謝ったら何をしても許される世界で俺は 作:奥野細道
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「歌わないなら私が代わりに歌っちゃうよー」
そういって寧がマイクを取る。俺が適当に選んだ曲は寧も知っているものだったみたいだ。
俺はそのあいだ、ソファの端っこで石化していた。
そして──。
「あー、楽しかった!」
精算を済ませて店を出ると、寧はぐーっと両手を上げて伸びをした。夕方になりかけの空はまだ充分に明るくて、ターミナル駅の方からは帰宅ラッシュ前のざわめきが聞こえてくる。
駅までの道を、俺たちは並んで歩いていった。
「それにしてもさ、まさか両想いだとは思わなかったなぁ」
「え?」
「良介ってば前から結構モテてたからさ、気が気じゃなかったんだよ?」
モテてた?
そんな馬鹿な事あるか。自慢じゃないが年齢=彼女いない歴だぞ。
いや、待てよ……。
「え、じゃあつまりあれか? 俺の事好きな子がいたってこと?」
「ん〜……なんでそんな事聞くの?」
「なんでって……気になるじゃん」
「だからなんで? 今更じゃない?」
何か変だな、と俺はいぶかしんだ。
俺の中にはボブという黒人男性がいる。このボブは引っかかりを覚えると訝しむのだ。何が変だ、とはっきり明言は出来ないのだが、ボブが訝しむ時はだいたい、何かがおかしい。ちなみにボブは身長百九十三センチで職業は元プロボクサー。設定が完全に決まっているわけだが、そんな事はこの際どうでもいい。
いや、まてよ。
今さっき寧は何て言った?
両想い、っていってなかったか?
「な、なあ──」
「なあに?」
「さっき両想いっていってたけど……どういう事?」
俺は別に寧を責めるとか詰めるとか、そういう意味で言ったわけじゃない。言葉の意味を正しく理解したかっただけだ。
だが、寧は──。
「は? どういう事ってなに? 私が聞きたいんだけど、どういう事ってどういう事なの? 良介は私が好きでわざわざカラオケの個室につれてきて、それで脚を触ってきたよね。私はそれを振りほどいたりはしなかったよ。だって私も良介が好きだから。でも順序ってあるよね。あるじゃん……あるだろ!? ねえ!」
鬼気という言葉がある。
辞書には『亡霊や妖怪が引き起こすような、ぞっとするほど気味が悪く恐ろしい雰囲気や気配のこと』とあるが、まさにそれだ。
今の寧からは鬼気を感じてしまう。
「う……あ……」
俺は完全にブルってしまって一歩後退った。
だがそれは悪手だった。
「もしかして──私をからかってたの?」
寧は俯き、震えている。
泣いているのだろうか。だがそれにしては、なんというかその、気配が凄惨というかなんというか。ただ泣かせてしまうだけじゃあ済まない気がする。根拠はないがそう思う。
──このまま放っておいたらヤバい気がする。
そう思った俺は──。
「ご、ごめん! 本当にごめん!」
もうルールとかそんな事を考えている余裕はなかった。
俺は誠心誠意、頭を下げた。
俺が勘違いさせたのが悪いんだ。それにしてもよくよく考えれば俺はかなりタチが悪いな……。セクハラして勘違いさせて、それで謝罪一つで済むわけがない。殴られたり、絶縁だったり、もしかしたら賠償金沙汰? とかになるかも……。
そう内心で戦々恐々としていると。
「それって私の勘違いだったってこと?」
「あ、ああ。そうだ」
「……だよね! 良介がそんな事するわけないもんね♡」
「え……? あ、ああ! うん、するわけないだろ、そんな事……」
これなんか変だな、いぶかしい。
いぶかしいぞ。
話が噛み合っているようでいて、噛み合っていない……そんな気がする。
「よかったぁ……もし、もし良介がそんな酷いやつだったら──」
「だったら……?」
俺はごくりと息をのんだ。
「──殺しちゃってたかも」
ガン開きってのはこういうのを言うんだろうな。
寧の両目が普段よりずっと大きく見える。
俺は──俺は何をやらかしたんだ……?
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「じゃ、また明日ねー」
駅の改札の前で、寧はさっきまでの一切を蒸発させたみたいな顔で手を振った。さっきの「殺しちゃってたかも」が幻だったんじゃないかと思うくらいいつもの寧だった。