※この作品はR-18です。

夢に宿る神の子   作:Marks_Lee

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4話

 朝餉の膳が、部屋に運ばれてきた。湯気の立つ味噌汁、香ばしく焼かれた川魚、山菜のおひたしに白米。山の宿ならではの素朴さが並んでいるのに、箸を持った途端、胃の奥がずしりと重く感じられた。

 

「……いただきます」

 

 そう口にしてみても、思うように箸が進まない。味噌汁を一口含んだだけで、舌が妙に敏感に反応し、塩気が強すぎるように思える。焼き魚も香りだけで胸の奥が詰まるようで、思わず膳から顔を背けてしまった。

 

「お客さま……お加減でも、悪いのですか?」

 

 心配そうに仲居が膝をつき、こちらを覗き込んでくる。その目がやさしい分、余計に嘘をついている罪悪感が胸を刺す。

 

「いえ、大丈夫です。ただ……旅の疲れでしょうか」

 

 無理に笑みを作ってみせると、仲居はしばし私を見つめた後、静かにうなずいて膳を下げた。残してしまった申し訳なさよりも、体のだるさのほうが勝っていた。

 

 布団に横になると、視界の端がじわりと滲む。微熱のような熱がこもり、呼吸が浅くなる。

 昨夜の夢が、何度も脳裏によみがえった。

 青年の指先に撫でられた頬。抱き寄せられた胸の温かさ。

 

 そして――腹部に触れられた瞬間の、あの異様な熱の流れ。

 思わず、自分の腹にそっと手を置く。そこから、昨夜の残響のような温もりがじんわりと広がってくる気がした。

 

 「夢だったはず」と繰り返しても、その感覚だけは嘘をついていなかった。

 

 ◇◇◇

 

 昼前、どうにか体を起こして外へ出ると、村の空気はひんやりと澄んでいた。

 

 木立の間から射す光はやわらかく、鳥の声が遠くで交わる。都会では決して味わえない静けさなのに、その心地よさが今はどこか異様に感じられる。

 

 宿の前を流れる小川のせせらぎを聞きながら、私はふらりと歩き出した。体のだるさは消えていない。けれど、あの夢の余韻に導かれるように、どうしても足を止めていられなかった。

 

 やがて、山道の脇にぽつりと立つ小さな祠にたどり着く。苔むした石の基壇、ひび割れた木の鳥居。その前に吊るされた札には、掠れた墨字でこう書かれていた。

 

 ――「触れるな」

 

 ――「神を迎える夜」

 

 昨日、山道で見かけたものと同じ札だ。

 その瞬間、背筋を冷たい風が抜けたように震えた。

 

「……やっぱり、この村は普通じゃない」

 

 思わず小声でつぶやく。

 けれど同時に、祠の奥から漂うような気配が私を離さなかった。目には見えないのに、たしかにそこに「誰か」がいる。呼吸の合間に感じる、温かく、甘やかな気配。

 

 昨夜、夢で見た青年の姿が、頭の中に浮かぶ。

 柔らかな微笑み。差し伸べられた手。

 胸の奥がざわめき、腹部に置いた掌が熱を帯びる。

 

 「これは夢の続き……それとも現実?」

 

 問いかけても答えは返らない。ただ、祠の奥にひっそりと沈む闇が、まるで私の声に耳を傾けているように思えた。

 

 ◇◇◇

 

 宿に戻ると、畳の部屋は昼の光を受けて薄明るく、静かだった。

 体のだるさは相変わらずで、頭の奥がじんわり熱を帯びている。私は布団に横たわり、深呼吸を繰り返した。

 

 ――気のせいだ。

 

 ――ただの旅の疲れ。

 

 そう言い聞かせながらも、まぶたを閉じるとすぐに昨夜の夢が押し寄せる。青年の面影が、影のように浮かんでは消えた。

 

 「……また、会えるの?」

 

 誰にともなく呟いた声が、畳の上で揺れる。

 その瞬間、窓から入り込む風がふっと止まり、部屋の空気が妙に重たくなった。

 

 耳を澄ますと、どこからか微かな囁きが混じる。

 男の声――いや、昨夜の夢で聞いたあの青年の声に似ていた。

 

 『……待っている』

 

 胸の奥が跳ねた。

 幻聴のはずなのに、心臓が熱を帯び、腹部に置いた掌がじわじわと温かくなる。

 布団の中で膝を抱き寄せるように身を縮めても、その感覚から逃げられない。

 

 「いや……これは夢じゃ……」

 

 そう呟いた刹那、まぶたの裏に柔らかな光が揺れた。

 見覚えのある光景――夜の社、石段、そして揺れる灯火。

 

 現実の昼間に横たわっているはずなのに、意識がじわじわと夢へ引きずり込まれていく。

 抗おうとする理性と、抗えぬ甘美な引力。その狭間で、私は静かに息を呑んだ。

 

 ◇◇◇

 

 光が揺らめく夢の世界に、私は無意識のうちに足を踏み入れていた。現実の布団の感触はまだ残っているのに、視界は濃く、甘い湯気の立つ温泉のような場所に変わっていた。

 

 「……来たね」

 

 背後から声がする。振り返ると、あの青年――土地神が静かに立っていた。夢の中でしか触れられないはずの彼の指先が、温かく、抗えぬ力で私を包み込む。

 

 彼の掌が腹に触れた瞬間、昨夜の儀式の余韻が体内に響き渡る。熱さと甘美さ、ぞくりとした刺激が重なり合い、理性の端はかすかに震えた。

 

 「君の体は、もう私の種を受け入れはじめている」

 

 言葉は低く、耳元でささやくように響いた。抗えない感覚に身を委ねるしかない自分を、私はただ見つめるしかなかった。

 

 夢から目覚めると、布団の中で汗に濡れた肌を抱え、呼吸は荒く、心臓はまだ速く打っていた。

 

 鏡に映る自分の顔を見ると、頬がほのかに紅潮し、昨夜の夢の影が確かに残っている。腹の奥の違和感に触れると、それは決して夢の産物ではないように思えた。

 

 窓の外では、午前の光が静かに降り注ぐ。だが、現実のはずの世界に、青年の囁きと体感の痕跡が滲んでいる――

 

 私は抗えぬ予感とともに、これから始まる儀式の連鎖を肌で感じながら、深く息をつくしかなかった。

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