午前10時。ボクと麗さんは身支度を整えて、ラボホテルから出る。
部屋の使用料を入り口にある清算機に吸い込ませ、周りを警戒しながら出入り口へ。
出入り口から頭だけ出して、表の通りを覗き、知り合いがいないか確認する。
「大丈夫みたいだね」
「ええ」
ボクと麗さんはそそくさと繁華街を抜けて、住宅地のほうへ向う。
住宅地へ戻れても、今日は平日だ。学生は学校へ行く日である。
このまま制服姿で住宅地をうろうろするのはマズい。警官にでも見つかったら、補導されるかもしれない。
周囲に目を配りながら声をかける。
「麗さん」
「何?」
「麗さんの家はここから遠い?」
「ええ、10分ぐらいは歩かないといけないわ」
「10分……。それなら、一旦ボクの家に行かない?」
「カズの家?」
「うん。ここから5分もかからないよ。親もいないし、学校が終わる時間までボクの家に……」
麗さんがジト目で見る。怪しむように見つめて、
「変なこと、しないでしょうね?」
「へっ、変なこと!? そんなことしないよ!」
じーっとボクの目を見る麗さん。
「ほ、本当にしないから。ただ、補導されたりしないためだから」
「…………」
「ほ、本当だよ……?」
「……わかったわ」
麗さんはボクから視線を外す。ふぅ……。
「じゃあ、こっちだから」
麗さんを先導して、ボクは自宅へと向った。
◆
住宅地の真ん中にある、四方を塀で囲まれた2階建ての一軒屋。
表札には石井の文字。
ボクの自宅だ。
ドアのカギを開けて、まずは麗さんをなかへ入れる。
「おじゃまします。――へえ、結構広いのね」
麗さんに続いて、ボクも家のなかへ。玄関のカギを閉めて、訊ねる。
「とりあえず制服でも洗濯する? ホテルの臭いがついちゃってるし」
「そうねえ……」
麗さんは腕を鼻に近づけて制服の匂いを嗅ぐ。
「確かに臭うわね……。うーん……」
悩むように唸りながら、ボクを見る。
「どうかした?」
「…………」
数秒無言で見つめられて、気づく。
「あっ、着替えなら――下着は、ないけど……。まだ着てないパーカーとズボンがあるよ」
「…………」
「男物は嫌、かな……?」
恐る恐る訊ねたボクに、麗さんはなぜか小さく息を吐いた。
「男物でもいいわ」
「じゃあ、着替えついでにシャワーも浴びてきたらどうかな? その間に洗濯すればいいし」
「それもそうね。そうさせてもらうわ」
「お風呂場は右側のドアだから。その反対側がトイレだよ」
「右がお風呂場ね。あと、洗濯は自分でするから触らないでよ?」
「うん。洗剤も好きに使っていいよ。着替えはカゴに用意して入り口の側に置いておくから」
「わかったわ。――ありがとう、カズ」
「うん。じゃあ、ボクは着替え用意しに行くから」
そう言って自分の部屋がある2階へと向った。
◆
麗さんの着替えを用意して、ボクも制服から私服に着替える。
そして、昨日から何も食べていないことを思い出す。
「麗さんもラーメンでいいかな?」
一応、冷蔵庫に食材はあるのだけど、調理はあまり得意じゃない。ボクが一生懸命調理したとしても、おそらく不味いものが出来上がるだろう。
麗さんに不味い料理を食べさせるぐらいなら、大量に買い込んでいるノンカップ麺を作ったほうがいいと思う。
「まっ、先にサラダでも作っておくか」
