなギャル風の女の子が叫ぶ。彼女の着ている白いパーカーにはべったりと茶色いカレーが染みついていた。これはやばい。
さっきの痴漢騒動とはわけが違う。
「なにしてくれてんのよマジでありえない!」
女の子は凄い剣幕で俺を睨みつけてくる。周りの学生たちも何事かとこちらに注目していた。完全に公開処刑だ。
「ご、ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
俺はひたすら頭を下げた。土下座でもなんでもする。とにかくこの場を収めなければ。
「あの、弁償します! その……いくらくらい……」
財布を取り出しながらそう言いかけたところでギャル風の女の子の口から信じられない言葉が飛び出した。
「え? 謝ったんだったら別にいいよ。次はきをつけてね」
「へ?」
きょとんとする俺を尻目に彼女はカレーまみれのパーカーのままくるりと踵を返すと友人たちの元へ戻って行ってしまった。
「大丈夫?」「まあ謝ってたしよくない?」そんな会話が聞こえてくる。周囲の学生たちも興味を失ったように自分たちの食事や会話に戻っていく。
誰も気にしていない。服を汚された本人でさえも。
俺はただ一人その場で立ち尽くしていた。何かがおかしい。絶対に何かがおかしい。朝の電車の一件といい今の件といいまるで世界のルールが書き換わってしまったかのような違和感。でもその正体はわからない。考えても仕方ないか。俺はため息をつき新しいカレーライスを買い直すことにした。
◆
その日の夜。
課題を終わらせ適当にソシャゲのデイリーミッションをこなしシャワーを浴びる。そしてベッドに寝転がってスマホを手に取る。これが俺の毎日のルーティン。お待ちかねのオナニータイムだ。
まずは海外の無料動画サイトを漁る。俺の最近のお気に入りはMC2、いかにも作り物っぽい演技が逆に興奮する。適当な動画を見つけてまずは一発。賢者タイムもそこそこに俺は次なる獲物を探す。
次は二次元だ。無料の同人サイトを巡回する。ここでのマイブームは常識改変もの。
例えばある日突然レイプが合法になりました、とか。道端の女の子にアプリを見せると即オチします、とか。そういう無茶苦茶な設定で世界そのものが変質してしまう物語にどうしようもなく惹かれるのだ。現実ではありえないからこそいい。
いくつかお気に入りの作家の新作をチェックしさてどれで抜こうかと考えた、その時──ふと、ある考えが脳裏をよぎった。
もしかして。
今日のあの出来事。電車でのこと。学食でのこと。
あれって……。
俺は無意識のうちに“常識改変”された世界に迷い込んでしまったんじゃないか?
謝罪すればどんな罪も許される世界に。
そんな馬鹿な。ありえるはずがない。ただの偶然が重なっただけだ。
そう頭では否定しているのに胸の鼓動はどんどん速くなっていく。
もしそうだとしたら? もし本当にこの世界がそんな風に書き換わってしまったのだとしたら──?
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
§
まずは確認しなければいけない。
まあ常識改変世界なんてありえるわけないんだけど、まあでも、うん、ほら、万が一ってあるから。
問題はどうやって確認するかだ。もし違った場合でも「ごめん」の一言で済ませられるような事がいいが……。いや、どうなんだ、それだと確認できないんじゃないか?
ベッドの上でスマホを握りしめたまま、俺は天井をぼんやりと眺めていた。
思考がぐるぐると同じ場所を回り続ける。
もし、本当にこの世界が「謝罪すれば万事解決する世界」に変貌していたとしたら。
いや、考えるだけ無駄だ。確かめなければ意味がない。
だが、その検証方法が問題だった。
例えば誰かの肩にわざとぶつかって謝る。そんな程度では相手がただの温厚な人物だった場合と区別がつかない。それでは駄目だ。
検証である以上、それは限りなく「黒」に近い、明確な加害行為でなければならない。
そして、その行為が「すみません」の一言で本当に許されるのかどうか──それを見極める必要があるのだ。
──リスクが高すぎる
もし俺の勘違いだったら? ただ偶然、優しい人や面倒を嫌う人が続いただけだったら?
その場合、俺はただの犯罪者だ。社会的に終わる。
しかし、心のどこかで期待している自分もいた。
もし、本当にそうなら?
この退屈で、何者にもなれない俺が、この世界のルールを唯一知る存在になれるとしたら?
