クーラタルの六区で金物屋をやっていると、顔見知りは自然と増える。鍋や包丁を買いに来る者もいれば、鍬やシャベルを探しに来る者もいる。壊れた金具を持ち込んで亭主に直してもらう者もいるし、私は六区の世話役もしているから、店の品物とは何の関係もない話をしに来る者もいる。
どこの家の屋根が傷んだとか、共同作業には誰が出るとか、誰それの息子が探索者になったとか、どこそこの家の者がまた迷宮へ入り始めたとか。
長く住んでいれば、そんな話はいくらでも耳に入ってくる。そもそもクーラタルは迷宮の町だ。私も亭主も、三日と空けず迷宮へ入る。
私は金物屋で、亭主は鍛冶職人だ。迷宮で食べているわけではない。それでも入る。うちだけではない。店を持っている者も、職人も、ほかに本業のある者も、迷宮へ入る。深い階層へ行ける者ばかりではない。だから、この町では迷宮へ入るということが、特別な人だけの仕事にはならない。
その日も、いつもと変わらない昼だった。店の前を走ってくる足音がした。何事かと思って顔を上げると、冒険者ギルドの職員が店へ飛び込んできた。かなり急いできたらしく、息を切らしている。迷宮で何かあったのか。六区で魔物でも出たのか。世話役をしていると、こういうときには先にそちらを考える。けれど、職員が頼んできたのは、まるで違うことだった。
「すみません。少しの間、店の壁に壁掛けを掛けさせてもらえませんか」
壁掛け。それなら話は分かる。この店の壁には遮蔽セメントを使っている。だから、壁そのものにはフィールドウォークで来られない。わざわざ冒険者ギルドの職員が壁掛けを持ってきたのは、それを移動先に使うためなのだろう。誰なのかは分からないが、壁に穴を開けるわけでもない。私は好きなところに掛ければいいと言った。職員は礼を言い、持ってきた壁掛けを店の奥の壁に掛けた。それから、その前に立って詠唱を始める。ギルドの職員というだけではなく、冒険者でもあるらしい。壁掛けが黒くなった。職員はその中へ入っていく。誰を連れてくるのだろう。聞いておけばよかった。もっとも、聞いたところですぐ分かる。そう思って店の台へ戻ろうとしたとき、壁掛けがまた黒くなった。
本当にすぐだった。先ほどの職員が出てくる。続いて、男が一人。女が一人。最初に見えたのは、服だった。男の方は、一目で普通の客ではないと分かるほど立派な格好をしている。女の方も上等な服を着ていた。飾り立てた格好ではなく、身体は動かしやすそうだ。腰には、見栄えのする剣を佩いている。貴族と、その従者か。そう思った。冒険者ギルドがわざわざ人を走らせ、店の中に壁掛けまで用意して連れてくる相手だ。私は慌てて頭を下げた。
「お久しぶりです」
声を聞いて、少しおかしいと思った。聞いたことがある。顔を上げる。ミチオさんだった。隣にいるのはセリーさん。今度は別の意味で驚いた。もちろん、ミチオさんが貴族になったことは知っている。迷宮を討伐して領主になり、男爵様になった。少し前まで六区に住んでいた若い探索者が、そこまで出世したのだから、近所でもずいぶん話題になった。
考えてみれば、最初に会ったころから変わった人ではあった。最初にミチオさんが連れていた奴隷は、狼人族のロクサーヌさん一人だった。それから一人、また一人と増えていった。ドワーフのセリーさん。猫人族のミリアさん。竜人族のベスタさん。最後にはエルフのルティナさんまで加わった。それも、女の私でもうらやましくなるような美人ぞろいだった。奴隷が増えていく探索者なら、別に珍しくはない。逆に、減っていくこともある。無理な階層へ進み、奴隷を死なせてしまう者もいるからだ。ミチオさんのところも、一人、また一人と増えていった。ただ、減ったところは一度も見たことがなかった。冒険者になるような人は稼ぎも違うと聞く。あれだけの人数を抱えながら誰も欠けないのだから、ずいぶん稼いで、慎重にやっているのだろうとは思っていた。まさか本当に迷宮を討伐して、領主になるとは思わなかった。しばらくして六区の家も引き払い、姿を見なくなった。ずいぶん遠くへ行ったものだと思っていた。そのミチオさんが、今、うちの店の壁から出てきた。
