絶歌~destrudo~ 作:柳川 秀@尾上 愛‗VTuber
日が沈んでから前夜式が催された。
前夜式は仏式の通夜のように重い空気ばかりが漂うものではなく、結構自由なようで、叔父がギターを弾きながら祖母に捧げるとしてある曲を歌った。
有名でコマーシャルに使われることもあったから、それは確かにボクでも聞き覚えのある曲だったが、そこで初めて歌詞を意識して聴いたような気がする。
何年もしてからふとインターネットで調べて、その曲は上の姉が生まれた頃に和訳されカバーソングとして発表されたものだということ、原曲は丁度祖父母が出逢った頃に流行った洋楽だということ、カバーして歌ったミュージシャンが祖母の三ヶ月前に亡くなっていたことを知った。
ずっと夢を見せてくれて、自分のことを安心させてくれたあの人はもういない。
でも、ずっとずっとありがとう。
その歌詞は確かに叔父から祖母に贈るにはピッタリのもので、教会にいる人々が皆すすり泣きしていた。
けれど祖父は表情を変えなかった。
更に一夜祖母の遺体と共に祖父母の家に泊まり、翌日の朝ボクたちは火葬場に向かった。
棺が鎖される前の、故人との最後の挨拶。
それでも祖父は祖母の頬に触れて微笑むだけで、何も言わなかった。
そんな祖父が亡くなったのはボクが高校一年生の春。
その数日前から祖父は体調が悪化して入院しており、ボクたちは病院からそろそろかも知れないと夜に呼び出された。
祖父の意識は既にないと言うべき状態にあった。
だが、母が祖父の手を取るとそれは少し動くのだった。
まるで「帰れ」とでも促しているかのように、母の手を祖父は押し返した。
二、三時間程して医者から一旦帰るように言われて家に戻り、家族の誰もが眠れないまま数時間経った頃、再び家の電話が鳴った。
この時祖父を入院させていた所は家から近い距離であったからすぐに向かうことができた。
少し前まで押し返してきていた祖父の手を母がもう一度取っても、それはただ握られているだけで、自分から動く気配は二度としなかった。
祖父の命は祖母の時とはまるで正反対のように、長い時間を掛けてゆっくりと消えていった。
「お父ちゃん、母ちゃんによろしくなぁ」と母は泣いていた。
信仰深かった祖父母とは違い母は一応程度の、洗礼を受けただけのクリスチャンであったのに、やはり「天国」とかの存在を信じていたのだろうか。
ともかく、ボクはこの時祖母が亡くなった日に感じた「死後への恐怖」を思い出さずにはいられなかった。
死んだ後、こうして今考えている魂や心はどうなるのだろうか。
霊になりこの世界にまだ居続けるのだろうか、天国で永遠に安らかな時を過ごしたり地獄で永遠に苦痛を与えられたりするのだろうか。
或いは、何も残さず消えてなくなってしまうのだろうか。
祖母の前夜式、叔父は祖父が「信仰と宗教は違う」と語っていたことを話した。
曰く、「キリスト教にすがっとるんじゃのうて、キリストの存在と行いを信仰しとるんじゃ」と。
宗教は神という存在を崇め奉ると同時に利用するもので、信仰はただ純粋にそのもののことを尊び慕うもの。
だからこそ、ボクが神様や天国の存在を信じなくても祖父母は気にしないだろう。
母や祖父母の知人は悲しみながらもどこか「おめでとう」と言いたげだったが、ボクには祖父母が両方とも死んだことで再会できるとは思えなかった。
もう今は祖父も祖母もどこにもいない。
ただ祖父母の死の後には死への恐怖だけが残った。
ボクは祖父母に対する母や叔父の想いを確かに覚えている。
でも、母や叔父と同じようにずっと夢を見させてくれた人を失って、それでも尚「マザー」として安心させてくれるような人の存在――白昼夢を求めるボクを見れば、祖父母はどんな顔をするのだろうか?
ボクには分からない