ラーメンはすぐ出来るんだし。
ボクは食器棚からガラスの皿を2枚取り出し、冷蔵庫へ。
冷蔵庫から最初からカットされた野菜を取り出し、皿へ乗せる。
トマトとハムを切って野菜の上へ乗せて、ドレッシングを数種類テーブルに用意。
調理時間2分もかからず完成。
「…………」
あまりに早すぎたな……。
サラダを作り終え、テーブルに座って待っていると、お風呂場のドアが開く音が。
「カズー?」
「こっちだよ、麗さん」
席を立って廊下へ顔を出し、麗さんをリビングに呼ぶ。
「着替えはそれでよかった?」
「ええ、充分よ。ありがとう」
笑顔でお礼を言う麗さん。
灰色のパーカーにジーパンという普通の格好だったが、ドキドキした。
「よ、よかった。じゃあご飯でも食べようか? お腹、空いてるよね?」
ボクは麗さんに悟られないように、顔を背ける。うるさい心臓を無視して、麗さんに訊ねた。
「うん……。そういえば、昨日から何も食べてなかったわ」
「一応、ラーメンでも作ろうと思ってるよ」
「ラーメン?」
小さく首を傾げた麗さん。やっぱり女の子にラーメンはダメだったかな? カロリーとか高いし。
「嫌だったら、他のを作るけど……」
「食材はあるの?」
「冷蔵庫のなかに、あるにはあるけど、料理は苦手で……」
「それなら――私が作ってあげようか?」
「えっ!? 作ってくれるの?」
「シャワーとか洗濯機まで貸してもらってるんだから、それぐらいするわよ。それに、こう見えても私、料理は得意なのよ」
麗さんはそう言ってニッコリ微笑んだ。
「じゃ、じゃあ、よろしくお願いします、麗さん」
「ふふっ、任せなさい」
麗さんは振り返って、冷蔵庫のほうへ向う。
麗さんの手料理……ッ!
◆
「はぁ……食べた食べた」
「ふふ、美味しかったでしょ?」
「うん。本当に美味しかったよ。こんなにたくさん食べたの、久しぶりだ」
「そう言ってもらえると、私もうれしいわ」
ご機嫌そうに、鼻歌混じりに食器を洗う麗さん。
「…………」
ボクは机に頬杖をついて、ボーッと後ろから麗さんを見つめる。
背中越しに時々覗ける陽だまりのように輝く笑顔。
そんな笑顔を見つめながら、改めて思う。
この人が好きなんだ、と。
…………。
――っ。何恥ずかしいことを考えてるんだ、ボクは!?
うう……顔から火が出そうだ……。熱い……。
コップに入れたお茶を飲んで、何とか心を落ち着かせる。
「じゃあ、そろそろ洗濯が終わる頃だと思うから」
「う、うん。乾燥機もあるけど、使う?」
「うーん……乾燥機はすぐ乾くけど、シワが出来ちゃうのよねえ」
「なら、外――はマズいから。部屋のなかに干そうか? 2階に空き部屋があるし」
「ありがと、助かるわ」
「うん。空き部屋でよく洗濯物干してるから、道具もそろってるよ」
「じゃあ、取ってくるわね」
そう言って、麗さんがお風呂場へと洗物を取りに向う。
◆
洗濯物を両手に抱えた麗さんを連れて階段を昇る。
階段を昇りながら麗さんがつぶやく。
「そういえば、カズの家って少し変わってるわね。壁とか音楽室みたいだし」
「あははは、音楽室か」
確かに、ボクの家の壁は普通の家とは違う。ボクは壁を触りながら言う。
「この壁は防音素材なんだよ」
「防音?」
「うん。家全体の壁とか色々、音が漏れないようにされてて……」
あれ?