ごくり、と喉が鳴る。
一度芽生えた疑念と期待は、もう無視できないほどに膨れ上がっていた。
「……やるしか、ないか」
誰に言うでもなく呟き、俺はベッドから起き上がった。
まずは小手調べからだ。
§
翌日の大学は実験場と化した。
最初のターゲットは、購買でパンを選んでいる男子学生。
俺は彼の背後にそっと近づき、彼がまさに手に取ろうとした焼きそばパンを寸でのところで横からひょいと掠め取った。
「あっ」
男子学生が素っトン狂な声を上げる。俺は彼の方を振り向きはっきりと謝罪の言葉を口にした。
「すみません! どうしてもこれが食べたかったんです」
理不尽極まりない言い分。普通の人間なら「はあ?」と眉をひそめるだろう。しかし、彼の反応は違った。
「え……あ、そうなんすか。じゃあ、まあ、いいっすけど……」
──なんだその反応は
彼は一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに諦めたように別のパンを手に取り、レジへと向かっていく。
まるで、最初からそのパンなど存在しなかったかのように。
心臓がどくん、と大きく跳ねる。
いける。これはいけるかもしれない。
次の実験はもう少しだけハードルを上げることにした。
昼休みのざわついた中庭。ベンチで友人たちと談笑している女子学生のグループに、俺はさりげなく近づいていく。
そして、そのうちの一人がテーブルに置いていたスマートフォンの上へ、わざと持っていた缶コーヒーの中身を垂らした。
「え、ちょっ……!」
スマホの持ち主が、悲鳴に近い声を上げる。
周囲の視線が一斉に俺に突き刺さる。完璧なシチュエーションだ。
「ああ、すみません! 手が滑りました!」
俺はわざとらしく頭を下げた。
女子学生は濡れたスマホを慌ててハンカチで拭きながら──
「……まあ、謝ってくれたなら、いいけど。ちゃんと拭けば大丈夫そうだし」
友人たちも「まあまあ、謝ってくれたからいいじゃん」「大丈夫だって」と彼女をなだめている。
誰も俺を責めない。
ただ「謝罪した」という事実だけが、そこにあった。
──ああ、間違いない
これはもう偶然なんかじゃない。
世界がバグっちまった。
そ全身にぞわぞわと鳥肌が立つ。それは恐怖ではない。歓喜だ。
世界が俺に味方している。そんな万能感にも似た感覚が、身体の芯から湧き上がってきた。
もう、ためらう必要はない。
最後の確認と行こうじゃないか。
放課後、俺は大学から最寄り駅までの道をゆっくりと歩いていた。
気分は獲物を探す狩人だ。
そしてすぐに獲物は見つかった。
すらりとした脚に、上品なベージュのロングコート。風になびく艶やかな黒髪。
OLさんだろうか?
完璧に俺好みだ。彼女しかいない。
俺は歩く速度を上げ、彼女との距離を詰める。
そしてすれ違いざま──俺は、躊躇なく右手を伸ばした。
ぐに、という生々しい感触。
タイトスカートの上からでも分かる、柔かで豊かな膨らみ。
──うへ、桃尻ってこういうのを言うのか?
俺はその尻肉に指の付け根まで沈み込ませるように、力強く鷲掴みにした。
時が止まる。
彼女はゆっくりと、本当にゆっくりと、こちらを振り返った。
その目は、信じられないものを見るかのように大きく見開かれている。
驚愕、混乱、そして次の瞬間、その全てが燃えさかるような怒りへと変わった。
「きゃあああああああっ!!」
鼓膜を突き破るような絶叫。
道行く人々が一斉にこちらを振り返る。誰もが驚きと非難の目を俺に向けていた。
血の気がさっと引いていく。背中に冷たい汗が流れた。
もし違ったのなら、俺の人生はここで終わりだ。言い逃れのできない痴漢行為。逮捕、退学、社会的抹殺。最悪の未来が頭をよぎる。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
俺は震える唇を必死に動かし、この世界における最強の呪文を唱えた。
「す……すみません! 魔が差しました!」
もはや言い訳にすらなっていない、ただの自白。
しかしその言葉は──まるで魔法のように絶大な効果を発揮した。
あれほど燃え盛っていた彼女の瞳の炎が、すうっと消えていく。
凍り付いていた表情が、ふっと弛緩する。
周囲の野次馬たちも「なんだ、謝ってるじゃん」とでも言いたげな顔で、興味を失っていく。
