絶歌~destrudo~ 作:柳川 秀@尾上 愛‗VTuber
人間はたった一つの切っ掛けで壊れる程単純ではない。
また、たった一つの言葉で立ち直れる程簡単でもない。
それと同じで、人が人を嫌いになるのにも原因や要因は複数挙げられるのだろう。
父と母の場合にも、離婚するに至るまでには様々なことがあった。
そもそも離婚の話を切り出したのは父でも母でもなく、上の姉だった。
その時既に母の中には離婚の選択肢もあったそうだが、「お母さん、頼むからお父さんと別れてくれん?」という上の姉の言葉を聞いて遂に母は腹を括ったらしい。
そしてすぐ、町の役所ですると町中に話が広まってしまうからと隣町の役所まで離婚届を受け取りに行き、記入できる所は全て記入し、リビングのテーブルの上に置いて、もうそれなりに大きかった兄や上の姉も含めた子どもたち四人を抱き締めながら、その日の夜母はビクビクしながら眠りに就いた。
何故父と別れるよう母に願ったのか。上の姉にボクはある日聞いてみたことがある。
当時幼かったボクだけが覚えていない事実を知りたかったからか、父の姿をもっと明確なものにしたかったからか。
いずれにしても単なる好奇心からだった。
酔っていた上の姉は少し唸り声を上げてから「色々あるけど、多分一番はアンタのことを思って」と答えた。
それがどういう意味であるのか、ボクは一瞬キョトンとしてしまったけれど、上の姉が何のことを言いたいのかは少し考えれば分かることだった。
父はまだ小学校にすら入学していないボクに暴力を振るっていたらしい。
「らしい」というのは、別のある日兄から聞かされて知ったことだからだ。
暴力自体は兄や姉たちにも及んでいたそうだが、特に幼く言うことを聞かない、何を言っても泣くしか能のないボクには苛立つ要素が沢山あったのだろう。
時に直接殴られ、時に物を投げつけられ、時にボクは暗い押し入れの闇の中に閉じ込められた。
もちろんそんな状況を兄や姉たちが黙って見ている訳もなかったが、父はやはりその抵抗や反抗を暴力で以って鎮めた。
今思えば、兄がボクの反抗期を力で抑え込んだのは父による影響もあったのかも知れない。
母は夫の暴力と子どもの叫びや悲鳴が飛び交う中、ただ泣いていたと聞く。
母がそうすることしかできなかったのには、父が暴力を振るうようになった原因が関係していた。
父方の家系はリウマチになる可能性を孕んだ血を引いていて、父もボクが三才か四才くらいの時に発病した。
発病してからしばらくの間父は事故直後の母よりも圧倒的に病人らしく寝た切りになったそうだ。
両脚の関節が腫れ上がり激しく発熱し、それに誘発されるように全身に異常が起き、父は自分で自分の身体を動かすのも儘ならない程の痛みと苦しみに襲われた。
元々運動したり動き回ったりするのが好きだったらしく、同時にプライドの高かったらしい父にとってこのリウマチの発病は自分の完璧な人生計画を脅かす悪魔として見えたのだろう。
父はこの頃から狂っていった。
父はまず自由に動けない自分自身に怒りを覚えた。
思い通りにならない身体を持った時、母は悲しみに沈んでいたが父はそれを怒りが上回っていたそうだ。
次に、自分を看病する子どもたちに嫌悪感を覚えた。
丁度年頃であった兄や姉たちに食事や着替えどころか下の世話までされることは、父にとって耐え難い屈辱に他ならなかっただろう。
最後に、幼い次男の面倒に忙しく上の子どもたちに自分の看病をさせる、いつも次男ばかりで自分のことを構ってくれない母に……いや、そんな風にして妻を奪った次男であるボクに父は憎悪を覚えた。
一番優しくされたい時に一番優しくされたい相手を独り占めして渡さない、ボクのことを父は何よりも怒り、嫌い、憎しみ、排除しようとした。
母は父のことを確かに理解していた。
加えて母はヒステリックな性格の持ち主であったから、ある程度回復した夫が子どもたちに暴力を振るう理由の一つに自分が夫のことを蔑ろにしてしまっていることも含まれていると感じていて、だからと言って自分が代わりに殴られることも怖く、その間何もできず泣いていたのだった。
父や母自身も含め、家族の内幼かったボクを除いて誰も今のままで良いと思ってはいなかった。
誰もが感じていたことをハッキリと口にしたのが上の姉だった、ということだけである。