「どうしたの、麗さん」
「その防音って、私が大声で叫んでも……」
「まず誰にも聞えないと思うよ」
「そう、なんだ……」
麗さんの表情が硬く強張る。……ああ、そういうことか。
「誤解させちゃったみたいだけど、家の防音は父親が音楽家だからだよ」
「そう、なの……?」
少しだけ表情が和らぐ。うん、やっぱり誤解させちゃっていたか。
「うん。1階の部屋にはピアノもあるよ。ここって住宅街だから、近所迷惑にならないようにって、完全防音にしたそうなんだ」
「そ、そうだったんだ……」
「ゴメンね、誤解させちゃったみたいで」
「う、うん。私も誤解してゴメンなさい」
誤解が解けたところで、2階へ向う。
廊下を曲がって、一番奥の部屋が空き部屋だ。
ドアノブに手をかけてまわす。
「結構換気とか掃除もしてるから、キレイだと思うよ」
ドアを開けて、部屋のなかへ。
絞まっているカーテンを開けて窓を開けると、冷たい風と共に部屋の空気が変わり、冬の日差しが部屋を照らし出す。
床一面に敷かれた畳。部屋の隅に置かれたタンス。一般的な和室になっていて、壁の上辺りに洗濯物を干すための突っ張り棒が2本付けられている。
その2本の突っ張り棒にはいくつものハンガーがかけられていて、いくつかのハンガーにはすでに服がかけられていた。
その服の中で特に目を引いたのは、メロンが入りそうな巨大なブラジャー。黒色で、豪華なレースの模様が美しい。
そして隣にも、数サイズ小さい黒色のスポーツブラがかけてあった。
「…………」
「…………」
…………。
「カズ、これは、何?」
仮面のように動かない笑顔を顔に張り付かせた麗さんが指を指す。
ボクは指が指された方向とは全く別の方向を見る。
「カズ? あなたの家族構成は?」
すぐバレる質問なので、正直に答える。
「……ち、父親だけ、です」
「そうよね。お姉さんや妹さんはいないのよね?」
「はい……。肉親は父だけです」
「そのお父さんは?」
「た、単身赴任中です。去年から」
「……じゃあ、部屋にかけてある女物の下着は何かしら?」
麗さんがボクを睨むっ。まるで取調べの刑事さんのような視線に、ボクは自白を始める。
「き、近所の……お姉さんのモノです」
「違うサイズが混じってるけど?」
「お、お姉さんは、ふ、2人……いて……ですね……」
「そういえばカズって『経験』があったのよね? その2人としたの?」
「は、はい……」
「へえ……」
声の温度が下がる! こ、氷のようだ。怖いっ、今の麗さん、怖いっ!
「カズ……」
「……はい」
「私のこと、『好き』って言ったわよね?」
「うん」
「お姉さんたちは?」
「……え?」
「お姉さんたちは好きじゃないの?」
「それは……」
言いかけて、止まる。正直、2人に対してそういう事を考えたことがなかった。
どうなんだろう?
ボクは2人のことが好きなのかな?
…………。
「好きは……好き、だと思う。けど……」
「けど?」
「麗さんに向けてる『好き』と、2人に向けてる『好き』が同じか、よくわからないんだ」
「…………」
「麗さんに向けてる感情は、もちろん恋愛感情だと思うよ。でも、2人にボクが向けてる好意が恋愛感情なのか、よくわからないんだ」
「わからないんだ……」
「うん。今まで本当のお姉さんのように過ごしてたから、改めて訊かれるとね」
「エッチはしてるのに?」
「うっ……。……うん。ゴメン」
正面を向いて頭を下げる。
麗さんはしばらく無言だったが、
「ふぅぅ……まあ、いいわ。とりあえず洗濯物を干すから出て行って」
息を吐いて、雰囲気をやわらげてくれた。
「あっ、2人の服は乾いてるみたいだし、先に片付けるよ。かけるときに邪魔になるだろうから」
「……そうね。お願い」
「……う、うん」
ボクは急いで2人の洗濯物をハンガーから外し、両手にかかえて部屋から出て行く。
「じゃあ、ボクは1階にいるから」
「ええ、干したらすぐ行くわ」
……とりあえず畳むのは後にして、自分の部屋のベッドに洗濯物を放っておく。
うう……2人の洗濯物を干してたの、忘れてた。
◆
キッチンに隣接している1階のリビング。
ボクはソファに腰掛け、大型テレビに映っているニュース番組を観ているフリをしながら、後ろで電話をしている麗さんに聞き耳を立てる。