「これは、男爵様。その、お久しぶりでございます」
口に出してから、自分でもおかしな言葉だと思った。昔なら、ミチオさん、久しぶりだねえ、で済んだ相手だ。
「そんなにかしこまらなくていいですよ。以前お世話になったミチオ・カガです」
「そう言われましてもねえ。今は男爵様、ですよね?」
「今までと同じでいいですよ」
そう言われると、少し気が楽になった。服はずいぶん立派になった。でも、話し方は昔と変わらない。
「じゃあ、ミチオさんでいいのかい」
「はい。その方が助かります」
それなら話しやすい。
「みんなも元気なのかい?」
「はい。ロクサーヌたちも元気です。今日は所用があって、セリーだけ連れてきました」
そうか。あの頃の顔ぶれは、今も変わっていないらしい。セリーさんにも目を向ける。こちらもずいぶん立派になった。上等な服に、立派な剣。昔、この辺をロクサーヌさんたちと歩いていたころとは、身なりだけ見れば別人のようだ。それでも、こちらへきちんと頭を下げるところは変わらない。
「セリーさんも、立派になったねえ」
「ありがとうございます」
真面目な顔で答える。そこは昔のままだった。
冒険者ギルドの職員は、二人を連れてくると店の隅へ下がった。帰りも案内するのだろう。さて。そのミチオさんと、すっかり立派になったセリーさんが、わざわざ私のところへ何をしに来たのか。何か買ってくれるならありがたい。お貴族様になったのだから、前より少しくらい高いものを勧めてもいい。そう思ったが、買い物ではなかった。セリーさんが抱えていたものを、店の台へ置いた。紙の束だった。かなりある。一部を渡された。開いてみる。最初に目に入ったのは文字ではなく、絵だった。人が魔物と向かい合っている。剣を持った人。槍を持った人。何人かで戦う絵では、違う武器を持った者同士が並び、それぞれの間合いを使って魔物を相手にしている。別の絵では、一人だけ前へ出すぎている。囲まれている。危ない動きには、それと分かる印までついている。文字もある。でも、文字を読まなくても、何を伝えたいのかはだいたい分かった。
むしろ、絵だけを順番に見た方が早いところまである。これなら文字の読めない人でも使える。そのまま何枚かめくる。今度は、見慣れた魔物が描かれていた。ニードルウッド。グリーンキャタピラー。コボルト。ミノ。どれも、クーラタルの浅い階層で見かける魔物だ。魔物の横には、人の立つ場所を簡単に示した絵がある。同じ並び方ではなかった。ニードルウッドは、枝を振り回す。前からでも後ろからでも枝は飛んでくる。後ろへ回れば安全になる相手ではない。それでも、一人だけで相手をするより、別の方向にも人がいれば、一人にばかり攻撃が集まることは減る。囲むというのは、ただ後ろから殴るためではないらしい。
次はグリーンキャタピラー。口から吐く糸が大きく広がって、手足に絡む。動きにくくなったところへ体当たりを受ける。一匹なら何とかなることでも、何匹もいるところで四方から糸を吐かれれば厄介だ。絵では、人が一か所へ固まりすぎないように描かれている。動ける場所を残す。糸を吐く相手を放っておくのか、それとも先に相手をするのかを考える。
コボルトのところは短い。遅い。弱い。だから、先に倒して数を減らしやすい。けれど、グリーンキャタピラーのような面倒な相手と一緒に出たなら、いつでもコボルトから倒せばいいとは書いていない。先に数を減らすのか。先に厄介な攻撃をする方を押さえるのか。その場で決める。
ミノは角だ。正面で相手をする者がいるなら、ほかの者まで同じ正面に並ぶ必要はない。横へ回れるなら、横へ回る。ただし、正面にいる者が相手を引き受けられないのに、形だけ真似してはいけない。そんな注意もついている。
どの頁にも、これが絶対に正しいとは書かれていなかった。同じ魔物でも、こちらの人数が違えば立つ場所は変わる。相手が一匹なのか、何匹もいるのかでも変わる。武器が違えば間合いも違う。出てきた魔物の組み合わせが違えば、先に相手をする魔物も変わる。決まった並び方を覚えるためのものではない。相手を見て、並び方を変えるためのものらしい。
