騎士団の仕事を終え、いつものように冒険者の団員に依頼して、フィールドウォークを使って伯爵邸へ戻る。従卒に装備一式を預け、井戸端で軽く汗を拭ってから、伯爵様の執務室へ向かった。静かにドアをノックし名乗ると、「どうぞ」と聞き慣れた柔らかい声。ロクサーヌさんだ。彼女と出会って、もう三十年になるというのに、変わらぬ若々しい美しさ。
たくさんの書類が山積みされた机の向こうには、この地の領主であり伯爵でもある、私のご主人様が厳しくも優しく座っている。「本日の業務も無事終わりました。ハームラの迷宮は三十階層、ターカオは四十六階層に到達です。領内の治安も問題なく、特段ここで報告すべき事はありません。オークターマの山林地区では最近魔物の目撃が相次ぎ、迷宮が新たに現れた可能性も。隣接するコーシー公爵領との兼ね合いもあり、伯爵領騎士団は直接動けない状況です。現状は探索者ギルドと冒険者ギルドへ迷宮捜索依頼を出す準備をしています」
「うん、分かった。ベスタ団長、お疲れ様。今日もありがとう」優しい言葉と手招きに、私は近寄る。ご主人様は「ベスタ、おいで」と手を取り引き寄せて下さり、自然といつものように唇が重なった。
迷宮を討伐し叙爵され男爵に、その後も数々の迷宮を討伐。皇帝パーティーのクーラタル迷宮御親征で、私たちは露払いとして随行。現皇帝は初代皇帝を上回る108階層に到達し、この御親征での功績としてご主人様は伯爵位と旧セルマー伯領を賜った。今はカガ伯爵領と旧セルマー伯領二つの地の領主として多忙な毎日を送られている。そしてロクサーヌさんは、昔と変わらずご主人様のお側で、ご主人様のお仕事を手伝っている。頭が下がる思いだ。私も椅子に座り、三人で今日の出来事や町の話をしながら――平和なひととき。
ノックの音、「ミリアです」と澄んだ声。笑顔で部屋に入ってくるミリアお姉ちゃんも昔と変わらぬ若々しい姿。(獣人は羨ましい) ご主人様に暗殺者から冒険者へジョブを変更して頂いたあの日から、ミリアお姉ちゃんは元気いっぱいに領内外の漁村を跳び回っている。ご主人様の出資で創設した水産商の商館主として、引退した冒険者を多く雇い、帝国中に巨大な水産物流通網を築いた功績は計り知れない。僻地の漁村振興にも貢献して何人もの貴族から感謝され、ご主人様が属する派閥の長であるハルツ公もご満悦だ。(でも、ハルツ公が力をつけ過ぎたせいで帝室とエルフ一族の間で一悶着あったらしい。ルティナが上手くまとめてくれたらしいけど。私ベスタには政治がわからぬ)
「ご主人様、今日は珍しい高級魚が手に入りました。漁師さんに聞いたら塩で煮付けるのが美味しいって。厨房にそう伝えて預けてきました。是非、夕食を楽しみにしていて下さいね」私たちも思わず笑顔になる。
しばらく四人で明るく談笑していると、伯爵邸侍女が夕食の準備が出来たと伝えに来る。食堂へ移動すると、すでにセリーさんが席についていて、何やらブツブツ独り言。「セリー、どうした? 仕事に煮詰まってる?」ご主人様が尋ねると、ハッとした表情で「申し訳ございません、領内の治水案件や耕作地の拡大事業、それに伴う探索者ギルドでの講習のことで、頭が混乱していました」と。内政担当副領主格としてご主人様の手足となり、日々領内統治に尽力するセリーさん。研究者としても有能で、「対魔物近接戦闘理論」という難しい論文を執筆し、帝国解放会の資料室に収めたこともある。ご主人様はセリーさんの研究を高く評価し、迷宮探索や農民の助けになるよう簡易なパンフレット版を作成して無料で配布。各ギルドで講習会も開き、おかげで魔物による犠牲者は激減したそうだ。もちろん我が騎士団でもこの理論書を活用している。
そこへ勢いよく食堂の扉が開く。「遅れてすみません! 10日後の諸侯会議の根回しに動いてましたわ!」と賑やかに入室するルティナ。彼女は旧セルマー伯領の代官と、渉外担当副領主格を任されている。ルティナはそのまま着席して「ご主人様、カシア姉様のお孫様を養子に頂く件、順調に進んでいますわ。だから早くロクサーヌ姉様を奴隷から解放して婚姻なさるべきです。お姉様も覚悟を決めて! 私達みたいに奴隷から解放されても、ご主人様との関係に何も変わりはありませんわ」とまくしたてる。やれやれと思いながらも、この温もりと安らぎが、未来にも変わらず私たちの暮らしにそっと寄り添い続けますよう、心から願うのだった。