彼女は、はあ、と一つため息をつくと、乱れたスカートを手で直しながら、信じられない言葉を口にした。
「……謝ってくれたんなら、もういいです」
「え……」
「それじゃあ失礼しますね」
そう言って、彼女は軽く会釈までして、何事もなかったかのように雑踏の中へと消えていった。
残されたのは、俺一人。
心臓が痛いほどに脈打っている。
──勝った
俺はこの世界のルールを完全に理解した。
§
翌日。
俺は大学には行かず、ターミナル駅の巨大な書店に来ていた。
別に本が読みたいわけじゃない。ここは絶好の狩場だ。通路が狭く、人と人がすれ違う機会が多い。そして本に集中している無防備な女がいくらでもいる。
──さて、どいつにするか
書棚の陰から獲物を物色する。気分はすっかりスナイパーだ。
俺の目に留まったのは、文芸書のコーナーで熱心に本を探している小柄な女の子。ボブカットがよく似合ういかにも文学少女といった風情。服装も白いブラウスにロングスカートと、実に清楚。
断然俺好みだ。
俺はゆっくりと彼女に近づき、背後から本のタイトルを覗き込むふりをした。
そして彼女が目当ての本を見つけ手を伸ばした、その瞬間。
俺は彼女の身体ごと本棚に押し付けるようにして、その背後から右手を伸ばす。
狙うはささやかな膨らみ。
むにゅ、という柔らかい感触が手のひらに伝わった。
「ひゃっ……!?」
彼女の肩が大きく跳ねる。小さな悲鳴が吐息と共に漏れた。
俺は構わず、その柔らかな感触を確かめるように指先で軽く揉みしだく。やっぱりブラ越しだとちょっとなあ。
「な、なな、なに……っ」
彼女は狼狽し、必死にこちらを振り返ろうともがく。その耳が真っ赤に染まっているのが見えた。
完璧なタイミングで俺は最強の呪文を唱える。
「すみません! 本を取ろうとしたら、手が滑ってしまって」
しらじらしいにも程がある言い訳。だが、効果は覿面だ。
俺の言葉が耳に届いた瞬間、彼女の身体からふっと力が抜けた。あれだけ強張っていた抵抗が、嘘のように霧散する。
「え……あ……そ、そう、なんですか……謝ってくれたから別に大丈夫です」
「ええ、本当にすみません」
俺は謝罪の言葉を口にしながら、なおもその胸の感触を味わい続けた。
ブラウスのボタンを外し、中に手を差し込んで。
ブラジャーの隙間に指を潜り込ませて、乳首に触れる。
抵抗は全くない。視線を泳がせ、浅い呼吸を繰り返すだけ。顔色は真っ赤だ。しかし叫びもしなければ振り払おうともしない。
ただ本を探し続けている。
まあ俺は本なんて探さないけどな。俺が探しているのは──
指先が硬く尖った感触に触れる。これだ。
俺の指はブラウスの薄い生地の下で、彼女の小さな突起を執拗に嬲り続けていた。
「んっ……ふ……ぅ……」
吐息と共に、か細い声が漏れる。
身体はびくん、びくんと小刻みに跳ね、そのたびに柔らかい胸が俺の指を押し返してくる。その感触がたまらない。
俺はさらに大胆になる。
右で柔らかい肉塊をこねくり回しながら、空いた左手を彼女の頬に当て──
「あっ!?」
ぐい、と力を込めて引くと、彼女の頭が俺の方へと向きを変える。
「すみません。ちょっと顔、見たくなっちゃって」
俺は笑いながらいって彼女の唇に自分のそれを重ね合わせる。
俺のファーストキスだ。こういう形で失う事になるとは思ってもみなかったぜ!
「んん……! んぅ……っ!」
小さく開かれた唇の隙間から、躊躇なく舌をねじ込む。
──うわ、柔らかい
熱く湿った感触が、脳髄を痺れさせる。そこからはもう霧中だった。歯列をなぞり、上顎をくすぐり、逃げ惑う小さな舌を捕らえて絡めとる。
その間にも右手は彼女の胸を揉みしだく。
彼女はただされるがままだった。涙をぽろぽろと零しながら、時折くぐもった喘ぎ声を漏らす。
どれくらいの時間そうしていただろうか。
通路の向こうから、別の客がこちらへ向かってくる気配がした。
まずいか? あの客には
近づいてきたのは中年男性だった。彼は俺たちのすぐ横を通り過ぎる際、一瞬だけこちらに視線を向けたが、特に気にする様子もなくすぐに目的の本を探しに行ってしまった。
なるほどな。
対象に謝っておけば他の人の目は気にしなくてもいいわけか。
誰も気にしない。誰も俺を咎めない。
確信を得た俺は──
「すみません、セックスさせてもらって良いですか?」
そう尋ねた。