知っていることも多い。長く迷宮へ入っていれば、自然にやっていることもある。でも、こうして魔物の名前と絵を並べて見せられると、何となくやっていたことの理由が少し分かる。同じように横や後ろへ回るのでも、ニードルウッドを囲むのと、ミノの側面へ回るのとでは意味が違う。グリーンキャタピラーが混じれば、立つ場所を考える理由が一つ増える。なるほどねえ。
「これは?」
尋ねると、元になったのはセリーさんの書いた『対魔物近接戦闘理論』というものだという。名前からして難しい。私がそう思ったのが顔に出たのか、ミチオさんが少し笑った。その理論書を読んで、ミチオさんはずいぶん高く評価したらしい。でも、せっかく役に立つことが書いてあるのに、難しい本のままでは使える人が限られる。そこで、もっと簡単にしたものを作らせた。長い説明は減らす。絵を増やす。文字が読めなくても分かるようにする。深い階層を進む探索者だけではなく、仕事の合間に迷宮へ入る者や、村で魔物と戦うことのある者にも使ってもらいたい。
今、私が手にしているのは、そのための簡易版らしい。ただし、まだこれでいいのか分からない。実際に、そういう難しい本を読むわけではない人へ渡して、本当に分かるのか。役に立つのか。分かりにくいところはないのか。それを見たいのだという。
「それで、オネスタさんにお願いできないかと思いまして」
なるほどねえ。それで私か。私は六区の世話役をしている。自分でも迷宮へ入る。亭主も入る。知り合いにも、探索者ではないけれど迷宮へ入る人はいくらでもいる。本業の合間に、ときどき入る者。店を閉めた日にだけ入る者。最近、家の者が迷宮へ入り始めたところ。昔から浅い階層までしか入らない者。そういう人なら、いくらでも思いつく。ミチオさんが昔住んでいたこの辺なら、ミチオさん自身を知っている者も多い。ミチオさんから頼まれた紙だからといって、気を遣って何でも褒めるような相手ばかりでもない。試してみるには、確かに悪くない。迷宮は、誰も入らなくなれば活性化する。クーラタルに住んでいれば、それくらいは誰でも知っている。深いところへ行ける強い人ばかりが必要なわけではない。浅いところまでしか行けなくても、入らないよりはいい。もちろん、そこで死んでしまっては何にもならない。戻ってきた人は、また入れる。続けていれば、少しずつ慣れてもいく。ミチオさんが、そこまで考えてこの紙を作らせたのかは知らない。ただ、昔から人を使いつぶすような人ではなかった。死ぬ者が少ない方がいいと考えていても、不思議ではない。本人に聞いたわけではないけれど。
私は紙束を預かることにした。紙そのものは無料で配っていいという。足りなくなれば、また用意するとも言われた。それで話は終わりかと思ったら、ミチオさんが銀貨を何枚か取り出した。
「これは、お願いする分です」
「何の?」
「配ってもらう手間と、使った人から話を聞いてもらう手間です」
「そんなものまでいいよ」
近所へ紙を配るくらいなら、世話役のついででもできる。けれど、ミチオさんは銀貨を引っ込めなかった。
「こちらからお願いすることですから」
隣のセリーさんも頷く。
「お願いいたします」
二人にそう言われては、断る方がおかしい気がしてきた。私は銀貨を受け取った。金まで受け取ったのなら、紙を配って終わりというわけにはいかない。使った人を見かけたら、どうだったかくらいはちゃんと聞いておこう。話が終わると、店の隅で待っていた冒険者ギルドの職員が前へ出た。壁掛けの前に立つ。詠唱する。壁掛けが黒くなった。職員が先に入った。ミチオさんが続く。セリーさんも、こちらへ一度頭を下げてから入っていった。三人とも消えた。急に店の中が静かになった。壁には、さっき掛けた壁掛けだけが残っている。そう思っているうちに、壁掛けがまた黒くなった。さっきのギルド職員だけが出てくる。壁掛けを外し、手早く畳む。
「ありがとうございました」
「ご苦労さん」
職員は壁掛けを抱えると、今度は普通に店の戸口から出ていった。帰りは歩くらしい。店には、紙束だけが残った。
◇