麗さんの電話の相手は家の人。
服を干し終えたあと、リビングの壁にかかっている時計の時間を見て、さすがに一度は家に連絡を入れないマズいと、ボクの家の固定電話から自宅へ電話をかけたのだ。
「うん……こっちは大丈夫。……うん、昨日は友達の家に泊めてもらったから。心配かけてゴメンなさい」
麗さんは携帯電話……というか、今は財布も何も持っていない。お父さんから話を聞いて、思わず家を飛び出して来たから、何も持ってこなかったそうだ。
「うん、今日は……夕方までには帰るから。うん……じゃあね」
ガチャ。
通話を終えたのか、麗さんが受話器を置き、戻ってくる。
「電話貸してくれて、ありがとう」
「うん。それで、家の人は?」
「すっごく心配してたわ」
麗さんはボクの隣に腰を下ろす。大きく息を吐いて、背もたれに体を預けて、天井を見上げた。
天井を見上げたまま、麗さんはつぶやく。
「ゴメンなさい」
「え?」
「すごく迷惑だったでしょ? ホテルのお金とかも払ってもらったり、こうして家にいさせてもらったり……。私、カズにすごく迷惑かけてる」
そう言って息を吐く麗さん。そんな麗さんに、ボクは正面を向いたまま言う。
「全然、迷惑なんかじゃないよ」
「…………」
麗さんが顔をこちらに向ける。
ボクも、麗さんのほうを向いて言う。自分の素直な気持ちを伝えるために。
「まあ、最初は戸惑ったし、ホテル代で財布の中身は一気に軽くなったけど。麗さんのこと、全然迷惑だなんて思ってないよ」
「……本当に?」
「うん。本当に。――むしろボクは麗さんが近くにいるだけでうれしいよ」
麗さんの手に、自分の手を重ねる。
「…………」
麗さんはボクを無言で見つめたまま、ゆっくりと手の平を返して手を繋いだ。
しっかりと手を繋いで見つめ合っていると、
「はあぁぁ……」
麗さんが突然大きく息を吐いた。息と共に麗さんの体から力が抜けていく。
部屋の暗かった雰囲気もゆっくりと霧散していき――。
全身から力を抜いた麗さんは、ゆっくりとボクの肩へと寄りかかってきた。
「麗さん?」
「……少し、寝るわ……」
「……うん、おやすみ」
「ん……」
ボクの肩に寄りかかって目を閉じる麗さん。
ボクは静かにテレビの電源を落とした。
――おやすみ、麗さん。
◆
日も暮れ始めた夕暮れ。制服も無事に乾き、麗さんは元のセーラー服姿に戻っていた。
「じゃあ、帰るわね」
靴を履き、玄関のドアを開ける麗さんに、ボクは声をかける。
「そこまで送っていくよ」
「別にいいわよ。そこまで遠いわけじゃないんだから」
「でも……。ボ、ボクが麗さんを送りたいんだ」
ドアに手をかけたまま、麗さんがボクを見る。クスリと笑って、
「じゃあ、お願いするわ」
手を差し出してきてくれた。
ボクはその手を優しく掴む。
「うん。ありがとう、麗さん」
「ありがとうって。それは送られる私のセリフでしょ」
「あはは、そうだったね」
「ふふふっ」
2人で笑いあって、ドアを開ける。
手は繋いだまま、僕らは歩き出す。
―帰り道―
麗 「もうすぐ家だからここまでいいわ。送ってくれてありがとう、カズ。また明日、学校でね」
カズ 「どういたしまして。またね、麗さん」
麗 「うん、またね」
―近くの路地―
孝 「なあ、永。あれって……」
永 「……」
孝 「麗、だったよな?」
永 「……ああ。麗だったな」
孝 「隣のヤツと手ぇ繋いでなかった?」
永 「繋いでたな。それに、すごく親しそうだった」
孝 「そういえば、昨日の夜、麗の家から電話が……」
永 「俺のことにも電話がきた。麗がそっちに行ってないかっていう電話だった」
孝 「もしかして、さっきのヤツのところに……?」
永 「……」
孝 「いや、だけど……。麗があんなひ弱そうなヤツとなんか……」
永 「あ、相手の見かけなんて、麗には関係ないだろ」
孝 「それはそうかもしれないけど……って、永? 大丈夫か?」
永 「はぁはぁっ……ああ、大丈夫だ。俺は冷静だよ、孝」
孝 (全然大丈夫そうに見えない……)
永 「まさか、孝じゃない他の誰かに取られるなんて……」
孝 「僕もまったく同じことを思ってるよ、永」