絶歌~destrudo~ 作:柳川 秀@尾上 愛‗VTuber
始まりが何だったのか。
今までそのことを考えるのだけは回避してきた。
それはボクにとって最後のセーフティロックであり、同時に最後のトリガーでもあったから。
こうして思い返してきた中で、何度も考えたことがある。
「どうすればその事態を避けることができたのか」と。
もちろんこの世にタイムマシンなどないのだから、過去のことについて「もしもあの時こうだったら」と考えることに意味はない。
妄想はいつだって、そこからふと視線が現実に向いた時虚しさを覚えるだけだとボクは知っている。
では、何故人はそうして「どうすればその運命から逃れられたか」を考えようとしてしまうのか。
きっとそれは、その原因を知ってこれからの人生に役立てようとするポジティブな理由もあれば、ただ防衛機能の働くままに現実世界から逃避していたいというネガティブな理由もあるのだろう。
ここに至ってやっとボクがボク自身のことを語り、これまでの事実の大元……元凶を探ろうとしているのは、先に話した通りのセーフティロックであるそれを排除し、同時にトリガーを引き、今から死へと飛び立つ身支度を整えるためなのだろう。
ボクという人間について語ろう。
ボクという、今正に自ら生命を絶とうとしている人間がどんなことを考え、感じ、生きてきた人間なのかについて語ろう。
ボクはヒーローという存在が好きだった。
よくある子ども向けの特撮番組とかアニメとか、映画、小説、漫画の中にいるヒーローのことだ。
彼らは皆強かった。でもただ強ければ良いという訳ではない。
その強さの前提として彼らが人間らしい悩みや葛藤を乗り越えた、または乗り越えつつある存在であるということが気に入っていた。
そういう姿を見ていると、「いつか自分も彼らのように今抱えている苦悩を乗り越えてヒーローになれる」という希望を持つことができた。
中でも、皆の笑顔のために自分の笑顔を犠牲にしてまで戦うあのヒーローが大好きだった。
自分が傷付いているのは確かなのに、それでも誰かのために動けるその強さに憧れた。
でも、ボクはヒーローにはなれなかった。
寧ろ彼らとは正反対の道に進んでしまったような気がする。
世界から歓迎されなかった時、それでも彼らは他者を守るために戦った。
世界から歓迎された時、彼らは他者の気持ちに応えるために戦った。
受け入れられるかどうかに拘らず、いつでもヒーローは世界を愛していた。
だけど、それに対しボクはどうだろうか?
歓迎されない時は他者を見下して自分を守り、歓迎される時は自分を蔑んで差し出される手を拒む。
それが、ボクが今までしてきたことだった。