亭主が鍛冶小屋から戻ってきたのは、それから少ししてからだった。店の台に置かれた紙束を見て、何だこれはという顔をする。ミチオさんが、セリーさんと一緒に来た。そう話すと、さすがに少し驚いた。けれど、紙を一部渡すと、そちらを読む方に気が向いたらしい。亭主は口数の多い人ではない。黙って絵を見る。文字も読む。知っているところでは、そのまま次へ進む。知らないところに来ると、少し手が止まる。何も言わなくても、だいたい分かる。私も横から一緒に見た。長く迷宮へ入っていれば、自然にやっていることもある。わざわざ書かれなくても知っていることもある。逆に、言われてみればその方がいいと思うこともある。何となくやっていたことを、絵で見せられて初めて気づくこともある。翌日、いつものように迷宮へ入った。紙をもらったから行ったわけではない。三日と空けずに入っているのだから、いつものことだ。いつもの階層。見慣れた魔物。ただ、前の日に見た絵が頭に残っている。グリーンキャタピラーが混じったところで、いつもより少し立つ位置をずらしてみた。糸を吐かれても、動ける場所が残った。なるほど、悪くない。別のところでは、冊子を意識するより、今までのやり方の方が楽だった。それでいいのだろう。書いてあることを全部そのままやる必要はない。使えるものを使えばいい。その日の晩、亭主が珍しくセリーさんのことを口にした。
「あのドワーフの娘は、よく見てるな」
「セリーさんだよ」
「ああ」
それだけだった。でも、亭主がそう言うなら大したものだ。昔、ミチオさんの奴隷の一人としてこの辺を歩いていた娘が、今ではこういうものを書く。人は分からないものだ。
◇
次の日から、紙を配り始めた。最初に渡したのは、近くで店をやっている男だった。探索者ではない。でも、ときどき迷宮へ入っている。
「これ、持っていきな」
紙を渡すと、何だこれはという顔をされた。魔物と戦うときの話だと教える。自分は探索者じゃないと言われた。そんなことは知っている。探索者じゃなくても迷宮には入る。だから渡している。そんな話をして持たせた。次は、息子が最近迷宮へ入り始めた家。その次は、家の者がときどき潜っている店。店へ買い物に来た若い探索者にも渡した。字が苦手だからいらないという人もいた。そういう人には、その場で開いて見せた。
「読まなくてもいいよ。絵を見てみな」
しばらく眺めたあと、それなら分かると言って持って帰った。やはり、この絵の多さは大事らしい。長く迷宮へ入っている人には、こんなことは知っていると言われた。そういう反応もある。知っているなら、それでいい。それでも、その人は結局一部持って帰った。自分にはいらないが、最近迷宮へ入り始めた若い者に見せるという。そのうち、こちらから渡さなくても紙を取りに来る人が出てきた。六区の金物屋で、魔物との戦い方を絵で説明した紙を配っている。誰かがそう話したらしい。弟の分。亭主の分。一緒に迷宮へ入る仲間の分。欲しいと言われれば渡した。最初に紙束を見たときには、ずいぶん多いと思った。それが少しずつ低くなっていく。世話役をやっていると、いろいろなものを配る。共同作業の知らせ。工事の話。井戸や道のこと。たいていは、こちらから持っていくものだ。この紙は少し違った。最初はこちらから渡した。そのうち、欲しい人が取りに来るようになった。持って帰った人が、別の人にも話したらしい。
そして、頼まれていた通り、感想も少しずつ戻ってきた。絵が分かりやすい。ここの絵は何をしているのか分かりにくい。これは自分もやっている。これは知らなかった。この説明はなくても絵だけで分かる。逆に、ここは絵だけでは分からない。若い者にはいい。長く迷宮へ入っている者には知っていることが多い。同じ紙を見ても、言うことは人によって違った。私はそれを聞いた。覚えておく。それだけだ。誰も難しいことは言わない。私だって難しいことは分からない。でも、ミチオさんたちが聞きたかったのは、きっとこういう話なのだろう。私も使ってみた。近所の人にも渡した。字の読めない人にも見てもらった。長く迷宮へ入っている人にも、入り始めたばかりの人にも渡した。やっているうちに、最初はただの紙束だったものが、だんだん六区の中へ散っていった。
◇
