絶歌~destrudo~ 作:柳川 秀@尾上 愛‗VTuber
前に語ってきたようにボクの家庭は一般的なそれとは懸け離れたものであったけれど、ボクがそのことを意識し始めたのは十四歳になる年の春。
祖父が倒れたことで祖父母の家に引っ越せなくなり、元いた町を離れてからだった。
元いた町は陸の孤島とも言えるような閉鎖的な空間で、田舎としか言い様のない場所で、だからこそそこに住んでいる人々は皆お互いの家庭の事情をそれとなく知っていた。
子どもでも、まだ具体的な事情とまではいかなくてもそれとなく「どこの家にだって何かあるよね」というのが常識とか暗黙の了解とかになっていた。
だけど、引っ越し先の町はそうではなかった。
個々の家庭は当然のように独立していて、部外者の立ち入れない排他的な空間となっていた。
子ども同士が自分の家庭のことについて話さないのは共通していることだけど、背景に「なんとなく伝わっているからわざわざ口に出す必要はない」ということがあった元いた町に対し、引っ越し先の町には「プライベートに触れてはならない」という雰囲気があった。
ボクは引っ越し先の町で「皆同じだから孤独ではない」と思うことができず、自分のことをどういう意味であれ、事実がどうであれ、「他者と異なるもの」として認識するようになった。
そう、この時ボクは世界を見下し、ボク自身を蔑むようになったのだ。
まず父と母のことを呪った。
二人が離婚しなければボクの家庭は一般的なそれに限りなく近いままだったろうと考えたからだ。
でも、そんなことを考えていたある日兄の口から前述した父についての話を聞かされた。
そして既に言った通り、ボクは父のことを、妄想上の父が薄れ現実の父の姿が濃くなることによって憎むことができなくなっていった。
次に母のことだけを呪った。
母が病気にさえならなければボクは母の愛を充分に得られたと考えたからだ。
でも、前に語った通り弱くて小さい存在として見えてしまう母を完全に憎むことはボクにはできなかった。
事故の加害者側の若い男女を呪おうとも思った。
でも、もう自己破産して逃げた二人を憎んだところで心は晴れなかった。
祖父の言うような宗教とはきっと「神様のお蔭にすると同時に神様のせいにする集団」「どうにもならない苦悩を押し付けるためのツールとして神様を生み出す集団」のことを指していたのだろう。
でも、触れることもできなければ見ることも話すこともできない存在に対し怒りをぶつけようとしても「暖簾に腕押し」と同じで意味はない。
ぶつけたという事実が得られない限り憎悪が晴れたりはしない。
だから、妄想上の父に対し恨みを持っていた時と同じで、その若い男女を憎み続けても何にもならないことをボクは分かっていた。
今度は、直接感情をぶつけられる相手を求めて荒れようとしていた時にそれを妨害してきた兄を呪おうとした。
兄になら怒りをぶつけられると、ぶつけたとしても兄が壊れるような弱い存在でないとボクは知っていた。
でも、いつまで経っても兄に敵わないことと兄に親として強くあることを強要しているのが自分自身であることを感じ、やはりボクは敗北感と罪悪感から兄を憎めなくなった。
倒れた祖父を呪おうともしたが、祖母が逝ってしまったことで弱っている姿を見ると、後は自身が死ぬ時を待っているだけになってしまった姿を見ていると、どうしてもそうすることがボクにはできなかった。
漠然とした父や母の事故の加害者。
触れられる場所にいるが傷付ければ自分も大きく傷付いてしまう母や兄、祖父。
家の中で物に当たろうとしても兄に阻害されてしまう現状。
それらを踏まえるとボクに残された感情の矛先は二つあった。
一つは自分。
もう一つは、兄や家族の目が届かず、それでいてボクがボクの家庭のことを、ボク自身のことを蔑む要因になっているもの……学校にいる同年代の子どもたちだ。
それは大学生になった今でも、七年前と変わらずにそう思う。