しばらくして、またセリーさんが店へ来た。今度はミチオさんはいない。前に来たときと同じように上等な服を着て、腰には立派な剣を佩いている。でも、今日いちばん目についたのは、手に持った小さな帳面だった。何をしに来たのかは、すぐに分かった。紙を配ってみて、どうだったか。それを聞きに来たのだ。私は覚えていることを話した。絵が多いので、字の読めない人にも渡せた。ここは分かりやすいと言われた。こっちは分かりにくいと言われた。若い人には知らないこともあった。長く迷宮へ入っている人には、当たり前だと言われることもあった。それでも、その人が若い者のために持って帰ったこと。自分でも迷宮で試したこと。使いやすかったもの。今までのやり方の方がよかったもの。
セリーさんは、ずっと帳面に書いていた。私が話す。書く。次を話す。また書く。分かりやすかったと言えば、それも書く。分かりにくかったと言うと、どこが分かりにくかったのかを聞かれた。使いにくかったと言うと、どう使いにくかったのかを聞かれた。褒めた話より、うまくいかなかった話の方を長く聞いているようにも見える。
変わった娘だねえ。普通なら、自分の書いたものを褒められた方がうれしいものじゃないかと思う。セリーさんは違うらしい。分からないと言われたところを知りたい。使いにくいと言われた理由を知りたい。それが分かれば、直せると思っているのだろう。そういう人だから、あの難しそうなものを書いたのかもしれない。
私が一通り話し終えると、セリーさんは帳面を閉じた。
「ありがとうございました」
「こんなものでよかったのかい」
「はい。とても参考になりました」
そう言って、セリーさんが銀貨を何枚か取り出した。
「なんだい。またかい」
「皆さんのお話を聞いておいていただいた分です」
「それは前にミチオさんからもらってるよ」
「それとは別です。今日は私が教えていただきましたので」
真面目な顔で言う。冗談ではないらしい。私がしたのは、近所の人へ紙を渡し、聞いた話を覚えていて、それをセリーさんへ返しただけだ。でも、セリーさんにとっては、それにも値打ちがあるということなのだろう。そこまで言うなら、断る理由もない。私は銀貨を受け取った。最初にミチオさんから受け取ったときは、仕事を頼まれたような気がした。今度は、私の知っていることを買ってもらったような気がした。少し妙な感じだった。セリーさんはもう一度頭を下げ、帳面をしまって帰っていった。
◇
それから何日かした。今度は若者が一人、普通に店の戸口から入ってきた。冒険者ギルドからの依頼で来たという。抱えていたのは、また紙の束だった。前のものを直した新しいものらしい。若者は紙束を店の台へ置くと、受け取りの紙を差し出した。言われたところに名前を書く。若者は署名を確かめ、一礼すると、そのまま帰っていった。
私は新しい紙束から一部取った。前のものも一部残してある。二つを並べて開いてみる。違いはすぐに分かった。絵が変わっている。増えているところもある。文字は前より少なくなっているところがあった。逆に、短い説明が足されたところもある。前に、何をしているのか分かりにくいと言われた絵を探す。変わっていた。これなら分かる。別のところも見てみる。私が話したことだけではない。きっと、ほかでもいろいろ聞いたのだろう。セリーさんは、あの帳面を持って、ほかでも同じようなことをしているのかもしれない。
なるほどねえ。こうやって直していくのか。私は新しい紙束を、店先のいつもの場所へ置く。その日のうちに、一部なくなった。次の日にも一部なくなった。その次の日にも。最初にミチオさんとセリーさんが持ってきたときには、ずいぶんたくさんあると思ったものだった。今では、減っていく方が普通になっている。
迷宮には今日も人が入る。うちの亭主も入る。私も入る。近所の店の者も入る。誰かの息子も入る。みんなが強いわけではない。深いところまで行けるわけでもない。それでも入る。そして、できるなら帰ってくる方がいい。それくらいは、難しい本を読まなくても分かる。店先を見る。紙の束はかなり減っていた。私は残ったそれを、皆が取りやすいように少し前へ出した。